薬草日和の地雷
朝のギルド前は、ちょっとした出勤ラッシュだ。
武装した冒険者たちが続々と集まり、依頼ボードの前で今日の稼ぎを品定めしている。革鎧の匂いと、朝飯代わりの肉串を齧る音。前職の通勤電車とは何もかも違うのに、「出社前の空気」だけは妙に似ている。
……馴染んできたな、この生活。
この前の遺跡探索の筋肉痛が、まだ太腿に残っている。あの階段を設計した古代人は本当にどうかしている。
パーティを組んでそれなりに経つ。友達じゃない、仕事仲間だ。同じ案件を回してる同僚みたいなもの。……前の同僚は剣も魔法も使えなかったけど。
いつもの集合場所に着くと、ミルシェとリコがすでに待っていた。
「ユズリハちゃーん♡ おはよう!」
ミルシェが手を振りながら駆け寄ってくる。朝から元気だ。
「おはよう」
「おはようございます、ユズリハさん」
リコも丁寧にお辞儀をした。
そして、少し遅れてセリアが現れた。相変わらず無表情で、壁際に立っている。
「おはようございます、セリアンディエル様」
リコが頭を下げた。
セリアが小さく頷いた。挨拶というより、存在の確認。いつものことだ。
フィルはまだ魔法協会の任務中で、戻るのは当分先だ。
というわけで、今日も女子四人での依頼だ。
「今日は何にするー?」
ミルシェが依頼ボードを眺めながら言った。
私も隣に立って依頼書を見る。セリアもいつの間にか横に来ていた。
ミルシェがこちらを見て、にやりと笑った。
「この前も帰り道、隣でしたよね♡」
「……たまたま」
セリアが素っ気なく答えた。
ボードの上段に気になる依頼書があった。私じゃ微妙に届かない。
「セリア、その右上の取って」
セリアの目が、一瞬だけ細くなった。
……が、何も言わずに手を伸ばし、依頼書を取った。文句も溜息もなく、ただ差し出してくる。
便利だ。背の高いエルフは頼もしい。
ミルシェが何か言いたげに口を開きかけて、閉じた。リコが目を逸らしている。……なんか気まずい。
馴れ馴れしいとかきっと思われてるんだろうけど、背の高い人に取ってもらった方が早いんだから仕方ない。
「今日はこれにしない? 薬草採取」
本来は低ランクの依頼だが、採取地が森の奥で魔物に遭う可能性があるらしく、Cランク扱いになっている。
遺跡で打った痣がまだ痛む。今日くらいは軽めでいきたい。
「採取がメインだし、たまには軽いのでいいでしょ」
「賛成です。のんびりできますね」
「ピクニックみたい♡」
……魔物遭遇の可能性があるピクニックとは。
ミルシェとリコは乗り気だ。問題はもう一人。セリアに目を向けた。
「Cランクの任務だけど、付き合ってもらっていい? あの階段のせいでまだ筋肉痛なの」
「……それで冒険者?」
「魔法使いなんで。体力は管轄外です」
「…………」
否定しない。つまりOKだ。最近、この沈黙の種類が分かるようになってきた。
今のは「好きにしろ」の沈黙。「話しかけるな」の沈黙はもう少し圧が強い。
了承と見なして、依頼を受注した。
王都から少し離れた森。
木漏れ日が差し込む穏やかな場所で、私たちは薬草を探していた。
鳥の声。踏みしめた落ち葉が湿った音を立てる。土と青草の匂いが風に混じって、街中の空気とは全然違う。依頼でもなければ、こういう場所には来ない。……悪くないな、たまには。
最近は飯を選べるようになった。毎日同じパンを齧ってた頃が嘘みたいだ。
虚ろの迷宮は、まだ遠い。……でも、あの頃よりはマシだ。確実に。
……と、足元の茂みにリコがしゃがみ込んだ。
「これが月光草ですね。青い葉脈が目印です」
リコが薬草を見つけて、籠に入れていく。
「こっちにもあったよー♡」
ミルシェも楽しそうに薬草を摘んでいる。
私も周囲を見回しながら、目当ての薬草を探した。
セリアは少し離れた場所で、一人周囲を見回していた。Aランクが薬草摘みの護衛。贅沢にも程がある。
……今のところ、魔物の気配はないけど。
籠の中の薬草もだいぶ集まってきた。戦闘もないし、今のうちに試しておきたいことがある。
