えへ、バレちゃった?
「……え」
セリアが、私の顔を見た。
一瞬だけ。それで何かを判断したように、踵を返した。
「ちょっと待っ――」
「明日、詳しく話す」
それだけ言って、彼女は去っていった。
待ってくれ。今のだけじゃ何も分からない。追いかけようとして——足が動かなかった。膝に力が入らない。
帰り道をどう歩いたか覚えていない。
眠れなかった。宿のベッドで天井を見つめながら、何度も寝返りを打った。
目を閉じると、ミルシェの笑顔が浮かぶ。
「ユズリハちゃん♡」
屈託のない、あの笑顔。
今日だって、私の髪に花を挿して嬉しそうにしていた。帰り道に腕を絡ませてきて、「いてくれてよかった♡」と言った。あの体温。あの声。
あれが全部、演技だったのか。
——分からない。分からないけど、ラークとミナの時とは何かが違う気がする。根拠なんてない。ただ、そう思いたい自分がいる。
でも、その直後に別の記憶が割り込んでくる。ラーク。ミナ。あの二人も笑っていた。仲間だと思っていた。信頼した結果が、あれだ。
『彼女、魔族だけど』
セリアの言葉が、頭の中でリフレインする。
信じたい。でも、信じて間違えるのが怖い。この二つが交互に浮かんでは沈んで、いつまでも決着がつかない。
結局、一睡もできないまま朝を迎えた。
鏡を見たら、目の下のクマが三徹明けの顔になっていた。
三徹はしていない。一晩で三徹分のダメージを叩き出す異世界、スペックが違う。
ギルドに早く着くと、セリアがすでにいた。
壁にもたれて腕を組んでいる。
「……昨日の話、聞かせて」
私が言うと、セリアは小さく頷いた。
「ここでは話せない。ついてきて」
彼女は歩き出した。私は黙ってその後を追った。
人気のない路地裏。朝日が建物の影に遮られて、薄暗い。
「あの……本当のことなの?」
セリアが足を止め、私の方を向いた。
「魔族。間違いない」
「……冗談とかじゃなくて?」
「本当だと言ってる」
セリアは淡々と言った。
「……なんで今更」
「私の邪魔をしてこなかったから、放置していた。でも……」
セリアが一瞬だけ言葉に詰まった。
「……あなたが無防備すぎる」
それだけ言って、セリアは口を閉じた。
この人は、ラークとミナの時も正しかった。これ以上の説明はない、ということだろう。
「……で、私にどうしろっていうの? いきなりそんなこと言われても」
「どうするかは、あなたが決めればいい」
セリアが私を見た。
「知らないままでいるより、知った上で判断した方がいい。それだけ」
「…………」
私は黙り込んだ。私のことを心配してくれてるからこその開示……?
いや、Aランクの判断だろう。パーティに魔族がいるリスクを放置できなかっただけだ。
「……分かった。ありがとう」
「……礼を言われることじゃない」
セリアはそっぽを向いた。
まずは普通にしろ。いつも通り振る舞え。観察しろ。
そう自分に言い聞かせた矢先だった。ギルドが見えてきた。
ミルシェとリコがやってきた。
「おはよー♡ 二人とも早いね!」
ミルシェが手を振りながら駆け寄ってくる。
私は、その顔を見た瞬間、息が詰まった。
いつもの笑顔。いつもの距離感。
背中を冷たいものが這い上がる。心臓が喉元まで跳ね上がって、指先の感覚が遠くなる。
この子が……魔族……。
「ユズリハちゃん? どうしたの?」
ミルシェが首を傾げた。
「……なんでもない」
「顔色悪いよ? 大丈夫?」
心配そうな顔で、私の額に手を当てようとしてくる。
——その手が、怖い。
昨日まで何とも思わなかった。同じ手に引っ張られて、一緒に走って、笑っていた。なのに今は、その指先が近づくだけで、胃の底が縮む。
「だ、大丈夫だって」
私は慌てて身を引いた。
ミルシェは不思議そうな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
「ならいいけど……無理しないでね?」
その言葉に、嘘はないように聞こえた。
本当に、心配してくれている。敵意なんて、微塵も感じない。
今日の依頼は、森での魔物討伐。簡単な依頼だ。
なのに、いつもの三倍疲れる。
戦いながら、ずっとミルシェの横顔を盗み見ていた。剣を振る時の目つき。魔物を仕留めた後の表情。仲間に声をかける時の声色。どこかに綻びがあるはずだ。冷たさが覗く瞬間、人間を見下す目——何でもいい、「やっぱり」と思える証拠が一つでもあれば、楽になれる。
何も、見つからない。むしろ、人間より人間らしいくらいだ。
それが一番、怖かった。
「ユズリハちゃん、後ろ!」
ミルシェの声。
