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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
ゼロからのリビルド

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散歩

 白百合亭に寄った。

 予想通り、セリアは出ていた。受付で聞くと、朝早くに東門の方へ向かった、と。



 街路を抜けて、東門に向かった。門番に頷いて、外に出る。

 朝の平原が広がっている。遠くに森の輪郭。空気が冷たくて、頬の痣がじんじんする。

 ——出たのは今朝。東門の外で狩りでもしてるなら、すぐには戻らない。

 宿の前で待つ手もあった。でも、いつ売り払われるか分からない。待っている間に消えたら、それで終わりだ。

 ——探すしかない。この足で。だだっ広い平原を、傷の残る体で、自分の目だけを頼りに歩き出す。



 歩きながら、頭の中でシミュレーションを回す。

 ——セリアさん、お久しぶりです。実はお願いがありまして。

 ……堅い。それはちょっと違うか。

 ——セリア、ちょっと頼みがあるんだけど。

 ……軽すぎる。「……なに」で冷ややかに値踏みされて、続きが言えなくなる。

 どう言い換えても、だめだ。正直に『助けてくれ』なんて、惨めすぎて言えやしない。



 歩いても、歩いても、白金の髪はどこにもない。陽が昇って、脇腹と二日酔いの頭が、じわじわ重くなる。

 ——この広さで、当てもなく一人を。やっぱり、無謀だったか。

 いや、考えろ。狩りに出てるなら、獲物のいる場所だ。見通しのいい平原じゃない。魔物が濃いのは、森の際。

 向きを変えて、森の輪郭を目指した。

 しばらく進むと、下草が大きく薙ぎ払われていた。黒い血の跡が、点々と続いている。こんな真似ができる冒険者を、私は一人しか知らない。

 ——この先だ。

 痛みを忘れて、半ば駆け出していた。森の手前の草原を、回り込む。

 その時——見つけた。

 ——やっと。



 白金の髪が風に揺れている。

 木の幹に背を預けて、剣を布で拭いている。足元に、大型の魔物の死骸が転がっていた。Aランクの魔物だ。本来こんな場所に出る種類じゃない——それが一撃で両断されている。

