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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
魔法協会任務編

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新人研修

 フィルの言った通り、夜には魔導通信石が光った。

 首元がじわりと熱くなり、脳内に直接メッセージが響く。『急な通達で申し訳ない。明日、魔法協会にて任務詳細の説明を行う。ユズリハ殿の出頭を求む』。

 ——出頭。……逮捕かよ。協会への召集なのに「出頭」って言われると、なんか悪いことした気分になるじゃんか。



 翌朝。

 魔法協会の建物は、ギルドとは空気が違った。試験以来だ。

 石造りの壁面に魔法陣が彫り込まれ、廊下を歩くだけで空気がピリつく。アロマの代わりに魔力が漂っている、とでも言えばいいのか。

 正面の壁に、協会のシンボルらしき紋章が大きく彫り込まれていた。本を開いた形の中に、鍵穴のマーク。受付で名前を告げると、奥の応接室に通された。



 待つこと十分。

 扉が開き、長身の男が入ってきた。黒髪を後ろに束ねた、紫水晶のような瞳。——キリヤさんだ。

 穏やかな笑顔。でも、目だけは笑っていない。



「久しぶりだね、ユズリハ君。ようやくゆっくり話す機会ができた」



 そういえば認定試験のとき、ゆっくり話したいとか言ってたな。社交辞令だと思っていた。

 何を話すんだよ。



「ユズリハです。よろしくお願いします」


「堅くならなくていい。今日は任務の説明だけだからね。——続きは、道中ででも」



 ——道中。私は二週間から一か月この人と過ごすことになる。

 「ゆっくり話す」を、そこに回す気か。逃げ場がない。



 キリヤは向かいの椅子に腰を下ろし、卓上に地図を広げた。



「辺境のアスタル村。王都から馬車で五日ほどの小さな村だ。最近、周辺で魔物の活動が活発になっていてね。協会認定の魔導士を派遣して状況を確認する——というのが表向きの任務内容だ」



 辺境の村への派遣。フィルから聞いた話と一致する。

 ただ——「表向き」、とは?



