4 再会
しかしそれから三日経っても僕は死んでいなかった。むしろ胸の奥がざわつくような落ち着かない気分で日々を過ごしていた。
「まったく……なんだっていうんだ」
口に出してみたものの、見当がつかない。ただ、今から中央街に出かけるつもりだった。もしかすると彼女にまた会えるかもしれない。やはり先日の件をあのままにしておくのは後味が悪かった。何も言わずに逃げ出すなんて実際どうかしている。彼女が衛兵を目ざとく見つけてくれたおかげで助かったのは事実なのだから、礼くらい言うのが筋だろう。
身支度を整えると僕は屋敷を出て中央街へ向かう。
あの日に初めて会った相手だから簡単には見つからないと踏んでいたが、そんなことはなかった。商業地区の露店通りの角を曲がったところで、ばったり鉢合わせした。
「あ!」
思わず立ち止まった僕を見て、驚きの声をあげたのは彼女の方だった。
「こないだ助けてくれた人……!」
えっと戸惑う。そうだったか? いや、そうじゃない。というより僕は僕が助けられたと思っていたが、彼女は自分が助けられたという認識だったらしい。
まあ、どちらの見方もできると言えばできる。僕は軽く頭を下げて切り出した。
「悪い。こないだは何も言わずにいなくなって、わけがわからなかっただろ? あの日はどうかしてたんだ。謝りたくて君を捜してた」
すると彼女が面食らったように大きな目をぱっちりと見開く。
「謝るだなんて……全然そんな必要ないです! てっきり何か用事があって急いでたんだと思ってましたから」
「用事?」
あの状況でどんな用だと思ったのだろう。急に花を摘みに行きたくなったとか? 困惑していると、彼女が恥ずかしそうに小さく口を開く。
「すみません……冗談です。わたし、ちょっと気が動転してるみたいで……」
「そっか」
真面目な顔で言うから、つい本気かと勘違いしてしまった。でも今の会話で、なんだか胸があたたかくなったのは否定できない。ひさしぶりに人としての心の震えを感じた。
「安心してくれ。なかなか面白い冗談だったよ。ところで君の名前は? 僕はエドガー」
「エドガーさんですね。わたしはリズといいます。この前は荷物を届けた帰り道で、つい気が緩んで、あの人たちにぶつかってしまって……。助けに来てくれて嬉しかった。本当にありがとうございました」
「こちらこそありがとう」
「ところで……今日はこれから荷物を届けに行くところなんですけど」
リズと名乗った金髪の少女が頬をわずかに赤らめて続ける。
「もしよろしければ……エドガーさんも一緒に来ませんか? すぐ近くの店なんです。そこの方がゆっくり話せると思います」
確かに路上で立ち話というのも落ち着かない。それによく見ると彼女は服装こそ先日と同じだが、紐で口を縛った布袋を大事そうに抱えていた。
「配達の途中だったのか。邪魔して悪かったかな。ちなみに何を運んでるんだ?」
「全然邪魔じゃないです。袋の中身は乾燥させた植物です。叔父が薬草の栽培師なんですけど、足を怪我してて出歩けないので……」
「仕事を手伝ってるわけだ。感心だな。じゃあ僕も一緒に行くよ」
「……よかった! では、こちらです」
嬉しそうに声を弾ませる彼女と並んで僕は歩き出した。促されるがままに露店の並ぶ道を離れて荷馬車通りへ向かう。
歩きながら聞いた話だと、リズは十五歳で僕より二歳年下だった。家は北の職人通りにある武具屋。普段はそこで働いているが、先日、叔父が転んで足をひねったから歩けるようになるまで時々様子を見に行くように親に頼まれたのだという。
「ベイコンは独り身で困ってるだろうからって母が……。あ、母の弟なんです」
「ふうん、ベイコン叔父さんか。いい名前だ」
すると彼女はこくりとうなずいて同意した。ふと思いついて僕は続ける。
「それになんだか美味しそうな名前だ。ところで君の好物は?」
「りんごのパイです」
「そう……」
そこはベーコンと答えてほしかった気もするが、あれは塩漬けにした豚肉の燻製で、保存の効く庶民食だ。とくにご馳走というわけでもない。そんなことを考えたせいでもないだろうが、やがて肉屋のハンスが前方から歩いてくるのが目に入る。
ハンスは中央街の市場でも三本指に入る熟練の肉屋の主人だ。人の好さそうな三十代の男で、とても人懐こい。肩幅が広くて腕が太いのは毎日のように肉の塊を持ち上げているせいだろう。気は優しくて力持ち。今日は何を買い込んだのか、布をかけた大きな荷車を引いていた。
「やあ、これはおひさしぶりです、エドガー様。それにリズさん」
近くまで来た肉屋のハンスが足を止めて挨拶した。とはいえ、様はやめてほしい。もう僕は騎士としては役立たずなのだから、と内心苦い気分でこちらも挨拶する。
「こんにちは、ハンスさん。すいぶん買い物したみたいですね。荷車が重そうだ」
「はは、今日はひさびさの買い出しですから。岩塩の専門店が安売りをしてると聞いて、たっぷり買い込みました。うちはあれで肉を保存するんです」
「へえ」
「美味しさの秘訣なんですよ。そもそも肉というものは――」
興が乗ったのか、親切なハンスは肉についての持論を語り出し、僕とリズは成り行きで耳を傾ける。彼によると、牛なら首や肩の肉が一番うまい。固いけれど噛めば噛むほど味が出る。固くて味が濃厚な肉をうまく工夫して食べやすくするのが、この道の真髄なのだそうだ。とはいえ、僕に今それを説かれても、そうですかとしか答えようがない。
こちらの内心を察したのか、やがてハンスが話題を変える。
「ところでエドガー様。魔法師の話はもう聞いてますか?」
その言葉に、僕は思わず彼の顔を見直した。魔法師? まさか心奪の魔法師の話だろうか。たちまち頭が冷えて自然と背筋が伸びる。
「魔法師がどうかしたんですか? 僕は何も聞いていませんが」
「いや、どうもね、最近妙な男がこの街をうろついているらしいんですよ。うっすら光るローブを着た怪しい男だそうで……。流し芸人のバドの話じゃ数日前から来ているとか」
バドというのは路上で弦楽器を弾いて暮らしているバラッド歌いの男である。僕も彼の歌は好きだ。とはいえ、厚い壁に囲まれたこの街は広大で、おまけにバドは気まぐれで神出鬼没の男。今日はどこで歌っているのかなんて見当もつかない。
「バドによれば、ローブの男は異国人の店で、なにやら奇怪な品を大量に買い込んでいたそうです。魔法で使う道具ですかね? ひとりで不気味にほくそ笑んで、尋常ではない様子だったとか。ひょっとすると、そいつは心奪の魔法師かもしれません」
「心奪の魔法師!」
ハンスの言葉に、リズがびくりと怯えたように口走った。
心奪の魔法師――それはこの大陸の人間なら知らない者はいない、何百年も生きているという超常の殺人鬼なのだった。どこからともなく現れて、殺した相手の心臓を奪って食らうから「心奪」。生ける伝説のような存在で、早く寝ないと心奪の鬼が来るよと寝かしつけられる子供も多い。今この街に本当にいるのなら一大事である。
しかし、だからこそ冷静になろう。今の話だけでは正直なんとも言えないと僕は判断した。もちろん心に留めてはおくが、バドが酔って妙な夢でも見たのかもしれない。
「用心に越したことはありません。エドガー様もリズさんも、くれぐれもお気をつけて」
肉屋のハンスは布をかけた大きな荷車を引いて去っていった。




