副支部長の名指し
ミルシェの距離が、昨日からさらに近くなった。
ギルドに着くなり腕に抱きつかれた。昨日からこの調子だ。
昨日の今日だから、仕方ないのかもしれないけど。
「昨日は楽しかったね♡ ご飯も美味しかった♡」
「うん。……ご飯はね」
「ねぇ、昨日の私の気持ち、ちゃんと届いた?♡」
「……届いてる」
「好きなのは、ほんとだよ?♡」
「それ、声大きいって」
小声のつもりだろうが、セリアの耳には届いているはずだ。
あまり聞かれたくない。セリアはミルシェが魔族だと教えてくれた人だ。私が魔族に襲われかけたことも知っている。あれは忠告だったんだろう。
……にもかかわらず、その魔族と距離を縮めている。しかもミルシェの擬態が急に安定した。セリアが気づかないはずがない。
ふと目をやると、セリアは何か考え事をしているように見えた。
今日の依頼は、街道沿いに出没するワーウルフの討伐だった。
さて、どう戦うか……。五日間の練習で、森鼠の殺意の呼び出し口を切るのは試した。命令はそのまま残しても、呼び出し口を塞げば空を切り殺意を封じ込められる。
ただし、試したのは下位の魔物だ。ワーウルフの術式がどれだけ重いかは、まだ試してない。一匹に相応の時間がかかる上に、消耗もそれなりにくる。戦闘中ならその場で殺した方が早い。コスト計算したら、答えは決まってる。
前職でもあった。毎日五分で終わる手作業を自動化するために、徹夜で八時間かけてマクロを組んで、翌日に仕様変更でその作業自体が消滅するやつ。
……いつ使うんだろうな、この能力。まあミルシェのためになったと思えばそれでいっか。
「ユズリハちゃん、左♡」
「見えてる」
ミルシェが背中に張りついている。文字通り、背中がくっつくほど近い。
動きが、普段と違う。重りを下ろした体は私の予測より一拍速くて、私が踏み出す前に半歩先に立っている。前衛として完璧——なんだけど、近すぎる。
「ミルシェ、ポジション」
「えー♡ だってユズリハちゃんの近くがいい♡」
「仕事中な?」
草むらから、低い唸り声が漏れた。
茂みから飛び出してきたのは、ワーウルフが三頭。ぎらついた赤い目。
先頭がミルシェに飛びかかる。ミルシェの腕が、ふっと後ろに振られた。風圧だけでワーウルフの頭が横に弾かれ、そのまま地面に激突する。骨の砕ける音。一撃。
——もう片方の手は、私の袖を掴んだままだった。
「……それ、外して戦って」
「えー♡ 片手で足りるし♡」
「足りてても、腕は離してよ」
二頭目が私に跳ぶ前に、氷蜂で脚を凍らせた。全身凍結まで魔力を回すのは、ミルシェがいる前で勿体ない。崩れたところを、ミルシェがもう一度片手で薙いで終わり。あっさりすぎる。
残り一頭——セリアの剣が、その魔物を斬った。——が、浅い。普段のセリアなら一撃で仕留めている相手だ。
無言で剣を振い直し、二撃目で仕留めた。何事もなかったかのような顔をしているが、あの人が手間取る相手じゃない。
なんか今日、噛み合ってないな。
気がつけば、ワーウルフは全部地面に伏していた。
「……これ、Bランク依頼だよね」
「うん♡」
「もう、終わった……」
依頼を終えて、帰り道。
私とミルシェが並んで歩いていると、後ろからリコとセリアの声が聞こえた。
「セリアンディエル様」
「何」
「ミルシェさんとユズリハさん、最近すごく仲良しですよね」
私は思わず耳をそばだてた。
「……そうね」
「なんだか、ずっと一緒にいますよね……」
まあ、否定はできない。
隣のミルシェが、にまーっと笑った。
そして、振り返った。