「表向き、ですか」


「ああ。——実はアスタル村の周辺で、半年ほど前から人さらいが出ている」



 キリヤの声から、穏やかさが一枚剥がれた。



「調査の結果、魔族の関与が疑われている。……ただし、確証はない。表向きは『魔物調査』として派遣する必要がある」


「人さらいか……村もだいぶ警戒してそうですけど」


「そうだね。だからこそ、『魔族の仕業』と断定的に伝えれば、恐怖は比較にならない。魔族は、普通の人間では抵抗できない相手だ。絶望を上書きすることになる」



 やっぱり魔族が相手だと、一気に空気が変わる。



「……『魔物調査』という名目にしておけば、魔族から警戒されづらいというのもありそうですよね」


「察しがいいね。そして協会としても、辺境の小村に『魔物調査』で大部隊を動かす名目がない。だから『新人の実地研修』を名目にして、魔導士を送り込む」



 にこりと笑った。

 ——何重にもラッピングされた案件だ。村には「魔物調査」、内部記録は「新人研修」、実態は魔族。



「メンバーは、君の他に第128回認定試験の合格者が二名。そして護衛として僕が同行する」



 フィルから聞いた通りだ。ただ、本人の口から改めて聞くと、引っかかりが増す。

 魔族案件だから強い人が護衛につくのは分かる。でも副支部長って、この支部のナンバー2だ。新卒の研修に副社長がついてくるようなものだろう。



「副支部長が自ら護衛をしてくださるんですか……」


「新人の安全は、協会の信用に関わるからね。あまり戦闘経験のないメンバーだから尚更だ」



 それはもっともだけど。——手厚すぎる気もする。

 フィルの左腕が頭をよぎった。まあ副支部長がいるなら、少しは安心材料にはなる、か。



「他の二名は、もう承諾している。明後日の朝、東門前に集合だ」


「……分かりました」



 最初から断る選択肢はないんだもんな。

 そういえば……ふと、首元の魔導通信石(まどうつうしんせき)に手が触れた。

 こいつは私が風呂で裸の時に光ったのだ。あの瞬間から、カメラ機能の有無が死活問題になっている。



「一つ聞いてもいいですか」


「何だい?」


「この石、位置情報とか……カメラ機能とかはついてますか」


「はは。面白いことを聞くね」


「……」



 答えていない。おい何か言え。



「……」



 答えなかった、という事実だけが残った。



「あの……もう一つ、いいですか」


「何だい?」


「称号の件です。蟲使い(むしつかい)——あれ、変更できませんか」



 キリヤが、ほんの一瞬だけ目を見開いた。すぐに穏やかな笑顔に戻る。



「称号は鑑定術式(かんていじゅつしき)が自動付与するものでね。協会側で変更する手段がないんだ」



 変更手段がない。

 ——ユーザー名変更機能のないSNSと同じだ。初日のノリで決めたド下ネタの名前を一生背負うやつ。



「八百年前に構築された術式が、対象者の魔法特性を読み取って最適な名称を付与する。それ以来、一度も改修されていない」



 八百年ノーメンテナンスだと。



「……せめて、表記だけでも」


「以前にも同じことを言った方がいてね。『屍喰い(しくい)』という称号の騎士だったんだが」


「同志がいた……。で、どうなったんですか」


「申請書を提出して、審議委員会で三回協議して、有識者会議を経て——」


「おお」


「四年かかって却下された」


「四年!?」


「正確には四年と二ヶ月。却下理由は『鑑定術式の判定は神聖にして不可侵であり、人為的改変は術式への冒涜にあたる』」



 四年二ヶ月かけて精神論で却下。理不尽すぎる。



「……もういいです」


「まあ、蟲使い(むしつかい)も悪くないと思うよ。覚えやすいし」



 覚えやすい。

 覚えてほしくない名前で覚えやすくても、全く嬉しくない。



「では、明後日」


「……よろしくお願いします」



 私は応接室を出た。

 ギルドへ戻る道の途中で、ミルシェが待っていた。

 魔法協会の近くではなく、わざわざ距離を取った場所で。——まあ、そうか。あそこは対魔族の本丸だ。



「おかえり♡ どうだった?」


「……なんでいるの?」


「待ってた♡」



 待ってたって。犬か。



「明後日から任務で出ることになった。だから、しばらく留守にする」


「えー、やっぱりそうなんだ。寂しい♡」


「そういう甘ったるい言い方するな」


「だって寂しいんだもん♡」



 まあ、ミルシェはこういう奴だ。

 ミルシェの隣を歩きながら、ギルドに向かった。扉をくぐると、セリアがいた。カウンター近くの壁にもたれて、腕を組んでいる。

 セリアと目が合った。



「……行くの」



 短い問いだった。



「うん……本業なので」


「……そう」



 短く、硬い声だった。

 セリアが一度、口を開きかけて——閉じた。もう一度、何か言いかけて——また閉じた。

 結局、それ以上の言葉は続かなかった。セリアは壁から背を離し、出口に向かった。

 ——が、扉の手前で足を止めた。



「……死なずに帰ってきたら、褒めてあげる」



 振り返りもせず、そう言い残して出て行った。

 ——死なずに帰ってきたら、褒めてあげる。

 ……なんだそれ。上から目線で突き放してるつもりだろうけど、絶対心配してるだろ。

