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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
ゼロからのリビルド

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借り物

 うとうとして、目が覚あめた。

 天井ばかり見ていた。考えなきゃいけないことが多すぎる。次の依頼、ミルシェとの噛み合わせ、二群同時制御。

 ユーゴのことが、まだ頭の隅にこびりついている。

 全部が一緒くたに渋滞している。それからは、もう眠れなかった。



 ……だめだ。



 酒でも飲まないとやってられない。

 地球にいた時はソシャゲとか動画とか、脳を麻痺させる手段はいくらでもあった。こっちにはそういうものが何もない。ストレスの捌け口が酒くらいしかないのだ。

 ……部屋には酒の一滴もない。樽で買って常備しておけばよかった。

 ギルドの酒場まで歩いた。壁際の、隅のテーブル。誰とも顔を合わせなくて済む場所。

 エールを一杯。二杯。三杯。味なんてどうでもいい。胃に流し込む。

 酒場は賑わっている。冒険者たちの笑い声、グラスがぶつかる音。木のカウンターに染みた酒の匂い。前にも一人でここに来たことがある。ラークとミナに裏切られた直後だった。あの時は人が怖くて一人になった。今は——ただのやけ酒だ。結局一人で酒場にいる。

 四杯目を頼もうとした時——



「よう、久しぶりじゃねえか」



 聞き覚えのある声に、顔を上げた。

 こいつは——ガルド。革鎧にBランクのプレート。以前、早飲み勝負で四連敗して逃げていった男。

 隣には手下らしい男が二人。



「この前は悪かったな。飲み勝負で絡んじまって。詫びに一杯奢らせてくれよ」



 どんだけ奢ってくれんだよ、この男。

 ——普段なら、革鎧の汚れ具合や手下の顔ぶれを見て、何かを判断していたはずだった。今は、視界に入っている情報が頭の中で像を結ばない。

 手下二人がカウンターの向こう側に回って酒を注文している。ガルドが向かいに腰を下ろした。



 ジョッキが二つ置かれた。前回と同じ構図。

 エールを傾ける。一杯目、私の方が早い。



「……相変わらず早えな。もう一杯いくか?」


「はい」



 二杯目。また私が先に空にした。ガルドのジョッキにはまだ三分の一残っている。



「はっ、やるねえ。やっぱ姉ちゃん強えわ」



 ガルドが愛想笑いを浮かべている。

 ……ガルドと飲み始める前に、既に三杯入れている。空きっ腹に合計五杯。視界の端がぼやけ始めている。さすがに酔ってきた。

 追加のジョッキに口をつけた。けど、流し込む前に手が止まる。



「もう終わりか? ——よっわ」



 ガルドがニヤリと笑った。

 私のジョッキには、まだ三分の一残っていた。

 あの時、私がこいつに漏らした言葉だ。それが、そっくりそのまま返ってきた。喉の奥が、ひやりと縮んだ。



「三杯目で追いついたぜ、(むし)使いの姉ちゃん。顔、赤くなってきてんぞ?」



 クソ……ムカつくけど、言い返す舌が回らない。テーブルに置いた手が、自分のものじゃないみたいに重い。



「Bランクになったんだって? 魔法使いなんざ、さぞ稼いでるんだろうなぁ」



 ガルドの声色が変わった。目が下卑た光を帯びる。



「協会の魔法使いってのは、ギルドじゃ見ねえようなもん持ってるって話だぜ?」


「……別に持ってない」


「ははっ、まあいいさ。飲め飲め」



 次のジョッキが置かれた。

 断ればよかった。立ち上がって、宿の部屋に戻ればよかった。

 でも——今夜は、素面に戻りたくなかった。素面に戻ったら、また天井を見つめるだけの夜が待っている。

 エールを煽った。喉が焼ける。胃の底が熱い。

 ガルドが何か言っている。手下が笑っている。音が遠い。



 ——もう帰れよ、送ってやる。みたいなことを、ガルドが言っていた気がする。

 気づいたら、酒場の外にいた。夜風が頬に当たる。冷たいはずなのに、酔いのせいで温度が分からない。足元が覚束ない。

 宿はすぐそこだ。階段を上がるだけでいい。

 ……ガルドが「こっちだ」と肩を支えてくる。宿は反対側のはずだ。意識の隅で、小さな違和感が頭をもたげた。素面なら、そこで足を止めていた。でも酔った頭では、その違和感は形にならないまま溶けて、足はガルドに引かれるまま動いていた。

