無自覚な初恋
秋斗が酒場に向かってからしばらくした後、シアンは暗い宿で一人、目を覚ましていた。
「………………」
何かを感じ取ったのか、無言で窓の外を見つめる。空には小望月が出ており、真っ暗な空を小さく照らしていた。
しばらく窓の外を眺めた後、シアンは普段と変わらぬ足取りで宿の外へ出て行った。
夜の町は昼間ほどではないものの、賑やかな声が聞こえてきた。酒場の前を通り過ぎようとすると、何やら盛り上がっているらしく、他の店と比べると一段と騒がしく感じた。
しかし、特に気にする様子も見せず、シアンは目的の場所まで歩いて行った。
町から数十分歩いたところ。昼に来た洞窟にシアンはまた来ていた。
そして、何の迷いもなく洞窟の中へと入っていった。秋斗もいないため、松明も無しで進んでいく。リッチは暗闇の中でもハッキリと見ることができるため、必要ないのだ。
歩く速度を変えることなく、奥へ奥へと進んでいく。鉱石が周りに見えるようになってからも、見向きもせずに進む。
ついには、昼に操られたサキュバス達と対峙したところまで来ていた。しかし、もっともっと奥へと進む。
そして、最奥近くまで来た時、ついにシアンが足を止めた。
「……いた」
そう言って、暗闇の洞窟の奥を指差す。そこには、子供の姿のシアンよりも高い身長を持った女。シアン達が倒さなければいけない存在であるヴァンパイア、セリナがいた。
「まさかそちらから来てもらえるとは思いませんでしたわ」
クスクスと笑いながらシアンの前に出てくる。
「私はセリナと申します。以後お見知り置きを」
「………………」
シアンは無表情のまま、セリナの動きを警戒していた。
「そろそろそちらへ向かおうと思っていたところですが、手間が省けましたわね」
セリナからしてみれば、狙っていた獲物が自分から来てくれたのだから、都合の良いことでしかない。しかし、セリナにはいつくか疑問があった。
「いつから気づいていました?気配は完全に消していたはずなんですが」
「……視線を感じた。後は、勘」
「随分と立派な洞察力をお持ちで。ここに来た目的は?」
「……しゅーとを、守るため」
その言葉を聞いたセリナは、何かを察したのか不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど、そういうことでしたか。でしたら、ここは少々狭いのでは?」
「ここなら、お前は全力を出せない」
「それはそうですね。ですが、それは貴方も同じでしょう?」
「………………」
図星だった。洞窟が崩れる可能性がある以上、お互い全力を出すことはできない。
「では、交渉をしましょう」
「交渉……?」
「私の目的は貴方を連れて帰ること。貴方がこちら側についてくださるのなら、私はあの町には近づきません。もちろん、あの人間にも手は出しませんわ」
「断る」
即答する。シアン達の目的はヴァンパイアを倒し、皆を元の姿に戻すこと。敵であるヴァンパイア側につくことなどありえない。
そんなことはとっくに理解していたであろうセリナは、特に残念がる様子も見せず続けた。
「そうですか。ですが、私もこのまま帰るわけにもいきませんので。貴方かサキュバス、どちらかは必ず連れて行きますわ」
「なら、止めるだけ」
シアンは臨戦体制をとり、セリナを睨んだ。
「安心してください。今日は大人しくすることに決めましたので」
「……どういうこと?」
「そのままの意味ですわ。今日はこの洞窟から出ないと言っているのです」
しかし、シアンが臨戦体制を解くことはなかった。むしろ、警戒心を増して今にも魔法を使おうとしていた。
「お前にその気がなくても、シアンが退く理由はない」
「うふふっ、威勢がいいですね。ですが、貴方は何か勘違いしていませんか?」
「勘違い……?」
すると、セリナは先程まで浮かべていた笑みをスッと消して、恐ろしい顔で言った。
「見逃してやるっつってんだよ。死にたくなかったらさっさと帰れチビ」
「……っ!」
丁寧な口調は何処へやら。まるで人が変わってしまったかのように乱暴な口調になっていた。あまりの豹変ぶりに、流石のシアンも困惑するしかなかった。
思わず後退ってしまう。シアンは今確かに死の恐怖を抱いていた。
「まぁ、私としても貴方に死んでもらっては困るので。できることなら、素直に言うことを聞いて欲しいのですが」
セリナの豹変は一瞬で、すぐに元の丁寧な口調に戻っていた。しかし、先程よりもその笑みが不気味に見えてしまっていた。
