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魔法千年の孤独――マリスキューの店で聞いた話によると…  作者: ウニ
【第6話】 フレームヴェイン家の女(竜殺しの傭兵)19歳――死の無限ループ
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3 出会い

 そのとき、馬車は山深い峠道を走っていた。


 道はぐねぐねと蛇行し、両側には鬱蒼とした森が広がっている。見通しは悪く、曲がり角の先に岩でも転がっていたら避けるのは難しい。しかもこの日、私たちの前に現れたのはそんな生易しいものではなかった。


「えっ?」


 御者が短く驚きの声をあげる。道を曲がった先にそいつは待ち構えていた。

 獅子と山羊の頭を持ち、胴体に長い蛇の尻尾を生やし、背中に翼を備えた魔物だ。その巨躯は馬車と比べても遜色がないほど大きい。もし体当たりでもされたら、普通の人間などひとたまりもなく吹き飛んでしまうだろう。

 そんな巨大な怪物が四本の足で大地を踏み締めて道をふさいでいたのである。


「魔物だ! キマイラだあー!」


 御者が慌てて手綱を引くと、馬が嘶いて車輪が悲鳴を上げる。残念ながら馬車は止まりきれず、ぐらりと傾いて、そのまま地面に横倒しになった。すさまじい衝撃音が響き、馬車の中で跳ね回る荷物と私は何度もぶつかる。


「くっ……。ううぅ」


 痛みをこらえて横転した馬車から這い出すと、前方からキマイラがゆっくり私たちの方へ迫ってくるところだった。その顔つきは残忍で、足どりには強者の余裕がある。


 食われる、と瞬時に悟った。きっとこのキマイラは山奥に隠れ住む古株なのだろう。長く生きていて知恵のあるやつだ。空腹になると餌を求めて飛び回り、見つけた獲物を襲って食らう。かなり手慣れた印象を受けるから、今までもこうして馬車を横転させ、退路を断ってから獲物を捕食してきたのかもしれない。


 御者は負傷したらしく、苦しげなうめき声をあげ、その場から動けない様子だ。

 どうする?


 どうしようもなかった。浅い呼吸を繰り返す私の頬を冷たい汗がすべり落ちていく。私はドラゴンが相手なら無敵だが、それ以外の敵には人並みなのだ。技量はごく普通の剣士にすぎず、こんな大きなキマイラの相手をするのは無理だった。

 しかも不運なことに武器は今すべて馬車の中にある。素手の私がキマイラに傷を負わせる方法はどう考えても存在しない。万にひとつも勝ち目はなかった。


 腹の底までその事実を実感した瞬間、私の口が自然に開く。


「ああ、なんて素晴らしいんだろう! 人生って時々、素敵な喜びに満ち溢れてるね!」


 そう、私は覚えている。あのとき、どういうわけか私はそんな言葉を口走ったのだった。一語一句はっきりと記憶している。しかしそれを言った理由まではわからない。私はどういう意図であんな独白をしたのだろう。


 ともあれ、キマイラは着実に近づいてくる。独特の獣臭さも強くなる。


 口にした言葉と裏腹に、私の恐怖心は限界寸前まで膨れ上がっていた。今すぐこの場から逃げ出したいが、足が震えて動けない。どのみち翼を持つ魔物から逃げられるはずもなかった。全身に鳥肌が立ち、歯がかちかちと鳴る。これまでか――と心の中で覚悟を決めたとき、馬に乗った男が遠くから駆けてきた。


「大丈夫か!」


 彼はそう言ってキマイラの後ろで馬を止めると、さっと飛び降りて腰の剣を抜く。

 何者だろう? それは二十代前半、どこか翳りを帯びた印象の金髪の青年だった。遍歴騎士だろうか? 使い込んだ鎖かたびらの上にすり切れた外套をまとっている。盾は持っていなかったが、足運びを見る限り、それなりの経験を積んでいることが見てとれた。


 しかし、だからといって単身であのキマイラに勝てるはずもない。


「逃げなさい!」


 私が声を張り上げると、彼は少し戸惑った顔をする。この魔物の強さを知らないようだ。


「心配ない。今助ける」

「わかってないのね……。あれはキマイラ。単独で倒せる魔物じゃない。普通は十人程度の集団で退治するんだよ。前方で戦士が囮役になって、残りで翼を総攻撃する。あなたは腕に覚えがあるのかもしれないけど、空に飛び立たれたら何もできないでしょ?」

