覗いただけ
遺跡に到着した。
森を抜けた先に、それはあった。
苔に呑まれた石造りの建物。柱は半分が崩れ落ち、残った半分も蔦にがんじがらめにされて、もう柱なのか植物なのか判別がつかない。階段は三段目から先が土に埋もれていて、入り口の上に刻まれていたであろう文字は風化してほとんど読めない。
空気が変わった。森の湿った緑の匂いに、石と土の冷たい匂いが混じっている。
……RPGのダンジョン入口だ。BGMが切り替わるところ。セーブポイントがないのが不安すぎる。
今回の依頼は王都の学術院から。新たに発見された古代遺跡の調査で、内部の文書や遺物を記録してきてほしいという内容だ。学術院の研究者には戦闘能力がないから、安全確認も兼ねて冒険者に依頼が回ってきたらしい。
「古代の神殿跡みたいですね」
リコが周囲を見回しながら言った。
「わくわくする♡」
ミルシェが拳を握ってぴょんぴょん跳ねている。遠足前の小学生か。
視線の端で、セリアンディエルが腕を組んだまま立っている。騒がしい二人とは対照的に、表情ひとつ変えない。
——セリア。いつの間にか頭の中ではそう呼んでいる。口には出さないけど。
セリアンディエル。略して「セリア」。日本じゃ100円ショップの名前だ。庶民の味方。お手頃価格。どんなに気高く振る舞っても、私の脳内では永遠に「100均」だからな。
フィルもキリヤも短縮形だ。エルフは揃って名前が長いのに、みんな普通に略して呼び合ってる。セリアンディエルだけ一文字も縮まらないのは——単に、誰も略す度胸がないからだと思う。
セリアが、遺跡の入口で足を止めた。
視線が足元の石畳をなぞり、崩れた柱を辿り、入口の奥の闇に消える。眉がわずかに寄った。
……何か気づいたのか。聞こうとしたが、もう視線を切っていた。
さっきまで珍しく喋ってたくせに、切り替えが早い。
フィルがいない以上、フォーメーションは自分たちで決めないと。でもここで指揮を率先してする人は見たところいないな……。仕方ないから私が。
「前衛はミルシェ、リコは中衛で補助に回ってもらって……。私が後衛で攻撃魔法を担当する。セリアは……」
「……セリア?」
セリアが片眉を持ち上げた。
──しまった。
怒られると思ったが、セリアの表情は怒りより戸惑いに近かった。そう呼ばれたことがないのかもしれない。
──もう開き直ることにした。
「もうセリアで良くない? 長いし。フィルだって省略形なんだから」
「……私は遊撃。全体を見る」
セリアが訝しげな表情をしながら自分の役割を告げた。しぶしぶ了承したってとこか。
遺跡の内部に足を踏み入れた途端、空気が数度下がった。壁の隙間から差し込む光が床に細い線を引いているだけで、五歩先はもう闇に溶けている。天井の高さも分からない。足音が小さく反響して、遺跡の奥に吸い込まれていった。
リアルお化け屋敷きたー。いや、普通に怖いです。
「明かり、出せる?」
セリアが私を見た。
照明係は私か。当然みたいに言うな。
明かりと言えば――火。長く保てる形状を意識すれば……。
「……やってみる」
ポケットの中でアルミ玉を握り、右手の指先に意識を集中した。
ぽとり。指先から、何かが生まれ落ちた。
淡く光りながら、私の手の周りをふわふわ漂っている。
「わぁ、蛍みたい♡」
「綺麗ですね……」
「また蟲かよ!」
お化け屋敷だけに火の玉を出したかったんだけど。……やっぱり蟲になるのか。
もう怒る気力もない。照明代わりにはなるし、良しとしよう。悟りの境地に近づいている。