「……分かった。今日は退く」
「ありがとうございます。貴方が話の分かる人で助かりました」
シアンが不利な状況であることに変わりはない。危険な存在を放置しておくのは心苦しいが、死んでは元も子もないのでここは退くのが正解だろう。
「では、またお会いしましょう。次会う際には、こちらからご挨拶させて頂きますわ」
「……二度と、関わりたくないけど」
そう言い残し、シアンは洞窟の外へと出て行った。
シアンがいなくなった後、セリナは不気味に笑いながら一人呟いた。
「退いてくれて助かりました。私としても、明日の方が都合がいいですから」
あのまま退いてくれなければ、シアンを殺してしまっていたかもしれない。必要であれば殺すのも選択の一つとしてあるが、できればこちら側に引き入れたいので、あまり好ましい選択ではない。
「それに、サキュバスも捕獲するなら、一緒にやってしまった方が効率がいいですしね」
どちらかを連れて行くと言っていたが、実際は最初からどちらも手に入れるつもりだった。もちろん、シアンが大人しくこちら側についてくれるのなら、約束は守るつもりだったが。
「さて、明日はどんな夜になるでしょうね」
素晴らしい夜になることを願いながら、洞窟の奥へと戻っていった。
今日はネム達とムツリに会う約束をしていた。ムツリにはネム達から事情を説明しているらしく、今は家で心の準備をしているらしい。いきなり押しかけて大丈夫かと心配していたが、話を通しているのなら大丈夫そうだ。
それよりも、秋斗は少し気になることがあった。
「シアン、今日はやけにくっついてるな。何かあったのか?」
「……しゅーとを、守るため」
「ムツリは危ない子じゃないと思うけどな……」
朝からずっとこの調子なので聞いてみるが、どうやらムツリを危険視しているらしい。
もちろん、シアンが警戒しているのはセリナなのだが、そんなことを知らない秋斗はそう解釈した。
「そういえば、昨日帰ったらいなかったけどどこに行ってたんだ?」
宿にいなかったことを思い出し、なんとなく聞いてみる。
「………………」
しかし、シアンは何も答えずただ秋斗を手を強く握った。
不思議に思ったものの、特に深入りせずに手を握り返してやる。
(何かあったんだろうけど、話したくなさそうだし仕方ないな)
ただでさえシアンの考えていることは分からないのだから、変に探るだけ無駄だろう。シアンから意識を外し、隣を歩いていたネムに話しかけた。
「ネムさん達とムツリは仲がいいんですか?」
「うーん、どうでしょう?他の人と比べたら、比較的話してくれてるとは思うけど」
「私達にはまだ心を開いている方じゃないか?家に押しかけても追い返されることもないしな」
「じゃあ、心を開いてない人は追い返されちゃうんですか?」
「そうだな。ムツリは一度嫌だと言った相手は気を許すまで絶対に家に上げない」
「この前、町の外からやってきた人がしつこく家の前に来て、ムツリちゃんと仲良くしようとしてたんですけど、雷を落とされて気絶してましたね」
「雷」
なんだか物騒な話が聞こえたが、男である秋斗が行って本当に大丈夫なのだろうか?雷なんて落とされたら普通に死ぬが。
「この町の人達ならまだしも、外からの人には本当に関わりたくないみたいです。でも、秋斗さんなら流石に大丈夫だと思いますけどね」
「彼女はきっと少年に心を開いているさ。昨日ムツリが少年に声をかけていたのがその証拠だ」
「だといいんですけどね」
正直、ここまで言われたらもしかしたら自分は大丈夫なのでは?と思ってしまう。いや、きっと大丈夫だろう。二人がここまで念を押して言ってくれているんだから、それを信じよう。
「ここがムツリの家だ」
「え?ここがですか?」
危うく通り過ぎそうになるくらい、壁と一体化した家がそこにはあった。
よく見ると、確かに扉のようなものがあるのだが、何も知らなければ気付くことも難しいくらい壁の配色とそっくりだった。
「私達もムツリに案内されて初めて知ったくらいだからな。驚くのも無理はないさ」
「この町の人でも知らない人がいるくらいですからね」
なぜそんな家を建てたのかは分からないが、それよりも今はムツリに会うことが優先だ。
怖がらせないよう、最初はネム達に声をかけてもらう。
「ムツリちゃーん。人間さん連れてきたけど、もう大丈夫?」
「問題ないなら扉を開けてくれ」
「………………」
しかし、家の中からはなんの返事も返ってこない。まだ心の準備ができていないのだろうか。
「あの、ネムさ──」