「ねぇねぇ♡ 私たちお似合いだと思わない?♡」
後ろの二人に向かって言い放った。
おい。
「ちょ、なんでそうなるの?」
「えー♡ ユズリハちゃんは嫌なの?♡」
「別に嫌じゃないけどさ……」
「じゃあ♡ もしかして恋人ってやつになれちゃったりする?♡」
「ならないから。話広げすぎ」
「もー♡ なんで♡ 女の子同士も悪くないかもよ?♡ だめ?」
「だめじゃないよ。誰が誰と一緒にいようが、本人が幸せならそれでいいと思う。——ただ、私を勝手にその話に入れないでって話よ」
「えー♡ でも、恋人っぽくない?♡」
「話聞いてる?」
ミルシェが「ぶー♡」と唇を尖らせた。が、目は笑っている。
——本気なのか、からかいなのか。この子は、時々分からなくなる。
セリアの足音が止まった。
「……ありえない」
短く、冷たい声だった。
「あ……すみません、変な話題振っちゃいましたね」
リコが慌てて謝る。
セリアは答えなかった。追い抜きざま、視線がこちらを掠めていった。
そのまま歩き出し、私たちを追い越していく。その背中が、いつもより速く遠ざかっていく。
「……なんか、怒ってる?」
ミルシェが小声で言った。
「さあ……」
私は首を傾げた。
——ありえない、か。何がありえないんだ。女同士がありえないのか。それとも、魔族と人間の組み合わせが。
……どっちにしろ、事実じゃないから関係ない。
——関係ない、は嘘だな。魔族のこと、忠告してくれたのはセリアだ。それを無視して仲良くしてる光景は、あの人からしたら腹が立って当然か。
なんか引っかかったまま、ギルドに戻った。
見覚えのある姿があった。
「やあ、戻ったよ」
フィルだ。
「二週間ほど」と聞いていたがずいぶんと戻るのにかかった。スケジュール遅延の理由を、悪い方向に想像してなかったと言えば嘘になる。——でも、戻ってきた。良かった!
短く整えた銀髪に、エルフ特有の切れ長の目。美しさは健在。
——だが、左腕が包帯で吊られている。歩き方も、わずかに右足をかばっている。顔色も良くない。
「フィル! ……その腕、どうしたの!?」
ミルシェが駆け寄る。
「大したことない。少し手こずっただけだ」
フィルは笑って見せたが、額にうっすら汗をかいている。
大したことない、という顔じゃない。
「お疲れ様でした。……大丈夫ですか?」
「無事で良かった。……無事とは言い難いけど」
リコと私も、それぞれ声をかけた。
セリアは先に着いていたが、少し離れたところに立っていた。
「……お疲れ様」
「ああ、セリアンディエル様も。留守中、ありがとうございました」
フィルが頭を下げる。
セリアは、無言で頷いただけだった。
私はフィルに向き直った。
「……何にやられたの」
「魔族だ。討伐任務で、想定より上の個体に当たった」
魔族。
Bランクのフィルが、ここまでやられるのか。
ちらりと、隣のミルシェを見た。いつものように笑っている。……この子も、魔族だ。
ふと、フィルの視線がミルシェの額で止まった。
「……ミルシェ、角は?」
「ユズリハさんが手術で取ったそうです」
リコが真顔で答えた。
やめてそれ言うの。咄嗟の冗談だったのに。
「手術? ユズリハは医者じゃないだろう」
「医者じゃないけど魔法使いなので」
「説明になってないぞ」
フィルが片眉を上げた。
「……切ったのか」
「……魔法で」
「血は」
「魔法で」
「傷の閉じは」
「魔法で」
フィルが、吊られていない方の手で額を押さえた。
「……魔法、万能だな」
「魔法いえーい」
苦しい……。苦しい……!
