バグだらけ
宿に戻った私は、ベッドに突っ伏した。
「蟲以下」
セリアンディエルの言葉が、頭の中でリフレインする。
悔しくて、眠れない。枕に顔を埋めた。このままじゃ終われない。
ギルドで受け取った報酬は、銀貨三百枚。私の取り分だ。Bランククエストの報酬は金貨十五枚。五人で分けて一人三枚。それとは別に、道中で倒した魔物の角の買取分も受け取った。
今までの地道なEランク・Dランク依頼が馬鹿らしくなるくらいの大金だ。
即席パーティではあったが、しばらくはこの体制で進めていくらしい。次のクエストは一週間後。ミルシェがこの間は「準備期間♡」と言っていた。
つまり、一週間の猶予がある。報酬のおかげで生活費の心配もない。宿も少しだけグレードアップした。トイレが部屋についてる。文明の勝利だ。
この一週間を、魔法開発に全振りする。
……眠れない。なら、頭を使う。
帰りに買った属性相関の本を開いた。
翌朝、ソロンの家を訪ねた。
「新しい魔法を開発したいんです」
ソロンは白髭を撫でながら、私の話を聞いていた。
「ほう。セリアンディエル様に負けたか」
「認めたくはありませんけど……」
私は項垂れた。
師匠は呆れたような、でもどこか楽しそうな目で私を見ている。
「ルミナリエルフと腕試しなど、お主の度胸には驚かされるな。で、どうする気だ」
「正面からの火力勝負じゃ勝てません。だから、搦め手を考えます」
「ほう?」
「あいつは強い。魔法も剣術も、私より遥かに上です。実戦経験でも……」
私はノートを広げた。昨夜、眠れないまま書き殴った分析メモだ。
「魔法を使うには、詠唱がいります。短くても、一瞬の集中は必要です」
「そうだな」
「剣を振るには、足場がいります。踏ん張れなければ、剣は振れない」
「うむ。続けろ」
「つまり……攻撃じゃなくて、妨害です。詠唱を邪魔する。足場を奪う。戦う前に、戦える状態を崩す」
ソロンは目を細めた。
「……悪くない発想だ」
「ありがとうございます」
「だが、実現できるかは別の話だぞ」
「分かってます。だから、実験させてください。次のクエストまで一週間あるんです」
「一週間?」
ソロンの眉が上がった。
「また一週間で新魔法を作る気か。……普通の魔法使いなら、一つ作るのに数ヶ月、あるいは数年かかるぞ」
「えっ……そんなに?」
「魔法の構築には、魔力の流れを『見る』必要がある。だが、普通は見えん。手探りで、何度も失敗を繰り返しながら形にしていく」
「……」
「もっとも、お主は羽虫の群れを1週間で仕上げてきたがな」
ソロンが、私の手の中のアルミ玉を見た。
「お主のその玉のおかげか、お主の構築力のおかげか。……まあ、好きにしろ。荒れ地は使っていい。ただし、怪我をしても自己責任だ」
「ありがとうございます、先生!」
ソロンの家の近くにある荒れ地。
周囲に人家はなく、多少派手な魔法を使っても問題ない場所だ。ここで魔法の鍛錬を何度も行ってきた。バグ・スウォームもここで開発したんだ。
……とは言ったものの。
搦め手の前に、一つだけ試しておきたいことがある。以前から温めていたアイデアだ。
「自動追尾する氷のミサイル……」
私はアルミ玉を握り、脳内でコードを組み始めた。
バグ・スウォームは火属性だから水に弱かった。なら、氷属性に変えればどうだ?