瞬間、バンっ!という音と共に勢いよく扉が開いた。いきなり扉が開いたのもあり、思わず体をビクッと震わせてしまう。
この場にいる全員が(シアンはどうか分からないが)驚きのあまり硬直していると、空色の髪をしたサキュバスの少女、ムツリがビクビクと震えながら顔を出してきた。
「……は、入って、いいよ」
それだけ言うと、扉を開けたまま家の中へと戻って行ってしまった。
「……敵?」
「違うぞ?」
「とりあえず、入っても大丈夫みたいですし、お邪魔しましょうか」
シアンが変な勘違いをしそうになったが、特に問題なくムツリの家に入る。
部屋の中は思ったよりもしっかりしていて、日本で例えるなら和風な雰囲気の部屋だった。ご丁寧に人数分の飲み物まで淹れてある。しかし、家の主であるムツリは部屋の隅で縮こまっていて、こちらに近づこうとはしなかった。
ムツリから一番離れたところにある飲み物が置かれている場所に座る。気を使っているのもあるが、雷を落とされるのをビビっているのもあり、この位置に座ることにした。
他のみんなも座ったのを確認してから、慎重にムツリに声をかけた。
「えっと、初めまして……ではないか。俺は風槍秋斗。知ってると思うが人間だ。昨日は君のおかげで助かったよ。ありがとな」
自己紹介も兼ねて昨日のお礼をする。できるだけマイルドに話したつもりだが、ムツリの反応はどうだろうか。
「あ、え、えっと、その、わ、わたしなんかがそんな、お、お礼を言われる、ようなこと……」
めちゃくちゃ緊張していた。何を言っているのか若干聞き取れないくらいには緊張していた。
「き、君の名前はネムさん達から聞かされてるけど、改めて名前を聞かせてくれないか?」
少しでも会話を続ける為に、自己紹介を促す。ムツリは相変わらず緊張した様子で震え声のまま話した。
「わ、わた、わたし、ムツリって言って……その、えっと、あ、あの、さ、サキュバスで……それで、えっと……うぅ……」
頑張って名前と種族は言うことができたが、それ以上は話すことができずに泣き出してしまった。
子供の相手をするように、反射的にムツリをあやそうと近づいてしまう。それがいけなかった。
「ひっ……!」
秋斗が近寄ってきたことに驚いたムツリが、誤って雷魔法を秋斗に向けて撃ってしまう。もちろん、秋斗が反応できる訳もなくそのまま電撃を浴びせられそうになる。
「『ライトニング・アーツ』」
シアンが同じ雷魔法で相殺してくれたおかげで事なきを得る。だが、無意識とはいえ秋斗に攻撃を働いたムツリをシアンは完全に敵視してしまった。
「やっぱり、コイツ敵。しゅーとを傷つけようと……!」
「ま、待って待って!シアンが助けてくれたおかげで俺は大丈夫だからさ!一旦話を聞いてくれ!」
「ひ、ひぃ!ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「ちょ、ムツリちゃん!家の中で魔法連発したたらダメだよ!」
「と、とりあえず少年を守ろう!」
家の中はムツリの暴走による雷と、秋斗を守る為に応戦するシアン達とで、一瞬で地獄と化した。
なんとかムツリを落ち着かせてから、ムツリについて何も知らないシアンに事情を説明する。
「……早く、言って」
「ご、ごめん……シアンとムツリが面識ないの忘れててさ」
顔は無表情のままだが、明らかに怒っているシアンに頭を下げながら宥める。
ムツリの家に来てから十分もしないうちに酷い目に遭ったが、ここにいて本当に大丈夫なのだろうか?シアンがいるとはいえ、このままだと死ぬのでは?そんな考えが頭をよぎる中、反省した様子で正座するムツリを見た。
「うぅ……ごめんなさい……」
「いや、急に近づいた俺も悪かったから。そんな気を落とさないでくれ」
部屋はぐちゃぐちゃになり、せっかく淹れてくれた飲み物は、全て入れ物ごと破壊されて溢れてしまったが、生きているだけマシだろう。片付けはかなり面倒になりそうだが。
「しかし、改めて驚かされるな。ムツリがここまで会話ができるなんて」
「ムツリちゃんに聞きたいんだけど、男の人と話せるのは秋斗さんだけなの?」
全員が思っている疑問をムツリにぶつける。ネム相手に話すからか、ムツリは落ち着きを取り戻しながら答えた。
「う、うん……わたしも、なんでかは分かんないんだけど……お、お兄さんの前だと、ちょっとだけ怖くない……って言うか……」
お兄さんとは秋斗のことだろう。そんな呼び方をするということは、ムツリは秋斗よりも歳下なのだろうか?
