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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バグだらけの挑戦者

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36/49

バカエルフ戦略

 セリアンディエルが足を止めた。

 ゆっくりと振り返り、私を見る。その目は、相変わらず冷たい。



「……また負けたいの?」


「今度は違うから」


「おい……」



 フィルが低い声を出した。止めようとしている。

 ……ごめん、フィル。でも、ここは引けない。

 私は拳を握りしめた。



「さっきの魔法、見たでしょ。前とは違う」


「…………」



 セリアンディエルは無言で私を見つめた。

 数秒の沈黙。

 そして、薄く笑った。見たことのない表情だった。あの氷みたいな目が、ほんの少しだけ柔らかくなっている。



「……いいよ、暇だし」



 ——心臓が跳ねた。受けてくれた。

 森の中の開けた場所を見つけて、私たちは足を止めた。

 木漏れ日が地面にまだらに落ちている。風はない。静かだ。

 パーティメンバーが見守る中、私とセリアンディエルは向かい合った。



「本当にまたやるんですか……?」



 リコが心配そうに言う。



「前回みたいになりませんか……?」


「大丈夫。今回は違う」



 フィルがこちらを見ていた。何か言いたそうな顔。でも、セリアンディエルが受けた以上、止める理由がない。

 少しの間があって、フィルが口を開いた。



「……本来なら止めるところだ。——怪我だけはするなよ、お前が抜けると依頼が回らない」



 ……依頼が回らない、か。セリアンディエルがいるのに、そんなこと言うんだ。私がちゃんと戦力になっているという証。悪い気はしなかった。Bランクにここまで言わせたんだ、誇って良い。



 しかし……心臓がうるさい。良い緊張感だ。頭の中で作戦を反芻する。ノートに書き殴った「対バカエルフ戦略」。ついに実施する時がきた。

 さっきのワーウルフ戦で、バグ・オイルを披露した。あいつは油の広がりを見ていた。

 ——見ていた。つまり、対策を考えている可能性がある。

 一度見せた手は、通じにくくなる。だが見せていない手もある。——とはいえ、いきなり切り札は出さない。まずは見せた手で油断させる。

 だからこそ、今しかない。私はアルミ玉を構えた。

 セリアンディエルは腕を組んだまま、余裕の表情で立っている。剣を抜く気配もない。前回と同じだ。

 私はこの一週間、睡眠を削って作戦を三段構えにまで仕上げた。

 相手は——構えすらしない。

 ……こっちの一週間、そんなに軽い? ——その余裕、崩してやる。



「いつでもどうぞ」



 セリアンディエルが言った瞬間、私は動いた。



油蟲(バグ・オイル)!」



 第一段階、足場を奪う。

 セリアンディエルの足元に、油が広がる。



「っ……!」



 セリアンディエルの目が、一瞬だけ細まった。——油の広がりが速い。ワーウルフ戦の時より広く、薄く。いい感じだ。

 足元を取られ、体勢がわずかに傾ぐ。あの完璧な姿勢が、初めて乱れた。

 これは……いける……! 私はすかさず第二段階へ移行した。



蝉騒(バグ・ノイズ)!」



 セリアンディエルの耳元で、蝉の大合唱が炸裂する。



「ジジジジジジジジジジジジジジジジジ……!!」


「っ……!?」



 セリアンディエルの顔が歪んだ。

 足元は滑る。耳元では蝉が鳴き狂っている。

 まともに詠唱できるはずがない。

 今だ!



羽虫の群れ(バグ・スウォーム)!」



 本命の攻撃。

 無数の羽虫が、セリアンディエルに向かって殺到する。

 足場を奪い、集中を乱し、そこに大群をぶつける。

 完璧な複合攻撃。これなら――!



 だが。



 セリアンディエルは滑りながらも、片足で地面を蹴った。

 軽々とバク宙。油のない場所へ、正確に着地する。



「は? え、嘘でしょ……!?」



 体操選手ですか? 身体能力がおかしいだろ!