「……留守中、何かあったか?」
「ぼちぼち」
私は曖昧に流した。
ミルシェが魔族だってこと、フィルには言うつもりはない。魔族にやられて帰ってきた直後に、言えるわけがない。
「そうか。まあ、無事なら何よりだ」
フィルは深く追求しなかった。
そして、表情を改めて言った。
「実は、一つ話がある」
全員が注目する。
「魔法協会から、任務依頼が来ている」
「魔法協会から?」
私は聞き返した。
「正確には、副支部長からの直接指名だ」
フィルが、私を見た。
「『蟲使い』のユズリハを、名指しで」
「……え、私?」
なんで私が名指しされるんだ。
「副支部長が、お前に興味を持っているらしい」
「副支部長……キリヤさん?」
「そうだ」
認定試験の時に声をかけてきた、あの長身のエルフだ。出自を聞かれて冷や汗をかいたのを覚えている。ソロンが割り込んでくれなかったら、どうなっていたか。
なんで、あの人がわざわざ私を。
ふと、セリアの気配が変わった。
さっきまでの不機嫌とは違う。もっと——鋭い目だった。
「もしかして知り合い?」
私が聞くと、セリアは少し間を置いてから答えた。
「……昔の知人」
それ以上は言わなかった。
エルフは長く生きる。「昔」の範囲が人間とは違うんだろう。色々あるのかもしれない。
「任務の詳細だが」
フィルが続けた。
「先日の認定試験の合格者三人を対象とした任務だ。護衛としてキリヤンサス殿もつくらしい」
合格者三人。
あの試験の時に見かけた、眼鏡の女性と、背の高い少年。あの二人と、私、か。
「……つまり、私はこのパーティを離れるってこと?」
言葉にすると、実感が湧いた。
セリアも、ミルシェも、リコもいない。知らないメンバーで、知らない任務。
隣で、ミルシェが息を呑むのが分かった。
断れるかといえば、断れない。魔法協会からの召集は、認定魔導士にとって本業だ。無視すれば資格剥奪もあり得る。認定試験の時にそう釘を刺された。
それに、協会の任務は基本的に対魔族だ。フィルの左腕が目に入る。Bランクがああなって帰ってくる任務を、認定されたばかりの新人にやらせるのか。
「期間は?」
「二週間から一ヶ月。辺境の村への派遣任務だ」
「泊まり込み? 二週間から一ヶ月って、幅がありすぎない? 何が終わったら帰れるの」
「それも含めて、明日の説明になるだろう」
要件が不明確なまま工数だけ仮押さえ。炎上案件の入り口だ。
「報酬は?」
「……そこ先に聞くのか」
「宿と食事は出る?」
「知らん」
「移動の交通費は?」
「……あのな」
「……報酬は確認すべき」
セリアが壁にもたれたまま、ぽつりと言った。
フィルが「あなた様もですか」という顔をしている。
大事なことだろ。命がけの案件で待遇を確認しない方がどうかしてる。
最長一ヶ月だぞ。結構長い。
「そのうち魔導通信石に正式な召集が届くはずだ。明日、協会で詳細を聞くことになっている。ユズリハ一人で行ってくれ」
首元のペンダントに、無意識に手が触れた。認定試験の時に渡された社畜の首輪——もとい、魔導通信石。あの時は「蟲使い」の称号を一方的に叩きつけてきた。今度は何を送りつけてくるんだか。
沈黙が落ちた。
フィルの説明が終わっても、誰も何も言わなかった。
「……やだ」
ミルシェが、小さく言った。
甘さが、ない。
「ユズリハちゃんがいなくなるの、やだ」
「いなくなるわけじゃないよ。任務が終わったら戻る」
——生きて帰れば、の話だけど。
さっきのフィルの姿が、頭をよぎった。名前も知らない相手と、命がけの任務か。
ミルシェが、私の袖をきゅっと掴んだ。
何も言わない。ただ、指先に力がこもっている。
「ユズリハさん……お気をつけてくださいね」
リコが、静かに言った。
「うん。ありがとう」
セリアは、何も言わなかった。
壁に寄りかかったまま、腕を組んでいる。
フィルが、場をまとめるように言った。
「俺もしばらくは動けない。……すまないが、パーティとしての活動は当面難しくなる」
フィルが、吊られた左腕に視線を落とした。
リーダーが負傷、私は離脱。残るのはセリアとミルシェとリコだけか。
帰り道。
私は一人で歩きながら、考えていた。
魔法協会の副支部長、キリヤさん。認定試験以来、音沙汰ないと思っていたら、これか。
副支部長自ら護衛につくあたり、新人の実地教育も兼ねているんだろう。前職で言うところのOJTだ。
……まあ、お偉いさんが現場に出てくるOJTは、大抵ただの研修じゃ済まないんだけど。
ふと、さっきのミルシェの顔が浮かんだ。
袖を掴んだ時、声の甘さが消えていた。あの子が素の声を出すのは珍しい。
一ヶ月か。……あの子にとっては長いだろうな。
私にとっても、このパーティを離れるのは初めてだ。
セリアは最後まで何も言わなかった。
……さっきの話題を引きずってるのか、それとも私の離脱はパーティ事情で口を挟む話じゃないと思ってるのか。
後者だろうな。あの人は、仕事と感情を分ける人だ。
私は溜息をついた。
なんか今日、引っかかることが多い。
セリアの「ありえない」。キリヤさんの名指し。フィルの怪我。……全員エルフじゃん。
一個一個は小骨みたいなものだ。大したことじゃない。でも、まとめて刺さると地味に痛い。
……とりあえず、明日だ。
明日、魔法協会に行けば、少しは見えてくる。
私は宿に向かって歩き出した。
喉の奥の小骨は、取れそうになかった。




