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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
女子会パーティ

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43/50

術式と師匠

 翌朝、私はソロンのもとを訪れた。

 昨日見た、ミルシェの体に張り巡らされた光の線。あの空振りを繰り返すコード——殺意なのか、別の何かなのか。仮説のままじゃ動けない。

 眠れない夜を過ごした割に、足取りは妙に軽い。答えが近い時の高揚感だ。絡まった糸の端が見えた時の、あの感覚。



「先生、確かめたいことがあるんです」


「朝っぱらから改まってどうしたんだ」



 ソロンは、いつものように椅子に座って本を読んでいた。

 分厚い革表紙の、いかにも魔法学の専門書という風格。こういうのを開いている時のソロンは機嫌がいい。趣味の時間だ。

 私は向かいに座り、単刀直入に切り出した。



「アルミ玉を握ってる時、魔物の体の中に光の線が見えるんです」


「光の線?」


「文字みたいな、記号みたいな……光る線が、体中に張り巡らされてるのが」



 ソロンの手が止まった。読んでいた本がぱたんと閉じられる。

 ページに挟んでいた栞が、ぱらりと床に落ちた。ソロンはそれを拾わなかった。



「……もう一度言え」


「え、だから光の線が……」


「いつからだ」


「最初は角ウサギの時です。でもその時は一瞬で、気のせいかと……」


「今は?」


「はっきり見えます。魔物にも、擬態を解いた……ええと、魔族にも」



 ソロンの目が細まった。



「アオイよ……生きた魔族に会ったのか」


「……ちょっと事情があって」



 それ以上は聞かなかった。ただ、ソロンの膝の上の拳が一瞬だけ白くなったのを、私は見ていた。

 ソロンが椅子から立ち上がった。

 部屋の中を二、三歩、行ったり来たりする。右手で顎髭を撫でて、窓の外を見て、また部屋の中央に戻ってきて。



「お主、それを今まで黙っていたのか」


「いや、昨日はっきり確信したばかりで……」



 ソロンは大きく息を吐いた。椅子に座り直すでもなく、本棚に背を預けて腕を組む。

 一瞬だけ、目が遠くなった。何かを——誰かを、思い出しかけたような間。すぐに消えた。



「……それは術式だろう」


「術式?」


魔の始祖(アルケ・マリス)が命に刻んだ印だ。生きた仕組みが、体の中に埋まっている」



 魔の始祖(アルケ・マリス)……。



「術式は通常、見えるものではない。魔族本人にすら見えん」


「そうなんですか?」


「あぁ」



 ソロンの目が、私の手元に落ちた。



「……アルミ玉を、見せてくれ」


「え……はい」



 アルミ玉を渡すと、ソロンは指先で転がし、光に透かし、しばらく黙った。



「やはり……純粋だ。この世界の魔力に染まっていない。お主の手の中で触媒になって、術式を透かしているのだろう」



 呟くようにそう言って、アルミ玉を返した。

 その顔つきが、変わっていた。厳しい顔。でも、その奥に好奇心が光っている。学者が未知の標本を前にした時の、あの顔だ。怖さ半分、興奮半分。



「先生。……その術式って、もう少し詳しく教えてくれませんか?」



 ソロンは少しだけ眉を寄せ、言葉を選ぶように言った。



「そうだな。……体に刻まれた、設計図のようなものだ。いや——設計図というよりは、命令に近い。魔の始祖(アルケ・マリス)が刻んだ命令。体がどう動くか、何を求めるか。全てが、そこに書かれている」



