2 浴場治療院
浴場治療院とは入浴によって病を快方に向かわせるための施設である。
もともとそこには病に効く泉があり、治癒の湧水と呼ばれていた。鉄分を多めに含んだ独特の匂いがする湧き水だ。それが時代とともに洗練されて、本格的な治療の場となっていったらしい。
いくら癒やしの泉でも病人の体を冷やすのは好ましくない。水より湯に入る方がずっと効果がある――。そんなことを誰かが提唱したためだ。かくして泉の水を巨大な釜に注いで湯を沸かし、それを石造りの浴槽に注ぐという手順が確立される。霊妙な湧き水を聖なる火であたためるわけだ。中央街の公衆浴場と似た仕組みだが、ありがたみが違う。
実際、治癒の湯に身を浸していると大変心地よく、体もぽかぽかして快調になる。こまめに通い続けて回復する者も多いらしい。だから大なり小なり効果はあるのだろう。行かないよりは間違いなく行った方がいい。湯を沸かすのに薪を大量に燃やすとのことで相応の金を取られるが、背に腹は代えられない。
もっとも私の場合は背ではなく腹が問題だが。
いや、そんなことはどうでもいい。ともかくその日、私は一番最初の湯に入るつもりで早めに家を出たのである。
ところが浴場治療院に着くと妙なことになっていた。
どこか湿った土地に半ば埋もれるように建つ、黒ずんだ石造りの建物。その中央にある入口の扉の前で、腕の太い四十代の男と、色白の少年が訝しげに話をしている。
彼らのことは私も知っている。この施設の人間だ。四十代の男は湯守のバーベッジといって湯の温度を管理する者。袖のない粗布の服から伸びる両腕は丸太のように太く、子供が複数ぶら下がってもびくともしない。間違っても殴り合ってはいけない相手だ。
色白の少年の方はルイといって、この施設の医師の助手であり弟子である。いつものように細身の体に白い短衣をまとい、上から前掛けをしていた。
しかし扉の前で何を不審そうに話し込んでいるのだろう? 中で話せばいいだろうに。
「あの……どうしました?」
私が近づいて尋ねると、ふたりははっとして顔を向けた。
「あ、ベイコンさん! すみません、気づかなくて。じつは入口の扉が開かないんです。普段ならとっくに先生が開けている頃なのに……」
ルイ少年が不安そうな表情で教えてくれた。ちなみに先生というのはルイ少年の師に当たる医師のペトル氏のことで、この浴場治療院の最高責任者である。
ペトル医師、ルイ少年、バーベッジ――この三人が浴場治療院の顔なのだ。
「寝過ごしたのでしょうかね。ペトル医師は今どこに?」
「中だと思います。ぼくもバーベッジさんも通いですけど、先生はここに住んでるので。二階が先生の住居になってるんです」
ここは浴場治療院であると同時にペトル医師の住居も兼ねていて、どういうわけか今日は彼が入口の扉を開けないから、ふたりは中に入れずに立ち往生しているということらしい。外部からの侵入を防ぐために出入口はここひとつしか存在しないのそうだ。
しかしいつまでも立ち話をしていても仕方ないだろう。中を確認しに行く必要があるのではないかと思って私はバーベッジに顔を向けた。すると彼は重々しくかぶりを振る。
「無理だ。この扉はそう簡単には開けられない」
「私は何も言っていません。私は中立です」
「……べつにあんたを非難してるわけじゃないよ、ベイコンさん。扉はかんぬきで中から施錠されてるんだ。いつもそうしてる。しっかりした長い木の棒を横に通してあるんだ。だから開かない。無骨な作りだが、外からは絶対に開けられんよ」
「絶対に、ですか」
バーベッジがそこまで強く断言するなら、外から体当たりした程度だと微動だにしないのだろう。念のために私は扉をあちこち押してみたが、確かにびくともしなかった。
それから静かに観察する。扉とその周りにはほとんど隙間がなく、糸や金属棒などを差し込んで細工することは不可能だった。なるほど、外からは開けられないようだ。
「待てよ? 出入口はここだけと言っていたが……」
そうとも限らないと思って私は建物を見上げる。
壁面にいくつか窓がある。しかし街のほとんどの建物と同じで開かない、はめ殺しの窓だった。また、湯を沸かす施設だけに煙突もある。しかしこれもまた人間にはとても通れない細い煙突だ。通気口も拳ふたつ分くらいの大きさしかなかった。他に侵入できそうな経路は見当たらない。やはり出入りできるのは正面の扉だけらしい。




