キスの味
動物園の広い園内をたっぷり時間をかけて回っていたらあっという間に三時を回っていた。
園内で食事はしたけれど、それ以外はほぼノンストップで歩いていた。
それにしても広い園内である。名残惜しいがさすがに疲れていた。二人は喉を潤すため動物園を出て、近くのカフェで飲み物をテイクアウトすることにした。
ちょうど小腹が空く時間だからか、店は大行列だった。ただでさえ、いつも行列ができるチェーン店だ。もっぱら自販機、もしくはコンビニのコーヒー派のあかりにはおしゃれすぎて全然縁がない店である。
そのため、やっとのことで注文カウンターにたどり着いても、あかりは戸惑う一方だ。沢山のドリンクが写真付きで載っているが、ブラック派のあかりには違いがわからなかった。店員は丁寧に「どうなさいますか?」とあかりに訊ねるが、本人は聞かれてもわからない。
隣のカウンターにいた理貴はさっさと注文を終えて既に受け取りカウンターの付近にいた。
助けを求めようとして、あかりは理貴を呼ぼうと上げた手を下げる。なんだか癪だったし、理貴は取り込み中だったからだ。
そして、店員にむかってどんな時でも使える魔法の言葉を使った。
「貴女のオススメでお願いします」
ホットかアイスのどちらかがいいか訊ねられ、かろうじてサイズを選び。
カウンターで待っていたあかりの手元に届いたのはトールサイズのホイップクリームがたっぷり乗った季節限定のフラペチーノだった。
愕然としているあかりに理貴は声を掛ける。
「珍しいね、そんな甘いの選ぶの」
いつもはブラック一択のあかりにとっては珍しいチョイスにだったのだ。
理貴は無難にアイスラテだ。
「……歩き疲れたから」
「なるほど」
注文の仕方がわからなかったとは口が避けても言いたくないあかりは強がった。
わかっているだろうに、理貴がサラッと流してくれてホッとする。
せっかくだから、と近くにある池の方へ並んで歩いていると、突き刺さるような視線を浴びる
視線を集めている原因は、もちろん理貴だ。
幼馴染ということでスッカリ忘れていたが、理貴の顔面偏差値は高い。
動物園でもカフェで注文待ちしている時もチラチラと見られているのを感じたし、あかりが注文でまごついている間にも話しかけられていたようだ。
先に注文を終えて商品を受け取っている間も、話しかけてくる女性に笑顔を向けて対応していた理貴の姿。
そっちが気になりすぎて、店員にオーダーを丸投げしたなんて、理貴には絶対言えない。
だけど、このこってりした飲み物は、果たして自分に飲み干せるのだろうか。
フラペチーノを無言で見続けるあかりに、理貴が「飲まないの?」と聞いてくる。
ええい、なるようになれ、とあかりは躊躇いがちに口をつけると一気に吸い込む。
「うわっ! 甘っ!!」
叫んだあかりは自分のカバンから水を取り出しゴクゴクと飲んで口直しする。
ふと顔を見ると、理貴はうつむきながら口に手を当ててぷるぷると肩を震わせている。
あかりの方が背が低いのだ。笑いを堪えているなんて一目瞭然だ。
「……理貴」
低い声で名前を呼ぶあかりに理貴はとうとう吹き出した。
ますますブスッとするあかりに理貴は笑いながら自分のコーヒーを差し出した。
「交換しよ。このラテ、シロップ入ってないしまだ口つけてないから」
「いや、良いよ」
さすがに申し訳ないし、聞いていなかったとはいえ頼んだのは自分だ。責任は最後まで持つ。
「僕が甘党なの、忘れた?」
そう言って奪い取るようにあかりの手からフラペチーノを受け取ると、あかりの空いた手に自分が持っているアイスラテを押し付ける。
「うん、美味い」
理貴が甘党なのは昔からだ。器用にストローの先でホイップを掬うと、一口食べて幸せそうな顔を見せる。
今まで数回、夕飯を食べに行ったが、今日ほど美味しそうに食べている理貴は見たことがない。
今日の理貴はなんだか感情豊かだ。
童心に返ったかのようにフラペチーノを飲み、相好を崩している理貴に今度はあかりが吹き出す番だった。
