5 死因
その場の皆が騒然とする。バーベッジが少し不愉快そうな顔を私に向けた。
「ベイコンさん、妙なことを言って混乱させないでくれ。今は急がないと。死者は速やかに修道士のもとへ引き渡すべきだ。もしも何か言いたいことがあるなら――」
「死因は溺死です。理由を説明しましょう」
バーベッジの言葉を遮るように私は素早く言葉を発した。
「皆さんはペトル医師が寝ている間に自然死したと考えているのですよね? 一見そのとおりです。外傷もなければ着衣に乱れもないし、毒を飲まされた形跡もない。私は植物を扱う仕事柄、毒と薬については詳しいのです。しかし枕元をよく見てください。シーツがわずかに湿っています」
「えっ……? あ、ほんとだ!」
私の言葉にいち早く反応したルイ少年がシーツに手で触れて驚いた顔をする。
「なんだろうこれは……。枕の下の辺りの両側だけが湿ってる」
「湿った部分の匂いも嗅いでみてください。覚えがあるはずです。鉄分を含んだ泉の水を古い金属の釜で熱した匂い――。ここの独特の湯の匂いですよ。ペトル医師は湯を大量に飲まされて死んだ。体内に残っていたそれが死後の人体の仕組みで排出されたのです。おそらく気道に入ったものが少し残っていたのでしょう。寝かされた状態で口から出てきたから全部シーツに垂れてしまい、まだ乾いていないのです」
私の言葉を聞いたルイ少年がシーツに鼻を近づけた。
「ああ……確かにこれはうちの湯の匂いだ! でもベイコンさん、どうして? なんで先生は湯なんか飲んだんですか?」
「飲んだというよりは飲まされた。ペトル医師は何者かによって溺れさせられたのです」
計画的に殺されたのですよ、と私はもう一度はっきりと言った。
「殺された……。で、でもどうしてそんなことがっ?」
理解が追いつかずに困惑しているルイ少年に私は静かに語りかけた。
「服が濡れていないからです。今ペトル医師は夜のためにあつらえた長い麻布の衣を身につけていますね? これは寝間着……つまり眠る直前に着替えるものです。これを着てからわざわざ一階に下りて仕事場の湯に近づくなんてことは普通あり得ません」
私は一呼吸置いて続けた。
「ペトル医師は湯を飲んで死んだ。にもかかわらず服は湿っていないし、独特の湯の匂いもしない。その矛盾を私ならこう解釈します。『ペトル医師は何者かに湯の中に沈められて殺された。その何者かはペトル医師の死後、濡れた体と禿頭を拭いて乾かすと寝間着に着替えさせて寝台に運び、眠っている間に何事もなく自然死したように見せかけた』……これは偽装なのです。偽装を終えた殺人者がその場を立ち去ってずいぶん経ったあと、死体の体内に残っていた湯が排出されたのですよ。殺人者が予期しないことに。そうでなければ濡れたシーツをそのままにしておくはずがありません」
そもそもペトル医師の今の姿勢は、棺に納められた仰向けの死者のようで、きれいすぎるのだ。着衣にも一切の乱れがなく、整いすぎている。こんな正確な寝方をする者がいるだろうか? もちろんいないとは言わないが、いかにも誰かが整えたような不自然な姿に私には見えた。
「ああ! そんな……そんな恐ろしいことが!」
ルイ少年は現実が受け入れられないらしく、両腕を抱えて体をぶるぶる震わせる。
「落ち着いてください、ルイ君、なぜこんなことが起きたのか理由はわかりません。しかし偽装方法などから判断するに、普段から関わりのある者の仕業でしょう。この浴場治療院はかなり儲かっているはず。何か盗まれたものがないか確認してきてください」
「は、はい! わかりました!」
ルイ少年は弾かれたように部屋を出て行った。そして寝室には私とバーベッジ、そして通いの修道女と雑用係と掃除夫が残される。
やがてバーベッジが露骨に苛立たしそうな顔を私に向けた。
「わからないな、ベイコンさん……」
「質問があるならどうぞ」
「あんた、肝心なことを忘れてないか? この施設はかんぬきで施錠されていたんだ。屋内にはペトル先生しかいなかったんだから、殺人であるはずがない。確かに先生は湯を吐いたのかもしれん。だがそれはただそれだけの話だ。もしかしたら先生には寝る前に浴場の湯を飲む変な癖があったのかもしれないだろ?」
一理ある、と私は思ったが、逆に言うと一理しかないということだった。
「医師なのにそんな体に悪そうな不潔な真似をするでしょうか? また、本人が飲んだ湯は胃に運ばれますから、吐き出されたら内容物が混ざると思うのです。これは透明だから気道から出たものでしょう。だとすれば死因であり、他殺だと思われます」
「だが、この施設が閉鎖されていたことには変わりがない!」
バーベッジが強い口調で発した言葉を私は冷静に受け止める。
「殺人者がまだ中に隠れていることも考えられます」
「昨日からずっと? 馬鹿言っちゃいけない。俺たちは屋内に患者が誰もいないことを皆で確認してから日々の仕事を終えるんだ。隠れ続けるのは無理だよ。だよな、お前ら?」
バーベッジの言葉に雑用係と掃除夫がこくりとうなずいた。
「自分もそう思います」
「隠れ続けるのはあり得ないですよ」
雑用係と掃除夫が実直そうに口を揃える。そうなのか……と私はひとまず素直に受け止めることにした。直後に軽くまばたきをする。ふと目に留まったものがあったのだ。
雑用係の穿いている半ズボンに灰色がかった白い毛がついている。短めの白髪が何本も付着しているのだが、誰のものだろう? というのも浴場治療院で働く者には白髪の人間など誰ひとりいないのだ。ペトル医師は禿頭だし、もちろん私も白髪ではない。
いや、それは今はどうでもいいことだとすぐに思い直す。きっと家族の白髪に違いない。殺人のことに集中しなくては、と私は気持ちを引き締めた。
やがてルイ少年が息を切らせて戻ってくる。
「お金が……! 先生のお金が盗まれてます!」
「なんだって?」
ルイ少年の衝撃的な言葉に、その場にいる私以外の誰もが目を剥いた。
「先生は私室にある金属製の箱の中にお金を保管してました。鍵のかかる大きな鉄箱です。それが箱ごとなくなっているんです!」
「馬鹿な!」
バーベッジが信じられないという様子で短く叫んだ。
「確かに先生は鉄箱に金を入れていたが……。ちょっと待て! 俺も確かめてくる!」
そう言い放って寝室を飛び出したバーベッジを私たちも小走りに追いかける。
ペトル医師の私室は寝室より広かったが、几帳面に片づいていた。壁に乾燥した草の束が吊るされており、机の上には革表紙の厚い本が置いてある。木製の棚には瓶と壺がずらりと並んでいて一見不自然なところはないが、意外なことにバーベッジは逆上した。
「ない! 壁際にあったはずの鉄箱がどこにもない! なんてこった……。じゃあ先生は本当に殺されたのか!」
くそっと声を荒らげるバーベッジを眺めながら私は静かに考えた。
この革表紙の本も非常に貴重で高価なものなのだが、殺人者は知らなかったらしい。とにかくひたすら現金を手に入れたくてペトル医師を殺したようだ。そして鉄の箱に金が入っていることを知っていて箱ごと持ち去った以上、おそらくは施設の関係者なのだろう。
だとしたら殺人者は今ここに――。私は皆にちらりと視線を走らせた。