「昨日酒場で少年を助けたのは、何か理由があるのか?」
「えっと……あ、あの時は、たまたま三人のことを見かけて……それで、二人に絡まれてるお兄さんを見てたら、なんか、胸の辺りがモヤモヤして……」
その言葉を聞いた瞬間、ネムとビノセントは食い入るようにムツリの元へと詰め寄った。
「そ、そそそそれってムツリちゃん!」
「あ、ああ。まさか、まさかムツリ、お前少年に……!」
「え?え、え?な、なに?え?」
なぜ二人がこんなにも興奮気味なのか分かっていない様子のムツリ。秋斗もシアンも、ムツリ同様なにがなんだかよく分かっていなかった。
「いつの間にかこんなに成長して……」
「大人になったんだな……」
「だ、だから、なに?」
今度は感動して涙を流す二人。ここに来てから、二人の情緒がおかしい気がする。
「よし!ムツリ、私達が色々と教えてやろう!」
「そうね!ほら、ムツリちゃん。こっち行きましょう」
「え、な、なにするの?ちょ、まっ、離してー!」
「……これ、何やってるの?」
「……さぁ?」
秋斗とシアンを置いて、別の部屋に行ってしまった。せっかく二人になれたので、指輪について話すことにした。
「指輪なんだけどさ、色々考えてみたけどこのまま情報集めだけしてても仕方ないと思うんだ」
「うん」
「だから、実際に戦ってみて発動条件を探ろうかなって考えてるんだ」
「実戦?ダメ、危険」
案の定、シアンに止められてしまう。死ぬ危険性がある以上、当然の反応だった。
「もちろん、敵意のあるやつとは戦わない。あくまでも指輪の力を引き出すための模擬戦みたいなのを考えてる」
最初から敵と戦うなんて危険なことはできない。だが、シアンやシトラスに手伝ってもらえば安全に実験することができる。
「でも、やっぱり危険。しゅーとは、すぐ死んじゃう……」
それでも秋斗の考えを了承してくれないシアン。秋斗の安全を何よりも考えて行動しているシアンにとって、この提案は好ましくないものだった。
「危険なのは分かってる。でも、俺だってみんなの役に立ちたいんだ」
「でも……」
「なら、模擬戦の相手はシアンがやってくれ。俺もシアンなら大丈夫って思えるしさ」
シアンは俯いて考えるような仕草を取った後、納得したように首を小さく縦に振った。
「分かった。シアンが、しゅーとの相手する」
「ありがとな。もちろん、模擬戦をしたところで何も得られないかもしれないけど、やれることはやっておきたいからな」
せめて指輪以外の武器でもあれば、少しは役に立てるかもしれないのだが。この世界に剣や銃があるとは思えないし、魔道具も秋斗に使えなければ意味がない。
(今分かってることは、『セイギ、チカラ、ヒトノコトトモニ』と書いた紙と、フェルノートさんが聞いた『オソレヲコロセ』って言葉か……)
言葉通りの意味だったとしても、何をしたらいいかは分からない。やはり、情報が少なすぎるのが問題だ。
「とりあえず、明日にでもシアンに頼んでいいか?ここでの情報収集は終わってるし、もう少しこの町にはお世話になるだろ。やる時間はいくらでもある」
「ん、分かった。でも、無理はダメ、だから」
「分かってる。でも、もし俺が無理してるように見えたら止めてくれ」
「あ、お話終わりましたか?」
いつの間にか戻ってきていたネムが尋ねてきた。こちらの会話が終わるのを待っていたようだ。
「なにやら真剣な話をされていたようですが、大丈夫でしたか?」
「いえ、もう終わったので大丈夫ですよ。それより、ビノセントさんとムツリは?」
「隣の部屋にいますよ。あ、ビノセント!ムツリちゃんの様子はどう?」
何かをやり遂げたような顔をしたビノセントが部屋から出てきた。
「相変わらず恥ずかしがっているようだけど、さっきみたいに暴れることはないと思う。やはり、私の目に狂いはなかった。ムツリは本当に素晴らしい体をしていた」
「一体なにしてたんですか……」
怪しい単語が聞こえたが、ムツリはどうなっているのだろうか。
「じゃあ、秋斗さん。隣の部屋に入って、ムツリちゃんとお話ししてもらえますか?」
「今度は邪魔にならないよう、この部屋で待っている。何かあればすぐに呼んでくれ」
「わ、分かりました。シアン、ムツリと二人で話したいから離れてくれるか?」
「……仕方ない」
シアンから離れてもらい、隣の部屋の前に立った。
「ムツリ、入っていいか?」
「だ、大丈夫……じゃ、ない、かも……や、やっぱり大丈夫!……じゃな、くない……かも……」
「……入るぞ?」
念のためゆっくりと扉を開けて中に入る。そこで、とんでもないものが秋斗の目に飛び込んできた。
「な、なんだその格好……!?」
そこには、胸と陰部だけを隠し、それ以外の肌を全て露出させたムツリの姿があった。
布面積が異常なほど少なく、一言で言えば露出狂にしか見えなかった。
「あ、あんまり見ないで……は、恥ずかしいから……!」
「す、すまん!」
慌てて目を逸らし体を反対方向へ向けるがもう遅い。秋斗には今のムツリの姿が鮮明に脳裏に刻まれていた。
(ただでさえ普段の格好がヤバいってのに……!)