 ……最近、生息域から外れた魔物が増えてるってギルドで話題になっていた。これもその類か。

 セリアは死骸を眺めている。剣の血を拭うだけで、角も牙も切り取る素振りがない。Aランクの素材なら金貨数枚にはなるはずなのに、興味なさそう。

 ——やっぱり化け物だ、この人。



 セリアが顔を上げた。

 赤い瞳が、こちらを捉える。

 ——あ、目が合った。シミュレーションが全部飛んだ。



 セリアが立ち上がった。剣を足元に置いたまま。

 近づいてくる——わけではなかった。その場で、腕を組んで、こちらを見ている。剣を拭いていた手は、もう止まっている。動かない。「来るなら来なさい」という無言の圧。



 足が重い。脇腹が痛い。頬が腫れている。こんな顔で会いたくなかった。

 でも——タイムアタックだ。選んでる余裕はない。

 距離が縮まる。十歩。五歩。三歩。

 セリアの視線が、ふっと降りた。一瞬だった。本当に一瞬だけ、その目が痣を、口元の傷を、庇っている脇腹を、順番にたどった。



「……生きてたんだ」



 第一声が、それだった。

 魔法協会の任務に送り出されて以来、顔を合わせていない。あの時セリアが最後に言い残した言葉は——『死なずに帰ってきたら、褒めてあげる』。振り返りもせずに。

 口が勝手に動いた。



「お久しぶり。死ななかったよ。褒めてくれるんでしょ」



 セリアの眉が、わずかに動いた。



「……その顔で?」



 ——褒めるって言ったくせに、容赦ない査定が入る。



「……魔法協会の方は無傷で帰ってきた。これは……昨夜の別件で」



 セリアの肩が、ほんの少しだけ下がった。それから、視線がもう一度、痣をたどった。今度はゆっくり。



「……」



 風が吹いて、セリアの髪が揺れた。

 ——言わなきゃ。本題。



「あの——」



 セリアの眉が、薄く寄った。



「……殴られたの」



 先に言われた。

 聞いてきた。でも「何があったの」でも「大丈夫?」でもなく、「殴られたの」だ。見たままを、そのまま投げてくる。



「……ええ、見事に」



 セリアが目を細めた。何も言わない。

 ——心配してるのかしてないのか、よく分からない。



「……どうして、ここが分かったの」


「宿で行き先を聞いて。あとは、歩いて探した」



 セリアの視線が、ほんの一瞬、土で汚れた私の靴先に落ちた。



「……で。何の用」



 短い。冷たい。いつものセリアだ。

 でも——待っている。腕を組んで、赤い目でこっちを見て、私が喋るのを待っている。



「……大事なものを、奪われた」


「……」


「Bランクの冒険者に。昨夜、路地裏で」


「……それで」


「自力じゃ取り返せない。相手は三人。私は今——まともに戦えない状態で」



 セリアの目が、わずかに細くなった。



 ——言ってしまった。

 自分から「戦えない」と。情けない。でも、認めないと先に進めない。拳を握った。爪が、掌に食い込む。

 顔を上げる。セリアの目を、初めて、まっすぐ見た。

 ——なのに、肝心の言葉が、喉から出てこない。



「……言いなさい」



 息を、吐く。



「……力を、貸してほしい」


「……他にいるでしょ」


「セリアなら、間違いない。ガルドより強くて、私が……」



 「私が」——その先を、どう言えばいいのか分からなかった。

 この人と私の関係を、何と呼べばいいんだろう。知り合いとも違う。仲間と言うほど近くもない。



「……頼めるのが、セリアしかいなかった」



 セリアが黙っている。腕を組んだまま、赤い目で私を見ている。

 ——断られる。やっぱり。「自分でなんとかしなさい」って言われて終わる。分かってた。分かってたけど——



「……何を取られたの」



 返ってきたのは、質問だった。



「財布も、指輪も。でも一番まずいのは——銀色の玉。私の魔法に必要な道具」


「相手は、まだ持ってる?」


「……分からない。でも、あの玉の価値には気づいてる。売り払われたらもう終わり」


「冒険者の名前は」


「ガルド。手下が二人いて……」


「ギルドには言った?」


「言ってない。あの玉のことを説明することになるのは避けたくて」


「他に知ってるのは」


「ミルシェだけ」



 矢継ぎ早だった。一問一答。こっちが長く説明しようとすると、次の質問で遮られる。

 ——セリアにしては、質問が多い。遺跡の時と、同じだ。

 セリアが剣を拾い上げた。鞘に差して、歩き出す。街の方へ。振り返らない。



 ——待って。引き受けたってこと?



「ちょ……セリア、どこ行くの」


「散歩」



 散歩、って。……ガルドをシメに行くつもりじゃないだろうな。

 ——でも、散歩と言いながら、ちゃんとそっちに向かっている。

 足が動いた。考えるより先に、慌ててセリアの背中を追う。



「……セリア」


「何」


「……ありがとう」


「……」



 セリアの足が、一瞬だけ止まった。

 何も言わない。そのまま歩き出す。



 東門をくぐった。

 市街に入った瞬間、通行人が一斉に振り返る。——歩いてるだけで人波が割れる。ルミナリエルフのセリアが街中を歩くと、こういうことになる。

 こっちは見られていない。ありがたい。

 セリアは止まらない。取り巻きらしい若い冒険者が駆け寄ってきた。



「あのっせ、セリアンディエル様! 今日も——」


「ガルド。Bランクの男。手下が二人。どこにいる」


「えっ……」



 取り巻きが顔を見合わせる。一人が思い当たったように声を上げた。



「あ、グレイホルン亭です! 今日も朝から飲んでるって、さっき——」



 セリアは聞き終わる前に歩き出していた。返事もしない。

 取り巻きが置き去りにされて、ぽかんと立ち尽くしている。

 ……これがセリアの情報収集力か。ほんの数秒で済んだ。



 東通り。木造の宿が並ぶ通りに、鉄の看板——『グレイホルン亭』。

 ——うわ、本当にここまで来た。

 セリアが宿の前で足を止めた。



「ここで待ってて」


「え——」


「邪魔」



 一言。扉を開けて、中に消えた。

 ——邪魔ってなんだよ。宿の前で立ち尽くす。

 中から鈍い音が聞こえた。何かが倒れる音。短い怒声。

 ——もう一つ、何かが壁にぶつかる音。

 ドゴォン、という、宿屋の構造そのものが抗議の声を上げるような破壊音。それから、何か「重くて柔らかいもの」が、壁の装飾の一部としてめり込んだような、湿った音が三回。

