新人研修
フィルの言った通り、夜には魔導通信石が光った。
首元がじわりと熱くなり、脳内に直接メッセージが響く。『急な通達で申し訳ない。明日、魔法協会にて任務詳細の説明を行う。ユズリハ殿の出頭を求む』。
——出頭。……逮捕かよ。協会への召集なのに「出頭」って言われると、なんか悪いことした気分になるじゃんか。
翌朝。
魔法協会の建物は、ギルドとは空気が違った。試験以来だ。
石造りの壁面に魔法陣が彫り込まれ、廊下を歩くだけで空気がピリつく。アロマの代わりに魔力が漂っている、とでも言えばいいのか。
正面の壁に、協会のシンボルらしき紋章が大きく彫り込まれていた。本を開いた形の中に、鍵穴のマーク。受付で名前を告げると、奥の応接室に通された。
待つこと十分。
扉が開き、長身の男が入ってきた。黒髪を後ろに束ねた、紫水晶のような瞳。——キリヤさんだ。
穏やかな笑顔。でも、目だけは笑っていない。
「久しぶりだね、ユズリハ君。ようやくゆっくり話す機会ができた」
そういえば認定試験のとき、ゆっくり話したいとか言ってたな。社交辞令だと思っていた。
何を話すんだよ。
「ユズリハです。よろしくお願いします」
「堅くならなくていい。今日は任務の説明だけだからね。——続きは、道中ででも」
——道中。私は二週間から一か月この人と過ごすことになる。
「ゆっくり話す」を、そこに回す気か。逃げ場がない。
キリヤは向かいの椅子に腰を下ろし、卓上に地図を広げた。
「辺境のアスタル村。王都から馬車で五日ほどの小さな村だ。最近、周辺で魔物の活動が活発になっていてね。協会認定の魔導士を派遣して状況を確認する——というのが表向きの任務内容だ」
辺境の村への派遣。フィルから聞いた話と一致する。
ただ——「表向き」、とは?
「表向き、ですか」
「ああ。——実はアスタル村の周辺で、半年ほど前から人さらいが出ている」
キリヤの声から、穏やかさが一枚剥がれた。
「調査の結果、魔族の関与が疑われている。……ただし、確証はない。表向きは『魔物調査』として派遣する必要がある」
「人さらいか……村もだいぶ警戒してそうですけど」
「そうだね。だからこそ、『魔族の仕業』と断定的に伝えれば、恐怖は比較にならない。魔族は、普通の人間では抵抗できない相手だ。絶望を上書きすることになる」
やっぱり魔族が相手だと、一気に空気が変わる。
「……『魔物調査』という名目にしておけば、魔族から警戒されづらいというのもありそうですよね」
「察しがいいね。そして協会としても、辺境の小村に『魔物調査』で大部隊を動かす名目がない。だから『新人の実地研修』を名目にして、魔導士を送り込む」
にこりと笑った。
——何重にもラッピングされた案件だ。村には「魔物調査」、内部記録は「新人研修」、実態は魔族。
「メンバーは、君の他に第128回認定試験の合格者が二名。そして護衛として僕が同行する」
フィルから聞いた通りだ。ただ、本人の口から改めて聞くと、引っかかりが増す。
魔族案件だから強い人が護衛につくのは分かる。でも副支部長って、この支部のナンバー2だ。新卒の研修に副社長がついてくるようなものだろう。
「副支部長が自ら護衛をしてくださるんですか……」
「新人の安全は、協会の信用に関わるからね。あまり戦闘経験のないメンバーだから尚更だ」
それはもっともだけど。——手厚すぎる気もする。
フィルの左腕が頭をよぎった。まあ副支部長がいるなら、少しは安心材料にはなる、か。
「他の二名は、もう承諾している。明後日の朝、東門前に集合だ」
「……分かりました」
最初から断る選択肢はないんだもんな。
そういえば……ふと、首元の魔導通信石に手が触れた。
こいつは私が風呂で裸の時に光ったのだ。あの瞬間から、カメラ機能の有無が死活問題になっている。
「一つ聞いてもいいですか」
「何だい?」
「この石、位置情報とか……カメラ機能とかはついてますか」
「はは。面白いことを聞くね」
「……」
答えていない。おい何か言え。
「……」
答えなかった、という事実だけが残った。
「あの……もう一つ、いいですか」
