基礎的な対処法
「なんで無視すんの」
セリアンディエルが足を止める。
ゆっくりと振り返り、私を見た。その瞳は、相変わらず氷のように冷たい。
「……何?」
「ずっと話しかけてこないし、目も合わせないじゃん。一応パーティなわけでしょ」
「あなたと話しても、得るものがないから」
「……そんなに人間が嫌い?」
「……別に。必要がないだけ」
淡々と、事務的に。まるで不要なファイルを削除するかのような口調。
ああ、駄目だ。こめかみの奥でくすぶっていたものが、一気に燃え上がる。
「……あんたさ、友達いないでしょ」
思わず、口から漏れた。
空気が、凍った。フィルとリコが息を呑む気配がした。ミルシェだけが「あっ」と小さく声を上げて、口元を押さえている。笑いを堪えているのか、驚いているのか分からない。
セリアンディエルの目が、初めてまっすぐ私を捉えた。
「…………」
返事がない。
今まで何を言っても無視か、冷たい一言で切り捨てられてきた。なのに、今は黙っている。
――あ、これ、刺さったな。
でも、もう止まらなかった。
「強いのは分かったよ。私たちとは桁違いなのも分かった。でもね、だからって何? ずっと後ろで腕組んで見てるだけで、何様のつもりなん?」
「……」
「口を開けば『無能』だの『雑草』だの。人を見下すのがそんなに楽しい? まじで性格悪すぎ」
セリアンディエルが、薄く笑った。
初めて見る表情だった。嘲笑ではない。どこか——懐かしいものを見るような。
いや、違う。あれは——。
考える間もなく、彼女が一歩前に出た。
「……いい度胸ね」
エルフ様だとか知ったこっちゃない。言いたいことをここで言わないとストレスでハゲる。
「マジでムカつくわ、あんた」
「気に入らないなら、実力で示してみたら?」
「実力……?」
「腕試し。その減らず口、黙らせてあげる」
その言葉に、私の頭に血が上った。
タイマンか。冷静に考えれば、勝てるわけがない。さっきの戦闘を見れば明らかだ。
でも、ここで引き下がる気にはなれなかった。
「……上等」
私はアルミ玉を握りながら右手を構えた。私にはこいつがいる。わんちゃんいける。
「やってやるよ」
ヤンキー映画の「喧嘩を買う」を自分で再現する日が来るとは。
――ダンジョンの広間。
先ほどオーガロードを倒した場所で、私たちは向かい合った。
フィルたちは、距離を取って見守っている。
「本当にやるんですか……?」
リコが心配そうに言った。
「いいじゃんいいじゃん♡ 面白そうじゃん」
リコの制止を遮って、ミルシェが嬉々として言う。
「……いつでもどうぞ」
セリアンディエルは腕を組んだまま、余裕の表情で立っている。
脱力した姿勢に魔法の詠唱の構えもない。完全に、舐められている。うざい。
腕試し、か。人に向けて魔法を放つのは……正直、まだ抵抗がある。私の魔法は殺傷能力がある。腕試しとはいえ、加減を間違えたら大怪我させてしまう。
……いや、あの動きを見た後でそんな心配するの、馬鹿みたいだな。
私の魔法が当たるかどうかすら怪しいんだ。殺す気でやらないと勝てない。
「っ……!」
私はアルミ玉を握る左手に力を込めた。
全力でいく。手加減なんてしない。先手必勝!
この魔法で、ソロンとの模擬戦でも一矢報いた。フォレストラットも魔狼もコウモリの大群も、全部これで片付けてきた。
私の最強の切り札。負ける気がしない。
「羽虫の群れ!」
全力の詠唱。
指先から、無数の光の粒子が放たれる。
それは瞬く間に羽虫の大群となり、セリアンディエルに向かって殺到した。
密度は、いつもの倍以上。最大火力だ。羽虫の群れがセリアンディエルを包み込む。
視界が遮られ、彼女の姿が見えなくなる。お……?
