一杯で撃沈
ミルシェが言い出した打ち上げが、数日後に実現した。
王都の酒場『銀の角亭』。
冒険者御用達の店らしく、店内は賑やかな喧騒に包まれていた。
テーブルを囲んで酒を酌み交わす冒険者たち、カウンターで一人黙々と飲む老戦士、奥の席で声を潜めて依頼の相談をしているパーティ。
異世界の酒場って感じだ。地球のファンタジー作品で見たことがある光景が、目の前に広がっている。
「ここ、おすすめなんだよ♡ 料理も美味しいし、お酒の種類も多いの!」
ミルシェが目を輝かせながら言った。
彼女の先導で、私たちは奥のテーブル席に着いた。五人がけの円卓。私の隣にミルシェ、向かいにフィルとリコ、そして一番端にセリアンディエル。
意外にもセリアンディエルは来てくれた。相変わらず興味なさそうな顔をしている。
……が、周囲はそうでもないらしい。席に着いた途端、店内のあちこちから視線が集まっていた。私にじゃない。セリアンディエルにだ。
「Aランクの」「ルミナリエルフが」「パーティ組んでるのか……」。ヒソヒソと囁く声が聞こえてくる。
有名人は大変だな。
「何にする? 私はこのフルーツカクテル♡」
「俺はエールだな。ユズリハは?」
「じゃあ、私もエールで」
パーティで酒場に来るのは初めてだ。なんか、前職の飲み会を思い出す。
酒の場は嫌いじゃない。
……そういえば、ノートの第五段階は『一番高いご飯と酒を奢らせる』だった。模擬戦は負けたけど、Aランクの冒険者なら金は持ってるはず。せめて飯代くらいは回収したい。
「私はオレンジジュースで……お酒、弱いので」
リコが恥ずかしそうに言う。
「セリアンディエル様は?」
「……水でいい」
「えー、せっかくの打ち上げなのに!」
ミルシェが不満そうな声を上げる。確かに打ち上げで水はやばい。
「お酒飲めないんですか?」
「……飲まないだけ」
「じゃあ飲めるじゃないですか! 一杯だけ! ね?」
飲ませたがりかよ。
ミルシェの押しに負けたのか、セリアンディエルは小さく溜息をついた。
「……ワインを一杯だけ」
「やったぁ♡」
注文を待っている間に、屈強な冒険者が一人近づいてきた。
「失礼。セリアンディエル殿、もしよければ次の高難度クエストで――」
「断る」
目も合わせず一刀両断。冒険者は苦笑して去っていった。
「……あれで何人目だ?」
フィルが肩をすくめながら小声で言った。
「ギルドでも毎日ああだ。全部断ってる」
引く手あまたのAランクが、なぜ他のAランクと組まず、私たちと一緒にいるのだろうか。
なんて思っていると料理と酒が運ばれてきた。
「じゃあ、クエスト成功を祝って。乾杯!」
フィルの音頭で、グラスがぶつかり合う。
セリアンディエルも渋々といった様子でワイングラスを掲げた。
——ふと、前方からいい香りがした。花のような、でも甘すぎない。フィルだ。
「ねぇフィル、エルフっていい匂いするよね。体質?」
「俺は香油だな。ただ、エルフは体臭自体が薄い。残るのは体本来の匂いだけだ」
フィルは香水かよ。じゃあセリアンディエルの良い香りは、なんだ? 香水か体質か。
「しかし、ユズリハの魔法は独特だな。見たことがない系統ばかりだ」
料理をつまみながら、フィルが話題を変えた。
「ワーウルフが面白いくらい転んでたよね♡ あの蝉の音もヤバかった♡ あれ屋内で使ったらどうなるの?」
「この店で出したら全テーブルのジョッキが割れる」
「そんなに!?」
「……開発中に自分の鼓膜が死にかけたから、あながち冗談でもない」
フィルとリコが引いている。ミルシェだけが「天才じゃん♡」と笑っていた。
……そういえば、あれを至近距離で食らったセリアンディエルは平然としている。顔が歪んだのは見えたのに、耳がやられた様子はない。