「何だい?」
「称号の件です。蟲使い——あれ、変更できませんか」
キリヤが、ほんの一瞬だけ目を見開いた。すぐに穏やかな笑顔に戻る。
「称号は鑑定術式が自動付与するものでね。協会側で変更する手段がないんだ」
変更手段がない。
——ユーザー名変更機能のないSNSと同じだ。初日のノリで決めたド下ネタの名前を一生背負うやつ。
「八百年前に構築された術式が、対象者の魔法特性を読み取って最適な名称を付与する。それ以来、一度も改修されていない」
八百年ノーメンテナンスだと。
「……せめて、表記だけでも」
「以前にも同じことを言った方がいてね。『屍喰い』という称号の騎士だったんだが」
「同志がいた……。で、どうなったんですか」
「申請書を提出して、審議委員会で三回協議して、有識者会議を経て——」
「おお」
「四年かかって却下された」
「四年!?」
「正確には四年と二ヶ月。却下理由は『鑑定術式の判定は神聖にして不可侵であり、人為的改変は術式への冒涜にあたる』」
四年二ヶ月かけて精神論で却下。理不尽すぎる。
「……もういいです」
「まあ、蟲使いも悪くないと思うよ。覚えやすいし」
覚えやすい。
覚えてほしくない名前で覚えやすくても、全く嬉しくない。
「では、明後日」
「……よろしくお願いします」
私は応接室を出た。
ギルドへ戻る道の途中で、ミルシェが待っていた。
魔法協会の近くではなく、わざわざ距離を取った場所で。——まあ、そうか。あそこは対魔族の本丸だ。
「おかえり♡ どうだった?」
「……なんでいるの?」
「待ってた♡」
待ってたって。犬か。
「明後日から任務で出ることになった。だから、しばらく留守にする」
「えー、やっぱりそうなんだ。寂しい♡」
「そういう甘ったるい言い方するな」
「だって寂しいんだもん♡」
まあ、ミルシェはこういう奴だ。
ミルシェの隣を歩きながら、ギルドに向かった。扉をくぐると、セリアがいた。カウンター近くの壁にもたれて、腕を組んでいる。
セリアと目が合った。
「……行くの」
短い問いだった。
「うん……本業なので」
「……そう」
短く、硬い声だった。
セリアが一度、口を開きかけて——閉じた。もう一度、何か言いかけて——また閉じた。
結局、それ以上の言葉は続かなかった。セリアは壁から背を離し、出口に向かった。
——が、扉の手前で足を止めた。
「……死なずに帰ってきたら、褒めてあげる」
振り返りもせず、そう言い残して出て行った。
——死なずに帰ってきたら、褒めてあげる。
……なんだそれ。上から目線で突き放してるつもりだろうけど、絶対心配してるだろ。
ミルシェが、にやにやしながら私の肘を突いた。
「ねえねえ、セリアンディエル様、めっちゃ照れ隠しだよね♡」
「……まあ、Bランクが怪我して帰ってきた案件だし。パーティの戦力が一気に抜けると、あの人も困るんでしょ」
「えー、それだけじゃないよー♡ ——でも、ユズリハちゃん気づいてないから、私にもチャンスあるのかな♡」
「……は?」
「冗談♡」
——触れないでおこう。今日は、情報が多すぎる。
私はミルシェと別れて、宿に戻った。
翌日は準備に充てた。
荷物をまとめ、アルミ玉の状態を確認する。街で旅用の外套と傷薬、包帯を買い足す。五日以上の野営。使わずに済めば、それが一番だ。
魔族相手、と言われても、まだ実感は遠い。戦わずに済めば一番良いのだが。
詰めていくうちに、胃の底にじんわり重さが溜まっていった。
そして夕方、ギルドに顔を出した。
明日の朝には発つ。最後に、顔くらい見せておこうと思った。
食堂にフィルがいた。左腕を吊ったまま、片手で器用にスープを飲んでいる。
「準備は終わったか」
「一応」
「そうか」
フィルがスプーンを置いた。
「一つだけ言っておく」
声が、一段低くなった。
「撤退すべき時に、意地を張るな」
吊られた左腕に、視線が落ちた。
「頭で分かっていても、体が追いつかない瞬間がある。俺がこうなったのは、その判断を一手遅らせたからだ」
「……」
「お前は頭が回る。だから——回る頭で、正しく逃げろ。生きて帰ってくれば、次がある」
