穏やかな村
馬車に揺られて五日。
冒険者ギルドの依頼で乗ることはあっても、せいぜい半日だ。五日間ぶっ通しは初めてで、二日目にして尻が死んだ。木の座席に薄い布一枚。痔になったらどうしてくれるんだ。
……まあ、移動中も時給が発生してると思えば……耐えろ。
最初の二日はユーゴが喋り続け、三日目にフィーネが「少し静かにしてもらえますか」と言い、四日目にユーゴが復活し、五日目にフィーネが諦めた。
ユーゴの質問は日を追うごとに範囲を広げた。「蟲の魔法ってどうやるんですか」「好きな食べ物なんですか」「ユズリハさんって何歳ですか」。
最後のは答えなかった。
そういえば——リコの保存食。
二日目の昼、包みを開けた。干し肉、乾燥果実、根菜の漬物——の中に、見覚えのない黒い塊が一つ紛れていた。
一口かじって、硬直する。辛い、とも、苦い、とも違う。舌の処理能力が追いつかない。
「ユズリハさん、何食べてるんすか」
「……分からない」
「え、俺にも」
渡すと、ユーゴが一口噛んで、三秒後に目を見開いた。
「ぶ!!」
「吐くな」
フィーネが眼鏡の奥で、ほんの少し肩を震わせていた。
——リコ。やってくれたな。「食事が合わないかもしれないので」って言ってたのに、合わないのはあんたがくれたこれだよ。
ただ、五日も一緒にいると同行者の手札は見えてくる。
休憩のたびに、二人は魔法の練習をしていた。ユーゴの石柱は自在で、暇になると石塊に手足を生やして歩かせている。フィーネの氷槍は五本同時、違う角度・違うタイミングで全弾が同じ点に収束する。
認定試験で見た時より、二人とも腕を上げていた。さすが魔法協会認定の魔導士。
そして到着した先――アスタル村は思っていたよりも穏やかな田舎町だった。
村長の家で挨拶を済ませ、宿を手配してもらう。キリヤは村長と話し込んでいたので、私たち三人は先に村の散策に出た。
子供たちがユーゴに群がる。石を浮かせると歓声、手足を生やして歩かせるともう収拾がつかない。
「お姉ちゃんも魔法使い? 何か見せて!」
子供に袖を引かれた。蟲の魔法を見せろと? 子供が泣くだろ。
——蛍の蟲なら、まあ。出力を絞って、一匹だけ。小指の先ほどの蟲が淡く光って、手のひらの上にふわりと浮いた。
子供が目を丸くして、そっと手を伸ばした。触れる前に消えた。
「すげえ! ねーねー! このお姉ちゃんもすごいよ!」
お。宣伝してくれるのか。
「ちっちゃい虫がね、一匹出て、すぐ消えるの!」
……それ、字面的に別にすごくなくないか?
子供たちに囲まれたユーゴが、こっちに向かって手を振った。
「ユズリハさん、こっち来てください!」
近づくと、ユーゴが一人の少年の肩を掴んでいた。子供たちの後ろで遠巻きに見ていたのを、引っ張ってきたらしい。
歳はユーゴと同じくらいか、少し下。日に焼けた顔に、好奇心の強そうな目。
「トールです。よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げられた。
紹介する前から、二人はもう肩を組んでいる。打ち解けるの早すぎないか。
「うちの畑、見てほしいんです。——来てくれませんか」
トールに案内されて、村の外れに出た。トールの家の畑が広がっていた。麦と根菜。穂先が風に揺れている。
畑の端で、もう一人の少年が柵を直していた。
「ダリオ、魔導士の人たちが来てくれたぞ!」
ダリオと呼ばれた少年が手を止めた。トールと同い年くらい。日焼けした顔に、泥のついた作業着。金槌を握ったまま、柵の杭を最後にもう一度叩いてから振り返った。
「……本物の魔導士? すげえ」
ダリオが柵から離れて歩いてきた。途中でトールに肩を小突かれて、面倒くさそうに頭を掻いた。
この二人は幼馴染で、ダリオがトールの畑を手伝いに来ているらしい。
「親父が体壊してから、俺が一人で回してるんです。ダリオも手伝ってくれてるんですけど、最近は魔物もよく出て……」
トールが畑の端を指差した。柵が壊れている。
「だから魔法覚えたいんです。自分で守れるようになりたくて」
——そこに、ユーゴが来た。
「よし、やってみようぜ! 足元の石、持ち上げるイメージで——」
ユーゴが即座にトールの手を取った。指導が早い。
トールが目を閉じて集中する。額に汗が浮く。全身に力が入って、顔が赤くなって——
「…………」
石、微動だにせず。
ユーゴが満面の笑みで肩を叩いた。
「いいじゃん! 才能あるよ!」
「石持ち上がらなかったっすけど……」
「いや、構えは良かった! 俺も最初は全然だったし。畑、守りたいんだろ? 守りたいものがあるやつは強くなれる!」
——守りたいものがあるから強くなれる、か。ユーゴは、何か守りたくて魔導士になったのか?