 油で足元取られてる状態からバク宙って何。しかも着地が完璧。審査員がいたら満点出てる。



「きゃー♡ セリアンディエル様かっこいい♡」



 ミルシェが後ろで黄色い声を上げている。



「私の応援は!?」


「してるしてる♡ ユズリハちゃんもがんばれ♡」



 ……明らかにテンションが違うんだけど。



 ——まだだ。バグ・ノイズを着地点に向かわせる。蝉の大合唱が、羽虫の群れと一緒にセリアンディエルを追った。

 逃がさない。足場は奪えなくても、耳は塞げる。羽虫も止まらない。

 着地したセリアンディエルの耳元で、再び蝉が鳴き狂う。

 その騒音の中で——セリアンディエルが、左手を掲げた。



 口が動いた。声は聞こえない。蝉の騒音が全部かき消している。

 ——でも、口の形で分かった。業火(ヘルフレイム)

 ……嘘だろ。この騒音の中で詠唱を通した?

 紅蓮の炎が、私の羽虫の群れを焼き尽くす。離れていても熱が伝わってくる。パチパチと弾ける音。悲鳴のような高周波。

 私の羽虫たちが、一瞬で灰になっていく。

 耳を塞いでいた蝉の騒音が、ぷつりと消えた。——ノイズごと、全部焼かれた。



「そんな……!」



 ——待て。前回、バグ・スウォームは火で焼かれても再生できた。水で流されて初めて詰んだ。

 なのに、今回は水じゃなくて火? あいつは水が完封できると知っているはずだ。

 ……わざとか。私がどこまで変わったか、試してる。舐めるな!

 再生だ。今なら——。

 場に残った魔力を掻き集める。蟲が形を取り戻し始めた、その瞬間。

 セリアンディエルが距離を詰めていた。

 再生の隙を、待っていたように。



「考えたね」



 セリアンディエルが言った。



「三段構え。……悪くない」



 ——え。これは、褒められた?



「……変わった魔法使い」



 独り言のように、セリアンディエルが呟いた。

 ……変わった? 蟲だからですか? 「成長したね」の変わった? 「変なやつ」の変わった? ……この人いつもセリフが短いんだよ! 語彙が少なすぎて判定できない。

 聞き返す暇もなく、セリアンディエルがさらに一歩、近づいてくる。



「でも私を倒すなら、その程度の搦め手(からめて)じゃ足りない」



 喋りながら、歩みを止めない。

 ゆっくりと。余裕たっぷりに。くそっ。

 私は反射的にバグ・スウォームを放った。羽虫が、セリアンディエルに殺到する。



「無駄」



 セリアンディエルは剣を抜かなかった。

 ただ、左手を軽く振っただけ。掌から白い光が溢れ、波紋のように広がった。

 それだけで、私の羽虫たちが弾き飛ばされた。え……風圧? いや——光だ。純粋な、光の力。弾かれた蟲が、光に触れた端から消えていく。火の粉が顔に散った。熱い。……蟲を、光で焼いてる?

 詠唱なし。動作もほぼなし。それでこの威力。

 火、水、光——きっともっとある。魔法のレパートリーがおかしいだろ。しかも光は詠唱すら省略してる。

 こいつは、想像以上だ。私が必死に練り上げた魔法を、あいつは「手を振る」だけで消し去った。



「……あれは無理だな」



 フィルの声が聞こえた。小さいけど、はっきり。

 ——リーダー、もうちょっとオブラートに包んでくれない?