 路地は暗かった。建物の隙間から覗く月明かりだけが、石畳を細く照らしている。酒場の喧噪が、くぐもって遠い。



 背後で、複数の足音がした。



「——っ」



 振り向く前に、腕を掴まれた。壁に押し付けられる。後頭部が石壁にぶつかって、視界に白い火花が散った。



「ちゃんと送ってやっただろ、蟲使いの姉ちゃん」



 ガルドの顔が、目の前にあった。

 さっきまでの薄ら笑いが消えている。剥き出しの悪意。あの酒場で見せていた愛想笑いは全部芝居だったのだと、酔った頭でようやく理解した。

 手下二人が左右から腕を押さえている。動けない。



「あの時はよぉ、随分とナメてくれたよなぁ? 騎士団がどうの、血がどうのってよぉ。——調べたぜ。お前、別にお尋ね者でもなんでもねえじゃねえか」



 ……まあ、そうだ。捕まったのは本当だけど、ただの身元不明者扱いだった。犯罪歴なんてない。



「俺はなぁ、あの後しばらく酒場で笑い者だったんだよ。『ガルドがCランクの小娘にビビって逃げた』ってなぁ。てめぇのせいでどんだけ恥かいたか分かるか?」



 声が低い。震えている。——怒りだ。あの日からずっと、溜め込んできた。



「Bランクに上がったからって調子乗ってんじゃねえぞ、コラ」



 腹に拳が入った。容赦なしかよ。

 ——人に殴られたの、人生で初めてだ。でも痛みは、酔いの膜越しに鈍くしか伝わってこない。一拍遅れて、腹の奥がじわりと熱くなった。

 ただ息は止まった。胃の中のエールが逆流しかけて、喉の奥で必死に抑え込む。膝が折れる。手下に支えられなければ、そのまま崩れ落ちていた。



「てめぇみてえな生意気な女にはな——身の程ってもんを教えてやらねえとな」



 もう一発。脇腹。

 声にならない声が漏れた。ぐらり、と地面が傾いた気がした。何を考えようとしたのか、途中で分からなくなる。

 ……魔法。そうだ、魔法を出さないと。

 でも、手が動かない。腕を押さえられている。ポケットに、指先すら届かない。



「おい、こいつのポケット漁れ。Bランクなら金持ってんだろ」



 手下の一人が、私の上着に手を突っ込んだ。財布、予備の包帯——次々と抜き取られていく。自分の体が漁られているのに、どこか他人事みたいに遠い。もう一人が右手を掴んで、指から指輪を引き抜いた。ソロンにもらった、循環の指輪。——あ、と思った。声にはならなかった。手下が石畳の上にそれらを並べている。