 やはり……命令。刻まれた命令。

 ……書き込まれたものなら。



「……それ、書き換えたりできるんですか?」



 ソロンの眉が、ほんの少しだけ動いた。

 しばらく、私の顔を見つめてから——静かに言った。



「……読めるなら、触れられる。触れられるなら、書き換えられる可能性はある」



 ——可能性。

 私の脳内で、何かが繋がった。



「じゃあ——殺意にも干渉できるってことですよね? ……術式、書き換えられるか試してみます」


「待て」



 ソロンの声が鋭くなった。



「術式は生命に直結している。下手に触れれば、弾かれる。最悪、お主が死ぬ」



 その言葉が、ずしりと胸に残った。

 ……でも。昨日、ミルシェの術式に触れた時は弾かれなかった。普通に触れられたぞ。



「生きた体に刃を入れるのと同じだ。どこに何が通っているか知らずに切れば、止血すらできん。まず全体を把握しろ」


「……はい」



 ソロンは指を立てて、続ける。



「死体ではダメだ。死ねば術式は消える。読むなら、生きている魔物だ」


「じゃあ、討伐依頼のついでに……」


「一人で戦いながら読もうとするな」



 ソロンが遮った。



「お主の魔法は初見の相手に強い。だが術式を読むのに集中すれば、その強みが活きん。戦闘と観察を同時にやろうとして、両方疎かになる——最悪、死ぬ」


「……じゃあ、どうすれば」


「わたしが魔物を連れてくる」


「え」


「拘束して、必要なら弱らせる。お主は、読むことだけに集中しろ」



 私は一瞬、言葉を失った。

 ソロンが弟子の訓練にここまで踏み込む姿は、見たことがなかった。魔法開発の時だって、観察に来ても口を挟むのは最小限で、作るのも試すのも私に任せきりだった。

 でも、今のソロンの顔は違う。さっきアルミ玉を光に透かしていた時と——同じ顔だった。



「分かりました……お願いします」


「うむ。くれぐれも慎重にな。焦るなよ」


「分かりました」


「本当に分かっておるか?」


「分かってます」


「もう一度言え」


「分かってますって」



 ソロンはしばらく私の顔を見つめてから、ふん、と鼻を鳴らした。



「……お主の『分かった』は、あてにならんからな」



 呆れたように言いながら、口元はほんの少しだけ緩んでいた。



 翌朝、ソロンに指定された森の空き地に向かった。

 到着すると、地面に縄で縛られた角ウサギが三匹、転がっていた。まだ生きている。赤い目がこちらを不機嫌そうに睨んでいる。



「……どこで捕まえたんですか、これ」


「拾った」


「嘘でしょ」


「嘘だ」



 悪びれもしない。



「始めろ。好きに読め。わたしは手出しせん」


「……はい」



 念には念を。縛られた角ウサギの一匹に、氷蜂(フロスト・バグ)を撃ち込んだ。下半身を完全凍結。縄との二重拘束で、もう動けない。

 念のため、蝉騒(バグ・ノイズ)も重ねて発動した。

