口出しする兄弟と祖父の一喝
理貴からキスされてから数日、あかりは電車に揺られて実家へ向かっていた。警察官になったら、所轄外の外出も届出が必要だ。面倒だからと中々帰省しないあかりは、祖母の七回忌という理由で公休を申請し、帰省するこの日を楽しみにしていたはずなのに。
(まさにぃと幸人に何を言われるか……)
二人に会うのが気が重くて、あかりは深い溜息をつくのだった。
※
「あかり、座れ」
案の定待ち構えていた様子の長兄の雅人は早速あかりを呼びつける。いつも庇ってくれる次兄の拓人は海外赴任中で戻ってこれなかったから不在だし、父母は住職の見送りで席を外していた。
弟の幸人は、雅人を見るやいなや、「トイレ」といってとっとと逃げ出していた。
この場にいる祖父だけは興味深そうに二人を見るが、余計な口は挟まないで静観している。
(だから来たくなかったんだよ……)
心の中で毒づいて、それでも大人しく雅人の前に座ったのは後が面倒だと悟っているからだ。
「何?」
つっけんどんな言い方はいつものことだ。雅人も職場ではないから特に目くじらを立てることはないはずだ。なのに兄はピクリと片眉を上げる。
怒っている時の雅人の仕草にあかりはうっ、となる。無意識に体が後ろに逃げるあかりを阻止するかのように、雅人の鋭い言葉が飛んできた。
「なぜ山科に返事をしない?」
「……なんのことよ?」
「結婚を申し込まれているだろうが」
しらばっくれるあかりに、雅人はいきなり確信をつく。
どこまで筒抜けなんだ、とあかりが頭を抱えた時、廊下で聞き耳を立てていたのだろう幸人がもう一つの問題を火種を持って部屋に飛び込んできた。
「ちょっと待てよ、あかり! 前の男とは別れたんだろう? ってか理貴からプロポーズしたって聞いてるぞ!?」
「……なに!?」
どすの利いた低い声で答えた雅人と、混乱して追求する幸人に挟まれているあかりを助けてくれる人物は、この場にはいなかったのだった。
※
「一旦整理をするぞ。あかりは今、山科と藤井理貴という男にプロポーズされている、ということか?」
仕切り屋の雅人の言葉にあかりは頷く。住職を見送った両親もいつの間にか戻ってきて、雅人とあかり、そして幸人のやり取りを祖父と共に面白そうな様子で見ていた。
「モテないお前がなぁ」
呆れたようにいう雅人を睨みつけたあかりに、長兄は当然のように結論を下す。
「とはいえ、山科を選ぶんだろう? 早くアイツに返事をしとけ」
「ちょっ! 何勝手なことを言っているんだよ、まさにぃ! あかり、理貴がいいよな!?」
「都県が違うユキは知らないだろうが、山科は出世頭だぞ? あかりにはもったいないくらいの男だ」
先にカチンとしたのは、幸人だった。そもそも雅人と幸人は年が離れているからか仲が良くない。
売り言葉に買い言葉で幸人は応酬する。
「警視庁の警官の中では、だろ? 理貴は年商何億も稼ぐ若手実業家だぞ。そっちのほうがあかりにはもったいねぇわ」
幸人の言葉に雅人はイラッとしたようだ。今まであかりに向いていた矛先が一瞬で幸人に向かう。
「今は若手実業家とチヤホヤされても、この先どうなるかわからんだろうが!」
「そんなん警官だって一つミスったら出世の道は絶たれるんだから同じことだ!」
「そんなことさせるか! 山科は俺が買っている男だぞ!?」
「それを言うなら俺だって理貴を評価してるわ! あいつ警察庁試験合格しているし、頭だけなら理貴の勝ちだ!」
「っつ! あ……頭でっかちの男に国を守れるか!」
くだらない口喧嘩を繰り広げている兄弟に挟まれ困ったあかりが両親を見ると、そっちはそっちで盛り上がっていた。あかりと目が合うと、強面の父親は腕を組みながら「父さんはまだ結婚しなくていいと思うぞ」と泣きそうな顔で言ってくるし、母親は「あかりはがさつなんだから、貰ってくれるうちが花よ」と父親を説得していた。
「ってか、これ以上身内に警察官増えたら息苦しいだろうが!」
自分のことを棚に上げた幸人の口から本音が飛び出した瞬間、パンッと手を叩く音が響いた。
音の主は、今まで静観していた祖父である。
「そのへんにしなさい」
警察官を引退こそしているがまだまだ現役同様貫禄のある祖父の言葉に、皆一様に姿勢を正す。
「あかりが決めることだ。周りがやいのやいの言ってどうする」
祖父には誰も反論できない。喧嘩していた雅人と幸人も、騒がしくしていた両親も一様に口を閉ざした。
「あかり」