——撤退、か。
私の頭の辞書には、ない言葉だった。前職では、どんな案件も「最後まで」が前提で、逃げるという発想がそもそもなかった。
……こっちの世界の方が、よほど健全なのかもしれない。
フィルの言葉は、いつも短くて的確だ。——こういう上司がいたら、前の世界でもう少し頑張れた気がする。
「ありがとう。気をつける」
リコが、小さな包みを持ってきた。
「ユズリハさん、これ。道中、食事が合わないかもしれないので」
開けると、干し肉と保存食の詰め合わせだった。
「……わざわざ用意してくれたの?」
「出発前に渡そうと思って」
リコは淡々と言った。表情も、いつも通りだった。
でも——包みは、きっちり紐で結ばれている。中身は、一つ一つ、リコの小さな手で選ばれたんだろう。
……こういう優しさは、ずるい。
そしてミルシェが、最後にやってきた。
「……ねぇ、ユズリハちゃん」
笑っていなかった。
「ちゃんと帰ってきてね」
「……うん」
——喉の奥が、きゅっと締まった。
ミルシェが笑った。いつもの甘い笑顔じゃなくて、少し泣きそうな顔だった。
宿に戻ってから、鞄から予備の羊皮紙を一枚抜いた。
フィルの声が、まだ耳に残っている。——撤退すべき時に、意地を張るな。回る頭で、正しく逃げろ。
頭で覚えても、現場では抜ける。判断より先にルールとして定着していないと、意味がない。炭筆を取り、卓の上で書いた。
『撤退すべき時に、意地を張るな』
『回る頭で、正しく逃げろ』
『生きて帰ってくれば、次がある』
字は曲がっていた。でも、読めれば十分だ。折り畳んで、鞄の底に仕舞った。
そして、出発の朝。
荷物を確認する。アルミ玉、リコの保存食。右手の循環の指輪に触れる。
東門前には、先に二人の姿があった。どちらも認定試験で見かけた顔だ。
一人は、眼鏡の女性。銀色に近い髪をきっちりとまとめている。
もう一人は、背の高い少年。茶色の髪、日焼けした肌。少年の方が、私に気づいて手を挙げた。
「あ、ユズリハさん! お久しぶりです!」
ん? 久しぶり……?
人懐っこい笑顔。名前は確か——
「ユーゴです! 認定試験の時、ちょっとだけ話しましたよね?」
「ああ、うん。久しぶり」
話したっけ。顔は見覚えがあるが、話した記憶がない。名前も今初めて聞いた気がする。
……が、ここで「誰?」とは言えない。社会人の処世術だ。
「俺、ユズリハさんの魔法、すっげー気になってたんです! あれ、どうやって発想したんですか?」
「発想……っていうか、成り行きというか……」
「成り行き!? あんなすごい魔法が成り行き!? すみません、認定試験からずっと聞きたくて! 我慢できなくて!」
朝から元気だな。いや、元気を通り越して圧が強い。ほぼ初対面なのに距離感がバグってる。
もう一人の女性が、歩み寄ってきた。
「フィーネです。よろしくお願いします」
丁寧だが、どこか硬い。
眼鏡の奥の目が、私をじっと見ている。品定めというより、分析している目だ。
「ユズリハです。こちらこそ」
「認定試験でのあなたの魔法、拝見しました。一つ聞いてもいいですか」
「あ、はい」
「あの魔法、理論的におかしくないですか?」
「おかしい……?」
初手で理論的におかしいと切り込んでくるあたり、なかなかこの人もぶっ飛んでる。
フィーネの目が、学者のそれになっている。
「蟲型に魔力を分散させるのは分かります。でも、あの数を同時制御するには、並列処理の魔力回路が必要です。あなたの魔力容量で、あの規模は理論的に不可能なはずです」
「……あー、群として一括制御してるんですよ。一匹ずつ動かしてるわけじゃない」
「その処理モデルが成立するとしても、必要な魔力容量はあなたの計測値を超えます」
「計測値?」
「認定試験の時に、審査員側が全員分を記録しています。あなたのは——ごく平均的な値でした」
——覚えられてた。
背筋が、ひやりとした。
「理論と実測の乖離。——外部触媒か、あるいは私の知らない術式構造か。そのどちらかが、あなたの手元にあるはずです」
学者の目だった。