 ミルシェが、にやにやしながら私の肘を突いた。



「ねえねえ、セリアンディエル様、めっちゃ照れ隠しだよね♡」


「……まあ、Bランクが怪我して帰ってきた案件だし。パーティの戦力が一気に抜けると、あの人も困るんでしょ」


「えー、それだけじゃないよー♡ ——でも、ユズリハちゃん気づいてないから、私にもチャンスあるのかな♡」


「……は?」


「冗談♡」



 ——触れないでおこう。今日は、情報が多すぎる。

 私はミルシェと別れて、宿に戻った。



 翌日は準備に充てた。

 荷物をまとめ、アルミ玉の状態を確認する。街で旅用の外套と傷薬、包帯を買い足す。五日以上の野営。使わずに済めば、それが一番だ。

 魔族相手、と言われても、まだ実感は遠い。戦わずに済めば一番良いのだが。

 詰めていくうちに、胃の底にじんわり重さが溜まっていった。



 そして夕方、ギルドに顔を出した。

 明日の朝には発つ。最後に、顔くらい見せておこうと思った。

 食堂にフィルがいた。左腕を吊ったまま、片手で器用にスープを飲んでいる。



「準備は終わったか」


「一応」


「そうか」



 フィルがスプーンを置いた。



「一つだけ言っておく」



 声が、一段低くなった。



「撤退すべき時に、意地を張るな」



 吊られた左腕に、視線が落ちた。



「頭で分かっていても、体が追いつかない瞬間がある。俺がこうなったのは、その判断を一手遅らせたからだ」


「……」


「お前は頭が回る。だから——回る頭で、正しく逃げろ。生きて帰ってくれば、次がある」



 ——撤退、か。

 私の頭の辞書には、ない言葉だった。前職では、どんな案件も「最後まで」が前提で、逃げるという発想がそもそもなかった。

 ……こっちの世界の方が、よほど健全なのかもしれない。

 フィルの言葉は、いつも短くて的確だ。——こういう上司がいたら、前の世界でもう少し頑張れた気がする。



「ありがとう。気をつける」



 リコが、小さな包みを持ってきた。



「ユズリハさん、これ。道中、食事が合わないかもしれないので」



 開けると、干し肉と保存食の詰め合わせだった。



「……わざわざ用意してくれたの?」


「出発前に渡そうと思って」



 リコは淡々と言った。表情も、いつも通りだった。

 でも——包みは、きっちり紐で結ばれている。中身は、一つ一つ、リコの小さな手で選ばれたんだろう。

 ……こういう優しさは、ずるい。



 そしてミルシェが、最後にやってきた。



「……ねぇ、ユズリハちゃん」



 笑っていなかった。



「ちゃんと帰ってきてね」


「……うん」



 ——喉の奥が、きゅっと締まった。

 ミルシェが笑った。いつもの甘い笑顔じゃなくて、少し泣きそうな顔だった。



 宿に戻ってから、鞄から予備の羊皮紙を一枚抜いた。

 フィルの声が、まだ耳に残っている。——撤退すべき時に、意地を張るな。回る頭で、正しく逃げろ。

 頭で覚えても、現場では抜ける。判断より先にルールとして定着していないと、意味がない。炭筆を取り、卓の上で書いた。

 『撤退すべき時に、意地を張るな』

 『回る頭で、正しく逃げろ』

 『生きて帰ってくれば、次がある』

 字は曲がっていた。でも、読めれば十分だ。折り畳んで、鞄の底に仕舞った。



 そして、出発の朝。

 荷物を確認する。アルミ玉、リコの保存食。右手の循環の指輪に触れる。

 東門前には、先に二人の姿があった。どちらも認定試験で見かけた顔だ。

 一人は、眼鏡の女性。銀色に近い髪をきっちりとまとめている。

 もう一人は、背の高い少年。茶色の髪、日焼けした肌。少年の方が、私に気づいて手を挙げた。



「あ、ユズリハさん! お久しぶりです!」



 ん? 久しぶり……?

 人懐っこい笑顔。名前は確か——



「ユーゴです! 認定試験の時、ちょっとだけ話しましたよね?」


「ああ、うん。久しぶり」



 話したっけ。顔は見覚えがあるが、話した記憶がない。名前も今初めて聞いた気がする。

 ……が、ここで「誰?」とは言えない。社会人の処世術だ。



「俺、ユズリハさんの魔法、すっげー気になってたんです! あれ、どうやって発想したんですか?」


「発想……っていうか、成り行きというか……」


「成り行き!? あんなすごい魔法が成り行き!? すみません、認定試験からずっと聞きたくて! 我慢できなくて!」



 朝から元気だな。いや、元気を通り越して圧が強い。ほぼ初対面なのに距離感がバグってる。

 もう一人の女性が、歩み寄ってきた。



「フィーネです。よろしくお願いします」



 丁寧だが、どこか硬い。

 眼鏡の奥の目が、私をじっと見ている。品定めというより、分析している目だ。



「ユズリハです。こちらこそ」


「認定試験でのあなたの魔法、拝見しました。一つ聞いてもいいですか」


「あ、はい」


「あの魔法、理論的におかしくないですか?」


「おかしい……?」



 初手で理論的におかしいと切り込んでくるあたり、なかなかこの人もぶっ飛んでる。

 フィーネの目が、学者のそれになっている。



「蟲型に魔力を分散させるのは分かります。でも、あの数を同時制御するには、並列処理の魔力回路が必要です。あなたの魔力容量(マナプール)で、あの規模は理論的に不可能なはずです」