基本構造は同じでいい。私が「1」の力でバルブを開けて、アルミ玉が「100」の魔力を外から引っ張ってくる。質より量。小さな氷の弾を高速連射する。
脳内で、設計図を書き換える。
『属性:火 → 属性:氷』
変数を一つ置換するだけ。簡単だ。
バグ・スウォームのロジックはそのまま流用できる。追尾機能も、障害物回避も、時間差攻撃も。全部そのまま使える。
違うのは、出力される弾の属性だけ。
……よし、できた。と思った。
最初の三回は不発だった。魔力の流れが氷属性に馴染まず、途中で霧散する。アルミ玉越しに見える術式を睨みながら、一つずつ原因を潰していく。四回目で、ようやく形になった。
「『凍てつく刃よ、我が敵を追え』――氷結連弾!」
指先から、冷気が放たれる。
空気中の水分が凝結し、氷の結晶が生成されていく。完璧だ。これが私の新魔法――。
「……ん?」
氷の結晶が、妙な形に集まり始めた。
六角形の結晶が胴体を作り、薄い氷膜が左右に広がって——。
それはまるで――。
「……蜂?」
私の目の前に浮かんでいたのは、氷でできた蜂のような何かだった。
透明な体。薄く広がった氷の羽。そして、ブーン、という羽音まで聞こえる。
「なんで蜂みたいな形になるの!?」
私の叫びを無視して、氷の蜂(仮)は標的に向かって飛んでいった。
荒れ地に立てておいた木の的に命中し、瞬時に凍りつかせる。
かなりすんなりいった……追尾性能は申し分ない。威力も問題ない。
でも。
冷静に考える。氷は火で溶ける。
セリアンディエルの業火の前では、一瞬で蒸発するだろう。
「……やっぱり、火力じゃない。ソロンに言った通り、妨害に舵を切ろう」
元素魔法で真正面から勝負しても、勝てない。
やはり発想を変える必要がある。
「見事な蟲だったな。バグ・スウォームの属性を変えたのか」
背後から、ソロンの声がした。観察しに来たらしい。
「え、蟲じゃないです! 氷です! たまたま蜂みたいな形になっただけで……!」
「氷の羽に羽音。どう見ても蟲だろう」
「蟲じゃないってば!」
私は頭を抱えた。
なんでこうなるの。氷のミサイルを作りたかっただけなのに。
魔法の名前は……。
氷のミサイル。フロスト・ミサイル。いや、どう見ても弾じゃない。羽があって、羽音がして、追尾する。
……蜂だ。認めたくないけど、蜂だ。
変数名は中身と一致させろ。命名規則の基本だ。
——氷蜂。
翌日。
私は第二の魔法に取り掛かった。
「次は、足場を奪う魔法だ」
セリアンディエルは接近戦も強い。剣術は私の比じゃない。
でも、剣を振るには足場がいる。転んだら、剣は振れない。詠唱も乱れる。
「摩擦係数をゼロにする床……」
私は脳内でロジックを組み立てる。
摩擦とは何か。物理的には、二つの物体の接触面における抵抗力だ。
原因は表面の凹凸。ミクロレベルで見れば、どんな平面もギザギザしている。そのギザギザが噛み合うから、滑らない。
なら、ギザギザを消せばいい。
『if 地面がデコボコ → 平らにならす』
……いや、これだと地面そのものを変質させることになる。魔法の難易度が上がる。
もっとシンプルに。
『地面の上に、摩擦係数ゼロの膜を生成する』
これだ。地面を変えるんじゃなく、地面の上に「滑る層」を作る。水魔法の応用だ。薄い水膜を張って、摩擦を殺す。
私はアルミ玉を握り、地面に向けて魔力を放った。いつもの手順だ。午前中いっぱい試行錯誤して、ようやく安定した出力にたどり着いた。
「『大地よ、その摩擦を失え』――滑床!」
荒れ地の地面が、変化し始めた。
土が滑らかになり、テカテカと光り出す。
「よし、これで……」
私は目を疑った。
地面一帯に広がっているのは、透明でテカテカした油のような液体だった。触ると、ぬるぬるする。
「…………」