そう、この町に来た時もそうだったが、サキュバスの服装は露出度が高い。全てのサキュバスが似たような服を着ている訳ではないが、町を数分歩くだけで5〜6人ほど見かける。ネムやビノセントも、他のサキュバスと格好は違うものの、際どい服を着ていることに変わりはなかった。
「い、一応聞くが、ムツリの意思で着てる訳じゃないんだよな?」
「あ、当たり前……って、サキュバスが言うのも、変だけど……」
他のサキュバスと比べてムツリはこちら寄りの感性を持っているみたいだ。それがサキュバスとしていいのか悪いのかは分からないが。
「それにしても、さっきよりは普通に話せてるんだな」
「う、うん……緊張は、するけど、な、なんとか……」
しどろもどろな話し方は変わっていないが、落ち着いたからかネム達と話している時と同じように話せていた。ムツリを見ないように話しているので、目は合わせられないが。
「聞きたいことがあるんだが、大丈夫か?」
「う、うん。……なに?」
「ムツリって子供の頃から男性恐怖症なんだろ?なんで異性が怖くなったんだ?あ、もちろん、答えづらかったら無理して答えなくてもいいからな?」
「だ、大丈夫……べ、別に、隠すようなことでも、ないし……」
ムツリは一度深呼吸をしてから、過去になにがあったかを話し始めた。
「……さ、サキュバスのほとんどは、子供の頃から、せ、精気の取り方を、教わるんだけど……」
「ムツリは教わらなかったのか?」
「う、ううん、教わった。でも、そ、その時、手伝いをしてくれた男の人が……す、すごく怖くて……」
「怖い?顔とか、雰囲気がか?」
「それも、あるかも……で、でも、違くて……わ、私、その時初めて男の人を、み、見たから……体がすごく、大きくて、硬くて……こ、怖くなっちゃって……」
(体の話……だよな?)
サキュバスが話すからか変な意味にしか聞こえないが、真面目な話をしているので余計なことは心の内にしまっておく。
「そ、その日は、なんとか乗り切ったんだけど、それから男の人を見ると、か、体が震えちゃって……」
「特に何かされたってわけじゃないのか……」
それなら、まだ男性恐怖症を克服できる可能性はある。心に深い傷を負ったりしていないのなら、男が怖い存在ではないことを証明すればいいのだ。
「でも、なんで俺は大丈夫なんだろうな?この世界の男より背が小さいからか?」
「そ,それは関係ない、と思う……い、今の私からしたら、お兄さんも大きく見えるし……」
「確かに。まぁ、こうして会話できてるってことは、頼まれてたことはなんとかなりそうだな」
「……?何を、頼まれたの?」
「ムツリの男性恐怖症を克服させて欲しいってな。もちろん、すぐには無理だろうから、まずは俺に慣れてからだな」
いくら会話ができるとはいえ、触れようとしたりすると拒否反応が起こることは確認済みだ。まずは秋斗と普通に接することができるようになる必要がある。
「え、えっと……な、なんで?」
「ん?なんでって、何がだ?」
「だ、だって、私そんなこと、頼んでない……」
「あっ……」
そうだ。何を愚かなことをしようとしているんだ。確かにネム達に男性恐怖症を克服させるよう頼まれた。だが、ムツリの意志をまだ聞いていなかった。
(自分勝手に話を進めて、ムツリを傷つけちまった……)
そんな罪悪感が秋斗の心を蝕んでいく。やっと人の役に立てる。その事実が秋斗の思考判断を鈍くさせていたのだ。
(俺だけが満足したって意味ないじゃないか……!早く謝らないと!)
秋斗は勢いよく振り返ると、額を擦り付けるようにして土下座をした。
「悪かった!お前の意志を無視して自分勝手に話を進めて──」
「あ、謝らないで!」
「え……?」
すると、ムツリは秋斗の顔を両手で挟むようにして持つと、ゆっくりと顔を上げさせた。そして、ほぼゼロ距離で秋斗とムツリの目が合った。
「あ、安心して。お兄さんは、何も悪くないから……」
こんなに近い距離で、しかも秋斗に触れている。そんな状況だが大丈夫なのかと心配になった時、ムツリの手が僅かに震えているのが伝わってきた。
「ご、ごめん……やっぱり、こ、怖い……で、でも、大丈夫、だよ。お兄さんの気持ちは、つ、伝わってるから……」
何が大丈夫なのだろうか。それに、こんなに顔を近づけて、一体何をしようとしているんだ?
