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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
ゼロからのリビルド

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リカバリプラン

 目が覚めた時、最初に分かったのは痛みだった。

 後頭部。脇腹。頬。順番に思い出す。順番に、昨夜のことが戻ってくる。

 ……戻ってきてほしくなかった。

 宿のベッドの上にいる。路地からどうやって部屋まで戻ったのか、記憶が曖昧だ。服は汚れたまま。上着に土と石畳の跡がついている。

 ポケットに手を入れた。空っぽ。財布も——アルミ玉も、ない。右手を見た。指輪もない。

 夢じゃなかった。



 体を起こす。頭が割れそうに痛い。二日酔いと打撲のダブルパンチ。どっちが酷いか比べる余裕もない。

 鏡を見た。左の頬が腫れている。青紫の痣。口の端が切れて、乾いた血がこびりついていた。

 ……最悪だ。容赦なくやりやがって。女に手出すなら手加減しろ。

 水で顔を洗って、血を拭き取った。頬の腫れは誤魔化せない。……マスクが欲しい。こっちの世界にはそんなものないけど。

 服を着替えて、上着の汚れを叩いて落とす。

 もう一度、ポケットに手を入れた。分かっているのに確認してしまう。何度入れても、指先が触れるのは布だけだ。あの銀色の重みが、ない。

 窓の外は晴れている。普通の朝だ。



 体が、いつもの朝の段取りで動こうとする。ギルドに行って、ミルシェと依頼を選んで——。

 ……今日は、それどころじゃない。アルミ玉がない。魔法がまともに使えない。依頼を受けたところで、戦えやしない。

 金は……協会の報酬が宿の部屋にある。財布は取られたけど、当面は困らない。

 ……首元の通信石だけは、無事だった。財布も指輪もアルミ玉も持っていかれて、残ったのが協会の首輪一本。皮肉が利きすぎてる。

 よりにもよって今これが光って招集がかかったら——満身創痍、丸腰、二日酔い。最高の戦力でご参上、ってわけだ。まじ無理。



 アルミ玉を取り戻す。今はそれだけでいい。まず、ミルシェと合流して状況を共有する。

 昨夜、路地で空いたままになった、あの空白の行。まだ、答えは書けていない。——でも、止まったら終わる。とりあえず、動け。



 ギルドに着くと、ミルシェがいつもの掲示板の前で待っていた。

 朝日が窓から差し込んで、栗色の髪が光っている。



「おはよ♡ 今日はどうす——」



 ミルシェの声が途切れた。

 私の顔を見て、目を見開いた。



「……ユズリハちゃん、その顔」


「階段から落ちた」


「嘘」



 即答だった。

 ミルシェの目が、私の頬の痣から口元の傷、上着の汚れ、そして——庇うように押さえている脇腹へと動いた。

 ミルシェの手が、私の頬に伸びかけた。痣に触れる、その直前で止まる。

 ——そのまま指が握り込まれて、拳になった。労わろうとした手が、ぶつける先を探すみたいに。

 この子は観察力がいい。誤魔化しは通じない。



「……昨夜、ちょっと揉めた」


「誰と?」


「ガルドっていうBランクの人」



 ミルシェの表情が変わった。



「何されたの」



 声が低い。いつもの弾むような調子が、ない。こういう時のミルシェは怖い。

 ユーゴのことを話した、あの夜とも違う。あの時のミルシェは、受け止める静けさだった。——今のは、それじゃない。



「……見ての通り。ボコられて身ぐるみ剥がれた。財布も、指輪も……」


「……」



 ミルシェは急かさない。私が言い終えるのを、待っている。



「……それと、もう一つ」



 言葉が詰まった。

 ソロンに言われている。あの玉のことは誰にも話すな、と。協会に知れたら没収。国に知れたら接収。闇ギルドに知れたら——命ごと持っていかれる。

 ……ミルシェの顔を見た。まるで、自分が殴られたみたいな顔をしている。

 この子に隠したまま、一人で何ができる。取り返せるあても、手段も、何もないのに。

 ソロンには怒られる。——でも、今ここで黙っている方が、もっと取り返しがつかない。



「……ミルシェにも言ってなかったけど。私の(むし)の魔法、全部——銀色の玉を握ってる時しか使えない。あれがないと魔力が足りなくて、蟲が形にすらならない。……その玉も、取られた」