後衛の私が先頭を歩く──怖いです。本来はおかしな隊列だが、明かりが私の蟲頼みなので仕方ない。ミルシェ、リコの順で続き、セリアが最後尾を歩く。
通路の壁には、等間隔で同じ紋様が刻まれている。蛍の光が当たるたびに影が揺れて、壁自体が蠢いているように見えた。時折、小さな魔物の気配がするが、私たちに気づくと逃げていく。
セリアの魔力に圧されているのかもしれない。その調子でもうずっと出てこなくて良い。
いくつかの小部屋を通り過ぎ、分岐を二度曲がった先。
大きな扉の前で、四人が足を止めた。
扉を開けると、広い部屋が現れた。
——明るい。蟲の光がなくても見える。壁面そのものが淡く発光していた。苔もない。蜘蛛の巣もない。通路の荒れ方とは明らかに異質だ。
中央には祭壇のようなものがあり、壁面から祭壇にかけて、古代文字がびっしりと刻まれている。
「ここが目的地かな」
「調査対象の部屋みたいですね。記録を取りましょう」
リコが入口付近の壁面でメモを取り出し、文字を丁寧にスケッチし始めた。
「これ、古代エルデア語ですね……。解読には専門家が必要です」
「読めないの?」
「残念ながら……。千年以上前の言語体系なので」
ミルシェも入口脇の壁に顔を近づけたが、「さっぱり♡」と首を振った。
セリアも腕を組んだまま文字を一瞥して視線を外す。読めないか、興味がないか、たぶん両方だ。
私は扉口から奥を覗くと、祭壇の側面に刻まれた一文が目に入った。
──あれ。
読める。翻訳魔法のおかげか。私は祭壇に刻まれた文字列を、目で追った。
『エルフ族の女は概ね胸が小さい。これは森の民として木々の間を駆ける際に合理的な体型であり──』
やめろ。
何の記録だよ。千年以上前の古代遺跡に刻むことがそれか。
しかも「合理的な体型であり」って、理由まで学術的に書いてあるのがタチが悪い。
私はちらりとセリアの胸元を覗いた。
…………。……標本数1で結論を出すな。いや、検証しない。しないぞ。
「ユズリハちゃん、何か分かった♡」
「……いや。何でもない」
墓まで持っていく。この情報は墓まで持っていく。
……でも、まだ他の面を見ていない。一歩、部屋の方に踏み出しかけた時——
「……待って」
セリアが片手を上げ、全員を止めた。
「……この部屋、床が新しすぎる」
私は足元を見た。
言われてみれば、ここまでの通路は苔むした石畳だったのに、この部屋の床だけ妙に綺麗だ。苔がない。
リコが真っ先に察して、扉口から数歩退がった。ミルシェもそれに倣う。
私は足を止めた。
さすがに入らない。入らないけど──奥の祭壇に刻まれた古代文字が気になる。さっき見えたのはエルフの胸事情とかいう学術的ゴミだったが、他の面にはもう少しまともなことが書いてあるかもしれない。壁の光に照らされた鮮明な刻印。千年以上前のものなのに、昨日刻まれたみたいだ。
……ここからなら見えるかも。
私は部屋に入らず、扉の外からしゃがみ込んで中を覗き込んだ。
「……何してるの」
「外から覗いてるだけ。入ってない」
「……枠に手をかけてる」
「足は一歩も──」
言い切る前に、手をかけていた扉の枠ごと、足元の石畳が崩れた。
ゴゴゴゴゴ……。
入り口だろうが関係なかった。古代の罠は、慎重な侵入者も想定済みだったらしい。
「うわあああ!?」
体が闇の中に呑まれていく。
咄嗟に何かを掴もうとした。指先が石の縁を掠め──滑った。爪の先に鋭い痛みが走る。
暗い。何も見えない。底はあるのか。どこまで落ちる?