「む、ムツリ……?お前……」
「……無理」
「え?」
次の瞬間、ムツリが顔を真っ赤にしてその場で気絶した。
余程無理をしていたのだろう。目はグルグルと回っていて、身体中から大量の汗が噴き出ていた。
「お、おい?ムツリ!?」
何度呼びかけてもムツリは目を覚まさなかった。結局、大した力になれないまま、ネムとビノセントにムツリを任せた後、そのまま解散することになった。
「……うっ」
(あれ、わたし、何してたっけ……?確か、お兄さんとお話しして、それから……)
「……っ!お、お兄さんは!?」
「おぉ、起きたかムツリ」
「秋斗さんなら、少し前に帰りましたよ」
ネムとビノセントがお茶を飲みながら答えてくれた。どうやら、自分が気絶している間に帰ってしまったらしい。
(だ、大丈夫かな……変なこと、言ってなかったかな……)
気絶する前の記憶がぼんやりとしかないため、自分が何をしたかをよく覚えていなかった。
それも仕方のないことでもあった。なにせ、初めて異性相手にあれだけ近づいて話したのだから。緊張と恐怖で頭がいっぱいになり、勢いで何かしようとしたことは覚えているのだが。
「それより、私達ムツリちゃんに謝らないといけないことがあるの」
「え?な、なに?」
二人はムツリの方を向いてしっかり目を合わせながら、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。私達、ムツリちゃんに無理させちゃったね」
「ムツリのためだと思い、気を急いだ結果がこれだ。もっとムツリの意志を聞いておくべきだった。すまない……」
きっと、秋斗から話を聞いたのだろう。ムツリが男性恐怖症を克服する気がないことを。それを嫌がっていることを。
「う、ううん。私も、連れてきていいって言っちゃったし……だ、男性恐怖症を克服するためっていうのは知らなかったけど……」
「隠していたつもりはなかったんだ。こんな大事なことを言い忘れていたなんて、私は本当に愚かだな……」
「わ、わたしは大丈夫だから。頭上げて?」
これは誰が悪いとか、そういうのはきっとない。みんな、ムツリのために行動してくれたのだから。
(わたしが、もっとちゃんとしてたら……)
自分のために頑張ってくれたネムやビノセント、秋斗にも申し訳ない気持ちになる。
「それにしても、本当に少年に対しては普通に話せるんだな。今でも信じられないよ」
「ねぇ、ムツリちゃん。秋斗さん、どんな反応してた?」
「どんなって、なにが?」
「その服、喜んでくれてた?」
「服?……っ!」
ネムに言われ、改めて自分がすごい格好をしていることに気づく。結局、ほとんど顔を合わせて話していなかったので、この格好も無意味だったわけだが。
「な、なんだったの、この服?ほ、ほぼ裸だし……」
「少年を落とすなら、刺激の強い格好の方が効果的だろうからな」
「それに、ムツリちゃんすごい似合ってるよ?可愛い〜」
「……ほんとに、二人の言う通りなのかな?」
秋斗と二人で話す前、ムツリは隣の部屋でネムとビノセントにこんなことを聞かされていた。
「わたしが、お兄さんに、恋してるって……」
恋。それは、異性が苦手なムツリにとって縁のないものだと考えていたもの。
ましてや、先日初めて出会った人なのだ。恋しているなんて言われてもピンとこない。
「ムツリちゃん。恋の仕方はね、色々なものがあるの」
「そんなの、全部一緒じゃないの……?」
「例えば、ずっと一緒にいたから好きになる人。長い時間を共に過ごすのだから、そこに恋心が芽生えてもおかしくない」
「なら、わたしの場合は?」
「ムツリちゃんの場合は、出会ってすぐに好きになっちゃうパターンね。つまり、一目惚れってこと」
「一目惚れ……」
言われて、過去の自分を振り返る。
──ムツリが初めて秋斗を目にしたのは、昨日の昼過ぎ。つまり、秋斗とシアンがこの町に来た時だった。
(……っ、あの人、男の人……!)
ムツリはすぐにその場から離れた。当たり前だが、サキュバスの町には男性の客が非常に多く来る。その日も同じ目的の客だろうと思いながらその場を後にした。
しかし、すぐにその噂は流れてきた。
「さっき来た旅の方、人間らしいわよ」
「え!?人間さんが私達の町に!?」
何やら、町中が騒がしい。耳も立てる必要もなく、その原因はすぐ耳に入ってきた。
(人間……?それって、最近噂になってる人間のこと、だよね……?)
サキュバスの町に限らず、秋斗の存在は様々な場所で噂になっていたため、当然ムツリも知っていた。
(気になる……でも、男の人だし……)
リンブルの世界に人間が来ることは滅多にない。ごく稀に迷い込んでくる人間もいるらしいが、結局それも噂止まり。都市伝説みたいな存在なのだ。
そんな珍しい人間が、今この町にいる。いくら相手が苦手な男とはいえ、気にならないわけがなかった。
(……め、目さえ合わせなければ……だ、大丈夫、かな……)
恐怖心よりも好奇心が勝ってしまった。もし、遠目から見るだけでも無理だと思ったらすぐその場を離れればいい。そんな考えで、ムツリは町中を探し始めた。
噂の人間はすぐに見つかった。しかし、見つけてすぐに酒場に入っていってしまった。
(うぅ……酒場、人多いから苦手……で、でも、今は我慢しないと……)
酒場には人が多く集まる。そのため、ムツリの苦手な男性も自然と集まる場所だった。
そのため、あまり酒場は入りたくなかったのだが、この日は珍しい人間を見たいという好奇心が強かった。数分悩んだ結果、体の震えをなんとか抑えて、無駄に緊張しながら酒場に入っていった。
「ひ、人多い……」
慣れない環境に体が拒絶反応を起こしそうになる。体を縮め、できるだけ目立たないようにゆっくりと酒場内を徘徊する。すると、今まさに料理を食べようとしている人間の姿があった。
(あの人が……)
気づかれないよう、離れた位置から人間を見る。側から見ればおかしな人だと思われるかもしれないが、ムツリを知っている者達は、ムツリが酒場でコソコソしていたところで特に声をかけることはなかった。
そのまま観察を続けていると、見知った顔の人物が人間に接触をしていた。
「あれ、ネム……?」
ネムはムツリの数少ない友人で、ムツリもネムのことを好意的に思っていた。
しかし、最近ネムはよく暗い顔をするようになった。理由は単純、親友であるビノセントが行方不明になってしまっていたからだ。
その事実を知ったムツリもビノセントのことを心配していた。しかし、自分に出来ることなどなく、ただ見つかるのを待つだけになっていた。
(もしかして、人間にビノセントのこと、話してるのかな……?)