なんで無事なんだ、この人。セリアンディエルは無言でワインを飲んでいる。会話に参加する気はないらしい。
……耳もメンタルも鉄壁か。
「そういえばさ、フィルも魔法協会だよね。私も籍だけ置いてるんだけど、全然活動してなくて」
ふと気になって聞いてみた。
「ああ。ユズリハは最近入ったんだろう? 強くなればその分、魔法協会での仕事も増えるぞ」
「いつか私にも仕事が振ってくるのかな。……そもそもさ、フィルはなんで魔法協会に入ったの?」
フィルはジョッキを傾けながら、遠い目をした。
「……暇つぶしだ。エルフは長く生きる。新しいことに手を出さないと、頭がおかしくなる」
……長寿ゆえの悩みか。深く聞ける空気でもなかった。
「実は近々、協会から任務の打診が来ていてな。短期間だが、パーティを離れることになるかもしれない」
「えー、フィルいなくなっちゃうの?」
ミルシェが残念そうな声を上げる。
「一時的にだ。長くても二週間程度だと思う」
「魔法協会の任務って、どんなことするの?」
私が聞くと、フィルは少し考えてから答えた。
「ランクが上がれば分かるが……冒険者ギルドでは扱えない案件だな。魔族絡みの調査や、面倒な相手と当たることもある」
対魔族の組織だからそりゃ魔族絡みの任務にはなるか。
私もいつかそういった依頼をこなすことになるんだろうが……同じ協会員のフィルが冒険者パーティから抜けるとなると、少し心細いな。
魔法協会所属のエルフといえば、認定試験の時に会ったキリヤを思い出した。本名はキリヤンサス・エル……なんとか。エルフの名前は長い。
「ねぇフィル、本名なんていうの?」
「俺か。フィルヴァン・エル・グラシエ・ノルディウスだ」
「やっぱ長いな……」
「お互い協会員だし同じパーティだ、正式名で覚えておいた方がいいぞ。……まあ、呼び方はフィルでいいが」
エルフの仲間は増やさない方が良いかもしれない。正式名称を覚えてたら脳のキャパがやられる。
フィルヴァ……もう無理だ。
……名前といえば、私にも不本意な名前がある。
「ねぇ、私の二つ名『蟲使い』って……もうちょっとマシなのつかなかったのかな」
「いいじゃん♡ 可愛いよ♡」
「可愛くないよ。フィルは『氷剣』でしょ? かっこいいじゃん。『蟲使い』と『氷剣』。この格差なんなの」
「二つ名は登録試験の時に見せた魔法で決まることが多いからな。……蟲を見せたなら、まあそうなる」
「否定できないのが悔しい」
「セリアンディエル様は魔法協会に入ってないから、二つ名はないんですよね」
リコが言った。
「……興味ない」
——いいこと思いついた。
「じゃあ私がつけてあげよっか。『絶対零度』とか。性格的な意味で」
セリアンディエルの目が、すっと細くなった。
フィルが目を逸らした。リコが両手で顔を覆っている。
……なんだよ。言ってることおかしくないだろ。
「……次の依頼で盾にする」
「やめて。死ぬ」
ほら、本人が殴り返してきてるんだから、これでいいんだよ。変に気を遣う方が失礼だ。
リコは慌てて話題を変えた。
「フィル様がいない間、どうしましょう?」
「セリアンディエル様がいるから戦力は問題ない。ただ、俺がいない分、指揮系統だけは決めておけ」
「女子パーティだね♡」
ミルシェが楽しそうに言った。
セリアンディエル、リコ、ミルシェ、そして私。確かに女子だけになる。
……フィルがいないと、唯一のストッパーが消えるな。大丈夫かこのパーティ。
宴もたけなわ。
テーブルには空いた皿が積み重なっている。……エルフ二人の前だけ、ほとんど手つかずだけど。
私は三杯目のエールを飲みながら、ふとセリアンディエルの方を見た。
……あれ?
「顔赤くない?」
「……別に」
セリアンディエルはそっぽを向いたが、その頬は明らかに紅潮している。
ワイン一杯でこれ?