振り返る間もなく、彼女が私の前に飛び出した。迫っていた魔物を、一撃で斬り伏せる。
「危なかった〜♡ ぼーっとしてたでしょ」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ♡ でも、気をつけてね?」
私を守った。魔族が、人間の私を。
頭では疑っている。なのに体は、庇われた瞬間、力が抜けていた。ああ良かった、と思った自分がいた。でも消えない疑念。
……苦しい。ずっと疑い続けて、それで何が解決する? 私はSEだ。バグを見つけたら、原因を調べる。推測で判断しない。
今の私に必要なのは、事実だ。
依頼が終わり、帰り道。私は決心した。
直接、聞く。
「ミルシェ、ちょっといい?」
「なに?♡」
「二人で話したいことがあるんだけど」
「うん、いいよ♡」
ミルシェは何の疑いもなく頷いた。
セリアが私を見た。でも、止めなかった。
リコが空気を読んで言う。
「じゃあ、私たちは先に帰りますね」
「ありがとう、リコ」
二人が去っていく。
私とミルシェだけが、残された。人気のない路地裏に移動した。
さっき、セリアと話した場所と同じだ。私は深呼吸をして、ミルシェの目を見た。
「……一つ、聞いていい?」
「うん、なに?」
震える声で、聞いた。
「あなたって……魔族?」
長い沈黙。ミルシェの表情が、一瞬だけ変わった。
驚き? 焦り?
でも、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「えへ、バレちゃった?♡ よく分かったねー」
「……っ」
あっけらかんと認めた。私は言葉を失った。
「なんで……そんな軽いの」
「だって、本当のことだし♡」
ミルシェはけろっとした顔で言った。
「ティフリングって話は?」
「嘘だよ? だって自己紹介で『魔族でーす♡』とか言ったら私殺されちゃうじゃん?」
一瞬だけ想像した。
ギルドの受付カウンター。ミルシェが満面の笑みで冒険者登録用紙を差し出す。種族欄に堂々と「魔族」、しかもハートまで添えて。受付嬢の笑顔が凍る。隣の冒険者が無言で剣に手をかける。
「……それはまあ、うん」
「でしょ?♡」
笑っていた。でも、次の瞬間。
「で、ユズリハちゃんはどうする? 私のこと殺す? 冒険者さん」
笑顔のまま言った。
冒険者さん。ミルシェがそう呼んだのは初めてだった。その一言で、空気の温度が変わった。
心臓が跳ねる。握った拳の中に汗が溜まる。
目の前にいるのは魔族だ。通常なら始末対象。冒険者としての正解は、ここで剣を抜くことだ。——でも。
「……殺さないよ。さっき私を助けた相手を殺す理由がない」
「そっか♡」
ミルシェの肩から、ほんの少し力が抜けた。
「魔族の子供ってね、たまーに人間を殺したいって気持ちが全然ない子が生まれるの♡ 超レアだけど。で、それが私」
ミルシェは自分の頭のてっぺんを触りながら言った。
そんなことあるんだ。魔族にも親がいて、子が生まれる。——考えてみれば当然だけど、考えたこともなかった。
「……角は擬態できないの?」
「角だけうまく消えないんだよね♡」
ミルシェが前髪をめくって、小さな角を見せた。
「人間を殺したいって気持ちが全然ないって言ってたけど、それは本当?」
「うん、思わないよ♡ めんどくさいし」
めんどくさい。
命のやり取りを「めんどくさい」で片付けるな。
「ユズリハちゃんのこと、殺したくないよ? 嘘じゃないよ」
「……信じていいの?」
「信じるかどうかは、ユズリハちゃんが決めて♡」
ミルシェが笑った。
「でも、私はユズリハちゃんのこと裏切らないよ。約束する」
その声に、嘘の色はなかった。
「でもね」
ミルシェの目が、すっと細くなった。
「人間の苦しんでる顔とか、困ってる顔とかは……実は大好き♡」
「……っ」
サドですか。
「ねぇ、ユズリハちゃん♡ 見せてくれる? 苦しんでるところ」
ぞくり、と背筋が震えた。
一瞬だけ見えた、魔族の本性。甘い声なのに、どこか粘つくような響き。
でも、すぐにいつもの調子に切り替わった。
「あはは、怖がらせちゃった?♡ ごめんね」
「……魔族っぽいな」
「でしょ?♡ これでも一応、魔族だから」
私は、少しだけ力が抜けた。
「……驚かさないでよ」
「だって、ユズリハちゃんの困った顔、可愛かったんだもん♡」
「ねぇ……見せてくれる? 本当の姿」
私は言った。今見ているのは擬態越しの姿だ。それじゃ足りない。
「え、いいの?♡」
「全部見てから今後どうするか決めたい」
「……分かった」
ミルシェが目を閉じた。空気が、変わった。