 ……私は空を仰いだ。今日は雲一つない、いい散歩日和だ。

 最後に、何か重いものが床に落ちる音がして——静かになった。



 ……。



 扉が開いた。

 セリアが出てくる。髪に乱れはない。息も切れていない。

 ただ、左手の指先に、うっすら血の跡があった。

 右手に布の包み。左手に——銀色の玉。

 布の包みを投げてよこされた。開くと——財布と、循環の指輪。



「あの……これ、取り返してくれたんだよね。ありがとう……。中で何を」


「聞かない方がいい」



 聞きません。

 指輪を右手にはめ直した。指先に馴染んだ金属の感触。財布の中身も確認する。残っている。

 ——Bランクの冒険者を、あそこまでやって。後で問題にならないのか、と一瞬よぎる。……いや。盗んだ側が、奪い返されたと騒ぎ立てられるわけがない。ガルドは、表沙汰にできない立場だ。

 玉はまだセリアの手の中だけど——ガルドから取り戻してくれた。膝の力が抜けかけた。昨夜からずっと張り詰めていたものが、一気に緩んだ。目の奥が熱い。

 たった数分だった。私が一晩頭を抱えた問題が、この人の散歩で片付いた。

 ……取り返したんじゃない。取り返してもらったんだ。自分の力じゃ、指一本届かなかった相手から。

 ——この人には一生逆らえない。逆らわない。何でも言うことを聞く。今だけは本気でそう思った。



 セリアが不意に、こちらへ手を伸ばした。

 頬に触れた。冷たい指先が、微かに光る。

 温かい魔力が痣の奥に沁みていく。頬の腫れが、指の下で引いていくのが分かった。ずきずきしていた熱が、嘘みたいに消える。



 ……え、なにこれ。痛くない。すごい。



「ちょ、何してんの」


「その痣、目障り」



 治してくれた……。——目障りだから治した、と。なんて理屈で済ますか普通。でも腫れも痛みも消えている。文句は、言えない。

 前に二人で潜った時は、爪が欠けて血が出ても「拭け」の一言だったのに。今日は、痣ひとつに回復魔法。——どういう風の吹き回しだ。



「……回復魔法も使えたの」


「基礎くらいなら」



 回復魔法の使い手は希少だ。街の治療院で薬師の何倍も稼げるから、命がけの冒険者になんて、まず流れてこない。

 なのに、この人は——それを「基礎」と言ってのける。



「……完全に、治ったのこれ」


「腫れと痛みは。色は、時間が引き取る」



 ——鏡がないから、自分じゃ分からない。でも、この人が言うなら、まだ青紫が残ってるんだろう。腫れも痛みも一瞬で消したくせに、色だけは時間に丸投げか。



 手が離れた。

 ——セリアの視線が、自分の左手に落ちる。アルミ玉を、まだ握ったまま。



「……この玉」



 セリアの声が低い。



「握った時、魔力の通りが変わった。普通の触媒じゃない」



 心臓が跳ねた。



「これ……いつから持ってたの」


「……ずっと持ってた」


「……そう」



 ——身構えていた。「これは何だ」「どこで手に入れた」。その問いにどう答えるか、頭の隅で言い訳を組み立てていた。

 でも、こなかった。

 「普通の触媒じゃない」とまで言い当てた人が、そこで止まる。

 赤い目が、一瞬こちらを見た。嘘はついていない。でも、全部を話したわけじゃない。それくらい、見抜かれている。

 その上で、聞かない。

 ……なんで。



「……少し、試したい。ここじゃ狭い」



 セリアが歩き出した。東門の方。

 何を試すんだよ……。アルミ玉を取り返してくれたんだ。断る理由は、ない。……ないんだけど。

 嫌な予感がした。草原の端。朝、セリアを見つけた場所の近く。少し先に、家屋ほどもある一枚岩が、地面から斜めに突き出している。

 セリアが立ち止まった。左手のアルミ玉を、握り直す。岩に向かって、手をかざした。

 ——そこで、頭が追いついた。あの玉は、魔力を増幅しない。周りからかき集めて、流し込むだけだ。術者の器が大きいほど、集まる量に際限がなくなる。ルミナリエルフの魔力で起動したら——