「ほう、これは……」
ソロンが近づいてきて、しゃがみ込んで観察している。
「油蟲の分泌液に似ておるな」
「油蟲?」
「この世界ではそう呼ぶ。お主の世界では……ゴキブリ、だったか」
私の体が硬直した。
「やめてください! その名前はNGワードです! 私の中では『G』で登録されてるんです!!」
「G? ……ふむ、では『G汁』と呼ぶか」
「最悪のネーミングセンス!!」
師匠は不思議そうな顔をしている。この世界の人には、あの生物への嫌悪感が分からないのだろう。羨ましい。
「……とにかく、効果を確認します」
私は恐る恐る、油の上に足を乗せた。
ツルッ。
「うわっ!?」
盛大に転んだ。
背中を強打して、息が詰まる。
「自分の魔法でダメージを受けてどうする……」
ソロンが淡々と言った。
「うぅ……」
私は仰向けのまま、空を見上げた。
青い空に、白い雲が流れている。なんで私は異世界まで来て、ゴk……油蟲の分泌液のようなものに滑って転んでいるのだろう。人生って、ままならない。
でも、効果はある。これを踏んだら、絶対に転ぶ。
あのクソエルフも例外じゃない。セリアンディエルが油を踏んで、優雅に転ぶ姿を想像する。
あの氷みたいな顔が、驚愕に歪んで。シャンパンゴールドの髪が、地面に叩きつけられて。
……あいつは絶対「きゃっ」とか言わないな。無言で転んで、無言で立ち上がって、無言で私を殺しに来そう。
でも、一瞬でも隙が生まれれば、それでいい。
「……名前、どうしよう」
私は立ち上がり、油を避けながら安全地帯に戻った。
油蟲の分泌液。つまり、バグ。
……いや。滑床。最初に考えた名前の方がいい。響きもスマートだし、妨害魔法らしい。
でも、目の前の現実を見る。てらてら光る油膜。水膜を作ったはずなのに、出てきたのは蟲の分泌液。
——これを「スリップ」と呼ぶのは、ちょっと違う。
油蟲。……二つ目もこれか。
三日目。
一日一つのペースで新魔法を作っている。異常な早さ。
理由は分かっている。アルミ玉だ。こいつが魔力を増幅し、魔力の流れを「見える」形にしてくれる。普通の魔法使いが手探りで積み上げる工程を、私は目で見て確認しながら進められる。
それに、魔法の構築はプログラミングとよく似ている。条件を決めて、手順を組んで、動かして、直す。前の世界で何年もやってきたことだ。道具と手順が噛み合えば、速度は跳ね上がる。
私は第三の魔法に取り掛かった。
「次は、詠唱を妨害する魔法だ」
魔法には詠唱がいる。短くても、一瞬の集中は必要だ。なら、集中できない状況を作ればいい。
以前考えたアイデアがある。「敵の鼓膜にだけ黒板を引っ掻く音を再生し続ける」。
あの不快な音を聞きながら詠唱できる人間は、多分いないはずだ。
私はアルミ玉を握り、脳内でロジックを組む。
音は空気の振動だ。つまり、風魔法の応用で作れるはず。
特定の周波数の振動を作り出せば、特定の音になる。
黒板を引っ掻く音の周波数は、確か2000〜4000ヘルツくらいだったはず。人間が最も不快に感じる帯域だ。その不規則な振動を、相手の耳元で直接発生させる。自分の手元で音を出すんじゃなく、風魔法で空気を操って、離れた場所に振動を生み出す。
これを止めるまで鳴らし続ける。相手が発狂するまで、永遠に。
……我ながら、性格の悪い魔法だ。
まずは実験だ。標的は……あの木にしよう。
「『風よ、不快なる音を運べ』――騒音!」
結果。
「ジジジジジジジジジジジジジジジジジ……!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
私はその場でのたうち回った。
うるさい。死ぬほどうるさい。鼓膜が破れる。脳が揺れる。
なんで!? 木を標的にしたのに、私の耳元で鳴ってるんだけど!?