 ジジジジジジジジ。角ウサギは一瞬だけ耳をひくつかせて、あとは平常運転だった。

 ミスった。

 隣でソロンが淡々と言った。



「角ウサギに詠唱妨害を使った冒険者は、お主が初めてだろうな」


「……記録に残さないでください」



 咳払いで誤魔化して、アルミ玉を握り直した。

 凍りついた角ウサギの体に、光の線がはっきりと浮かび上がっていた。文字のような、記号のような。脚を中心に、背骨に沿って、頭部へと枝分かれしている。

 見える。落ち着いて、じっくり追える。



「……見えます。体中に線が張り巡らされてます。背骨に沿って太い一本。そこから各部位に分岐してる」


「主幹だろう。そこから分かれて、感覚と運動を制御している」


「細い線が脚の付け根から伸びて……あ、脚が動きそうになった時、その線が一瞬光りました」


「運動系だな。命令が走る瞬間を見ている」



 私が見えるものを言葉にする。ソロンが知識で解釈する。その往復で、術式の輪郭が少しずつ形になっていく。

 ……これは、私一人では絶対にたどり着けなかった。

 ふと、ソロンが手を差し出した。



「アルミ玉を貸せ」



 渡すと、ソロンは握ったまま角ウサギを見下ろした。数秒。何も言わない。

 それから、静かに返してきた。



「……やはり、わたしには見えん」



 静かな声だった。

 ずっと、この人は見えないまま戦ってきた。術式の形も、中身も知らないまま。



「……なんで、私だけ見えるんですか」



 自然と口から出ていた。ソロンほどの魔法使いに見えないものが、私ごときに見える理由が分からなかった。

 ソロンは少し間を置いた。



「……お主も、この金属も、この世界の外から来ている」



 ゆっくりと、続けた。



「おそらく……この世界の魔力の中で生まれた者には、術式は見えんのだろう。水の中の魚に、水が見えないのと同じだ。だが、お主は水の外から来た。……だから、透ける」



 ……水の外。

 ——ああ、そういうことか。なんとなく理解はできる。これがいわゆる異世界ならではのチートということか。……地味だが。

 ソロンは、もう何も言わなかった。ただ、夕方の光が落ちる方へ顔を向けて、長く息を吐いた。



「……明日から、本気で始めるぞ」


「はい」



 翌朝から、空き地には毎日、新しい標本が転がっていた。

 角ウサギ、森鼠、たまに毒蜥蜴。私は氷蜂(フロスト・バグ)で念入りに凍結させて、じっくり読んだ。

 パーティの依頼がある日は通常どおり活動し、空き時間はソロンの元へ。ミルシェにもリコにもセリアにも、術式の話は伏せた。

 私が見えるものを伝え、ソロンが知識で解釈する。そういう形が、自然にできあがっていた。

 三日目の夕方には、アルミ玉を握る左手が、常に微かに痺れていた。魔力切れではない。アルミ玉が吸い続ける魔力が、ずっとこの体を通り抜けている——高圧電流を素手で握り続けているようなものだ。