訊く前に、ユーゴはトールに向き直っていた。
トールが袖で目元を拭った。
「……無理だって言われてたんです、ずっと」
「大丈夫大丈夫! 明日もやろうぜ。コツ教えるから」
横で見ていたダリオが、ぼそりと付け加えた。
「守りたいものか……。俺は妹だな。あいつ、まだ小さいから。俺がいないと困るやつなんで」
トールが「お前はすぐそれだな」と肩を小突く。ダリオが「うるせえ」と短く笑い返した。
トールが私に向き直った。
「ユズリハさんは何か守りたいものありますか?」
「あんま……考えたことないかも」
——前の世界なら「定時退社」と即答していたが。私が魔法を覚えたのは、生き延びるためだ。帰るためだ。守るためじゃない。
ソロンの話を聞いた時も、似たようなことを考えた。命を懸けてでも守りたい相手なんていたことがない、と。
考えても、どうしようもない。
日が傾き始めていた。ユーゴがトールの肩を叩いて「また明日な」と手を振っている。私も腰を上げた。
村に戻ると、フィーネが井戸の前で水質を確認していた。この人はこの人で止まらない。
フィーネは氷魔法で水の浄化までできるらしい。浄水売るだけで食っていける才能を、わざわざ辺境任務に持ち込んでいる。
「フィーネってなんでこの仕事やってんの」
フィーネは一拍も置かずに答えた。
「お金です」
ぶれない。
「魔法の才能があったので。一番条件のいい職種を選んだだけです」
浄水を売った方が早い気もするが——商売に魔法を使うには魔法協会発行の免許がいる。
「水売る方が儲かりそうだけど、そっちは免許制だよね」
「ええ。審査期間中の収入を考えると、認定魔導士としての任務報酬の方が当面は手元に残ります。対魔族案件の手当も加算されますし、免許審査を待つよりは確実に多い」
計算済みかよ。……数字で動く人だ。
——とはいえ、私も同じだけもらえるってことだ。命懸けの危険手当が乗るなら、悪くない。給料は多いとやる気が湧く。
だが何故そんな大金が出るのかに立ち返ると――。私たちは人さらい、しかも魔族絡みの可能性ありの任務でここに来た。馬車の五日間は魔族との対峙へのカウントダウンのつもりだった。なのに来てみれば、ただの田舎村だ。人さらいの気配なんて、どこにもない。
穏やかすぎて、逆に落ち着かない。
夕方、村長の家で夕食をごちそうになった。焼きたてのパンと煮込みのスープ。村長の奥さんが、多めによそってくれた。「遠くから来たんだから」と。ありがたいことだ。
「——折り入って、お話ししたいことがあるのですが」
キリヤが姿勢を正した。
「村で行方不明者が出ていると聞きました。時期と状況を、詳しく教えていただけますか」
村長が粗末な地図を広げて語った。一人目は四ヶ月前。二人目は二ヶ月前。三人目は十日前。いずれも夜中に消え、村人で森の入り口まで追ったが、それより奥は魔物が出るので踏み込めない。手がかりは何も出なかったという。三人目の母親が、毎日泣いているという。
「消えた方々に、共通点はありますか」
「……三人とも、若い。二十歳前後の男です」
ユーゴが、少しだけ表情を変えた。
三人とも若い男か。
「なるほど。分かりました。明日から周辺の調査を行います。村の方々には、夜間の単独行動を控えるよう伝えてください」
キリヤが淡々と言った。村長が深く頭を下げた。さっきまで笑っていた食卓が、急に遠い。
部屋に戻ると、フィーネはもう寝ていた。同室だが、気を遣う相手じゃなくて助かる。窓の外は暗い。虫の声だけが聞こえる。
——三人とも若い男。たまたまか、あるいは条件を絞って選んでるのか。体力か、魔力の素養か、別の何か。
分からない。情報が足りない。最近の失踪が十日前。まだ止まっていない、それだけは確かだ。
——念のため、擬態した魔族が村に紛れてる線も置いておく。検証する手段はないけど。
二日目の朝。
朝食の席で、フィーネが手帳を開いた。
「ユズリハさん、報告があります」
「ん。何」
「昨夜のあなたの睡眠データです」
「……データ?」
「寝返り回数、四十七回。平均間隔、約十一分。入眠までの所要時間、二十三分。睡眠中の発言、計二十回」
「……え? 何、怖い怖い」
「記録しました。内訳です。『帰りたい』が十一回。『魔族無理』が四回。『理不尽だ』が三回。『先輩それ仕様です』が一回。不明が一回」
