番外編.こたつ
十二月に入り、空気が急に冷たくなった。
「寒っ」
放課後、娘が両手を擦りながら歩いていると、隣の女友達が笑った。
「今日めっちゃ寒いね」
「朝、布団から出るの無理だった」
「うちの猫なんか、猫用こたつから全然出てこないよ」
娘が足を止めた。
「猫用こたつ?」
「知らない?」
「猫にこたつがあるの?」
「あるよ」
女友達がスマートフォンを取り出し、写真を見せてくる。
小さなこたつだった。人間用よりずっと低く、その中から猫の顔だけが覗いている。
「かわいい」
「でしょ。うちの猫、冬になるとほぼ住んでる」
「へえ……」
娘は写真を見ながら、家の前にいる二匹を思い浮かべた。
桜耳の三毛猫。
そして、白、黒、茶に金色まで混じった四毛猫。
「外の猫でも使うかな」
「置く場所がちゃんとしてれば入るんじゃない? 寒いのは同じだし」
「そっか」
女友達は娘の顔を見る。
「三毛ちゃんたち?」
「うん」
「買う気だ」
「まだ買うとは言ってない」
「その顔は買うやつ」
◇
その日の夕食。
「ねえ」
娘が家族へ切り出した。
「縁側に猫用こたつ置いていい?」
「猫用こたつ?」
母親が聞き返す。
「そんなのあるの?」
「あるみたい。三毛ちゃんたち、最近寒そうだから」
「またあの二匹?」
「うん。二匹入れるくらいのやつ」
母親は少し考えた。
「電気使うんでしょ?」
「ペット用の低い温度のやつ。ちゃんと家の中側の縁側に置くし、コードも噛まれないようになってるの探す」
「そこまで調べたの」
「……ちょっとだけ」
「お金は?」
「私のお小遣いで買う」
母親は呆れたように笑った。
「最近、本当にあの子たち好きだね」
「まあね」
娘は曖昧に笑う。
まさか、その片方が玄関に置いてある招き猫だとは言えない。
「ちゃんと安全なのにしなさいよ」
「うん!」
許可が出た。
◇
数日後。
縁側に、小さなこたつが現れた。
猫二匹なら何とか入れる大きさ。娘は中へ柔らかな敷物まで入れている。
「完成」
満足そうに眺めてから、窓を少し開けた。
その日の夕方。
四毛猫が縁側へやってきた。
――これは。
「猫用こたつ」
隣の先輩三毛猫が言う。
――こたつ。
「知らないの?」
――見たことはあります。
本体は九十九年間、この家の玄関にいた。人間用のこたつなら何度も見ている。
しかし、自分が入ろうと思ったことは当然ない。
陶器に寒さはない。
暑さもない。
四毛猫になって初めて、冬の空気というものを知った。
鼻が冷たい。
肉球が冷える。
風が毛の間へ入り込む。
猫の身体というものは、思っていた以上に季節の影響を受けるらしい。
――娘が買ったのでしょうか。
「昨日、『三毛ちゃんたちのこたつ届いた』って言ってた」
――私のために。
「“たち”って言ってたでしょ」
先輩猫がこちらを見る。
「私も入ってるから」
――……はい。
「何そのちょっと残念そうな顔」
四毛猫はこたつへ近づいた。
入口から、ほんのり暖かい空気が出ている。
頭を入れてみる。
――……。
もう少し。
前脚。
身体。
尻尾以外が、すっぽり中へ入った。
――……暖かい。
「そりゃこたつだからね」
外から先輩猫の声がする。
四毛猫は答えなかった。
暖かい。
身体中の力が抜けていく。
外へ出ようという気が、急速になくなる。
「どう?」
――……。
「ねえ」
――もう少しここにいます。
「入って一分だけど」
◇
三十分後。
「まだいるの?」
――はい。
「帰らないの?」
――もう少し。
一時間後。
「……あんた、そろそろ本体に戻らなくて平気?」
――まだ大丈夫です。
「体力の無駄遣いじゃない?」
――暖かいので。
「理由になってない」
先輩猫は呆れていた。
だが、その日の風は冷たい。
しばらくこたつの入口を眺めていた先輩猫が、ようやく鼻先を中へ入れた。
――どうぞ。
「別に入りたいわけじゃない」
――娘は二匹のために買ったそうです。
「知ってる」
――暖かいですよ。
「知ってるって」
少しの沈黙。
やがて。
もぞもぞ。
先輩猫も中へ入ってきた。
「狭い」
――もう少しこちらへ。
「近い」
――二匹用ですから。
「猫同士だからって、そんなにくっつく必要ないでしょ」
そう言いながら。
先輩猫も出ていかなかった。
◇
「……何これ」
帰宅した娘は、縁側を見て固まった。
猫用こたつ。
その中から。
二本の尻尾だけが出ている。
一方は普通の三毛猫の尻尾。
もう一方は、金色の毛が少し混じる四毛猫の尻尾。
二本並んで、ほとんど動かない。
「かわい……」
娘はそっとスマートフォンを取り出した。
ぱしゃ。
顔は写っていない。
こたつと、そこから出ている二本の尻尾だけ。