「ねぇ、ちょっと実験していい?」
私は薬草採取の手を止めて言った。
「実験? 何するの?」
ミルシェが興味津々で近寄ってくる。
「バグ・スウォームの改良版。群れを分割して、別々に動かせるようにしたいんだよね」
ポケットの中のアルミ玉を握る。
今のバグ・スウォームは、全員が同じ敵に突っ込むだけ。一匹にしか仕掛けられない。……二匹目が来たら? 死ぬ。シンプルに詰む。
だから、群れを分けたい。一つの群れを複数に割って、同時に別の標的を追わせる。
「羽虫の群れ」
まずは小規模で試す。
十匹ほどの火の蟲が、私の周囲を飛び回った。
「えーと、こっちに三匹、あっちに七匹……」
私は意識を集中させ、蟲たちを二手に分けて動かそうとした。
……難しい。右手と左手で別の絵を同時に描くような感覚だ。片方に意識を向けると、もう片方が勝手に合流しようとする。引き離してもまた寄る。磁石か。
「すごーい♡ 蟲さんたち、言うこと聞いてる」
ミルシェが拍手した。
「まだ全然ダメ。もっと精度を上げないと」
私は眉間にシワを寄せながら、蟲たちの制御を続けた。
……漫画の蟲使いは涼しい顔でやってたのに。現実は全然スマートじゃない。
ふと顔を上げると、少し離れた場所でセリアが私を見ていた。
「……何か?」
私が声をかけると、セリアは何事もなかったように視線を逸らした。
森の奥を睨むように見つめている。
……なんだったんだ、今の。
薬草採取が一段落した頃、ミルシェが私に近づいてきた。
「ユズリハちゃん、見て見て♡ この花、可愛くない?」
手には、小さな青い花。
確かに可愛い。
「うん、可愛いね」
「髪につけてあげる♡」
「え、いいよ別に……」
言い終わる前に、ミルシェは私の髪に花を挿していた。
「えへへ、似合う♡ ユズリハちゃん可愛い♡」
「……お、おう」
花を髪に飾るなんて、ちょっとむず痒い。
至近距離で見上げてくる大きな瞳が、木漏れ日を受けてきらきら光っている。ふわふわの栗色の髪が風に揺れて、額の小さな角がちらりと覗いた。
……ほんとに普通の女の子みたいな顔してるよな。角さえなければ。
ミルシェはいつもこうだ。距離感がバグっている。でも、嫌じゃない。
「ユズリハちゃんの髪って、真っ黒で綺麗だよね♡」
「そうかな……?」
「珍しいから♡」
ミルシェが私の髪を触りながら言った。まあ、この世界じゃそうか。
……触るのは一言断ってからにしてほしいが、言ってもきっと直らないだろうな。
「……薬草」
セリアの声が飛んできた。
振り返ると、セリアが近づいてきていた。ミルシェと私の間をすり抜けるように立ち、腕を組む。
「まだ足りてない」
「あ、ごめん。今戻る」
「……それと。散開した方が採取効率がいい。同じ群生地を複数人で漁ると見落としが増える」
「なるほど。……散開しろって言いながら、自分が間に入ってきてない?」
「……散開して」
「今一番密集してるの、あなたの周辺半径一メートルなんだけど」
「…………」
セリアが無言で三歩離れた。……律儀か。
「はいはい、散開しますよ」
私は素直に離れた。
ミルシェも「はーい♡」と返事をして、反対方向に歩いていく。
セリアは黙って木々の間に目を向けていた。
薬草を籠いっぱいに集めた頃、リコがセリアの元へ歩いていくのが見えた。
少し離れた場所だったが、静かな森の中では声がよく通る。
「セリアンディエル様、見張りのご報告をお聞きしてもよろしいですか?」
「……報告?」
「はい。森の奥に、何か脅威はありましたか?」
「……特には」
「そうですか。では、ユズリハさんの方角には何か?」
沈黙が落ちた。
「……何の話」
「いえ。セリアンディエル様がユズリハさんの方向を何度も確認されていたので、何か気配を感知されたのかと」
「……見てない」
「え、でも……」
「……その話はもういい」
セリアが視線を切った。
リコが小走りで戻ってくる。いつもの控えめな笑顔が、心なしか楽しそうだった。
……何度もこっちを見てた、って言ってたな。私何かしたか?