何も分からないまま落ちていく。内臓の浮く感覚。やばい。
「ユズリハちゃん!!」
ミルシェの悲鳴が、遠ざかっていく。
ドシャッ。
背中を強打。苔と砂の堆積がわずかに衝撃を吸ったが、それでも肺の中の空気が全部叩き出された。
息ができない。声も出ない。口を開けても何も入ってこない。
──死ぬ。
一瞬、本気でそう思った。
数秒後、ようやく気管が開いて、がはっ、と呼吸が戻った。
「……っ、はぁ……はぁ……」
骨は、折れてない。たぶん。
……落とし穴って。どっきり番組以外にも存在するんだ。マットはない。
目を開けると、薄暗い空間が広がっていた。上を見上げると、かなり高い位置に光の穴が開いている。あそこから落ちたのか。
……入ってない。覗いただけだ。入り口まで崩壊範囲に含めるのは、罠としてやりすぎだろ。
……いや、罠なんだから当然か。引っかからない罠の方が欠陥品だ。
……身体を起こした。背中が軋む。
見回すと、落ちた先の壁はきれいに切り出された石だった。落とし穴じゃない。最初から設計された下層空間。
「大丈夫!? ユズリハちゃん!」
上からミルシェの声が降ってくる。
「……なんとか。打ち身くらいで済んだと思う」
受け身が良かったのか、我ながらよく無事だったと思う。
「結構深いです……ロープだと届かないかもしれません」
リコが冷静に分析している。
その時。
「……退がって」
セリアの静かな声。
次の瞬間、穴の縁から影が飛び出した。
「えっ……!?」
壁面を蹴って減速しながら、セリアが音もなく着地した。
落下じゃない。自分から跳んだのだ。
……猫でも着地音くらいするぞ。こっちは背中の打撲で涙目だっていうのに、あっちは髪一本乱れてない。同じ穴に落ちたとは思えない。
「な、なんで降りて……」
「一人にしたら、またどっかの穴に落ちる」
セリアが埃を払いながら、こちらを見もせずに言った。
信頼ゼロかよ。……まあ、三十秒前の実績がそう言っている。反論の余地がない。
セリアの視線が、一瞬だけ私の背中をなぞった。さっき強打した場所だ。それから、私の手。石の縁を掴みそこねて欠けた爪から、薄く血が滲んでいる。
目線の動きだけで怪我を把握しにきている。触りもしないし声もかけない。目視のトリアージ。効率的すぎて逆に怖い。
セリアが懐から薄い布を取り出して、こちらに放った。
「……血の匂いで魔物が寄る。拭いて」
心配じゃなくて戦術的判断らしい。
布で指先を拭きながら、ちらりとセリアの顔を覗いた。無表情。何も読み取れない。この女、ポーカーフェイスだけはSランクだ。
「歩ける?」
「う、うん……」
「……だから言った」
「何が?」
「待ってって」
一言しか言ってなかったじゃん。
「……覗いただけなのに」
「……次は知らない」
それだけ言って、セリアは背を向けた。
「セリアンディエル様ー!?」
上からミルシェの悲鳴。
「……灯りは」
「予備の灯石があります。大丈夫です」
「……合流できる道があるはず。そっちは先に進んで」
「わ、分かった! 気をつけてね!」
ミルシェの声が上から降ってくる。足音が遠ざかっていく。
私とセリアは、遺跡の下層に取り残された。
「進むしかない」
セリアが周囲を見回した。
私は立ち上がり、ポケットのアルミ玉を握り直して、右手の指先から光の蟲を灯した。蛍の淡い光が、地下の闇をぼんやりと照らし出す。
セリアが先に歩き出した。蟲の光が届く範囲は狭くて、自然と二人の距離が近くなる。
暗い通路を、蛍の光だけを頼りに進む。足音が二人分だけ、やけに大きく響いた。さっきまで四人だったのに、半分になっただけで心細さが倍以上になった。計算が合わない。
……まあ、一人じゃないだけマシか。Aランクの戦力が隣にいるのは、純粋に心強い。飛び降りてきた時は正気を疑ったけど、今はちょっと感謝してる。……戦力的に。
不意に、蟲の明かりが揺らいだ。
「……集中して」
「してる」
「してない。明かりが揺れた」
してたよ。前を見てた。前を歩いてるあんたの背中を見てただけだ。
……服の上からでも分かる背筋の良さ。背中まで美形かよ。
この暗さで唯一の戦力を見失ったら詰む。目で追うのは当然だ。
馬車の中であの空気になった後だから、何を話していいか分からない。
さっきのセリアの横顔が、頭に残っている。
「もう、いい」と言った時の、あの目。何を考えていたんだろう。
覗いただけで罠にハマり、こんなところまで落ちてきた。
今日はろくなものを覗いていない。……覗くんじゃなかった。
セリアの歩調が上がる。
私は黙ってその背中を追いかけた。