人間の横にいるリッチの少女に目を向ける。無表情で無口そうに見えるが、どこか強者の雰囲気を感じる。少なくとも、ムツリでは手も足も出ないくらいの実力差はあるだろう。
(……それにしても、なんか、落ち着けてる気がする……男の人、見てるのに……)
自分でも不思議だった。いつもなら、視界に入るだけでも拒絶反応を起こすくらい異性が苦手なはずなのに、今は落ち着いて見ることができている。
遠目から見ていて、人間に興味が湧いているという条件付きとはいえ、同じ異性相手によくこんなに落ち着いていられるなと思う。
(人間と他の男の人とは、何か違うのかな……?)
そう思い、もう少し近づこうとしたその時、振り向いた人間とばっちり目が合ってしまった。
「……っ!」
その瞬間、感じたこともない感覚に襲われ、逃げるようにその場から立ち去った。
酒場を出て真っ直ぐ家に帰ると、すぐに膝から崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
(な、なに、これ……む、胸が、苦しくて……)
何度か異性に触れられ、動悸を引き起こすことはあった。だが、今回は触れられたわけではないし、動悸とは少し違う息苦しさを感じていた。
そしてなにより、体がすごく熱い。熱でもあるんじゃないかと勘違いしてしまいそうなほど、ムツリの体は火照っていた。
目が合った時、最初に感じたのは恐怖だった。だが、家に着いた時に襲ってきた謎の感情。それは、羞恥心。それが、ムツリの体を火照らせている原因の正体だった。
しかし、ムツリがそれに気付くことはなかった。それも仕方のないことでもある。普通に考えて、今まで苦手としてきた異性と目が合ったことが、羞恥心を生むという考えに至る訳がないからだ。
そのため、この羞恥心を謎の感情と捉えてしまい、ムツリの頭の中は酷く混乱していた。
(怖い……で、でも、あの人間のことを忘れようとすると、なんか、モヤモヤして……)
ぐちゃぐちゃになった感情をなくすために、人間のことを忘れようとするが中々上手くいかない。それどころか、一瞬見ただけの人間の顔が鮮明に頭に思い浮かんでしまう。
「わ、分かんない……なんなの、これ……」
一体、自分の身に何が起こってしまったのか。何も分からないまま、時間だけが過ぎていった。
「──今思えば、あれはお兄さんに一目惚れをしちゃったから、あんな風になっちゃったのかな……」
秋斗にだけ近くで会話ができたりするのも、恋をしているからというのが原因なら少しは納得できる。
しかし、ここで新しく疑問が生まれてきた。
「わたしは、お兄さんとどこを、好きになったんだろう……?」
恋をしたことのないムツリは、好きという感情を上手く自覚できないでいた。言われてみればそうかもしれない、くらいの気持ちしかないので、どこを好きになったかが分からなかった。
「あの時は、声も聞いてないし、どんな人かも知らなかったから……本当に、私はお兄さんが好きなの?」
「一目惚れは、かっこいいとか、優しそうとか、そのくらいの感情で起きる現象なの。ムツリちゃんも、秋斗さんのどこかに無意識に惹かれてるんじゃないかな?」
「うーん……」
「なら、こういうのはどうだ?少年のことを頭に思い浮かべてみて、自分と何かをしているイメージをするんだ」
「……?分かった」
ビノセントに言われた通り、秋斗のことを頭に思い浮かべて目を閉じる。頭の中で秋斗の存在を認識したところで、次に進む。
(何かをお兄さんとしてみる……な、何をすればいいんだろう……?)
