本番環境
集合場所のギルド前に着くと、すでにミルシェたちが待っていた。
「ユズリハちゃーん♡ おはよう!」
ミルシェが手を振りながら駆け寄ってくる。朝から元気だ。
「おはよう」
「今日のクエスト、楽しみだね!」
楽しみ、か。
私としては「楽しみ」というより「準備は整った」という感覚の方が近い。
ポケットの中のアルミ玉を、そっと握りしめる。
新魔法は三つ。氷蜂、油蟲、蝉騒。
一週間の成果、今日の実戦で証明してやる。
「今日の依頼は『蒼月の森・ワーウルフ討伐』だ」
フィルが説明を始めた。
「ワーウルフは魔狼の上位種だ。個体でBランク下位、群れになると連携の質が段違いに上がる。今回は五体の群れが確認されている」
魔狼の上位種。魔狼は個体ならCランク、一対一なら問題ない相手だった。
それがBランクに上がるとなると、狼系の魔物でも別物と思った方がいい。
「五体でも十分厄介ですね」
リコが補足する。
「油断しなければ問題ないと思います」
「前回みたいに一瞬で終わるかなぁ♡」
ミルシェがセリアンディエルの方を見た。
セリアンディエルは腕を組んだまま、興味なさそうに視線を逸らしている。
「……さっさと行こう」
相変わらずの塩対応。
私の方は見向きもしない。挨拶すら目を合わせないの、徹底してるな。嫌いにも程がある。
……まあいい。今日の実戦で、新魔法の実力を見せてやる。
蒼月の森は、王都から馬車で三時間ほどの場所にある。
鬱蒼とした針葉樹の森で、昼間でも薄暗い。木々の間から差し込む光が、青白く霞んで見えることから「蒼月」の名がついたらしい。
「この辺りがワーウルフの縄張りだ。全員、警戒を怠るな」
フィルの指示で、私たちは隊列を組んで森の奥へと進んだ。
前衛にミルシェ、中衛にフィルとリコ、後衛に私。
セリアンディエルは隊列から少し離れた位置を歩いている。群れの動きを俯瞰するつもりなのか、単に私たちと並びたくないだけなのか。……たぶん後者。
「ねぇねぇ、ユズリハちゃん、この一週間何してたの? 全然遊んでくれなかったじゃん」
道中、ミルシェが頬を膨らませて聞いてきた。
「……魔法の練習」
「えー、真面目♡ 上手くなった?」
「……なったと思いたい」
「じゃあ今日楽しみだね♡ ユズリハちゃんの魔法、かっこいいもん」
「……かっこよくはないんだよなぁ」
かっこよくないどころか、全部蟲なんだよなぁ。本当に。
森が深くなるにつれて、木々の隙間から差し込む光が細くなっていく。空気が湿って、重い。
しばらく歩くと、前方から低い唸り声が聞こえてきた。これが――。
「来たぞ……!」
木々の間から、巨大な狼が姿を現した。
灰色の毛並み、鋭い牙、血走った目。魔狼よりひと回り大きい。人間の腰ほどの高さがある巨体が、こちらを睨みつけている。
一体、二体、三体……五体。
依頼書通りの数だ。よし、早速――。新魔法はテスト環境では完璧だった。問題は、本番が想定通りに動くかどうか。
そう思った矢先、五体のワーウルフが音もなく散開した。正面に二体、左右に一体ずつ、そして――。
「後ろ!」
フィルの警告。振り返ると、いつの間にか一体が背後に回り込んでいた。
包囲されている。
こいつら、ただの獣じゃない。戦術を理解している。
「囲まれてます……!」
リコが悲鳴に近い声を上げた。
正面から突っ込んでくるんじゃない。こちらの死角を突くように、連携攻撃を仕掛けてくる。
まずい。このままじゃ――。
「フォーメーション通りに! リコは補助、ミルシェは遊撃、ユズリハは――」