娘は少し考え、その写真を女友達へ送った。
数秒後。
『なにこれ!!!』
返事が来た。
『入ったの!?』
『二匹とも』
『かわいすぎる』
さらに。
『これ載せていい?』
娘は笑った。
『場所分かんないようにね』
『了解』
以前、四毛猫の写真をバズらせたのも女友達だった。
まさか。
今回も同じことになるとは。
この時の娘は思っていなかった。
◇
翌日。
「やばい」
学校で女友達がスマートフォンを突き出してきた。
「何が?」
「昨日の写真」
投稿を開く。
いいねの数が、前に見た時とは桁違いになっていた。
「……なんで?」
「知らない!」
コメントも大量についている。
『尻尾だけなのに可愛すぎる』
『二匹詰まってるの想像したら無理』
『幸せの詰め合わせ』
『これ前の三毛&四毛コンビじゃない?』
『金色混じってる尻尾で分かった』
『完全に住んでる』
『こたつ買った人天才』
『冬の優勝写真』
娘は笑いを堪える。
「顔すら写ってないのに」
「前より伸びてるんだけど」
「四毛ちゃん、尻尾だけでバズったんだ……」
「三毛ちゃんもいるから!」
「そうだった」
◇
その夜。
『またバズったそうね』
鏡台が言った。
――またですか。
『今度は尻尾だけで』
――顔も出していないのに。
『“映え”たのよ』
鏡台はすっかりその言葉を使いこなしている。
桐箪笥が不思議そうに言った。
『尻尾が生えたくらいで、そんなに珍しいのか』
『その“生える”じゃないわよ』
『前もそう言っとったな』
――ところで。
招き猫は尋ねた。
――なぜ鏡台さんは、そんなに詳しくなったんですか。
『あの子、私の前でSNS見るんだもの』
『えすえぬえす……』
桐箪笥は、まだ完全には理解できていないらしい。
『知らん人間が、猫の尻尾を見て喜んどるのか』
――そうらしいです。
『世の中は分からんのう』
招き猫も同感だった。
◇
それから数日後。
女友達が、やけに大きな箱を持って家へやってきた。
「何それ」
「私も知らない」
「知らない物持ってきたの?」
「猫用こたつのメーカーから」
「……え?」
どうやら、あの写真がメーカーの目にも留まったらしい。
女友達のSNSへ連絡があり、写真を紹介させてほしいと言われた。
もちろん、娘にも確認した。
場所や個人が分かる情報は出さないこと。
それを条件に許可したところ。
「お礼だって」
箱を開ける。
中には替えのこたつ布団。
猫用毛布。
おやつ。
そして。
いくつかの猫用おもちゃ。
「すご」
「三毛ちゃんたち、自分でこたつ代稼いだみたいになってない?」
「ほんとだ」
二人で笑う。
娘は中から一つのおもちゃを取り出した。
棒。
紐。
その先に、ふわふわした羽根。
「あ」
女友達が笑う。
「猫じゃらし」
◇
その夜。
招き猫は、届いた品々について付喪神たちへ報告した。
――企業というところから、お礼をいただいたそうです。
『あら』
鏡台が楽しそうに言う。
『案件じゃない』
――あんけん。
『また新しい言葉か』
桐箪笥がすぐ反応する。
――どういう意味ですか。
『商品を紹介したりすることよ』
招き猫は考える。
――私は紹介していません。
『こたつに入ってたじゃない』
――尻尾しか出していません。
『それで十分だったみたいね』
――人間の世界は難しいです。
『で、何をもらったんじゃ』
桐箪笥に聞かれ、招き猫は順番に説明した。
毛布。
おやつ。
替えの布団。
そして。
――猫じゃらし。
『ほう』
桐箪笥の声が少し楽しそうになる。
――何ですか。
『いや』
『また空を飛ぶのかしら』
鏡台まで言う。
――飛びません。
『本当に?』
――本当です。
◇
翌日の夕方。
四毛猫は猫用こたつの前にいた。
先輩三毛は、すでに中へ入っている。
「早く入れば?」
――今日は少しだけ外に。
「寒いのに?」
――運動も必要です。
そこへ娘がやってきた。
「四毛ちゃん」
――はい。
娘の手には。
昨日届いた猫じゃらし。
四毛猫の前脚が。
ぴくっ。
先輩猫が、こたつの中から顔だけを出した。
「反応した」
――していません。
娘が猫じゃらしを軽く振る。
右。
左。
四毛猫の目が動く。
「やっぱり好きなんじゃん」
――違います。
もう一度。
右。
左。
ぱしっ。
「あ」
娘が笑う。
四毛猫は、自分の前脚を見た。
――……。
先輩猫がこたつの中へ戻りながら言った。
「今日は何歩、空中歩くんだろ」
――歩きません。
「はいはい」
冷たい冬の風が吹く。
けれど、すぐ後ろには暖かなこたつがある。
猫じゃらしを持った娘が笑っている。
四毛猫は前脚を構えた。
冬というものも。
案外。
悪くないのかもしれない。