「なるほど」


 金髪の青年はうなずくと「つまり飛ぶ前に倒せばいいんだな」と口にした。


 呆れた、と小さく呟きながら私は実際に呆れた。そんな真似ができるなら誰でもやっている。助けに来てくれたのは嬉しいが、言葉の意味を理解できない愚か者だったとは。


 ところが――それは早とちりだったのだ。私の方が間違っていた。


 鋭い気合の声をあげた次の瞬間、彼は突きの姿勢でキマイラへ突進する。

 それは人間離れした信じられない速度だった。一陣の風のように距離を詰めると、獅子の口に深々と剣を突き入れ、そのまま上に向かって猛然と斬り上げる。なんというすさまじい身体能力だろう。魔物の肉を断ち、骨を砕いて、噴水のように鮮血が飛び散った。


「ガアアッ!」


 口の中から脳天を縦に割られた獅子の頭は、断末魔の叫びをあげて絶命した。


 彼はすぐさま剣を引き抜くと、隣の山羊の頭に斬りつける。咄嗟のことで混乱していたのか、空に飛び上がることもできず、山羊の頭部は一撃で両断された。獣の四つ足が力なくもつれて、その場に倒れる。


 残るは尻尾の蛇だけだが、これは胴体の制御はできないようだ。その場で牙を剥き出して威嚇していたが、彼が放った斬撃で胴体からすっぱりと切り離される。あっという間に戦闘終了――キマイラは死んだ。


 汚れた布で刃をぬぐって鞘へ収めると、彼は落ち着き払った態度で振り向く。


「意外と呆気なく倒せたな……。君の助言のおかげだ」


 何この人、と私はすっかり呆然としていた。


 今までドラゴンキラーとして様々な任務に参加し、多くの傭兵を見てきたが、こんなに腕の立つ剣士を見たのは初めてだった。強いなんてものじゃない。自分が知る他のどんな強者でも、たったひとりで瞬時にキマイラを倒すなんて芸当は無理だろう。


 それこそ千年前の救世の勇者、アルカディオ・ローラスのような者でもない限り――。


「……まさかね」


 私は静かに吐息をつくと彼にゆっくりと歩み寄っていった。


「ありがとう、助けてくれて。心からお礼を言うわ」

「どういたしまして」


 金髪の青年はあごを引いて少しだけ微笑んだ。私も頬を緩めて友好的に片手を広げる。


「あなたが通りかからなかったら、私は間違いなくキマイラの餌だった。感謝してもしたりないけど……あなた何者? 尋常な強さじゃなかったけど、それにしては知らない顔。もしかして旅の遍歴騎士?」

「ああ、そうだ。旅をしてる。俺の名はロム。騎士じゃなくて、ただの傭兵だよ。稼ぎのいい仕事を探して当てもなく各地を巡ってるんだ」


 なるほど。道理でこれほど強いのに見たことも聞いたこともないはずだった。


「そう、じゃあ遍歴傭兵というところだね。残念だけどロム、この辺りには戦場なんてないよ。魔物の討伐任務も組合に入っていないと美味しい仕事は回ってこないし」

「ああ、そうらしい」


 ロムの目に少し苦い色が浮かんだ。仕事に困っているのかもしれない。だったら、と私は思い切って意を決し、それでいて平然とした態度で切り出す。


「ん、そこでひとつ提案なんだけど――。しばらく私と仕事をしてみない? 報酬は弾むよ。私の仕事はドラゴンキラーなんだけど、今回の件でつくづく痛感したんだ。一人旅はやっぱり危険。ドラゴン以外の敵を引き受けてくれる優秀な護衛役が必要だなって」

「ドラゴンキラー? 君はそんな仕事をしているのか」


 ロムが驚きつつも興味を引かれた顔をした。悪くない。ここは押しの一手だろう。


「そうだよ。それに遍歴傭兵にも、たまには休憩が必要でしょ? うちで骨休めしていって。お礼もしたいし、私の家……フレームヴェインの館には使用人もいるから相応のおもてなしもできる」

「でも、それは……」

「遠慮しないで。厚意を受け入れるのも、れっきとした美徳のひとつだよ。ちゃんと客人用の部屋もあるから」


 柄にもなく私が熱心に畳みかけたのは、どうしても彼の類い希な戦闘能力が欲しかったから――というわけじゃなく、理由はもっと素朴で単純だ。もちろん強さも魅力ではあったが、それ以上に見ず知らずの私を助けに来てくれたこと、あの時点ではなんの見返りも期待できなかったはずなのに迷いもしなかったこと――そうした点すべてを含めて、彼の人間性に惹かれていたのである。


 彼は傭兵らしいが、騎士にだってこれほど潔い男は滅多にいないだろう。意識してはいなかったが、自分はこのとき既に彼に心を奪われかけていたのだと思う。


「だったら……お言葉に甘えるよ。しばらく君のところにご厄介になる」


 ロムがそう言って承諾したとき、私は上品にうなずきながらも心の中では拍手喝采していた。その後はたと我に返り、倒れた馬車でうんうん呻いている御者を助けに向かったのだった。


 こうしてロムはフレームヴェインの館にやってきたのである。

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