 でも、やめられなかった。見えるものが増えるたびに、もっと奥が見たくなる。ソロンも、同じだった。私より先に空き地に着いていて、私より遅くまで空き地に残っていた。



「横隔膜のあたりから、細かい信号が循環してます。ずっと止まらない」


「維持系だ。生きている限り止まらん」


「目と耳からも線が伸びてます。走る方向が違う」


「入力系だろう。外から入った情報を、主幹に集めている」



 分岐の先を追う。もっと細かく、もっと奥まで。気づけばアルミ玉を握る手に力がこもっていた。術式の像がぶれる。線が二重に滲んで、輪郭が崩れていく。



「力を入れすぎだ」



 その一言で、アルミ玉を握る力を抜いたら、視界が嘘みたいに安定した。やっぱり、師匠には敵わない。

 少しずつ、見えるものが増えていった。呼吸を制御している部分。筋肉を動かしている部分。感覚を処理している部分。読める。ちゃんと読めてきている。

 そして——中心に太く脈打つ線がある。他の線が「生きる」ために動いているのに対して、その線だけが違う。もっと暗くて、もっと鋭い。

 どの魔物にも、同じ位置に、同じ線があった。

 ——ミルシェの空振り。あの子の手が伸びていた先。あれは、この位置じゃなかったか。

 ……もっと読もう。答え合わせは、その後だ。



「中心に、他と全然違う線があります。暗くて、太くて、鋭い」


「……それは核ではないか。魔の始祖(アルケ・マリス)の命令が刻まれた場所だ」



 命令。刻まれた命令。

 ……仮説が正しければ、この線に「殺せ」が書いてあるはずだ。



「……読みます」



 私はその線を正面から読もうとした。

 ——吐き気がした。文字じゃない。意味が、直接流れ込んでくる。

 体が強張った。頭で理解したんじゃない。体が受け取った。

 この線には感情がない。怒りも憎しみもない。ただ刻まれている。理由もなく、迷いもなく、最初からそう決まっているとでも言うように。



「……先生」



 言葉を選ぶ余裕がなかった。



「……『殺せ』って、書いてあります」



 ソロンが黙った。

 長い間だった。風が木々を揺らす音だけが聞こえる。



「……そうか」



 たった二文字。でも、声が硬かった。

 この人は何十年も魔族と戦ってきた。その手で何体もの魔物を倒してきた。妻を奪われ、弟子を奪われた。

 その全ての元凶が——「殺せ」という、たった一言の命令だった。

 ソロンは私に背を向けて、一歩だけ離れた。

 それ以上、何も言わなかった。私も、何も言えなかった。



 四日目の夕方。三日間で読んできた情報は、頭の中で少しずつ形になっている。



「……触れてみようと思います」



 ソロンはしばらく黙ってから、低く言った。



「……末端から、慎重にな」



 氷蜂(フロスト・バグ)で下半身を凍りつかせた森鼠。赤い目がぎょろりとこちらを睨んでいる。小さな体の割に、術式は複雑だった。

 アルミ玉越しに、術式に手を伸ばした。慎重に……ゆっくり。

 指先が光の線に近づいていく。温度でも重さでもない、もっと根源的な——「在る」という感覚。触れる直前、光の線がびくりと震えた。生きている。このコードは、生きている。



 バチッ。



「っ!」



 弾かれた。

 右の掌から肘まで、電撃のような衝撃が駆け上がった。指先が痺れて、まだ震えが止まらない。



「力で触るな」



 ソロンの声が、背後から飛んできた。



「……じゃあ、どうすれば」



 ソロンは少しだけ間を置いた。



「術式はお主にしか見えん。わたしが教えられることではない。だが——生きた仕組みに触れたいなら、流れに逆らうな」



 流れに逆らうな。

 この人が何十年もかけて学んだ、魔法の本質。

 さっき、私は力で術式に触れた。弾かれた。生きた仕組みは、押し込めば抵抗する。

 ……でも。ミルシェの時は弾かれなかった。同じように触れたのに、抵抗がなかった。

 あの子の術式は——私を、拒んでいなかったからか。



 直接いじるのは容易じゃない。でも、構造は見えた。どこが何と繋がっているか。どこを切れば他に影響するか。

 読んだ情報が、頭の中で少しずつ地図になっていく。



 次の森鼠は弱りすぎていて、凍結の必要もなかった。縛られたまま、ろくに動かない。

 末端の線から、繰り返し試した。流れに逆らわず、呼吸を合わせれば弾かれない。

 よし。メス!

 脚の制御線を指先の力で一本外すと、森鼠の後脚がだらんと垂れた。他の脚は動いている。呼吸もしている。

 ——できた。

 振り返ると、ソロンが何も言わずに、動かなくなったその一本を見ていた。

 一度だけ、深く頷いた。それだけだった。



 その夜。

 宿の天井を見ていた。末端は外せた。だったら——次は、核しかない。

 あの太い線。「殺せ」が刻まれた、命令そのもの。同じ手順で届くのか、それとも弾かれるのか。やってみなければ、分からない。

 目を閉じても、眠気は来なかった。



 五日目。

 空き地に着くと、すでにソロンが待っていた。昨日より早い。足元には新しい森鼠。



「核、試します」


「……無理はするな」



 声が硬い。でも、止めはしなかった。

 次の森鼠を氷蜂(フロスト・バグ)で凍結させ、中心に手を伸ばした。あの太い線。「殺せ」が刻まれた、命令そのもの。

 周辺とは桁違いの抵抗。押し返される。でも、弾かれはしない。

 ——昨日、末端の線は外せた。脚の制御を一本だけ切って、残りの線は動いていた。だったら、同じはずだ。核そのものに手を入れるんじゃなくて、核から体に向かって伸びている接続——命令の出口を、外す。刻まれた「殺せ」はそのまま残っても、流れ出る先がなくなれば、呼び出された瞬間に空を切る。