……でも、普段の氷みたいな表情が溶けると、なんか別人だ。シャンパンゴールドの髪が頬にかかり、潤んだ目が伏せられている。
周囲の冒険者たちの視線が、またセリアンディエルに集まっていた。さっきまでの畏怖とは違う、見惚れるような目。……こいつ、酔っても注目されるのか。燃費がいいな。
「エルフは人間に比べて代謝が低いからな。酒に弱い者が多いんだ」
フィルがセリアンディエルの方をちらっと見ながら言った。
「俺はまだそこそこ飲める方ではあるが、ルミナリエルフは特に酒に弱いと聞く」
「……弱くない」
セリアンディエルが反論するが、ろれつが怪しい。
完全に酔ってるじゃん。
「セリアンディエル様、大丈夫ですか……?」
リコが心配そうに覗き込む。
「……大丈夫」
全然大丈夫じゃない目をしている。
普段のあの鋭い眼光はどこへやら、トロンとした目で虚空を見つめている。
……あの氷の塊が、溶けかけてる。
「ねぇねぇ、セリアンディエル様って普段お酒飲まないんですか?」
ミルシェが興味津々で聞く。
「……飲まない」
「なんで?」
「……こうなるから」
…………。
自覚あるんかい。
奢らせるどころか介護しないとだめなやつじゃないかこれ。戦略が破綻した。
セリアンディエルが、じっと私を見ていた。
「……なに」
「あなたの魔法」
「うん」
「……変」
「変って言うな」
だが、セリアンディエルは構わず続けた。
酔っ払いの目で、でも真剣に。
「私には真似できない。……威力じゃなく、油で転ばせるなんて」
「真似できないって、それも遠回しに変って言ってない?」
「事実よ。……褒めてる」
セリアンディエルがグラスを傾ける。もう空だ。
もう一杯頼もうとして、リコにそっと止められている。
セリアンディエルは不満そうに……私のジョッキに手を伸ばした。
おい。人のエール取るな。やんわりと振り払う。……Aランクの威厳どこ行った。……酔うと素直になるタイプか。
「褒めてる? じゃあ、普段からそう言ってよ」
「……言わない」
「なんでだよ」
「調子に乗るから」
…………。
このエルフ。
ふと、セリアンディエルの視線が私の顔に止まった。
「……眉」
右眉の端。模擬戦で自分の蟲が弾かれた時に、火の粉で焦げたやつだ。
セリアンディエルの指が伸びて、焦げた眉に触れた。
「ちょっ」
「……まだ残ってる」
「……あんたが焼いたんでしょ」
返事はなかった。手を離されて、セリアンディエルは何事もなかったように空のグラスの縁をなぞっている。
……なんだ、今の。
今セリアンディエルは無防備な状態になっている。ここは聞いても良いかもしれない。
「ねぇ、一個聞いていい?」
「……なに」
「なんでAランクのあんたが、Bランクの依頼に付き合ってるの? 効率悪いでしょ」
セリアンディエルの実力なら、どうせパーティを組むならAランクの依頼をこなした方が稼げるはずだ。
なのに、わざわざ私たちとパーティを組んでBランクの依頼に行く。
「…………」
セリアンディエルは少し黙ってから、ぽつりと言った。
「仮にAランクの依頼を受けて、あなたたちが生き残れる保証なんてないでしょ」
「……」
「私がいたとしても、全員守り切れる保証なんてない」
守り切れる保証がない。
……え、待って。それ、守ろうとしてるってこと? 私も……?
……確かに守られてきたな。
「……人間嫌いじゃなかったの?」
「嫌い」
即答された。
「でも、目の前で死なれるのは……嫌」
セリアンディエルはそっぽを向いた。
「……新しい人と関わると疲れるから。今はこのままで良い」
セリアンディエルは目を伏せたまま、ぽつりと続けた。
勧誘を断っていたのはこのためか。
「……今のあなたたちじゃ、上は無理」
「……」
「早く……強くなって」
最後の方は、ほとんど呟くような声だった。
……強くなって。それは命令なのか、願いなのか。
私たちと一緒に、もっと上に行きたいってこと? 待ってくれるってこと?
