9 香草店
さらに二百年近い時が流れて、この世界に来てから六百年が経った。
私は今、北大陸にあるローラス王国の王都にいる。かつての仲間が作り上げたこの場所の居心地がよく、気に入っているからだ。中央街とも呼ばれるその巨大都市は分厚い壁に囲まれていて途轍もなく広い。城や教会などの権力が集中する区域から離れるほどに市場の色合いが濃くなって、様々な店が軒を連ねる。異国からの移住者が集まる場所もある。
私はその一角に店を出していた。
名前は『マリスキュー香草店』。今は店主としてサラサ・マリスキューと名乗っている。
じつを言うと元の世界にいた頃の私は将来、研究者になれなかったら地元に帰って小さなカフェをやりたいと考えていた。それは漠然とした妄想ではあったが、現在の私は不老不死で何もすることがない。とくに生きる目的もない。だったらこの際、遠い昔の夢に挑戦してみようと思い立ったのである。そうすることで希薄になった人間性を取り戻せるような期待感もあった。そんなものは最初からなかったなどとは言わないでほしい。
とはいえ、この世界にはコーヒーノキがないからコーヒー豆が存在せず、コーヒーは作れない。また、チャノキことカメリア・シネンシスもないから、紅茶も緑茶も作れない。どうしても似たような風味を持つ代用品が見つからないのだ。
だったらハーブティーしかないだろう。
そう考えて私は香草で作った飲み物を提供することにしたのである。厳密にはティーでも茶でもないから、飲ませるときは「香草湯」と称している。私がこの世界の植物を使って独自に作ったものだが、味の評判は上々だった。
とはいえ、過剰な人気を博することは好ましくない。評判になって店に客が押し寄せれば、中には目ざとい者もいるかもしれない。それはできれば避けたかった。
私がいつまでも年を取らないこと――不老不死だと気づかれたら面倒な事態になるのは火を見るよりあきらかだからだ。知る人ぞ知る店でいい。私の目的は細く長く、ひっそりと店を続けることだ。それをコンセプトに、香草湯を出すタイミングと相手は次第に選ぶようになった。口の軽そうな者には提供せず、品切れになったことにする。不本意にも庶民の間で流行してしまった場合は一時的に店を閉めて大陸を移動し、ほとぼりを冷ます。
ワンド大陸は縦に長く、北大陸と南大陸に分かれていて、どちらにも中央街がある。私はその両方に店舗を持っているから、営業する場所を選ぶことができるのだった。ちなみに今の南大陸は夏で暑いから、しばらく北大陸で過ごす予定である。
予想もしない驚くべき客人が来店したのは、そんな涼しいある日の夜更けだった。
「こんなところにいたとはな。探したぞ、マリスクイーン」
その男は客のいない静かな店内に音もなく侵入し、いつのまにか私の前に立っていたのである。暗い色のローブをまとい、フードを深くかぶっているから顔は見えない。
「どちら様ですか?」
おそらくは魔人族の生き残りなのだろうと思いながら、私はぽつりと尋ねる。
魔王を倒したあの戦いから既に約六百年が経っている。マリスクイーンという異名を知る者は、もうほとんどが死んでしまったのだから。
ふいに男がかぶっていたフードをめくる。そこに現れたのは人間の顔ではなかった。鋭い角の生えた獰猛そうな蜥蜴――ドラゴンの顔だった。宝石のように赤い虹彩の中で、縦に細く裂けたような黒い瞳孔がぴたりと私に向けられている。
「私はオルヴォス。察しの通り、魔人族の生き残りだ。人間たちには心奪の魔法師と呼ばれている」
「オルヴォス……ですか?」
三秒ほど考えたが、知らない名前だった。きっと有象無象の輩だったのだろう。
「すみませんが、心当たりがありません。それにしても魔人族にはまだ生き残りがいたんですね。どこに隠れていらっしゃったんでしょう」
「隠れてなどいない。海の彼方の大陸に渡って、貴様を打倒する力を身につけていた」
「そうなんですか……。それはご苦労様でした」
私は本心からねぎらった。私は不老不死で絶対に殺せないし、無限の寿命を持っているから魔法も使い放題だ。寿命百年の心臓を最大で九個しか体に搭載できない魔人族では百人いても私に勝てない。
「長い苦難の末に私は力を手に入れたのだ。どんなものか知りたいか? 冥土の土産に教えてやってもいいぞ。だが、貴様は必ずや恐れおののき――」
ピシッ。
長い話が億劫になって私がつい魔法を使うと、一瞬にしてオルヴォスの全身が凍りついた。彼の体内にある九つの心臓も同様に氷結して機能停止した。
「《第九氷結》……」
私が小さく呟くと、オルヴォスを閉じ込めた氷の塊に一条の亀裂が入る。氷塊はみるみるひび割れて、やがて床に落としたガラス瓶のように粉々に爆散した。
私のもとに現れて早々、ろくに話もしないままオルヴォスは死んだのだった。