「任せて」
私は一歩前に出た。アルミ玉を握り、詠唱を始める。
せっかくだ。新魔法の実戦テストをさせてもらおう。
「『凍てつく刃よ、我が敵を追え』――氷蜂!」
指先から、冷気が放たれる。
空気中の水分が凝結し、氷の結晶が生成されていく。
六角形の結晶が胴体を作り、薄い氷膜の羽が広がって——蜂の形になった。
ブーン。
羽音と共に、氷の蜂が宙に浮かぶ。
「……は?」
フィルが目を丸くした。
「なんだ、それは……蜂……?」
「氷です! 氷の魔法です!」
「……氷魔法が蜂になるの、見たことないんだが」
「私もなかったです」
「かわいい♡」
「戦闘中!!」
私の叫びを無視して、氷蜂は最も近いワーウルフに向かって飛んでいった。
「グルルッ!?」
ワーウルフが驚いて飛び退こうとする。
だが、氷蜂は自動追尾だ。逃げても無駄。
氷の蜂が、ワーウルフの胴体に命中した。
瞬間、氷が爆発的に広がる。ワーウルフの体が、みるみるうちに凍りついていく。
「グ、ガァ……ッ」
断末魔と共に、一体目が氷の彫像と化した。
……えぐ。蜂に刺されると痛いとは言うけど、これは痛いなんてものじゃない。やってることが残酷すぎないか。私が作ったんだけど。
「す、すごい……」
リコが呆然と呟く。だが、感想に浸っている暇はない。
残り四体のワーウルフが、仲間の死に激昂して突進してくる。
「前は任せて!」
ミルシェが飛び出し、先頭の一体の突進を受け流した。フィルも氷魔法を展開して左翼を抑える。
今だ。二人が引きつけている間に。私はアルミ玉を握り、反対の手を地面に向けた。
「『大地よ、その摩擦を失え』――油蟲!」
魔力が地面に浸透する。
ワーウルフたちの足元が、テカテカと光り始めた。
透明な油のような液体が、地面一帯に広がっていく。
「ガルッ!?」
先頭のワーウルフが、油を踏んだ瞬間。
ズルッ。
盛大に滑った。四本の足が全部持っていかれて、巨体が地面に叩きつけられる。
後続のワーウルフたちも、次々と転倒していく。
「ギャンッ!?」
「グルァッ!?」
狼たちが四肢をばたつかせている。立ち上がろうとしても、油で滑ってまた転ぶ。一頭が渾身の力で立ち上がりかけて、別の一頭に突っ込んで共倒れした。
Bランク魔物が将棋倒しになっている。絵面がひどい。
「あはははは♡ めっちゃ滑ってる♡」
ミルシェが腹を抱えて笑っている。戦闘中だぞ。
「なんだ、あれは……」
フィルが呆然と呟いた。
リコも目を丸くしている。
「ユズリハさん……これ、何の魔法なんですか……?」
「摩擦を消す魔法です」
「……なんかぬるぬるしてますけど」
「仕様です」
仕様じゃない。バグだ。私が一番よく知っている。
ふと視線を感じて、横を見た。
セリアンディエルが、油の広がった地面をじっと見ていた。腕を組んだまま、表情は変わらない。でも、あの目が——油の広がりと、ワーウルフの足元を、交互に追っている。
……何を考えてるんだ、あいつ。
そこに、ガリッ、と嫌な音が割り込んだ。
共倒れした一頭が爪を地面に深く食い込ませ、油を引き裂くようにして身を起こしていた。四肢を震わせながらも、血走った目でこちらを睨む。
動きは封じた。でも、殺意まではこの油じゃ潰せない。残り三体はまだもがいているが、こいつのように力任せに抜け出す奴がいつ出てもおかしくない。
フィルとミルシェが、立ち上がりかけた一頭を挟んで牽制している。
「凍らせたのが一体、転ばせたのが四体。五体全部抑えた! あとは止めを——」
順番にバグ・スウォームを叩きつければ勝ち!