——アルミ玉、と名指しされていないだけで、限りなく直球に近い。
誤魔化す材料を、頭の中で漁る。——ああ、あれがある。
「……この指輪のおかげ、かも?」
右手の親指の循環の指輪を見せた。
「循環の指輪。……確かに、術者の魔力循環を補助する効果はあります」
フィーネが眼鏡を押し上げて、指輪をじっと見た。
「ただし、補助できるのは基礎的な効率の範囲です。あの規模の説明にはなりません」
——ああ、そうですか。計算済みですか。
背筋が、もう一段ひやりとした。
「……運、ってことにしてもらえません?」
「認定試験の規模を『運』で説明するなら、それは僥倖ではなく統計外の異常事例です」
フィーネの目が、一段冷えた。
「後で、もう少し詳しく聞かせてください。——学術的好奇心として」
学術的好奇心の声が、静かに燃えていた。
——アルミ玉の存在は、何があっても伏せなきゃ駄目だ。
……面倒なタイプだ。嫌いではないけれど。
「三人とも揃ったね」
キリヤが馬車と共に現れた。
穏やかな笑顔。朝日が、この人の顔を絵画みたいに整えていた。——作り物みたいな綺麗さ、というやつだ。
「では出発しよう。道中は長いが、仲良くやってくれると嬉しい」
馬車に乗り込む。ユーゴが一番乗りで飛び込み、フィーネが静かに続き、私が最後に乗った。
キリヤは御者台に座った。副支部長が馬車を操るのか。
馬車が動き出す。王都の東門をくぐり、石畳が土の道に変わった。
——胃の底の重さは、まだ残っていた。
ユーゴが隣で、早速話しかけてくる。
「ユズリハさん、蟲の魔法ってどのくらいの数出せるんですか?」
どの蟲の魔法のことだ。私の魔法、全部蟲なんだが。試験で見たならバグ・スウォームのことか?
「状況による。千くらいなら」
「千!? すっげー! 俺なんかゴーレム三体が限界なのに!」
「三体同時に動かせるならそれも十分すごいと思うけど」
「本当ですか!?」
目をキラキラさせている。
……褒めると素直に喜ぶタイプだ。気づいたら、仕事の教え方で話している自分がいた。
「数を出すより、一体あたりの精度を上げた方がいい。雑に十体出すより、正確に三体動かせる方が実戦では使えると思う」
「なるほど! 精度かぁ……メモっていいですか?」
「……どうぞ」
ユーゴが懐から紙と炭筆を取り出して、真剣にメモを取り始めた。
隣でフィーネが、黙ってそれを聞いている。
「あなた、教えるのが上手いですね」
「……そうかな」
「理論ではなく、実感で伝えている。学術書にはない教え方です」
フィーネがそう言って、少しだけ口元を緩めた。
褒められたのか、分析されたのか。多分、両方だ。
「そういえば、お互いの称号って知ってます?」
ユーゴがメモを取りながら言った。
「俺は岩陣使い。まあ、見ての通り石柱しか能がないんで」
「五槍師です」
フィーネが短く答えた。氷の槍を五本同時に操る、あの精密射撃の称号か。なるほど、そのまんまだ。
「ユズリハさんは?」
来た。来てしまった。
「……蟲使い」
「やっぱ蟲がつくんだ! かっこいいじゃないですか!」
かっこよくない。
どう聞いても虫だ。岩陣使いや五槍師と並べると、一人だけジャンルが違う。
「……鑑定術式が勝手に決めるらしくて。変更も不可らしい」
「え、嫌なんですか? 蟲の魔法って唯一無二ですよ!」
ユーゴは本気で言っている。この子に悪意はない。ないからこそ、つらい。
フィーネが、少しだけ目を細めた。
「蟲使い。……確かに、あなたの魔法を一言で表すなら、これ以上ない称号かもしれませんね」
フォローなのか追い打ちなのか分からない。
馬車が森の道に入る。キリヤが御者台から、時折こちらを振り返っていた。
フィーネが小声で言った。
「副支部長、こちらをよく見ていませんか」
「……さあ。新人同士仲良くやってるか見てるんじゃない」
「そうでしょうか」
フィーネは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
馬車の揺れに身を任せながら、私は目を閉じた。
森の空気は澄んでいて、鳥の声がする。
穏やかな道中だった。