「……なに?」
理貴は憮然とあかりを見返す。その拗ねている顔も昔の面影を多分に残していた。あかりはますます声を上げて笑った。
※
せっかく来たから散歩がてらに、と理貴に促され池までやってきた二人は、近くに空いているベンチを見つけて並んで腰掛けた。
動物園からここまで結構な距離だ。普段から走り回っているとはいえ、さすがに疲れを感じている。
カフェは満席で座れなかったこともあり、そのベンチでしばし休憩を取ることにしたのだ。足を伸ばし、お互いにまだ冷たいままのドリンクを飲む。
まだかろうじて春だが、ひなたにいると汗ばむくらいの陽気だからか、平日の夕方近くだからか。日が当たるところにあるベンチにはあかり達の他に誰もいない。
喉を潤しお互いに一息ついた頃、さっき笑われた仕返しとばかりに理貴があかりに言った。
「あかりちゃん、夢中になっていたね。動物、可愛かった?」
「……うるさい」
展示スペースギリギリにまで顔を近づけて動物の姿を探している姿を何度理貴に笑われたことか。
あかりは開き直る。
「いいじゃない。動物園は久しぶりなんだもん」
「そうなの? 同僚だった前の彼氏とは来なかったんだ」
「……なんで元カレの仕事知っているのよ?」
ジロリと睨む。誰が伝えたのかは聞かなくてもわかっている。
理貴の耳に入れるのはヤツしかいないから。
「幸人」
「やっぱり」
あかりはため息をつく。
「どこまで聞いてるのよ、幸人から」
「んー」
理貴は一度天を仰いでからあかりと視線を合わす。
「幸人が知っていることは大体かな」
幸人とは県が違うのだ。知っていたとしても名前と年齢くらいなもの。
なら大したことない。あかりはホッと胸をなでおろす。
(まぁ、幸人がまさにぃと連絡取っていたら別だけど……)
長兄の雅人は、あかりとも颯とも同じ警視庁勤めだ。更に本庁と所轄の違いはあれど颯と同じ刑事ということもあり、何かと彼のことを気にかけている。
雅人から幸人に情報がいっている可能性はなくはないが、年も一回り以上離れていることもあって二人はそんなに密に連絡を取り合う仲ではない。
颯について漏れていることはないだろう。
あかりの心の内などつゆ知らず、理貴はいささか緊張した面内でぶっ込んできた。
「元カレさんとは結婚の話でなかったの?」
「ぶっほっ!」
いきなりぶっ込んできた理貴に驚いたあかりは、飲んでいたアイスラテが気管に入ってむせてしまった。
そのワードは、今のあかりには禁句だ。
激しく咳き込みながらも理貴を睨みつける。
理貴は咳き込むあかりを落ち着かせるように、背中を撫でながらも追求の手は休めない。
「警官ってみんな早くに結婚するでしょ。あかりちゃん自身も警察官だし。話、全くなかったの?」
むせながらも、あかり咄嗟には周りに人がいないか確認する。
外で「警察」のワードを出すのはあまりよろしくない。
誰が聞いているかわからないからだ。
理貴も幸人と付き合いもあるし、あかりも会うたびに念押ししているから、言動には気を配ってくれているのだが。
硬く拳を握っている理貴は、今自分が口にした言葉に気づいている様子はない。
(もう一度、言わないと)
警官同士なら徹底して外では口にしないが、理貴は一般人だ。
迂闊な会話をさせているのは、あかりにも一因がある。
改めて言い含めておこうと思いながら、あかりは周りを素早く観察すると安堵のため息をついた。
幸か不幸か、近くには誰もいなかった。
こういうときに咄嗟に周りの状況を確認する自分は、とことん警察官に染まっている。
「理貴、職業の名称は出さないでもらえると嬉しいんだけど」
あかりの申し出に理貴は、ハッとしたようだ。「ごめん」と素直に詫びる理貴に頷き、あかりは話題を変えようと口を開く。
「このあと、どうする? どこかで早めの夕飯でも食べる?」
あかりの提案に一瞬嬉しそうに眉を上げた理貴だが、思い直したように表情を引き締める。