 ミルシェが息を呑んだ。

 ——言ってしまった。蟲使いなんて呼ばれていても、あの銀色の玉がなければ張りぼてだってこと。一番情けない部分を、自分からさらけ出した。

 見限られても、おかしくない。

 でも——不思議と、後悔はなかった。胸の奥で何かが軽くなっている。重荷を一人で抱えていた時間が、少しだけ短くなった感覚。

 ……なんでこの子になら言えるんだろう。よく分からない。



「取り返しに行こう」



 ミルシェは即答した。迷いがない。



「ガルドの宿割り出して、殴り込めばいい。二人でやれば——」


「無理だよ」


「無理じゃない。私が前に出る」


「ミルシェ」



 名前を呼んで、止めた。

 ミルシェの目が、真っ直ぐこっちを見ている。怒っている。私のために怒ってくれている。喉の奥が、詰まった。——なのに私は、その熱に、水を差さなきゃいけない。



「……聞いて。落ち着いて聞いて」



 息を吸った。二日酔いの頭で、できるだけ冷静に。



「まず、実力差。ガルドはBランクで手下が二人いる。魔狼三匹であれだけ苦戦したのに、Bランクの冒険者三人相手とか、葬式コース確定」



 ミルシェが唇を噛んだ。反論できないのが悔しいんだろう。私だって悔しい。



「次に、ギルドに訴える線。これも駄目。あの玉、見た目はただの銀の球だよ。『私のだ』って言ったって、ガルドに『証拠あんのか、どこにでもある』で返されて終わり。証明するには、あれが何なのか——私の魔法を成り立たせてる規格外の代物だってことまで、見せるしかない」



 ミルシェの目が動いた。意味を理解している。



「今はまだ、あの玉が何なのか表沙汰になってない。でも証明なんてしたら、蟲使いの魔力の種があの玉だって、一気に知れ渡る。そうなったら——次はもっと面倒なやつが来る。ガルドなんかよりずっと厄介な相手が」


「……それは」


「しかもガルドはこの界隈で顔が利く。私はBランクになったばかりの新参」



 全部言い終えて、息を吐いた。……詰んでない? これ。リカバリプランどころか、諦める言い訳の方が先に浮かんでくる。

 ——玉が戻らなければ、蟲使いはおしまいだ。冒険者の看板を下ろして、この世界のどこかで、別の食い扶持を見つけて。地球に帰る当てもないまま、ここで、ただ歳をとっていく。

 そういう未来が、ふいに、すぐ隣に見えた気がした。

 ミルシェが黙っている。拳を握りしめている。爪が掌に食い込んでいるのが見える。



「……ユズリハちゃん」


「ん」


「悔しい」



 短い一言だった。

 私の台詞を取らないでほしい。



「……うん。悔しい」



 本当に、悔しい。



 スマホを失くした時と同じだ。連絡先、写真、アプリ、スケジュール。生活の全部が詰まっていたものが、一瞬で消える。あの底が抜ける感覚。

 いや——スマホならまだいい。買い直せる。データだって復元できる。

 でもアルミ玉は替えがきかない。原材料がここの世界にはない。あの玉がなくなっただけで——私はゼロに戻る。



「……あの玉がないと——」



 口から出た。考えるより先に。

 その先が、続かなかった。何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。

 ミルシェが何か言おうとした。でも言葉を飲み込んだ。——正解だ。今、「大丈夫」なんて言われたら、たぶん壊れる。



 しばらく、二人とも黙っていた。

 隣でミルシェが拳を解いて、また握った。

 ——この子を巻き込むわけにはいかない。ガルドとの揉め事が大きくなれば、ミルシェにも注目が集まる。ミルシェの正体がバレるリスクだってある。今は人間として通しているこの子の素性を、余計な目に晒すわけにはいかない。