「……っ、効いて……?」
私は息を呑んだ。
いや、こういう時に「やったか」って言うやつは大体やれてない。分かってるけど、羽虫の群れがセリアンディエルの全身を覆い尽くしているんだ。このまま押し切れば――。
「業火」
短い詠唱が聞こえた瞬間。
羽虫の群れの中心から、紅蓮の炎が爆発した。
「なっ……!」
私の羽虫たちが、一瞬で焼き尽くされる。
光の粒子が、炎に飲み込まれて消滅していく。私の火魔法を火で蹴散らしただと。火力の差なのか。
でも、まだだ。形を焼かれても、場に残った魔力が再び蟲を形作る。バグ・スウォームは、倒しても倒しても湧き出てくる。それが私の魔法の強みだ。
……考えろ。正面から突っ込んで、正面から焼かれた。一点集中だから一発で処理された。なら、同時に複数方向からぶつければ、全部は捌けないはずだ。
私は蟲の群れを三方に散開させた。正面、左、背後。同時に挟み撃ちにする。
三方向から同時に殺到する羽虫の群れ。さすがにこれは――。
セリアンディエルの目が、わずかに細まった。
初めて、彼女の足が動いた。一歩、半歩。最小限の動きで背後からの群れをかわし、正面と左を同時に炎で薙ぎ払う。
——綺麗だ、と思った。
敵の動きに見惚れている場合じゃないのに、目が離せなかった。
「……少しは考えるのね」
炎の中から、彼女が姿を現す。
髪の一本も乱れていない。服に焦げ目一つない。けれど、さっきまで腕を組んでいた両手が、今は自然に体の横に下りている。
……構えを変えた? 私の攻撃で?
考えている暇はない。畳みかける。
再び蟲の群れを放った瞬間——セリアンディエルが左手を掲げた。
「奔流」
次の瞬間、大量の水が出現した。
それは渦を巻きながら、私の羽虫の群れを飲み込んでいく。
「っ!」
火で焼かれた蟲は、また生成できる。でも、水に飲まれた羽虫は――。
「消え……た……?」
私の羽虫たちが、水流に飲まれていく。光の粒子が渦に巻かれて散り、水面が蛍火のように淡く明滅した。一瞬だけ美しく輝いて――消える。場に残った魔力ごと洗い流されている。再生成できない。なら、手元から新しく作って送り込む——? 駄目だ。放った端から水に飲まれる。生成速度が、破壊に追いつかない。
え……ちょっと、これはまずいかも。
「あなたの蟲は火の魔力で構成されてる。水で消えるし、魔力ごと散らせば再生成も追いつかない」
セリアンディエルが冷ややかに言った。
「基礎的な対処法よ。こんなことも分からないの?」
私は愕然とした。
バグ・スウォームが、完全に封じられている。
火で焼かれ、水で洗い流され、一匹の羽虫も彼女に届かない。
……まさか、こんな簡単に。
私はこの魔法を「最強」だと思っていた。アルミ玉のおかげで火力、持久力、汎用性。どれをとっても申し分ない。実際、今まで負けたことがなかった。
でも、それは「対処法を知らない相手」としか戦ってこなかっただけだ。
井の中の蛙。私は、自分の魔法の弱点すら把握していなかった。ほのおタイプはみずタイプに弱い。さんざんポ〇モンで学んできたことだろ――。
「さて」
セリアンディエルが一歩、前に出た。
「もう終わり?」
私は歯を食いしばった。くそ……バグ・スウォームが駄目なら、別の手だ。
「物理障壁!」
時間を稼ぐ。考える時間さえあれば――。
セリアンディエルが、歩みを止めずに剣を一閃させた。
パキンッ。障壁が、板ガラスのように砕け散る。は??