「と、止め……『解除』!!」
音が止んだ。耳がキーンとしている。
静寂が戻った荒れ地で、私は膝をついた。
「なんで……標的を指定したのに……」
冷静に考える。
ああ、そうか。初回発動だから、座標指定がうまくいかなかったんだ。デフォルト値が「術者の位置」になっていたらしい。
……バグだ。私の魔法にバグがあった。皮肉すぎる。
それに、音もおかしい。黒板を引っ掻く音を作ったはずなのに、さっき鳴っていたのはどう聞いても蝉の大合唱だった。
「なんで蝉なの……黒板の音が良かったのに……」
「見事な蝉時雨だな」
ソロンの声が、かろうじて聞こえた。
……また来てる。三日連続だ。
「蝉時雨って言わないで! 風情があるみたいに聞こえる! これはただの騒音!」
「お主の魔力には、蟲を呼ぶ性質でもあるのかもしれんな」
呪いじゃん……。薄々気づき始めてたよ。
「先生、もしかして暇なんですか?」
「失礼な。わたしは多忙だ」
「じゃあなんで毎回見に来るんですか」
「……」
ソロンが、珍しく言葉に詰まった。
「……お主が怪我をせんか、確認しているだけだ。自己責任とは言ったが、死なれては寝覚めが悪い」
「…………」
不器用か。
私は少しだけ、胸が温かくなるのを感じた。
でも、それを悟られるのは癪なので、わざと大げさに溜息をついた。
「心配なら素直にそう言えばいいのに」
「心配などしておらん! ただの暇潰しだ!」
「さっき多忙って言いましたよね?」
「…………帰る」
ソロンは顔を背けて、足早に去っていった。
……なんか可愛く見えて来た。
さて。
私は再度、詠唱を試みた。今度は座標を明確にイメージして――。
「ジジジジジジジジジジジジジジジジジ……!!」
木の周囲で、蝉の大合唱が響き渡った。
……よし、今度は成功だ。私の耳元では鳴っていない。
でも、それでも十分うるさい。距離があっても、この音量は脳に響く。
この騒音の中で詠唱できるか? 無理だ。絶対に無理だ。
効果は、抜群だ。
「……蝉騒」
もう諦めた。蝉も蟲だから「バグ」で合ってる。
私は蟲使い。認めたくないけど、認めざるを得ない。
使えるものは使う。蟲だろうが油蟲だろうが蝉だろうが、勝てばいいんだ。
残りの四日間は、三つの魔法の精度を上げることに費やした。
座標指定の精度、発動速度、持続時間。実戦で使えるレベルまで、繰り返し練り込む。
そして最終日の夜。
私は宿の机に向かい、成果をまとめていた。
新魔法①:氷蜂
効果:氷の蜂が自動追尾して対象を凍結
備考:火で溶ける。対セリアンディエル用としては不採用。
新魔法②:油蟲
効果:地面に油を展開、対象を転倒させる
備考:自分も滑る。注意。あの生物の名前は言わない。
新魔法③:蝉騒
効果:蝉の大合唱で対象の集中を乱す
備考:自分もうるさい。敵が至近距離にいない時に使う。
油蟲は足場を奪える。蝉騒は詠唱を妨害できる。
あのルミナリエルフの「火で焼いて水で流す」に対する、有効な回答になっているはずだ。
私はノートに戦略を書き込んだ。
【対バカエルフ戦略】
第一段階:油蟲で足場を奪う
→ まず転倒させれば剣術封じ。詠唱も乱れる。
第二段階:蝉騒で聴覚を攻める
→ 蝉の騒音で集中を削ぐ。詠唱妨害。
第三段階:羽虫の群れで本命の攻撃
→ 足場と集中を奪った状態なら、対処が遅れるはず。
第四段階:土下座させて『参りました』と言わせる
第五段階:一番高いご飯と酒を奢らせる
「……ふふふ」
セリアンディエルの顔を思い浮かべる。「蟲以下」がどれだけやれるか、見せてやる。
——と、ニヤニヤしていたのも束の間。
冷静に考えれば、こんなに上手くいくわけがない。相手はAランクだ。足場が悪くなった程度で転ぶか? 騒音くらいで詠唱が止まるか?
経験の差が、そのまま対応力の差になる。私が思いつく程度の搦め手は、あいつにとっては「よくある妨害」の一つかもしれない。
でも、正面から戦って勝てる相手じゃない。搦め手が通じなかったら?
……その時は、その時だ。考えても答えは出ない。やれることをやるしかない。
窓の外から声が聞こえた。
「ユズリハちゃーん!」
ミルシェだ。
窓を開けると、下の通りにミルシェが立っていた。夕暮れ時だというのに元気いっぱいだ。
「次の依頼、明日だよ♡ 準備できてる?」
「……できてる」
——クエストの準備か、対セリアンディエルの準備か、自分でも分からない。
私は窓から身を乗り出して答えた。
「詳細は?」
「明日ギルドで説明するって♡ 楽しみにしててね!」
ミルシェは手を振って、夕暮れの街に消えていった。
私は窓を閉めた。
「……よし」
準備は整った。
実戦投入する新魔法は二つ。どちらも不本意な形だけど、効果は折り紙付きだ。
まずは第三段階まで辿り着くこと。その先のことは、その時に考える。
私はノートを閉じて、明かりを消した。




