百年の恋路
ギルドの前で、フィルが旅装束姿で待っていた。
「魔法協会から正式な任務要請が来た。二週間ほど、パーティを離れる」
「えー、残念♡」
ミルシェが肩を落とし、リコが「お気をつけて、フィル様」と丁寧に頭を下げた。
「四人でも問題ないだろう。なんせ、セリアンディエル様がいるんだ。……くれぐれも無理はするなよ」
フィルが去っていく背中を見送った。
……なんだろう、この心細さ。まだ数週間しか一緒にいないのに。
ミルシェが呟いた。
「女子だけになっちゃったね♡」
セリアンディエル、リコ、ミルシェ、そして私。
……ミルシェが言ってた『女子パーティ』、本当になってしまった。
唯一のストッパーがいなくなった。残ったのは距離感バグ女と、人間嫌いの無愛想エルフと、元囚人(誤解)の蟲使い。
まともなのは大人しい妖精だけだ。……リコ、荷が重いけど頑張ってくれ。
依頼ボードの前で、四人で顔を突き合わせる。
Cランクの採取依頼は簡単すぎるし、Bランクの討伐はフィル抜きだとリスクが高い。
リコが一枚の依頼書を手に取った。
「Bランクの遺跡調査はどうでしょう。戦闘メインじゃないので四人でもやれそうですし、報酬も悪くないです」
「お宝あるかな♡」
ミルシェが目を輝かせる。
セリアンディエルは興味なさそうに腕を組んでいる。
「遺跡調査でいいんじゃない? あなたにとっては退屈かもしれないけど、探索の方が四人でもやりやすいし」
私がセリアンディエルに言うと、彼女は少し眉を動かした。
「……別に。退屈とは言ってない」
言ってないけど、顔に書いてあったぞ。「早く終わらせたい」って。
目的地の遺跡まで、馬車で二時間。
揺れる荷台の中で、女子四人が向かい合って座っている。
フィルがいた時とは、明らかに空気が違う。なんというか……緩い。
フィルがいると、みんな無意識に背筋を伸ばしていた気がする。今は全員、姿勢が崩れている。ミルシェなんか膝を抱えてうとうとしてるし、リコは荷物にもたれかかってる。
セリアンディエルだけ相変わらず姿勢が良いけど、あれはたぶんデフォルトだ。
「フィル様いないし、今なら女子トークし放題だよ♡」
ミルシェが楽しそうに言った。
「女子トークって、何話すの?」
前職の女子トークは『残業何時間?』と『あの上司マジ無理』がツートップだった。この世界だとどうなるんだ。『昨日の魔物キモかった』とかだろうか。業界は違っても、結局ストレス源の悪口で回ってる可能性はある。
私が聞くと、ミルシェが身を乗り出した。
「普段聞けないこと! ……ねぇねぇ、セリアンディエル様♡ 何百年も生きてると、恋愛の感覚も全然違うんですか?」
あ、そっち? それにしてもストレートに聞いたな、この子。
でも、確かにそれは気になる。種族が違えば寿命も文化も違う。恋愛の仕組みだって、人間と同じわけがない。
「気になる」
私も身を乗り出した。
セリアンディエルは少し間を置いてから、ぽつりと言った。
「……エルフは、そもそも繁殖力が低い」
ミルシェが口をぱくぱくさせた。
「恋バナ振って一言目がそれ……♡」
「事実から話した方が早い」
「夢がないなぁ!?」
セリアンディエルはミルシェのツッコミを完全にスルーして続けた。
「百年に一度、子を成せれば良い方。だから……恋愛に対して、人間ほど焦りがない」
あぁ、そういう繋がりか。意外と話してくれるものなんだ。
百年に一度。……回数の問題なのか、確率の問題なのか。
詳しく聞きたいが、確実にセクハラになるのでやめておく。
ただ、生物学的に考えれば理にかなっている。代謝が低くて長寿。子を残す必要性が低い。急ぐ理由がない。エルフは数ではなく個体の寿命で種を維持する戦略なんだ。
「じゃあ、ゆっくり関係を築く感じ?」
気づけば、面接官みたいなテンションになっている。
「……普通は、数十年かけて相手を見極める。珍しくない」
「数十年……」
私は思わず呟いた。
数十年って、私の人生の大半じゃん。
それを「相手を見極める期間」に使うって、どういう感覚なんだろう。
「告白までに五十年とかかかるわけ?」