話をそらそうとしたあかりの意図を察したようだ。
(勘がいいのも考えもんだよ。理貴……)
自分の話題のチェンジの仕方が下手くそなことを棚に上げて、あかりはため息をついた。
逃さないという目をした理貴は、改めてあかりに問いかける。
「彼にプロポーズでも、された?」
どうやらウヤムヤにはさせてくれないようだ。
隠すことでもないし、今言わなくても回り回って幸人の口から理貴に伝わるのも時間の問題だろう。そう考えたあかりは正直に答える。
「付き合っている時はなかったよ。……むしろ……それで別れた……ようなものだし」
ことさら強調したわけではないのに、理貴はあかりの言い方に何かを察したようだ。
「じゃあなんでそんなに歯切れ悪いの?」
「……」
「別れた後、されたんだ?」
「……」
「そっか……。ならつい最近だよね?」
あかりは返事をしない。それが答えだ。
ただでさえ、人の心の機微を察するのに秀でている理貴だ。
無言の答えで全てを理解したようだ。
「迷ってる?」
「……何をよ」
あかりの声は、自分で思うよりも弱々しく響いた。理貴は、あかりに顔を寄せ、囁くように告げる。
「元カレさんのプロポーズを受けるのかを」
「そんな……の……理貴には関係……」
「あるよ」
理貴は断言する。
「俺だって、あかりちゃんに結婚を申し込んでいる」
あかりは理貴の問いに答えられない。間近にある真剣な眼差しから逃れるように目を伏せたあかりのアゴをクイッと持ち上げたのは理貴だった。
「比べてよ。元カレさんと俺、どっちがいいのか」
そう言い放った理貴は、あかりの唇に自らのソレを強引に重ねたのだった。
突然の行為にあかりは目を瞠るしかなかった。
あかりが固まっているのをいいことに、理貴はアゴから頭の後ろに手を回して、更に深く口づけをしてくる。
(んっ……舌っ!!)
舌で強引に口を開けさせた理貴は、あかりのソレに絡めてくる。
「んんっ!!」
思わず声が漏れる。その声に理貴はますます調子に乗ったかのように、何度も執拗に舌を絡めようとする。
(ちょ……まっ……!)
どうしたらいいかわからないあかりが理貴の胸に手を押し当てた。と、同時に理貴の唇は離れる。
始まった時と同じように唐突に終わったキスに、あかりはハァハァと肩で息をする。キスの間、息を止めていたから酸欠気味だったのだ。
理貴はあかりを見つめている。先程まで見ていたのと同じ顔のはずなのに、あかりには別人のように感じてしまう。
「あかりちゃん」
理貴が呼びかける。あかりは自分の体がピクリと反応するのを抑えきれなかった。
「なんで抵抗しなかったの?」
「なっ……」
予想外の言葉にあかりは絶句する。
あかりの内心を読んだかのように、理貴は言葉を重ねる。
「イヤなら、唇でも舌でも噛んだり、殴ったりして良かったのに」
そういうと、理貴はフワッと微笑んだ。
「しなかった、ということは、僕にもまだ見込みはあるってことかな」
「ちょっ! ……なんでそうなるのよ」
ジト目で睨むあかりを気にすることなく、理貴は上機嫌だ。
その勢いのまま、理貴は再度あかりに顔を近づける。
またキスをされたら堪らない。あかりは、咄嗟に立ち上がり理貴から逃れようとする。立ち上がったあかりの手を理貴は掴んで静かに声を発した。
「比べてよ」
再び颯と自分を天秤にかけるように言ってくる理貴に、あかりは戸惑いつつも質問し返す。
「……なにを」
「元カレさんと俺を」
先程も伝えた言葉を繰り返した理貴は、更に言い募る。
「顔も、体も、性格も。職業も、将来性も、プロポーズの言葉も。どれだけあかりちゃんのことが好きなのかもそうだし、デートの内容も……さっきのキスも。全部並べて、比べて……そして」
「……そして?」
理貴は一旦、言葉を飲み込み、そして掴んでいたあかりの手を強く握り直す。
「答えを出して欲しい。そして、俺を選んでよ」
あかりは、理貴の真剣な表情に何も言えないまま、すっと視線を逸らしたのだった。