「……数、合ってる?」
セリアンディエルの声が、背後から聞こえた。
「え? 数ってワーウルフのこと? 五体じゃん、依頼書通りだけど」
「依頼書を信じすぎ。……上」
セリアンディエルの視線が、木の上に向いていた。
見上げた瞬間。
枝の上に、六体目がいた。灰色の巨体が、私めがけて落下してくる。牙が剥き出しになっている。
——体が勝手に動いた。
「物理障壁!」
頭上に、透明な障壁が展開される。
ただし咄嗟に張った分、いつもより薄い。
六体目の爪が障壁に直撃した。衝撃が腕に伝わる。耐えた——が、二撃目は持たない。
白い光が、視界を横切った。
ザンッ。
六体目のワーウルフが、真っ二つになって私の左右に落ちる。
血飛沫が頬にかかった。内臓の匂いが鼻をつく。
セリアンディエルが、私の前に立っていた。金の髪が、血飛沫の中で揺れている。横顔は相変わらず冷たくて、綺麗で——腹が立つ。
「……五体を一人で抑えた。悪くないね」
振り返りもせずに、セリアンディエルは言った。
「……でも依頼書の数を鵜呑みにした。戦場では、情報は常に古い」
「っ……」
反論できない。
情報は常に古い。つまり、偵察時点の五体がそのままとは限らない。合流した個体がいたのか、見落とされていたのか。
セリアンディエルは剣を一振りして血を払った。刃が、うっすらと白く光っている。残りの四体に向き直った。
「……止めは刺しておく」
次の瞬間、セリアンディエルの姿が消えた。
白い光の残像だけが、四筋——
ザンッ、ザンッ、ザンッ、ザンッ。四つの斬撃音が、ほぼ同時に響いた。
「……終わり」
セリアンディエルは剣を鞘に納め、踵を返した。
四体のワーウルフが、斬られたことにも気づかないまま崩れ落ちていく。
「……一瞬で四体……」
フィルが絶句していた。ミルシェですら言葉が出ないようで、口を開けたまま固まっている。
「帰ろう」
「…………」
私は立ち尽くしていた。
頬についた血が、ゆっくりと乾いていく。引きつるような感触が、肌に張りつく。
五体を抑えた。新魔法は通った。
でも、結果的に死にかけた。見落としていた六体目。あの爪がシールドを割っていたら、今ごろ私の頭は——。
胃の底が、じわりと冷える。さっきまでの高揚感が、嘘みたいに引いていく。
拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。なのに、出てきた言葉は別のものだった。
「……ありがとう」
セリアンディエルは足を止めなかった。
ただ、小さく。
「……次は、自分で気づきなさい」
それだけ言って、歩いていった。
「…………」
……またか。
結局、最後はセリアンディエルに助けられる。
「依頼書に五体と書いてあるから五体」——書いてある通りに動くと思い込んで、自分の目で確かめなかった。合流してたのか、子供が生まれてたのか知らないけど、確認しなかった私が悪い。
——いいじゃん、セリアンディエルがいるんだから。あいつに任せておけば死にはしない。
その考えが浮かんだ瞬間、自分で自分の頬を叩きたくなった。
駄目だ。それは、駄目だ。誰かの後ろに隠れているだけじゃ、帰れない。私は強くならないといけない。
「ユズリハさん、すごかったですよ」
リコが慰めるように言った。
「あの魔法、とても強力ですね。……見た目は、その、独特ですけど」
「……ありがとう」
独特。
オブラートに包んでくれてありがとう、リコ。
でも目が泳いでたよ。私の魔法が全部蟲ベースなの、引いてるでしょ。知ってる。私だって最初は引いた。
「でもでも、蜂はかわいかったよ♡」
ミルシェが私の腕に抱きついてきた。
「あれ飼えないの? ペットにしたい♡」
「ただの氷魔法だから無理でしょ、生き物じゃないんだから」
「えー♡」
残念そうにしないでほしい。凶器だから。
「ユズリハちゃんが敵だったら怖いなぁ。滑って転んで蜂に刺されて凍るんでしょ?」
「……そう言ってもらえると、開発した甲斐があるよ」
まあ、本来の目的は別にあるんだけど。
私はチラリとセリアンディエルの背中を見た。彼女は相変わらず、一人で先を歩いている。
ワーウルフには通用した。でも、こいつらは本番じゃない。
バグ・オイルで足場を奪う。バグ・ノイズで詠唱を潰す。この二つは最初から、あの背中に向けて設計したものだ。
ワーウルフ戦は、ただのリハーサルだ。本番は——まだ、終わっていない。……バグ・ノイズ、一度も出番がなかった。
「ねぇ」
私は声を上げた。
「また勝負しない?」