彼女の目が開く。瞳が、赤く輝いていた。透き通った、宝石みたいな赤。
肌に淡い紋様が浮かび上がっていく。そして、前髪の奥から覗く小さな角が、ほんの少しだけ大きくなっていく。白くて、内側にゆるく曲がっている。
「どう?♡」
息を呑んだ。
人間じゃない。体が、そう訴えている。これが生きている「魔族」の姿。
でも——表情は、いつもと同じだった。屈託のない笑顔。
「……怖い?」
角を両手で隠すように触れている。無意識なんだろう。
「…………」
怖くない。
見た目は怖い。それは嘘じゃない。
でも、この目は。私を殺そうとしている目じゃない。ただ不安そうに、私の反応を待っている。それだけだ。
「……怖くない」
「ほんと?♡」
「うん。なんでか分かんないけど」
ミルシェが嬉しそうに笑った。
「良かったぁ♡ 嫌われたかと思った」
「嫌ってないよ。……たぶん」
「たぶんって何♡」
「……ミルシェの両親って、今どうしてるの?」
聞いてから少し後悔した。踏み込みすぎたかもしれない。
でもミルシェは少しだけ間を置いてから答えた。
「……生きてると思う。たぶん」
いつもの調子じゃなかった。
「でも、もう会ってない」
「……なんで?」
「私のお父さんもお母さんも、人間を殺すことしか考えてないの」
ミルシェは角を触りながら言った。
「怒ってるとか、憎んでるとかじゃないよ。ただ、それしかないの。殺すこと以外の感情が……ないの」
「…………」
「子供を作るのも、種を増やすため。私を産んだのも、そう。嬉しいとか、愛おしいとか……たぶん、なかったんだと思う。魔族はみんなそう」
馬車の中で聞いた言葉が蘇った。
『繁殖目的』。『愛してるみたいなのは……なかった』。
あの時は軽い調子で、あっけらかんと話していた。
でも今、目の前のミルシェは笑っていない。
「私はね、なんでか分かんないけど……人と一緒にいると楽しいって思っちゃうの。おかしいよね。魔族なのに」
「…………」
おかしくない。そう言いたかった。
でも、ついさっきまでこの子を疑っていた口で言えるほど、私は厚かましくない。
「お父さんたちと一緒にいられなくなったのは、嫌われたからじゃないよ」
ミルシェが空を見上げた。
「嫌うっていう感情も、たぶんないから」
「…………」
「ただ……根っこが違うの。同じ場所にいるのに、同じものを見てないの。言葉は通じるのに、何も伝わらないの」
……想像しようとした。感情のない親の元に生まれて、自分だけが違う。それがどれだけ孤独か。
想像しきれなかった。
「ねぇ、ユズリハちゃん」
ミルシェが私を見た。
いつもの甘い語尾がない。不安でも、悲しみでもない。もっと静かな、諦めに似た何か。
「人間を殺したい魔族と、殺したくない私。……共存できると思う?」
気の利いた言葉なんて、出てこなかった。
「……だよね」
ミルシェが小さく息を吐いた。
「冒険者になったのはね」
少しだけ間があった。
「ありのままの私でいられる場所が、ここしかなかったから」
あの夜の声が蘇った。
『え? 報酬に決まってるじゃーん♡』
冒険者になった理由。帰り道で聞いた、ミルシェの答え。
あれは表面上の言葉だった。
「魔族の中にいたら、殺したくないのに殺すのが当たり前の場所で、ありのままの私じゃいられなかった。人間の中にいても、魔族だってバレたら終わり」
「…………」
「冒険者って、名前と実力があれば何も聞かれないでしょ? ……ここだけだったの。私が私でいられる場所」
私は黙って聞いていた。
何を言っても、軽くなる気がした。
……この子はずっと、一人でこれを抱えてきたんだ。笑って、ふざけて、何でもないふりをしながら。
「……あはは、ごめんね♡ 暗い話しちゃった」
ミルシェの声に、いつもの甘さが戻る。
でもさっきの表情を見た後だと、この切り替えが逆に痛い。
「暗くないよ」
「え?」
「暗い話じゃない。……教えてくれて、ありがとう」
ミルシェが少しだけ目を見開いた。
そしていつもより小さな声で言った。
「……うん♡」
しばらく、二人とも黙っていた。
ミルシェはまだ擬態を解いたままだった。少し大きくなった角が、夕暮れの光を受けている。
その時、私は無意識にポケットの中のアルミ玉を握っていた。
癖だ。緊張すると、つい握ってしまう。
瞬間、視界が変わった。
「……え?」
ミルシェの体に、何かが見える。
文字のような、記号のような、光る線。体の中に張り巡らされた、複雑な模様。
コードだ。生きたコードが、ミルシェの体の中で脈打っている。
魔物と同じ――?
