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魔法千年の孤独――マリスキューの店で聞いた話によると…  作者: ウニ
【第6話】 フレームヴェイン家の女(竜殺しの傭兵)19歳――死の無限ループ
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8 香草

 しんと静かな長い廊下の先にある厨房に足を踏み入れると、無人だった。壁際の炉には火が入っているものの、料理係の姿はない。いつもならここで忙しく立ち働いているはずだが――しかし痕跡はある。木製の作業台の上に刻んだ野菜が置いてあるから、足りない素材を取りに食料庫にでも行っているのかもしれなかった。


「ん?」


 ふいによい香りが鼻をくすぐる。作業台の隅に香草の束が置かれていた。庭で育てているローズマリーだ。これは瑞々しい香りで、くせのある肉の風味をなめらかにしてくれる。今日の夕食は羊肉なのかもしれない。


「香草か……。そういえば前に美味しいものを飲んだことがあったっけ……」


 香りに誘われたのか、ふいに思い出が甦ってくる。


 あれは私が子供の頃の出来事だ。中央街の彷徨い小路に遊びに行ったとき、ふと興味を引かれる店を見つけて入ってみたことがあった。マリスキュー香草店という店だ。様々な薬草――とくに匂いが芳しい香草を取り扱っているのだと店主は言っていた。


 店主はマリスキューという若い女性で、整った顔の美人だが、愛想というものがまるでなかった。無表情で超然とした雰囲気を漂わせており、うちの母とは大違いだと思ったことを覚えている。当時の母よりずいぶん若く見えたが、何歳だったのだろう。


 とはいえ、マリスキューは親切だった。買い物客ではなく単なる好奇心で店に入ってきた子供の私に、香草で作ったという飲み物をご馳走してくれたのだから。今まで飲んだことのない素晴らしい美味しさだった。


 あの香りと味をどう表現すればいいだろう。喩えるなら夏の蒸し暑い夕方に突然さらさら降って倦怠感を洗い流してくれる優しい雨だろうか。清涼感のある香りに誘われて口に含むと、淡くなめらかな甘味が広がる。そして心を慰撫するように喉をとろりと通りすぎていく。子供心になぜだか懐かしい気分になったものである。


 一気に飲み干すのがもったいなくてカップを両手で持ち、ちろちろと少しずつ飲む私にマリスキューはこう語った。


「それはセイオク草で作った〈内景の湯〉といいます。心の奥深くで花開く――そう評されるくらいセイオク草の香りは昔の記憶を刺激するんですよ。そのせいか、初めて飲むのに懐かしいと感じる人が多いようです。前に見た景色を思い出させたり、古い子守歌を聞きたくなったり。頭の特殊な部位の働きが活発になるんです。人間の免疫系にも影響を与えるらしくて、西方の流行り病にも抵抗力がつくようですよ」

「なんだかよくわかりませんけど……そうなんですね」


 流行り病にかかりにくくなるのは素直にありがたいなと思った。


「記憶とは不思議なもの。迷った際もそこには最初から答えがあったりします。大事なのは自分の心を見つめること。もしも窮地に陥ったときは思い出してくださいね」


 マリスキューの言葉は意味深だったが、雲を掴むように漠然としたものでもあった。


「ええ、覚えておきます」


 子供だった当時の私はひとまず素直にそう言ってうなずいたが――。


 成長した現在の私はこう思う。

 今こそマリスキューのあの言葉に従うべきかもしれない。大事なのは自分の心を見つめること。より正確に言うと、この繰り返す時間の中に囚われている自分の心を見つめることだ。迷ったときも、じつは答えは最初からそこにある――もしもそんなことがあるのだとしたら、手がかりも解き方も何もかも既に提示されている可能性だってある。


 そして私は既にひとつの重要な事実に辿り着いているのだった。


 子供の頃に私はセイオク草で作られた〈内景の湯〉を飲んだ。西方の流行り病にかかりにくくなるとマリスキューは語っていたが、あれはまさしく事実そのもので、私は本当に一度もかからなかったのだ。


 両親は罹患したのに――。


 父も母も西方の流行り病にかかって死んだというのに、どれだけ看病中に咳やくしゃみを浴びても私は平気だった。本当にまったく、なんの症状も出なかったのだ。


 出たのはただ涙だけ。あのときの私はまだ十歳だったから両親の突然の死は本当に辛かった。だからこそ自室のベッドで泣きながら、こう口走ったのである。


「世の中って最高! こんな甘美な贈り物を授けてくれるなんて!」


 そうだ……私は言った。確かにあのとき、そんなひどい言葉を口にしたのである。


 でもなぜそんな心にもないことを? 思えば私は繰り返す時間の中で、何度か同じように本心とは逆の発言をしている。ずっと気になっていたが、どうも意味があるようだ。


 山深い峠道でキマイラと遭遇し、馬車が横転して死を覚悟したとき――『ああ、なんて素晴らしいんだろう! 人生って時々、素敵な喜びに満ち溢れてるね!』


 静寂の泉へ向かう途中で小鳥の死骸を見たとき――『なんて素敵な死に様でしょう! 鳥にしてはずいぶん洒落た最期だね!』


 こうして挙げると、どれも死と密接な関わりがある。欠けていたつながり、とでも言えばいいか。なるほど、まとめて概念化するとこんなふうに言えるだろう。――私は死を身近に感じているとき、本音とは逆のことを言う人間だった。