「セリア、待っ——」



 遅かった。



 風が——止まった。

 草が揺れない。虫の声が消えた。空気が、セリアの掌に向かって吸い込まれていく。

 白い光が膨れ上がった。

 私がアルミ玉の力をフルに使って火球を撃った時とは、桁が違う。掌の中で圧縮された光が、一瞬で臨界を超えた——溜めが、ない。

 ドンッ。

 視界がぐにゃりと歪んだ。鼓膜の奥で何かが弾けた。肺の中の空気が、ぜんぶ押し出された。

 次に見えた時——岩が、消えていた。家ほどあった塊が、上半分どころか土台ごと。抉れた地面だけが、残っている。

 遅れて、轟音と熱風。地面が震えた。砕けた破片が、雨のように降ってくる。



 口が開いたまま閉じない。

 予想は、していた。していたのに——その予想を、軽く超えてきた。私が五秒かけてやっと撃てた火球を、この人は一瞬で、片手で、溜めなしで。

 『少し、試したい』で、これですか……? この人にあの玉持たせたら、世界二、三回ぐらい滅ぼせるんじゃないか。



「……面白いね、これ」



 セリアが手の中のアルミ玉を見ている。口元が、ほんのわずかに緩んでいた。

 この人の「面白い」は滅多に出ない。前に言われた時は私に向けてだった。今度は——玉に、か。

 ——普通に怖い。



 セリアが手を下ろした。

 轟音の余韻が地面から引いていく。砕けた草の匂いだけが残った。止まっていた風が、また動き出す。



 ——これで、終わった。あとはアルミ玉を返してもらって、お礼を……。いや、お礼って、何を渡せばいい。私の手元に、この人に釣り合うものなんてない。それでも、何か言わないと。



「セリア、玉……」



 セリアがこちらに向き直って、左手をゆっくり差し出した。

 私も手を伸ばす。指先が——銀色の冷たさに触れそうになった、瞬間。

 ふっと、手を引かれた。



「え?」



 セリアは玉を握り込んだまま、その場を動かない。視線を逸らして、ぽつりと言う。



「……一つ、条件がある」


「……何」


「次の依頼、一緒に来て」



 ……は?



「……パーティを組んでほしい、ってこと?」


「……」


「メンバーは?」


「依頼は2人以上で受けられる」



 二人。——え、それって。私とセリアの、二人?

 意味が、分からない。「無能」「雑草」「枯れかけ」——会うたびに罵倒してきた人が?



「あの……『人間と組む気はない』んじゃなかったの?」



 セリアの指先が、握った玉の上で、わずかに動いた。



「……人間にも、たまには使える個体がいる」



 ——出た、上から目線。

 ……『個体』って言うな。せめて『人』って言ってくれ。



「えっと、その『使える個体』が、私ってこと……? 私より強い人間っていっぱいいると思うけど」


「……あなたの戦い方は、把握してる。連携の手間が要らない」


「だからって、私? セリアなら、誰と組んでもすぐ連携できるでしょ、Aランクの依頼でソロも余裕なんだから」


「……」



 セリアが黙った。詰めても、出てこなさそう。

 ——そのセリアが、一歩、踏み込んできた。顔が、思ったより近い。さっきまで、三歩は空いていたのに。



「あの……距離、近くない?」



 セリアが、固まった。目を合わせない。長い沈黙。



「…………風向き」



 ——今、無風なんだけど。

 ……もういい。これ以上追及したら、次はさっきの岩みたいにされる。



「……分かった。一緒に行くよ」



 私の返答を聞くと、セリアが玉を差し出した。

 受け取る。指先に、一瞬だけ冷たさが触れた。今度は——手を引かれなかった。



 アルミ玉をポケットにしまった。ようやく、息がつける。

 セリアが歩き出した。やけに足が速い。こっちを見ない。

 ——逃げてる。絶対逃げてる。なんで逃げるんだ。

 でも振り返らないのに、歩幅だけがわずかに狭い。私が追いつける速度で。



 ポケットに手を入れた。銀色の重みがある。右手の指輪が光を返している。

 前を歩くセリアの背中を見る。

 ……「次の依頼、一緒に来て」。

 ソロ規制の穴埋め。連携の手間が要らない。——理由はどれも、もっともらしい。要するに、私が一番、手のかからない相手だった。それだけのことだろう。

 ……でも。それだけの相手に、玉を質に取ってまで、わざわざ条件をつけるものか?

 ——いや、考えても答えは出ない。Aランクと組めるなら、私には十分すぎる。それでいい。



 ——そうだ。ミルシェに、報告しなきゃ。

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