 ——嘆いてても戻ってこない。泣いても叫んでも、戻らないものは戻らない。やることは一つ。リカバリプランを考えろ。

 正面突破は無理。ギルドも使えない。

 やってることは暴行に強奪、騎士団案件だ。——でも、届け出ればアルミ玉の存在を知られてしまう。「国に知れたら接収される」、ソロンに言われている。

 しかも時間がない。ガルドはあの玉の価値に気づいている。売り払われたら——もう二度と戻ってこない。これはタイムアタックだ。

 ……ただ、ガルドは冒険者だ。いずれギルドに顔を出す。動きを掴むのは難しくない——ミルシェに頼める範囲だ。

 ガルドを見つけられても、倒すのは私じゃ無理だ。じゃあ——その役を、誰かに頼むしかない。ガルドより強くて、信用できる誰かに。

 条件に一番合うのは、ソロンだ。元Sランク、ガルドなんて相手にもならない。玉のことも知ってるから、秘密が漏れる心配もいらない。本当なら、迷う余地もない。

 ——でも、あの人にだけは、行けない。

 「絶対に秘密にしろ」と言われた玉を、泥酔して奪われた。おまけに、あの人にもらった循環の指輪まで、一緒に。どの面下げて、助けてくれと頭を下げるんだ。



 赤い目が浮かんだ。冷たくて、綺麗な赤。

 ——セリア。

 ランクはA。でも、実力は桁が違う。ガルドなんか、相手にもならない。

 それに、セリアになら、玉の正体を明かさずに済む。『大事なものを取り返したい』——そう頼むだけでいい。ギルドで所有を証明して回るのと違って、秘密が表に出ることもない。

 でも——あの人が引き受けてくれるとは限らない。「自分で何とかしなさい」。あの冷たい目で言われるのが、目に浮かぶ。

 それ以前に——図々しすぎないか? 以前にパーティを組んでいたとはいえ、それも今は昔だ。もう一緒に動いてもいない相手に、私事の揉め事の尻拭いまで持っていく。

 頭を下げるのか。あの人に。「助けてくれ」と。

 私はセリアに対して、ずっとぶっきらぼうな口を叩いて、敬意ない距離感で接してきた。今さら頭を下げたところで——

 ……いや。考えても、答えは変わらない。玉を取り戻せる見込みがあるのは、あの人しかいない。



「ミルシェ、セリアどこにいるか分かる?」


「白百合亭——セリアンディエル様の宿、知ってるよね?♡」



 ……あ、そうだ。

 でも、と思い直す。



「宿にいるかな」


「行ってみないと分からなくない?♡」


「……だね。いなかったら、宿で行き先を聞く」


「聞けるの?♡」


「あの人ほど目立つルミナリエルフだよ。宿を出てどっちに向かったかくらい、受付か、その辺の誰かが覚えてる。目立つってことは、足取りが残るってこと」


「……ユズリハちゃん、そういうとこ強いよね♡」



 ミルシェの声に、いつもの調子が戻りかけている。完全にではないけれど。



「私は宿に寄る。ミルシェはギルドで張ってて。ガルドが顔出したら教えて——売り捌く前に動かないと」


「了解♡ 任せて♡」


「……ありがとう」



 ミルシェが少しだけ笑った。いつもの笑顔じゃない。もっと——小さくて、静かな笑顔。目が、やけに優しかった。



 立ち上がった。脇腹が痛む。頬が腫れている。財布は空っぽで、ポケットにはアルミ玉がない。

 でも——まだ動ける。まだ頭は回る。最悪の状況で「次の手」を考える癖だけは、前職で嫌というほど鍛えられた。

 ……プライドなんか、とっくに路地裏に転がしてきた。



 歩き出した。痣の残る顔で、空っぽのポケットで、それでも足だけは前に出る。

 セリアを、探しに。

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