 そして、セリアンディエルは歩みを止めない。

 私は後退しようとした。だが、足が動かない。

 ……違う。動かないんじゃない。動けないんだ。

 あの目に、射竦められている。捕食者の目だ。数百年を生き、無数の敵を屠ってきた者の目。

 ——こんな感覚、初めてだった。目が合っているだけで、体が動かなくなる。



 気づいた時には、剣の切っ先が喉元に触れていた。

 背筋が凍った。——いつ抜いた。見えなかった。



「……あなたの魔法は面白い。でも、魔法だけじゃ戦えない」



 セリアンディエルの声には、体温がなかった。



「相手の目を見なさい。動きを読みなさい。怯えた瞬間、あなたは死ぬ」


「っ……!」



 喉元の冷たい金属の感触。飲み込んだ唾が、刃に触れそうなほど近い。

 手も足も出ない。出せる魔法も、もう残っていない。

 一週間かけた。寝る間も惜しんで魔法を作った。作戦も立てた。第三段階まで、全部通した。

 それでも、届かなかった。



「……前よりはマシ」



 セリアンディエルが剣を離しながら言った。



「……マシ?」



 私は顔を上げた。

 セリアンディエルは相変わらず無表情だった。でも、あの冷たい目が——ほんの一瞬だけ、私を見る温度が違っていた。



「複数の魔法を組み合わせた連携、相手の弱点を突く発想。……少しは頭を使えるようになったみたいね」


「……それ、褒めてるの?」


「事実を言っただけ」



 セリアンディエルは踵を返した。



「でも、まだ蟲以下」



 ……褒めたと思ったら即落とす。この人の評価、ジェットコースターか。



「……何が足りないの?」



 気づいたら、口に出していた。

 生きた年数? そりゃ長生きできるエルフならいくらでも時間あるんだから最強にだってなれるだろ。アルミ玉で魔力はショートカットできたとして、私の戦略は悪くなかったはず。

 セリアンディエルが足を止め、振り返る。



「……聞く気があるの?」


「負けたままじゃ終われない!」



 セリアンディエルは少しだけ目を細めた。

 そして、静かに言った。



「覚悟よ」


「……覚悟?」


「あなたの魔法は厄介。でも、本気で殺す気がない。……だから読める」



 ……図星だった。

 どこかで、「まあこれは模擬戦で腕試しだ」と思っていた。人に向けて魔法を放つことにはまだ抵抗がある。殺さずとも相手を打ち負かせれば良い。そんな気持ちだった。

 何も言い返せなかった。



「二人とも、仲良しだねぇ♡」



 ミルシェが駆け寄ってきた。何言ってんだこいつ。



「「どこが」」



 私とセリアンディエルの声が、見事にハモった。



「ほら、息ぴったり♡」


「…………」


「…………」



 私とセリアンディエルは、お互いに顔を背けた。



「あ、ユズリハちゃん、眉毛ちょっと焦げてるよ?」


「えっ」



 私は慌てて顔を触った。

 ……本当だ。右眉の端が、少しチリチリになっている。自分の蟲が弾かれた時の火の粉か。



「うわ、最悪……」



 ……これって眉毛がなかったら皮膚が直接焼けてたってことだよな? 毛って偉大だな。体毛に感謝する日が来るとは思わなかった。

 ミルシェが私の顔を覗き込んできた。焦っている私を見て、なぜか嬉しそうに目を細めている。



「似合ってるよ♡ ワイルドで♡」


「フォローになってない!」



 セリアンディエルが、小さく鼻を鳴らした。

 ……今、笑った? 笑ったよね?



「何笑ってんの!」


「笑ってない」


「絶対笑った! 鼻で笑った!」


「気のせいよ」



 クソエルフめ。覚えてろ。



「さ、帰ろっか♡ 打ち上げしよーよ!」



 ミルシェが両手を上げてはしゃぐ。



「打ち上げ……?」


「そ! クエスト成功のお祝い! 今度みんなでご飯食べよ!」



 フィルとリコも「いいですね」と頷いている。

 私は少し迷ったけれど、結局頷いた。



「……まあ、いいけど」



 セリアンディエルは無言だった。

 でも、拒否もしなかった。

 こうして、私たちは王都へと帰路についた。



 帰り道。

 私はポケットの中のアルミ玉を握りしめながら、考えていた。

 負けた。また負けた。でも、前回よりは確実に進歩している。

 セリアンディエルに「マシ」と言わせた。それだけでも、価値はある。

 そして、敗因も分かった。バグ・オイルとバグ・ノイズの複合で潰すはずだった。でも、あいつは足場を一瞬で解決し、騒音の中で詠唱を通した。搦め手を重ねても、地力で突破される。

 ……小手先じゃ駄目だ。もっと根本的なやり方を考えないと。

 ……それと、もう一つ。

 『覚悟よ』。

 セリアンディエルの声が、頭の隅に引っかかっている。

 本気で殺す気がないから読める。——前も同じことを思ったはずだ。殺す気でやらないと勝てないって、自分で分かっていたはずだ。

 なのに、また同じところで止まった。……頭で分かっていることと、体が動くことは、違うらしい。



「……見てろ」



 小さく呟く。



「次は、もっとやれる」



 前を歩くセリアンディエルの背中を睨みながら、私は密かに闘志を燃やしていた。

 ——眉毛チリチリの睨みは、たぶん一味違う。迫力はないけど、執念深さなら負けない。

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