「……あー、群として一括制御してるんですよ。一匹ずつ動かしてるわけじゃない」


「その処理モデルが成立するとしても、必要な魔力容量(マナプール)はあなたの計測値を超えます」


「計測値?」


「認定試験の時に、審査員側が全員分を記録しています。あなたのは——ごく平均的な値でした」



 ——覚えられてた。

 背筋が、ひやりとした。



「理論と実測の乖離。——外部触媒か、あるいは私の知らない術式構造か。そのどちらかが、あなたの手元にあるはずです」



 学者の目だった。

 ——アルミ玉、と名指しされていないだけで、限りなく直球に近い。

 誤魔化す材料を、頭の中で漁る。——ああ、あれがある。



「……この指輪のおかげ、かも?」



 右手の親指の循環の指輪(じゅんかんのゆびわ)を見せた。



「循環の指輪。……確かに、術者の魔力循環を補助する効果はあります」



 フィーネが眼鏡を押し上げて、指輪をじっと見た。



「ただし、補助できるのは基礎的な効率の範囲です。あの規模の説明にはなりません」



 ——ああ、そうですか。計算済みですか。

 背筋が、もう一段ひやりとした。



「……運、ってことにしてもらえません?」


「認定試験の規模を『運』で説明するなら、それは僥倖ではなく統計外の異常事例です」



 フィーネの目が、一段冷えた。



「後で、もう少し詳しく聞かせてください。——学術的好奇心として」



 学術的好奇心の声が、静かに燃えていた。

 ——アルミ玉の存在は、何があっても伏せなきゃ駄目だ。

 ……面倒なタイプだ。嫌いではないけれど。



「三人とも揃ったね」



 キリヤが馬車と共に現れた。

 穏やかな笑顔。朝日が、この人の顔を絵画みたいに整えていた。——作り物みたいな綺麗さ、というやつだ。



「では出発しよう。道中は長いが、仲良くやってくれると嬉しい」



 馬車に乗り込む。ユーゴが一番乗りで飛び込み、フィーネが静かに続き、私が最後に乗った。

 キリヤは御者台に座った。副支部長が馬車を操るのか。

 馬車が動き出す。王都の東門をくぐり、石畳が土の道に変わった。

 ——胃の底の重さは、まだ残っていた。

 ユーゴが隣で、早速話しかけてくる。



「ユズリハさん、蟲の魔法ってどのくらいの数出せるんですか?」



 どの蟲の魔法のことだ。私の魔法、全部蟲なんだが。試験で見たならバグ・スウォームのことか?



「状況による。千くらいなら」


「千!? すっげー! 俺なんかゴーレム三体が限界なのに!」


「三体同時に動かせるならそれも十分すごいと思うけど」


「本当ですか!?」



 目をキラキラさせている。

 ……褒めると素直に喜ぶタイプだ。気づいたら、仕事の教え方で話している自分がいた。



「数を出すより、一体あたりの精度を上げた方がいい。雑に十体出すより、正確に三体動かせる方が実戦では使えると思う」


「なるほど! 精度かぁ……メモっていいですか?」


「……どうぞ」



 ユーゴが懐から紙と炭筆を取り出して、真剣にメモを取り始めた。

 隣でフィーネが、黙ってそれを聞いている。



「あなた、教えるのが上手いですね」


「……そうかな」


「理論ではなく、実感で伝えている。学術書にはない教え方です」



 フィーネがそう言って、少しだけ口元を緩めた。

 褒められたのか、分析されたのか。多分、両方だ。



「そういえば、お互いの称号って知ってます?」



 ユーゴがメモを取りながら言った。



「俺は岩陣使い(がんじんつかい)。まあ、見ての通り石柱しか能がないんで」


五槍師(ごそうし)です」



 フィーネが短く答えた。氷の槍を五本同時に操る、あの精密射撃の称号か。なるほど、そのまんまだ。



「ユズリハさんは?」



 来た。来てしまった。



「……蟲使い(むしつかい)


「やっぱ蟲がつくんだ! かっこいいじゃないですか!」



 かっこよくない。

 どう聞いても虫だ。岩陣使い(がんじんつかい)五槍師(ごそうし)と並べると、一人だけジャンルが違う。



「……鑑定術式が勝手に決めるらしくて。変更も不可らしい」


「え、嫌なんですか? 蟲の魔法って唯一無二ですよ!」



 ユーゴは本気で言っている。この子に悪意はない。ないからこそ、つらい。

 フィーネが、少しだけ目を細めた。



「蟲使い。……確かに、あなたの魔法を一言で表すなら、これ以上ない称号かもしれませんね」



 フォローなのか追い打ちなのか分からない。



 馬車が森の道に入る。キリヤが御者台から、時折こちらを振り返っていた。

 フィーネが小声で言った。



「副支部長、こちらをよく見ていませんか」


「……さあ。新人同士仲良くやってるか見てるんじゃない」


「そうでしょうか」



 フィーネは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。

 馬車の揺れに身を任せながら、私は目を閉じた。

 森の空気は澄んでいて、鳥の声がする。

 穏やかな道中だった。

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