 殺意と本体を、切り離す。仮説としては、それで足りるはずだ。流れに逆らわず、境界をなぞる。末端の何倍も重い。指先が痺れる。集中が削れていく。

 それでも——最後の接合点を、外した。森鼠の赤い目から、光が薄れた。



 凍結が解けた。身構える。

 森鼠がびくりと震えた。赤い目が私を捉えて——一瞬、体が強張る。

 そのまま踵を返して、茂みの中へ走り去った。……逃げた。さっきまで赤い目でこちらを睨みつけていた個体が、私を見て、逃げた。

 走り去る背中に、術式がまだ見えた。核を失った分、残りの線が穏やかに脈打っている。さっきまで全体を揺らしていたノイズが消えて、他の線が安定して動いていた。

 仮説通り。命令は残ったまま、出口だけが塞がれている。



 ——魔物から、殺意を消せた。



 手が震えている。達成感のはずなのに、指先が冷たい。生き物の体の設計を、外から書き換えた。やっていることの重さが、じわじわと込み上げてくる。

 五日間の蓄積が、体に来ていた。術式に触れていた右手は、痺れて感覚が遠い。

 振り返ると、ソロンが黙って立っていた。何も言わない。ただ、森鼠が消えた茂みを見つめている。

 長い、長い沈黙だった。「殺せ」を読んだあの時より、ずっと長い。

 ……この人にとって、あの森鼠はどう見えているんだろう。

 


「……魔の始祖(アルケ・マリス)が刻んだ命令を消した者は、おそらくお主が初めてだ」



 低く、噛みしめるような声だった。



「わたしは、力でしか答えを出せなかった」



 ソロンが、自分の拳を握った。それから、ゆっくりと開いた。握ったあとの掌を、数秒、じっと見下ろしていた。

 風が木の葉を揺らす音だけが聞こえる。



 それから踵を返して、歩き出す。



「お主は——お主のやり方で答えを出せ」



 ……この人が五日間、ここに立ち続けた理由が——今なら分かる。

 ソロンには術式が見えない。力では届かなかった場所に、私の指先だけが届いた。だからずっと——私の目を通して、見ていたのだ。

 背中を向けたまま、一度だけ足を止めた。



「わたしの若い頃にお主がおれば——まあ、よい。年寄りの繰り言だ」



 背中越しのその声は——ほんの少しだけ、震えていた。

 ……違う。繰り言なんかじゃない。

 でも、何を返しても、ソロンの過去を軽くしてしまう気がした。

 結局、私は何も言えなかった。



 ソロンの背中が、木々の向こうに消えていく。

 ——この力は、私にしか使えない。ソロンほどの魔法使いが届かなかった場所に、今、私の指だけが届いている。

 ……私が強くなりたかったのは、帰るためだ。そのはずだった。

 でも、手に入ったのは——それより、ずっと遠くに届く力だった。

 どう使うか。何のために使うか。

 ……今は、分からない。



 五日目の夜。

 宿に戻ると、体がまともに動かなかった。靴を脱いだら靴下に穴が空いていた。術式は読めるようになったのに、靴下の寿命は読めなかった。

 熱い風呂に入っても、腕の痺れは抜けきらない。

 ……でも、ペンは握れる。宿の机に向かって、術式の構造を書き出していた。

 ペンが止まる。……ミルシェの空振り。あの夜の仮説が、頭の中で像を結んだ。

 ミルシェの体が手を伸ばしていた先と、魔物の術式の核——同じ位置。

 やはり、あれは殺意だ。

 ミルシェの体は「殺せ」を呼び出そうとしている。でも、呼び出す先が存在しない。何度呼んでも、空を掴むだけ。null(ヌル)参照——生まれた時から、ずっと。

 エンジニアとしての直感が、働いた。

 ——この空回りを止められれば、あの子の体は、楽になるのでは。

 空回りに力を吸い取られて、全身を覆うだけの余裕が残らないのでは。



 ミルシェの殺意の呼び出し口を止めたい。

 ただし、魔族は魔物よりずっと複雑で、同じ手順で済む保証はない。

 ……ソロンに言えるだろうか。魔族の体を直すために、教わった全てを使うと。

 答えは出ない。でも——直せるかもしれないものを、放っておく理由にはならない。

 明日、ミルシェに話そう。

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