 だからこそ両親を失ったときの悲しみが「世の中って最高!」という異様な言葉になって表出したに違いない。私は十歳のときから既にそうだったのだ。


 そしてこの奇妙な癖は生まれつきではなく、後天的に身についたもの。理由も既に思い出していた。それもまた十歳のときに始まったことだ。全部つながっていたのだ。


 この年、流行り病で起き上がれなくなった両親を心配して母親の妹――叔母が見舞いに来てくれた。叔母の存在は途方もなく心強くて頼もしかった。だから、子供だった当時の私は不安をまぎらわせるため、幾度となく叔母にこう尋ねたのである。


「ねえ! お母さんとお父さんは死んじゃうの? このまま死んじゃうのっ?」


 最初のうち叔母はそんなはずはないと言いたげに無言で首を振るだけだったが、私が繰り返し尋ねすぎたせいだろう。やがて厳しい顔を私に向けると怖い声でこう告げた。


「ユリアナ、それを言うのはもうやめなさい。言葉は現実を呼び寄せることがある。何度も声に出していると、望まない結果を引き寄せてしまうこともあるの。あなた自身の意図とは関係なくね。死ぬなんてそう軽々と口にしては駄目よ。こういうときは、むしろ反対のことを言うようにしなさい」


 今なら叔母の言葉の本当の意味がわかる。同じ意味を示すことなら、表現を逆にしなさいということだったのだろう。『死んじゃうの?』ではなく『いつ元気になるの?』という言い方にすればよかったのだ。


 しかし当時十歳だった私は浅はかで、そこまで理解が及ばなかった。だから死を間近に感じると、ただ単純に逆の感想を言うようになり、ずっと続けるうちに癖になってしまった。やがて意識しなくても自然と口をついて出るようになったのである。そういう反応が十歳の頃から刷り込まれていたわけだ。滑稽なことに。


 一応付け加えておくが、だからと言って叔母を憎んだりはしていない。それはただの逆恨みだ。私がこうなったのは、ひとえに自分の理解力不足が原因なのだから。


 それに、十歳で両親を失った私の後見人になってくれたのは他ならぬ叔母である。彼女がいなければ私はフレームヴェインの館で暮らし続けることはできなかった。後見人である叔母が毎日のように館に足を運び、なおかつ老執事が陣頭に立って全面的に生活を支えてくれたからこそ今の私がある。親の遺産があるとはいえ、使用人たちを統率するのは子供の私では無理だったからだ。皆の助力があったからこそ私は両親亡きあとも生家で生きてこられたのである。


 叔母は今では足の調子が悪くて館にめっきり来なくなったが、健在だ。何か困っていないか、この件が終わったら様子を見に行ってもいいかもしれない。そして――。


「ユリアナ……」


 私は静かに声に出す。


 そう、先ほど記憶の中の叔母が口にしたユリアナが私の名前だ。ユリアナ・フレームヴェイン。幼い頃はおてんば娘のユリアナと呼ばれ、やんちゃで有名だった。手すりにまたがって降りてはなりませんよ、というのはそんな私をたしなめる亡き母の口癖だった。


 ようやく自分の名前を思い出したのをきっかけに、頭にかかった霧も晴れていく。

 自分は死を間近に感じたときに本音とは逆のことを言う癖がある。だったら静寂の泉で背後から刺されたときに発した言葉――。


『あなたって……最高だね。こうして不意打ちで殺してくれて本当に感謝するよ!』


 これもまったく反対の出来事を意味することになる。自分の死を実感し、いつもの癖で逆のことを口走ったのだろう。


「だとすれば……『あなたって最高だね』は『あなたって最低だね』ってこと? 私には普段から嫌っている相手がいたのかな……」


 私は呟きながら考える。そうなのだろう。決してロムに刺されて死ぬのが最高だと言ったわけじゃない。自分の発言を裏返して鑑みるに、誰かは知らないが、顔見知りで馬が合わない相手がいたのだと思われる。言い回しからそんな印象を受ける。私はその人に刺された。そして待ち伏せできるほど身近な存在なのであれば、それは館の住人である可能性が高い。今の館には私とロムを除くと使用人しか住んでいないのだから。


 そう考えたとき、脳裏を一筋の閃光が駆け抜ける。そしてすべての記憶が甦った。


「そうか……。ライラだ」


 自分は使用人のライラに刃物で刺されたのだと気づいた瞬間、私は目を覚ました。

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