「……そういうこともある」
「気が長すぎない? 人間だったら相手が死んでるよ」
「だから人間とは合わない」
セリアンディエルが短く言った。
……何気ない一言なのに、妙な引っかかりがあった。「合わない」って言い方。理屈じゃなくて、経験から出た言葉に聞こえた。
五十年かけてようやく好きになった相手が、あと二十年で死ぬ。逆もそうだ。しわくちゃのおばあさんになっても、隣のエルフはいつまでも若いまま。
合わない。確かに、合わない。
「ミルシェはどうなの。ティフリングの恋愛事情」
ミルシェは一瞬、いつもの笑顔のまま固まった。
「ティフリングは……うーん。ちょっと複雑かも」
「複雑?」
「うちの両親は、恋愛っていうより……繁殖目的だった、かな。種族を存続させるための関係で、いわゆる『愛してる』みたいなのは……なかった」
ミルシェの声から、いつもの甘さが消えていた。
膝を抱えたまま、窓の外をぼんやり見ている。
「だから、恋愛ってよく分かんないんだよね。周りもそんな感じだったし。愛情の示し方、教わってないから」
あっけらかんとした口調。けど、その明るさが逆に痛い。
……こいつがやたら人にくっつくのは、もらえなかったものを、無意識に求めてるからなのでは。
だがそれを口に出すのは野暮だ。
ふと、セリアンディエルがミルシェの方を見ていた。
いつもの無表情。……でも、組んだ腕の指先が、わずかに二の腕に食い込んでいた。
「リコちゃんは♡ 妖精族ってどうなの?」
ミルシェが自分から話題を変えた。この空気を引きずりたくないんだろう。
リコが少し照れたように答えた。
「妖精族は……相手の魔力に惹かれるんです」
顔でも金でも肩書きでもなく魔力。
「魔力? 見た目でも性格でもなく?」
「はい。容姿や性格よりも先に、魔力の相性を感じるというか……。近くにいて心地よい魔力の方がいると、自然と惹かれていきます」
「へぇ……体質みたいなものなんだ」
「寿命は二百年ほどですから、エルフほどゆっくりではないですけど……一度好きになると、深いですよ」
「素敵♡ 身体が勝手に好きって決めてくれるんだ♡」
リコがはにかんだ。
一度好きになると、深い。……なんだろう、その言い方。妙に実感がこもっていた。
エルフ、ティフリング、妖精、人間。四種族が同じ馬車に乗っているのに、誰も他の種族の恋愛事情なんて知らない。案外そんなものなのかもしれない。
エルフは時間をかけて見極める。妖精は魔力で惹かれ合う。ティフリングは──教わる機会すらなかった。
仕組みは全員違う。でも、「誰かを好きになる」という出力だけは同じらしい。
……らしい、としか言えない。
前からうっすら思っていたことを、また思う。私には、その回路自体がないんじゃないか。
前の世界でもそうだった。周りが恋人の話で盛り上がるたびに、一人だけ字幕を読んでいるような感覚があった。仕組みは理解できる。でも自分の中に同じものが動いている感覚がない。寂しさを感じなかったわけではない。どうして自分だけ、と孤独に思うこともあった。
世界が変わっても、それは変わらなかった。バグじゃなくて、最初から実装されていない機能。
「ユズリハちゃんは♡」
ミルシェの声で、顔を上げた。
……こうやって言葉を交わしていると忘れがちだが、このパーティで人間は私だけ。エルフ、ティフリング、妖精ときて、最後に人間の番。
異世界から来た私が「人間」を代表して答えていいのか微妙だが……。
ただ、姉ちゃんとエイランを見ていると、世界が違っても関係ないんだなとは思う。言葉すら通じないところから始まって、二年で家族になった。あれはたぶん、理屈じゃない。
……姉ちゃんには、あるんだよな。私にはない、その回路が。
「人間は……人それぞれかな。みんなと比べると寿命も短いし、のんびりしてる余裕がないから、わりと勢いで突っ走るんじゃない?」
我ながら雑な回答だ。
──あれ。
三人が顔を見合わせている。ミルシェが口元を押さえて、肩を震わせ始めた。
「……何」
「ユズリハちゃん……人間の恋愛観なんて聞いてないよ♡」
「え?」
