6 真相
死後一日か二日というところだろうか。濡れた土と落ち葉と古い肉が混じったような、ひどい臭いがした。一歩進むごとにその鼻を刺すような腐臭は強くなる。
間近まで来てみると獣は瞼を閉じておらず、瞳は両方とも完全に白濁していた。獣の心に何が起きたのか、顔は激怒したような恐ろしい形相で硬直し、口からは獰猛そうな短い牙が剥き出しになっている。豚のような鼻はすっかり乾いて木の切り株を思わせた。
獣の額で輝いている宝石はルビーだった。見たこともないほど大きなルビーが獣の頭部に埋め込まれ、その周りには樹液のように凝固した黒いものがこびりついている。
「これって――」
ぼくは死んだ獣を見下ろし、かすれた声で呟いた。ラスリーが言葉を引き取る。
「ああ。イノシシだな……どう見ても」
カーバンクルの正体は生まれつき宝石を宿したイノシシだったのか、とラスリーが小さく呟くが、ぼくにはそうは思えなかった。獣の額の宝石はどう見ても自然に生じたものではなかったからだ。それにこの辺りに落ちていた宝石はどれも簡単には手に入らない極上品ばかり。もちろんこのルビーだってそうだ。ふいに何かが脳裏で引っかかる。
「……待てよ?」
次の瞬間、はたと閃くことがあって、ぼくはラスリーに素早く顔を向けた。
「ラスリー、ひとつ訊かせてほしい」
「どうした突然? 遠慮なんかしないでなんでも言えよ」
「うん、だったら……自殺した盗賊の話を教えてくれないか」
先日、ホワイトフォード城の宝物の保管庫にひとりの盗賊が侵入した。ところが盗賊はなぜか保管庫の中で自殺してしまい、ぼくの父上はその謎について話し合うために城に呼ばれたのである。今回ぼくはそれに同行して来た形なのだった。
父上はその件の詳細を聞かされていなかったから「わからんな……。なぜわざわざそんな場所で自殺しなければならんのだ?」としきりに首を傾げていたが、事情はぼくも似たり寄ったりで、詳しい話は今もまだ知らない。
「せっかく誰にも気づかれずに保管庫に入ったのに、盗賊はなぜ自殺したんだろう?」
ぼくが尋ねると、唐突な話題に戸惑ったラスリーは軽くまばたきして口を開いた。
「正直な話、あれが自殺かどうかは今もよくわからないんだ。だから皆で意見交換するために父上が招集をかけたんだよ」
「死因は? 盗賊はどうやって死んだんだ、ラスリー?」
「今のところは、大きな石弓を使った自殺ということになっている」
「……石弓だって?」
さすがに虚をつかれた。石弓というのは昔の呼び方で、ぼくらの世代はクロスボウと呼ぶが、普通の盗賊はそんなものを持ち歩かない。なんと言っても大きくて、かさばるのだ。どこかに忍び込むときには最も適さない武器と言っていい。
ラスリーが栗色の髪を無造作に掻き上げて続ける。
「異様な代物だよ。あきらかに特注で作らせた風変わりな石弓でね。弓腕の部分をやたらと強化して、中央に弦を引き絞るための巻き上げ機構なんかを付けてある。重い矢を飛ばすことに特化したような武器なんだが……まあ見つかったときにはもう壊れてた。保管庫に入った兵士たちは、死んだ盗賊とばらばらに壊れた石弓に出くわしたんだよ」
ラスリーの話によると、どういうわけか盗賊は保管庫の中で石弓を使おうとした。
しかしその特殊な構造ゆえに強い負荷のかかった弓腕が割れ、反動で鋭い欠片が自分の胸に深く突き刺さった。盗賊はそれを引き抜こうとしながら保管庫の中で失血死。石弓は無惨に壊れて周りに散らばっていたのだという。
「そのとき、保管庫の中には盗賊ひとりしかいなかった。もちろん敵なんて誰もいない。そんな状況にもかかわらず石弓を使った――。だったら理由は自殺以外に考えられないと父上たちは結論づけたのさ」
ラスリーが話を締めくくった。
「……そういうことだったのか」
ようやく点と点がつながって、様々な疑問が氷解しつつある。その話をもっと早く聞いておけばよかった。
「ねえラスリー、宝石には湿気に弱いものが結構あるだろ? その保管庫に通風口はなかったかい?」
「もちろんあったとも。縦格子の小さな換気口だけど……それがどうした?」
「やっぱり。じゃあその死んだ盗賊の所持品に革の袋はなかった? ここに来るまでの間に落ちていた宝石を入れていたような小袋がさ」
「えっ?」
その瞬間、ラスリーは何か思い当たったように目を見開いた。
「そういえば袋をたくさん身につけていたと聞いたが――。バーソロミュー、まさかお前が言いたいのは!」
「うん、そのまさかだよ。石弓を持って盗みに入る盗賊なんて、どう考えても変だからね。護身用の武器なら、かさばらない短剣でいいじゃないか。盗賊が持ち込んだのは石弓であって石弓じゃない。盗品を外へ飛ばすための特別な器具だったんだよ」
これはあくまでも推論だけど――と前置きしてぼくは自らの考えを口にする。
宝石というのは一個や二個なら楽に運べるが、何十個、何百個ともなると話は別だ。ホワイトフォード城の保管庫にある宝石をすべて盗み出すのは、とんでもない重労働になる。そこでその盗賊は宝石を根こそぎ手に入れるための独自の方法を考え出した。
それはホルダーのついた革の小袋に宝石を入れ、矢に取りつけて換気口の縦格子の隙間から外へ飛ばすというもの。発射するための道具はもちろん特注品だ。
つまるところその石弓は武器ではなく、保管庫の宝石を遠くへ飛ばすための装置だったのだろう。特殊な道具だけに耐久性に難があって、何度か使っているうちに弓腕が割れて破損した。そのときに破片が自分に突き刺さって盗賊は死んでしまったのだと思う。自殺ではなく事故死だったのだ。
そしてこの森は盗賊の逃走経路に含まれていたに違いない。きっと保管庫のすべての宝石をこの辺りに飛ばし、逃げるときに回収していく予定だったのだろう。平地に飛ばしたらすぐにばれてしまうし、こんな森には誰も来ないと思い込んでいたのだ。
でも実際には違う。森には森の生き物がいる。中でも最も不運だったのが今ぼくらの前で死んでいる巨大なイノシシだ。決してカーバンクルなんかじゃない。
「きっと盗賊が発射した宝石入りの革袋のひとつからルビーが飛び出したんだ。空中で袋の結び目がほどけてしまったんだよ。それが偶然通りかかったイノシシの額に当たってめり込んだ。可哀想に……このイノシシは痛みで暴れ回っていたんだ」
最初にカーバンクルを見たと言い出したのはホワイトフォード城の使用人である。ぼくはラスリーから城で聞いた話を思い出した。
――「なんと森の奥のひらけた場所で、四本足の獣が猛然と走り回ってたんだから! それはもう火を吐くような恐ろしい勢いで暴れていたらしい。木の幹に体当たりしたり、地面を転げ回ったり――」
それが確か昨日という話だったが、イノシシは既に限界が近かったのだろう。額にめり込んだ宝石を取りたくて、死に物狂いで暴れていたのだと思う。
ひどい話だ。本当に気の毒で、ただただ可哀想という言葉しか胸に浮かばなかった。きっと今頃イノシシは天国で、宝石を飛ばした盗賊を容赦なく追い回しているに違いない。