「……はい」
祖父に呼ばれてあかりは顔を引き締める。祖父は諭すようにあかりに伝える。
「あかりに気持ちを伝えている二人に誠実に向き合いなさい。選べる立場であることを有り難く思い、真摯に向き合うことだ」
仕事が忙しいことを理由として、問題から逃げているあかりを見透かしているような祖父の言葉である。
あかりは射るような眼差しを向けてくる祖父から視線を逸らすように俯いて、送られた言葉を噛みしめた。
「その二人を結果的に選ばなくても良い。だが、どちらも軽い気持ちで結婚を申し込んではいないはずだ。ならばあかりも同じくらい真剣に考えて答えを出しなさい。それが責任というものだ」
「……わかりました」
あまりにも正論の祖父の言葉に、あかりは絞り出すように返事をしたのだった。
※
「なんで辞めたの、仕事」
母と並んで後片付けをしながら、あかりは訊ねた。
男性陣は酒を酌み交わしながら、昨今の事件について討論を繰り広げていた。あかりも比較的酒には強いが、底なしに飲める男たちに付き合っていると際限がない。片付けを手伝うという名目で母と台所に引っ込むのはいつものことであった。
母はあかりの問いにすぐには答えなかった。黙々と残りの洗い物を終わらせ、あかりにお茶を淹れるとダイニングテーブルに座るように命じる。
「結婚したら、子どもができたら、花形部署で働けないから、かな」
前置きもなく切り出した母の言葉を、あかりは真剣な面持ちで聞く。
「あのまま結婚しなくても男性の中で婦警として仕事を続けていても先が見えたのよ。「あぁ、結局上にはいけない」って。まぁ、時代もあったしね」
あかりは言葉に詰まる。だいぶ雰囲気は変わってきているとはいえ、まだまだ男性優位の縦社会だ。女性の絶対数が少ないため、出産、育児を経て負荷が少ない部署への異動は容易だ。だが、育児をしながら独身の時と同じように仕事第一で働こうと思った場合、男性より女性の方が難しくなる。
まず、配偶者の協力は不可欠なのに、女性警察官の配偶者の多くは同僚の警察官だ。どちらかが仕事に専念する、となったら大抵は男性だ。母の時代なら尚更だろう。
「あと、父親が頭を下げて頼んで来たのもあるしね。「俺は仕事優先でいい父親にはなれない。だから、俺の代わりに君が家を守ってほしい」ってね」
どこかで聞いたようなセリフだ。あかりはポツリと呟いた。
「やっぱり警官同士なら、どっちかが仕事辞めないといけないのかな……?」
「そんなことないわよ」
あかりの言葉を一蹴した母親は、どこか達観した顔で答える。
「辞めたのは、私がそうしたかったの。もちろん後悔が全く無かった、とは言わないけれど、自分が上に行くよりあの人に私の夢を託したほうが手っ取り早いからそうしただけよ。あの人も約束を守って叩き上げにしたら出世した方だしね」
あかりは頷く。ノンキャリアの父が警視の地位にたどり着くのは容易ではなかっただろう。普通ならせいぜい高卒の警察官が出世しても警部止まりなのだから。
颯もノンキャリアながら、そこまで上り詰める素質がある。キャリア組の雅人が目をかけているくらいなのだから。
「なぁに、アンタも仕事辞めろって言われたの? 甲斐性あるじゃない」
母親に問われたあかりは首を振る。
「自分が仕事辞めるって。私には仕事を捨てれないだろうからって」
「よく見てるじゃない、あかりのこと。そりゃあ雅人が目をかけているだけあるわね」
ふふふ、と笑う母親とは反対に、あかりはテーブルに顔を突っ伏した。
「どうしたらいいんだろう……?」
「そんなの自分で決めなさい。お祖父ちゃんにも言われたでしょう」
独り言のように呟いた甘えの言葉にピシャリと叱った母親は、あかりに一つだけアドバイスする。
「ちゃんと両方の話を聞くことは前提として。特に彼の意図をよく聞くことね」
「彼ってどっち?」
「お兄ちゃんが推している方」
「颯さん? なんで?」
あかりの問いかけに母親は何かを分析したかのように少しだけ眉を寄せる。そうするといつも穏やかな顔が一瞬で厳しいものになるのだ。幼い頃から見てきたが、その表情だけで母親が全盛期、父よりも優秀な警官だったと理解できるくらいである。
思わず姿勢を正したあかりに母親は自身の考えを告げたのだ。
「男が仕事を辞めるって言い出すのはよっぽどよ。特に仕事が好きな男がね。なにかトラウマがあるのかもよ」
思いもよらなかった母親の指摘に、あかりは言葉を失ったのだった。