「人口の大半が人間なんだから、そんなの皆知ってるって♡」
リコも困ったように微笑んでいる。セリアンディエルに至っては、呆れたように目を逸らしていた。
……あ。
聞かれてたのは、「人間」じゃなくて「私」か。
「ユズリハちゃん自身のこと教えて♡」
「私? そういうのはあんま興味ないなぁ」
「えー、嘘♡」
「嘘じゃないって。昔から仕事の方が楽しかったし……そもそも、あんまり人に興味ないというか」
「人じゃないなら良いの?」
「え、いや、そういうわけでも……」
「もったいない♡ ギルドで結構見られてるの気づいてないでしょ」
「は? 見られてないよ」
「見られてるよ♡ 依頼書読んでる時とか、チラチラ見てる人けっこういるのに」
「ユズリハさん、私も気づいてました……」
リコまで言う。
……それは「地下牢の殺戮者」の風評被害だろう。もしくは「蟲使い」の悪評。あるいはAランクのセリアンディエルに暴言吐いてるやべー奴っていう噂。最悪、元Sランクのソロンと飲み歩いてる謎の新人っていう珍獣枠。
どの枠でもいいけど、好意的な視線なわけがない。
セリアンディエルが腕を組み直した。……退屈なんだろう。
「人に興味ないって、セリアンディエル様みたい♡」
ミルシェがニヤニヤしている。
「……一緒にしないで」
セリアンディエルが即座に言った。いつもの調子だ。
馬車が揺れる。窓の外の木々が、少しずつ深くなっていた。
会話が自然と途切れた。車輪が石を踏む音だけが、しばらく続いた。
セリアンディエルが、不意に口を開いた。
「……興味がないのとは、違う」
え?
さっきの「一緒にしないで」の続きか。
「長く生きれば……失う痛みも知る。簡単に誰かを好きにはならない」
誰も、何も言わなかった。
馬車の振動だけが、やけにはっきり伝わってくる。
「セリアンディエル様は、好きになった方いるんですか?」
ミルシェが聞いた。
空気を読んでいないわけじゃない。読んだ上で、あえて踏み込んでいる。この子、そういうところがある。
セリアンディエルの表情が、ほんの一瞬だけ強張った。
でも、すぐにいつもの無表情に戻る。
「……昔の話」
……え。いたんだ。あのセリアンディエルに?
誰にも興味を示さず、誰の誘いも断って、「簡単に誰かを好きにはならない」と言ったこのエルフが、誰かを好きになったことがある。
どんな相手だったんだろう。数十年かけて見極めて、それでも選んだ相手。
……なのに、「昔の話」としか言わない。
終わったんだ。その恋は。
「どんな方だったんですか?」
リコが控えめに聞く。
セリアンディエルは窓の外を見たまま、動かなかった。
何を見ているんだろう。流れる景色か、それとも、もっと遠いものか。
長い沈黙の後、セリアンディエルは小さく息を吐いた。
「……もう、いい」
静かな声だった。
なのに、喉の奥がきゅっと締まった。
空気が変わった。さっきまでの柔らかさが、一瞬で凍っている。
「ごめんなさい、聞きすぎました」
ミルシェが珍しく素直に謝った。
リコも「すみません……」と小さく頭を下げる。
「……別に」
セリアンディエルはそれきり黙った。窓の外を、じっと見ている。景色が流れているのに、その目は動かなかった。
口を開きかけて、やめた。好奇心で触れていい沈黙じゃなかった。
しばらく、風が木々を揺らす音だけが続いた。
ふと、セリアンディエルの横顔に目が止まった。
この前の酒場では、ワイン一杯で撃沈して、「褒めてる」とか「目の前で死なれるのは嫌」とか、普段なら絶対に言わないことを言ってたのに。今はもう、完全に壁の向こうだ。
百年の恋路。数十年かけて誰かを好きになって、それでも「昔の話」としか言わない。
私にはない感情で、何十年も誰かを想い続けて、それが終わった。あの一言の奥に何があるのか——恋をしたことがない私には、分からなかった。
……こいつの時間軸で考えると、私なんて通行人Aだ。
馬車が速度を落とし始めた。森の向こうに、石造りの影が見えている。
セリアンディエルの目が、すっと細くなった。
さっきまでの余韻は、もうどこにもなかった。