私は目を凝らした。
何がどう流れて、何を制御しているかが至近距離で見える。仕組みだ、これは。
その流れを追っていくと……何箇所か、同じ動きを繰り返している部分がある。
光の線が、何かに手を伸ばしている。でも、その先には何もない。空を掴んで、戻ってきて、また伸ばす。それを何度も、何度も繰り返している。
そのたびに小さなノイズが走って、周囲のコードが揺れていた。
……何を呼んでるんだ、これ。私は無意識に手を伸ばしていた。空振りを繰り返している部分に、指先で触れるように、そっと。
「ひゃっ……!」
ミルシェが小さく声を上げた。
びくん、と体が跳ねる。
「え」
「な、なに今の……っ」
ミルシェが自分の体を抱くようにして、頬を赤くしている。
「ちょ、ユズリハちゃん、今なにした……?」
「いや、ちょっと触っただけ……!」
「触っただけって……っ、変なとこ触んないでよぉ……♡」
変なとこって言われても、見えてる光の線に触れただけなんだが。
……でもミルシェの反応を見ると、体の中の術式に触れるのは、本人にとってはかなり直接的な刺激らしい。
「ご、ごめん……」
「もう……びっくりした♡」
ミルシェが潤んだ目でこちらを睨んでいる。
睨まれてるのに声が甘いせいで、全然怖くない。
私はアルミ玉を見つめた。この玉を握ると、見える。魔物の体にあるコード。そして、その中のおかしな部分。
さっきの空振り。呼び出そうとして、見つからなくて、また呼ぶ。あれは角の擬態とは別の話だ。もっと根の深いところで、ミルシェの中の何かが欠けている。
……殺意か? さっきミルシェは言った。「殺したいって気持ちが全然ない」と。もしあのコードが殺意を呼んでいるなら、見つからないのは筋が通る。
でも、推測だ。比較対象がない。普通の魔族のコードを見ないことには、確かめようがない。
私の頭の中で、何かが繋がりかけていた。角ウサギ。他の魔物。そしてミルシェ。共通する仕組み。
バグ。
魔物も魔族も、同じコードで動いている。そして私にはその中身が見える。
「ユズリハちゃん? どうしたの?」
改めてミルシェが不思議そうに私を見ている。
「……ちょっと確認したいことがあるんだ。分かったら話す」
私は言った。
「え、なになに? 気になる!」
「まだ分かんないんだよ。もうちょっと調べたい」
「えー、教えてよ♡」
「だから、分かったら!」
「ケチ♡」
ミルシェが頬を膨らませた。
さっき「人間の苦しむ顔が好き」と言っていたのが嘘みたいな、子供っぽい仕草だ。
私は小さく笑った。怖さは、もうなかった。
魔族だって知った。本性も見た。でも、怖くない。この子は、ラークやミナとは違う。
根拠を言語化できないけど、そう思えた。
「じゃあ、またね♡」
「うん。また」
ミルシェが手を振って去っていく。
私はその背中を見送りながら、アルミ玉を握りしめた。
明日。ソロンに聞いてみよう。
あの空振りが本当に殺意なのか。もしそうなら——その呼び出しを止められるのか。