——死にたい。
「全部聞いてたの……」
「同室ですので」
「寝てなかったの?」
「寝ていました。発言のたびに起きて記録しました。ユズリハさんはおかしいと思います」
「どういう趣味してんの? そっちの方がおかしいだろ!!」
隣の部屋からユーゴが顔を出した。
「ユズリハさん、夜中に壁殴りました?」
「殴ってない!」
「殴ったっす。『納期ィ!』って叫んだ後にドンって。俺ベッドから落ちました」
「…………」
フィーネが手帳をめくった。
「……ああ。不明の一回はそれですね」
フィーネが手帳を閉じた。キリヤだけが穏やかにパンを千切って笑っていた。
その日の午後、村の周辺で魔物が出た。
角ウサギ三体、毒蜥蜴二体。
「行くぞ!」
ユーゴが真っ先に飛び出した。地面を踏みしめると、足元から石柱が三本、轟音と共にせり上がる。角ウサギの前に壁を作り、防御と足止めを同時にこなした。岩陣使いの称号は伊達じゃない。
二人は認定試験を通ったばかりだが、私はその後も実戦を重ねている。二人がピンチになったら私がなんとかする。
「フィーネさん、お願いします!」
「分かりました」
フィーネの氷槍が五本、石柱の隙間を縫って角ウサギを射抜く。三体、ほぼ同時に絶命。
残るは毒蜥蜴二体。仕留めは二人に任せる。私は誘導に徹する。
毒蜥蜴の足元にバグ・オイルを撒いた。足場を奪い、わざと薄い筋を二本残す。フィーネの射線と、ユーゴの足元へ。
蜥蜴は本能で滑らない地面を選ぶ。一体目がフィーネの筋に飛び込んだ瞬間、氷槍が頭を貫いた。二体目はユーゴの足元へ。せり上がった石柱が頭を砕く。
——その瞬間、二体の頭部が痙攣した。何か来る。体が先に動いていた。障壁を二枚、口先に張る。直後、紫色の液が噴射され、障壁に弾かれて地面の草を焼いた。
毒蜥蜴の死後反射、というやつか。咄嗟の対応ができた。確実に動けるようになっている実感はある。
障壁を解くと、地面に毒液の跡だけが残った。
「ナイス」
「……どうも」
角ウサギ三体、毒蜥蜴二体。全て倒した。
フィーネが、少しだけ口元を緩めた。
ちらりと後方を見る。キリヤは木の幹にもたれて腕を組んでいた。戦闘に加わる気配は一切ない。——副支部長様は手を出さないか。
ユーゴが角の回収のために屈み込んだ。
——その瞬間。空気が裂けるような気配が、森の奥から走った。
反応するより早く、紫色の障壁が私の背中側に現れる。鋭い何かが障壁にぶつかって、弾けて、霧散した。
——え?
今、何が起きた。背中側、無防備な角度。気配も音もなかった。
「油断は最後に来るよ、ユズリハ君」
キリヤが、木の幹にもたれたまま片手を伸ばしていた。この距離から、あの速さで。
息が、ようやく動き出した。
「……ありがとうございます」
「護衛だからね」
軽く笑った。
やっぱりこの人は——格が違う。私は二人を見守る余裕があると思っていたが、キリヤに見守られている側だった。
キリヤが森の奥に目をやった。穏やかな声のまま、続ける。
「今の——魔物にしては、奇妙な動きだ」
「……魔族、ですか」
「断定はできない。でも、こちらを見ている何かはいた」
「……追わないんですか」
「追えば誘い込まれる。それに——僕たち四人が森の奥に消えれば、村は丸裸だ」
指先が冷えた。雑魚を片付けた直後、警戒を解いた瞬間を狙ってきた。偵察か、牽制か、挑発か。仮に魔族なら、人さらいの実行犯と繋がる線もある。私たちが来たから、こうして探りを入れに来た——そう読むのが筋か。
どちらにせよ——向こうは、こちらが何人で、どう動くかを観察している。攻める場面じゃない。守る場面だ。
ユーゴとフィーネが魔物の角の回収を始めた。二人の背中越しに、視線が逸れた。
キリヤは、森の奥——私たちが来た方向とは逆の、暗い木々の向こうを、もう一度見つめていた。さっきの一撃の発射元を、まだ追っているのか。
視線に気づいたのか、キリヤは振り返って笑った。
「よくやったね、三人とも。角を回収して村に戻ろう」
穏やかな声。穏やかな目。——でも今、森の奥を見ていた目は、穏やかではないようだった。
日が傾く頃、村に戻った。
失踪の件がある以上、誰かが見張りに立つべきだろう。村の入り口で焚き火を焚いて、四人で座った。
キリヤが薪をくべている。火がつき始めた頃、ふとキリヤと目が合った。一瞬で視線が外れる。