「脆い」
やばい、もう手がない。頭が真っ白になる中、一番慣れ親しんだバグ・スウォームにすがるしかできない。
その瞬間。
セリアンディエルの姿が、目の前から消えた。
「えっ――」
背後に、気配。
障壁を再度展開しようとする。でも、遅い。
振り返る間もなく、首筋に冷たいものが触れた。剣の刃の先だ。息が詰まり、心臓がビクンと跳ねる。
「遅い」
耳元で、冷たい声が響いた。
「動きが鈍い。視野が狭い。……散開は咄嗟の判断にしては悪くなかった。それだけじゃ足りないけど」
私は動けなかった。
もし相手が魔族だったら、私は死んでた。アルミ玉を持っていても、こんなものだ。
「あなたの魔法、確かに火力はあるし魔力の出力も申し分ない。でも、それだけ」
セリアンディエルが私の耳元で囁く。
「対処法を知っている相手には、まるで無力……『蟲使い』? 笑わせないで。蟲以下の間違いでしょ」
首筋から剣が離れた瞬間、腰が砕けた。
ガクッ。
膝が地面につく――寸前で、私は残った全筋力を動員して耐えた。生まれたての小鹿のように足が震えている。
屈辱で死ぬより、筋肉痛で死ぬ方を選ぶ。私は震える足で、無理やり上下運動を開始した。
「……い、いち……にぃ……! ふぅ、戦闘後のスクワットは効くなぁ……!」
涙目で回数を数える。
誰も騙せていない。リコが憐れみのあまり目をそらしているのが視界の端に見えた。やめて、それが一番私を傷つけるから。
「精々、次はもう少しマシな手を考えることね」
振り返りもせずに、そう言い残して。
セリアンディエルは広間を出て行った。
……出て行く直前。ほんの一瞬だけ、彼女の足が止まった。
振り返りかけて——やめたように見えた。
「……大丈夫?」
ミルシェが、私の隣にしゃがみ込んだ。
「……うん」
大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。
でも、それを認めるのが悔しくて、私は無理やり立ち上がった。
「ユズリハさん、あまり気を落とさないでください」
リコが心配そうに言った。
「相手はAランク、下手したらそれ以上ですから……」
「……よく腕試しで済んだな」
フィルが腕を組んだまま、ぼそりと言った。慰めではない。事実の確認だ。
……うん。それも正しい。本気だったら死んでた。
「……分かってる」
ソロンよりも下手したら強いかも……。やばい。
一瞬にしてボスを葬ったんだ。最初から勝てるわけがないことくらい、分かっていた。
でも、ここまで何もできないとは思わなかった。
アルミ玉のおかげで火力は出せたし密度も、いつも以上だった。散開させて死角を突くことだって試した。
でも、全部まとめて流された。
属性が火に偏っている。水で消される。再生成に魔力を使う。魔力ごと散らされると補充が追いつかない。レパートリーがない。バグ・スウォームが封じられた時点で詰み。
『基礎的な対処法』。
つまり、私の魔法は、ちょっと知識のある相手には通用しないということだ。最初から、設計が間違っていた。
この世界は、実力がなければ正論すら吐けない。
「……くそ」
私は拳を握りしめた。
一番キツいのは、あいつが間違ったことを何一つ言っていないということだ。散開を「悪くない」と認めた上で、それでも足りないと突きつけてきた。感情じゃない。事実で刺された。
正論で殴られて、正論だから立てない。
「……強くなりたい」
口から、自然と言葉が漏れた。
「くそ……もっと強くなりたい。あいつに、二度とあんなこと言わせないくらい」
ミルシェが、にっこりと笑った。
「いいね、その目♡ 負けず嫌い、好きだよ」
「……」
私は重い足を引きずりながら、出口へと向かった。
……向かったはいいが、帰り道が地獄だった。
セリアンディエルは五メートル先を、振り返りもせず歩いている。私は五メートル後ろを、目を合わせないように歩いている。
さっき「友達いないでしょ」って言った相手と、同じ道を三十分。入社初日に社長の悪口を本人の前で言っちゃった新卒の気持ちが今なら分かる。
ミルシェが隣に並んで歩いてくる。
「ねぇねぇ、セリアンディエル様ってさ」
小声で、でも楽しそうに。
「ユズリハちゃんのこと、ちょっとは気にしてると思うんだよね」
「……は? どこが?」
「だって、ユズリハちゃんがピンチの時、助けてくれたし、腕試しに付き合ってくれたじゃん。本当に興味なかったら、無視するでしょ」
「……」
……言われてみれば、そうかもしれない。
でも、今はそんなこと考える余裕がなかった。さっきの戦闘が、何度も頭の中でリプレイされている。
火で焼かれ、水で流される。魔力ごと散らされる。
じゃあ、どうすればいい?
火にも水にも負けない属性の魔法を作る? ……複数の属性を使い分ける? それとも、全く別のアプローチが——。
分からない。今の私には、分からない。
でも、このままじゃ終われない。
ダンジョンを出ると、空が赤く燃えていた。
さっきの炎を思い出して、思わず目を逸らした。
「見てろよ、クソエルフ……」
私は小さく呟いた。
それから、ミルシェの方を向いた。
「ねぇ、この街に魔法の属性相関について書いてある本、置いてる店ある?」
「え? えっと……魔導書店なら、たぶん」
「帰ったら寄る」
見返してやる。そのためにまず、自分のバグを洗い出す。
SE時代と同じだ。障害が起きたら、原因を特定して、修正して、テストする。感情で解決した障害なんて、一件もない。