テーブルに突っ伏し、金の髪が広がる。規則正しい寝息。——一杯で撃沈だ。
「寝ちゃった♡」
ミルシェが楽しそうに言う。
「ワイン一杯でこれって……本当に弱いんだな」
フィルが呆れたように言った。
「可愛い寝顔ですね……」
リコがこっそり覗き込む。
私もセリアンディエルの寝顔を見た。……確かに、起きてる時とは全然違う。
眉間のシワもなく、口元も緩んでいて、穏やかな表情をしている。綺麗な髪だな。本当、顔だけは良いんだよな。
「さて、送っていくか」
フィルが立ち上がり、セリアンディエルを背負おうとした瞬間。
「……いや」
寝ていたはずのセリアンディエルが、低い声で言った。
「起きていたんですか?」
「…………」
返事はない。また寝たらしい。
でも、フィルが背負おうとした瞬間だけ反応した。……よっぽど嫌だったのか、背負われるの。
「……私とミルシェで支えるよ」
私が言うと、フィルは苦笑して頷いた。
「すまないな。頼む」
私とミルシェでセリアンディエルの両脇を支え、ゆっくりと立ち上がらせる。
彼女は目を閉じたまま、私たちに体重を預けてきた。……重くはない。むしろ軽い。背高いくせに。華奢だな、この体。
「セリアンディエルの宿、どこだっけ?」
「『白百合亭』だと聞いている。ここから歩いて五分ほどだ」
フィルの案内で、私たちは酒場を出た。
夜の王都。街灯の魔法光が、石畳の道をぼんやりと照らしている。
昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
「……蟲使い」
突然、セリアンディエルが呟いた。
「その呼び方やめてって言ってるでしょ」
「…………」
返事はない。また寝言か。
「……面白い、人間」
私は思わず足を止めた。
「……は?」
セリアンディエルは目を閉じたまま、小さく呟いた。
「久しぶり……面白いと思った……人間……」
そのまま、また寝息を立て始める。
……なんだそれ。どういう意味だよ。
「ユズリハちゃん、固まってるよ♡」
ミルシェが小声で笑う。
「……固まってない」
私はセリアンディエルを支え直し、歩き始めた。
宿に送り届け、私たちはそれぞれの帰路についた。
フィルとリコと別れ、私とミルシェは並んで歩いていた。
「ねぇ、ミルシェはさ、なんで冒険者やってるの?」
「え? 報酬に決まってるじゃーん♡」
ミルシェが当然でしょ、みたいな顔で言った。
「お金稼いで、美味しいもの食べて、可愛い服買って♡ 冒険者サイコー♡」
「……ブレないなぁ」
「ブレないよ♡ 楽しく生きるのが一番でしょ!」
ミルシェらしい答えだった。
「ねぇ、セリアンディエル様、可愛かったね♡」
不意に、ミルシェが声のトーンを変えた。
「……可愛いかな、あれ」
「可愛いよ♡ 普段あんなにツンツンしてるのに、酔ったらデレデレじゃん」
デレデレ……だったか? あれが?
「ユズリハちゃんのこと、ちょっと気に入ってるんじゃない?」
「まさか。嫌われてるでしょ」
「そうかなぁ♡」
ミルシェは意味深に笑った。
「『面白い、人間』って言ってたじゃん。セリアンディエル様が人間を褒めるなんて、珍しいと思うけどなぁ」
「……知らないよ、あの人の考えてることなんて」
「そうかなぁ♡」
同じ言葉を繰り返すミルシェ。
なんだよ、その含みのある笑顔は。
「じゃ、私こっちだから♡ おやすみ、ユズリハちゃん!」
ミルシェは手を振って、路地の向こうに消えていった。
私は一人、宿への道を歩く。
面白い人間。久しぶりに。
セリアンディエルの声が、頭の中でリフレインする。
久しぶりってことは過去にもあの人にとって面白い人間がいたのか? ……なんなんだ、あいつ。
眉に触れた指の感触が、まだ残っている。
「……よく分かんないやつ」
私は小さく呟いた。
セリアンディエルの印象が、変わった夜だった。
……「面白い」って言われたのが少し嬉しかったのは、まあ、内緒だ。