「キリヤさん、焚き火慣れてますね」
「昔、よくやったからね」
キリヤの目が、一瞬だけ遠くなった。
エルフの「昔」は、人間の感覚と桁が違う。何を、誰を、思い出しているんだろう。火の粉が夜空に舞い上がる。
「ねえ、キリヤさんってどんな魔法使うんですか?」
ユーゴが聞いた。
「僕かい? 障壁、結界術、空間把握、転移、拘束系、感覚干渉、身体操作……実務寄りのものが多いよ」
「全部一人で!? すげえ……!」
「副支部長だからね。現場の魔法は一通り」
攻撃魔法が一つもなくないか。全部「管理する側」の魔法だ。
「ところで……。今回の失踪——人が絡んでいる可能性もある」
キリヤが、声のトーンを落とした。
「君たちは、人間を殺したことはあるかい?」
静まり返った。焚火のパチパチとした音だけが響く。
「……物騒ですね。殺人は重罪じゃないですか。人が犯人なら捕まえて騎士団に明け渡します」
フィーネは冷静に答えた。
「あはは。そうだね、変なことを聞いた」
——失踪の話の延長で、なぜ「殺したことがあるか」と聞く。この人、何を測ってるんだ。
キリヤは穏やかな顔のまま、視線をユーゴに向けた。
「——せっかくの夜だ。話を変えよう。みんなは、どうして魔導士を目指したんだい」
ユーゴが、少し照れたように頭をかいた。
「……俺、ずっと守られる側だったんすよ」
「そうなのかい?」
「はい。剣術もダメ、体力もないし。何やっても中途半端で。でも魔法だけは、努力したら報われた」
ユーゴが火を見つめた。炎が瞳に映っている。
「認定試験に合格した時、人生で一番嬉しかったんです。初めて思ったんですよね、——『これで、誰かを守れる側に立てる』って。……あと正直、ちょっとカッコつけたかったんすよね、こういう任務とかで」
「いい動機じゃないか、ユーゴ君」
キリヤが、火越しに穏やかに頷いた。ユーゴが照れたように頭を掻く。
——守れる側に立ちたい、か。昨日の会話を思い出す。まっすぐすぎて、こっちが眩しい。
私にはそういう気持ち――持っていなかったのか、失ったのか、最初から要らなかったのか。
無意識に、息を吐いていた。
フィーネが、黙って火を見ていた。手のひらの上で、小さな氷の人形を作っては溶かしていた。
「フィーネさんは? なんで魔導士になったんすか」
ユーゴが、振り向いて聞いた。
「お金です」
いつもの即答。でも、続きがあった。氷の人形が、また一つ、溶けて消える。
「……両親に、家を建てたいんです」
ぼそりと、付け加えた。眼鏡の奥が、火に揺れていた。
なんでそこまでお金に執着するんだと思ってたけど……。そういうことだったんだ。
ユーゴが「フィーネさん、意外と熱いっすね」と笑った。
「ユズリハさんは?」
ユーゴが振り返って、私を見た。
——認定魔導士の称号は、ショートカットでしかなかった。強くなって、上のクエストに挑んで、いつか帰るための。
みんな、誰かのために魔導士になった。私だけ、自分のために魔法を覚えた。
努力は本物だ。でも皆の前で誇れるものではない。
「冒険者ランクを上げるため」
「冒険者ランクよりも、認定魔導士でいるほうが値打ちがあるんじゃないかい?」
キリヤが火を見たまま、笑いを含んだ声で言った。ユーゴが「あー、確かに」と頭を掻く。フィーネが眼鏡を押し上げて「ダブルワークって大変じゃないですか」とつぶやいた。
「まあ色々あるんだよ」
私は膝を抱えて、星を見上げた。穏やかな夜だ。焚き火の音と虫の声。
——ユーゴが胸の内を語って、フィーネが家の話をして、キリヤが褒めた。どれも、今夜が初めてだ。
森の奥の何かも、村の若い男たちのことも、まだ何一つ片付いていない。それでも、お互いの内側を少しだけ覗いた後の空気は、ほどけている。今は、隣にいる人間のことを知っている、と思える。
火が、ぱちりと爆ぜる。気が緩んだのか、ふいに別の顔が浮かんだ。
ミルシェの顔。セリアの横顔。リコの笑い声。フィルの忠告。ソロンの背中。姉夫婦の笑顔。
——いつの間にか、この世界にも顔が増えている。
……こういう日もあっていいか。
——今思えば、のんきなものだ。
魔族のことも、十日前に消えた誰かのことも、あの夜は、ほんの少しだけ遠かった。
穏やかな夜は、その夜が最後だった。