「セリアンディエル様ー! 帰りますよー!」
ミルシェの声で、我に返った。
セリアは小さく息を吐いて、三人のもとへ歩いていった。
帰り道。
木々の隙間から差し込む光が、道を橙色に染めている。
ミルシェと並んで歩いていた。穏やかな一日だった。魔物の襲撃もなく、怪我もなく、ただ薬草を摘んで帰るだけ。こんな日もある。
隣のミルシェが、小さくあくびを噛み殺した。
「ユズリハちゃんって、いつも真剣に魔法の練習してるよね」
「まあ、まだまだ弱いからね。強くならないと」
「謙虚だなぁ♡ 私なんて、才能ないから適当にやってるのに」
「ミルシェは十分強いでしょ。身体能力エグいし」
「えへへ、そうかな♡」
ミルシェが嬉しそうに笑う。
「ユズリハちゃんがいてくれてよかった♡」
「……そういうの、さらっと言うよね」
「だって本当のことだもん♡」
ミルシェが、ちらりと後ろを見た。
それから、にっこり笑って私の腕に抱きついてきた。
「ちょ、近い近い」
「えへへ♡」
離れる気配がない。
……仕事仲間、のはずなんだけどな。まあ、いいか。
セリアの気配を、背中に感じた。振り返りはしなかった。
四人で、黙ったまま歩いた。西日が、やけに眩しかった。
ギルドに戻り、依頼を完了した。
受付嬢に薬草を渡し、報酬を受け取る。
ふと気づくと、セリアの姿がなかった。いつの間にか外に出たらしい。
……挨拶もなしか。まあ、いつものことだけど。
「じゃあ、また明日ねー♡」
「お疲れ様でした」
ミルシェが手を振り、リコが頭を下げて、二人は帰っていった。
私もギルドを出た。通りにはもう誰もいない。日が落ちかけて、建物の影が長く伸びている。
少し歩いたところで、足が止まった。
路地の壁にもたれたセリアが、こちらを見ていた。腕を組んだまま、動かない。
なんでいるの。私を待ってた……?
セリアが、口を開いた。
「……一つ、聞いていい」
聞いたことのない、静かな声だった。
「何?」
「あなた、彼女と……ずいぶん距離が近い」
ミルシェのことか……? 私は少し考えてから答えた。
「まあ、向こうが懐いてくるから。……何?」
「…………」
セリアが、じっと私を見た。
「そんなに心許していいわけ?」
「え?」
何を言っているんだ、こいつは。
……でも、胸の奥がざわついた。セリアが意味もなく、こんなことを聞くはずがない。
「どういう意味……」
私が聞き返そうとした時、セリアが言った。
その赤い目が、私の顔を真っ直ぐ射抜いている。いつもの冷たさじゃない。
「彼女、魔族だけど」
――ラークの笑顔が、一瞬だけ脳裏をよぎった。
指先が、冷たくなった。
ミミミ……ミルシェ―!!!