 その手が、今度は私の首元の紐を引いた。青白い石が引きずり出される。——魔導通信石。



「ガルドさん、これも」


「……置いとけ。協会の石だ。足がつく」



 ガルドが手下の手を払った。石が、胸元に投げ戻される。

 そして。



「ガルドさん、何か入ってます」



 手下が取り出したのは——銀色の玉。



 ——それはまずい。

 ——やめろ。



「返せ……っ」


「うるせぇ」



 頬を叩かれた。視界が明滅する。

 ガルドが手下からそれを受け取った。月明かりの下で、銀色の表面が鈍く光っている。ガルドが無造作に、握った。

 ——その瞬間。ガルドの目が見開かれた。



「……なんだ、これ」



 握った拳から、かすかに魔力の光が漏れている。ガルドが自分の手を見つめている。



「な、なんだ……魔力が、溢れてくる……? なんだこれ。なんだこれ! ミスリルか? いや、ミスリルでもこんな——」



 ガルドの顔に、恐怖と歓喜が同時に浮かんだ。

 胃の底が、すっと冷えた。

 ——よりにもよって、Bランクの前衛に握らせた。身体強化で日常的に魔力を通している人間は、握った瞬間に分かる。これは、ヤバい代物だと。



「返して……それは私の——」


「お前の? 証拠あんのか? こんな玉、どこにでもあるだろうが」



 ガルドがアルミ玉をポケットにしまった。

 ——だめだ。それがないと。魔法も、ハッキングも、全部あの玉が——

 腕を振りほどこうとした。酔いで力が入らない。膝が石畳を擦って、手下に押し戻される。

 声しか、出せない。蟲も出せない。掴みかかることも、噛みつくこともできない。



「返せ……っ、返せよ……!」


「知らねえな」



 ガルドが見下ろしている。勝者の顔だ。



「酔っぱらいの戯言なんざ、誰が信じるんだよ。この界隈じゃ俺の顔が利くんだ。よそ者の魔法使いが何喚いたって、無駄だぜ。——おい、行くぞ」



 手下が腕を離した。支えを失って、石畳に崩れ落ちる。

 三人の足音が遠ざかっていく。

 路地の角を曲がる直前、ガルドが振り返った。あの日と同じ目だ。

 あの時の——『恐怖とは別の何か』。あれは、これだったのか。今は隠す必要すらないとばかりに、嗤っていた。



 あいつは、自分が何を持っていったのか分かっていない。——それがどこへ転がっていくのか、考える頭はもう残っていなかった。



 足音が消えた。

 路地に、一人残された。



 石畳が冷たい。背中と、頬と、膝が石の温度を吸っている。立ち上がる気力がない。

 ——魔法を出してみた。素の魔力だけで。アルミ玉も、循環の指輪もない。何もない手で。

 手のひらの上に——かすかな光がちらついて、消えた。



「……形にすらならない。何も、できない」



 ——魔力総量、並。出力、中の上。

 それが、素の私のスペック。



「……ゴミだ」



 Bランクの魔法使いが、酒に酔って路地裏でチンピラに身ぐるみ剥がされた。

 戦闘で負けたんじゃない。強敵に実力で奪われたんじゃない。自分で酒場に行って、自分で飲み潰れて、のこのこ路地裏に出て、殴られて、転がされた。

 ——ガルドが声をかけてきた時、怪しむべきだった。普段の私なら、そうしていた。

 ——皮肉な話だ。あの夜あいつに勝ったのも、酒だった。前職で鍛えた、ただ喉に流し込むだけの技術。同じ酒で、今夜は自分から潰れた。

 吐き気がするほど、情けない。

 ……敵は、作るべきじゃなかった。おぼろげに、そう思った。あの時は、こんな夜が来るなんて思いもしなかった。

 ……それでも、殴られる筋合いはなかった、と思いたかった。



 ポケットに手を入れた。何もない。さっきまであった重みが、ない。

 あのアルミ玉を握った時の、指に伝わる冷たさ。魔力が体を循環していく感覚。術式の光が目の前に広がる瞬間。

 魔法を覚えて、術式を読めるようになって、Bランクに上がって。——その全部を、あの玉の上に積み上げてきた。土台ごと、崩れた。



 膝を抱えた。酔いが覚めていく。覚めるほど、脇腹が痛む。頬が熱い。後頭部がズキズキする。胸の底は、鉛みたいに重い。



 路地の向こうで、酒場の灯りが滲んでいる。笑い声が聞こえる。

 その音が、やけに遠かった。



 ……石畳の冷たさが、座り込んだ体の芯まで這い上がってくる。

 動かない頭の隅で、取られたものだけが、勝手に並んでいく。財布。指輪——ソロンの。アルミ玉。

 その下に、『これからどうする』の行だけ、空っぽのまま残っていた。

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