3 Endverkünder
僕たちは油ランプを片手に、暗闇の中を慎重に奥へ進んでいった。
今にも落ちてきそうな鍾乳石が頭上に垂れ下がり、足元には牙を思わせる尖った岩が乱立している。まるで巨大なドラゴンの口内に踏み込んだかのようだ。ぽつぽつと断続的に音を立てる水滴は、さしずめ竜の唾液というところか。
やがて前方の闇の中からローブを着た男が音もなく姿を現した。フードを深くかぶっていて顔は見えないが、こんな場所に普通の人間がいるはずがない。
「……お前が心奪の魔法師か?」
僕はジークと妻を片手で制して、一歩だけ前に出る。
「身の程知らずどもが」
ローブの男が低く嘲笑して続けた。
「その通り。私が心奪の魔法師――オルヴォスだ。誰に聞いたのかは知らんが、死にに来たようだな」
彼がゆっくりと頭のフードをめくると、その顔は人間ではなかった。現れたのはドラゴンの頭部だ。僕はぎょっとして背筋が粟立ったが、その反面、納得してもいた。何百年も生きている超常の殺人鬼――その正体はやはり人間ではなかったらしい。
心奪の魔法師のドラゴンの口がうっすらと開き、細長い舌が素早く空気を舐める。
「人間よ。愚かで弱き我が餌よ。恐怖に縮こまったその心臓……私が食らってやる」
告げると同時に空気が変わった。肌を刺すような殺気が伝わってくる。
「……話が早い。父の無念、今ここで晴らさせてもらう!」
言下に僕は右手を突き出し、クロスボウから必殺の矢を射出する。刺さると衝撃で発火して燃え続ける内部燃焼ボルトだ。狙いはもちろん、やつの心臓。
妻が改良を重ねたこのクロスボウは薄い鎧なら軽々と貫通する。心奪の魔法師の体など、そのまま打ち破れるのではないかと思っていたが――。
「何っ?」
刹那、甲高い音が響く。僕の放った必殺の矢が弾かれたのだ。内部燃焼ボルトは確かにやつの胸に命中した。しかし跳ね返って遠くに落ち、今は地面で虚しく炎をあげている。
「無駄だ。そんなものが私の竜鱗に通じるか」
心奪の魔法師が嘲笑い、自らのローブを爪で引き裂く。べろりと布が垂れてあらわになった胸は金属のように光るドラゴンの鱗でびっしりと覆われていた。
「私は魔法で無限竜と融合している。この体は実質ドラゴンだ。竜鱗に人間の攻撃など通らん。万にひとつもお前たちに勝機はない!」
心奪の魔法師の耳障りな哄笑が洞窟に反響したそのときである。今まで僕の背後にいたジークが大剣を片手に、すっと前に歩み出た。僕は思わず鋭い声をあげる。
「ジーク!」
「父さんは下がってて。こいつの倒し方はもうわかった。さっさと片付けて帰ろう」
なんだって? 信じられない言葉に僕は愕然とするが、ジークの表情は本気だった。
必殺の内部燃焼ボルトが通じなかった以上、じつのところ僕にはもはや戦う術がない。どうやって妻とジークを無事に逃がすか、思考は既にそちらへ切り替えていたのだが。
最強の魔物であるドラゴンと融合した異形の魔法師。そんな怪物をどうやって倒すというのだ?
僕には見当もつかなかったが、このときジークは既にさりげなく仕掛けていた。
「……グルゥ……ッ」
突如、喉の奥から濁った音を漏らして心奪の魔法師が両手をだらりと下ろす。呆けたように口を開き、瞳は焦点を失っていた。
そうか、と僕は思う。ジークはドラゴン催眠を使ったのだ。
ドラゴン催眠はフレームヴェイン家の血に宿る特殊な力だ。ドラゴンを催眠状態に陥らせて、どんな命令も聞かせることができる。
僕は母の教育方針で、体が成長しきるまで催眠のかけ方を教わらなかったが――自分にそんな才能があることさえ知らなかった――習得が遅かったせいか、この方面の力は伸びなかった。できないわけではない。しかし多大な集中力と時間がかかり、実用的とは言いがたい。やはり何事も幼少期から地道に慣れておいた方がいいらしい。
一方、僕を反面教師にジークは子供の頃からしっかりと祖母ユリアナに教わって、今ではこの力を自在に扱える。心奪の魔法師は完全に自我なき催眠状態に陥って立ち尽くしていた。
「ドラゴンよ、その体から分離してこの地を去れ!」
やがてジークが迷いなく命じる。その効果は劇的だった。
突然、心奪の魔法師のローブの下で体がぼこぼこと不気味に隆起し、首が異様に長く伸びる。ドラゴンの頭部に長い首――それが白鳥のように優雅に見えたのは一瞬だけだった。よく見るとそれは首ではなく、蛇のように長い竜体なのだった。
ぶちぶちと何かが裂ける音がして、蛇に似た長躯のドラゴンが元の体から剥がれる。頭のない体をその場に置き去りにして、細長い蛇型のドラゴンはあっという間に洞窟の出口へと飛び去っていった。
あとに残されたのは、首のない心奪の魔法師の体だけ。
ドラゴンが分離したときに奪ったのか、心奪の魔法師の体に心臓はひとつも残っていなかった。頭もなく、もはや生きていられる理由は何もない。こうして心奪の魔法師は絶命した。母リズ譲りの知恵、あるいはアデプタスの血を引く者の機転の為せる技とでも言おうか、じつに意外な倒し方だった。
それが今回のジークの武勲――心奪の魔法師の退治である。我が子が特大の手柄を立てたことに加え、僕としては父の仇も取ることができた。まさに万感の思いだった。