頭の中の秋斗をじっと見つめる。それだけで顔が熱くなるが、あくまでも想像の中の秋斗なので目を逸らさずに済む。
(な、なんか、恥ずかしい……?今、ちょっと意識しちゃってるから、かな……)
そこで、想像の中なら大丈夫だろうと思い切って手を繋いでみる。次の瞬間──。
「〜〜〜っ!!」
全身が燃えるように熱くなり、同時に快楽に近い感覚に襲われ、思わず膝をついてしまう。
「む、ムツリちゃん!?」
「大丈夫か!一体何を想像したんだ!?」
ムツリの足元に水滴が垂れる。果たしてこれは汗なのか、それとも──。
「て、手を……頭の中で、手を、繋いだだけ、なのに……」
「て、手を繋ぐ想像をしただけで……!?」
「まさか、ムツリは……」
その時、二人は確信した。ムツリは、どのサキュバスよりも性欲が高いことを。それは、サキュバスとしてかなりのポテンシャルを秘めていることを意味していた。
異性と縁がなかったムツリは、その高い性欲を自覚できずにいた。しかし、秋斗との出会いにより、ついにそれを自覚することができたのだ。
「これは、目をつけられた少年が気の毒に思えてくるな」
「うん。もし、ムツリちゃんが積極的になっちゃったら、秋斗さんは大変ね」
「うぅ……なんか、変な感じする……気持ち悪い……」
憂鬱そうにするムツリをよそに、ネムとビノセントは秋斗の身を案じた。
ムツリの家を後にした秋斗とシアンは、特にやることもなくぶらぶらと町を歩いていた。
「ムツリには悪いことしたな……」
「しゅーとが、謝るようなことじゃない」
「でも、気絶するまで無理させちゃったからな。今度会ったらまた謝らないとな」
結局、秋斗が出来たことといえばムツリと会話をしたくらいだ。大した力にもなれなかったので、ネムとビノセントにも謝らないといけない。
「……しゅーと」
「ん?どうした?」
「……もしかしたら、今日ヴァンパイアが来るかもしれない」
「え、ま、マジか?」
シアンは小さく頷き肯定する。昨日ヴァンパイアに操られていたサキュバス達を助けたのが原因なのだろうか。
「昨日、夜に洞窟に行った。そこで、ヴァンパイアの一人に会った」
「ひ、一人でか!?」
「……うん」
あの洞窟の中にヴァンパイアが潜んでいたことにも驚いたが、シアンが自分の知らないところで危険な行動をしていたという事実を知り、思わず声を荒げる。
「な、なんでそんな危険なことしたんだ!せ、せめて俺に一言言ってくれれば──」
「しゅーとを、危険な目に遭わせられなかったから……」
「……っ!」
(俺が、足手まといだから、か……)
シアンにはそんなつもりはないのは分かっている。だが、自分の力のなさを嘆いている秋斗にはそう聞こえてしまった。
「……そう、だよな。悪い、急に大きな声出して」
「ううん、しゅーとがシアンを心配してくれたのは、分かってるから」
「……ああ、心配した。だから、これから何か危険なことをしに行く時は、俺に話してくれないか?もし、シアンが急にいなくなってそのまま帰って来なかったら、怖いからさ……」
悔しさと恐怖で感情がぐちゃぐちゃになりながら、それをできるだけ表に出さないようにして、シアンを優しく抱き寄せた。
「……ん、ごめん。気をつける」
「ああ、ありがとな」
「……しゅーと、なんか、見られてる?」
「え?あ、すまん!」
道のど真ん中で女の子を抱き寄せているその姿は、側から見たらどう考えてもヤバい人だろう。
急いでシアンから離れ、周りの目を気にしながらまた歩みを進める。
(最近、よくこんな気持ちになるよな……)
左手にはめた指輪を見つめる。相変わらず、青く美しい輝きを放つだけで何も起こらない。
(俺は、世界を救わないといけないのに……!)
焦っても何も変わらない。だが、このままだとシアンが何度も危険な目に遭ってしまう。いや、シアンだけじゃない。シトラスだって、秋斗のことを守るために体を張ってくれるはずだ。昨日、実際に襲われたことで、そのことを改めて実感させられた。少しでも早く、シアンの負担を減らせるようにならなくては。
「それで、なんでヴァンパイアが来るかもしれないって分かったんだ?」
「勘」
「そ、そうか」
まぁ、ただの勘とはいえ用心しておくに越したことはない。それに、あの洞窟にはヴァンパイアが潜んでいたのだから、いつ襲いに来てもおかしくない。
「なんでシアンは洞窟に行ったんだ?あそこにヴァンパイアが潜んでたのが分かってたのか?」
「うん。昨日、サキュバス達を助けに行った時、視線感じたから」
「それじゃあ、あの時襲われててもおかしくなかった訳か……危なかったな」
もしあの時襲われていたら、間違いなく死人が出ていただろう。ヴァンパイアの強さは、この世界に来た時に聞いた話で充分理解している。例えシアンでも、ヴァンパイアに勝つことはできないのだろう。
「……シアンは、あのヴァンパイアを止めるために、夜に洞窟に行った」
「止めるためって……た、戦ったのか?」
「……そのつもりだった。でも、すぐ帰った」
「そ、そうか。よかった……」
シアンがどこも怪我をしていない時点で戦ってはないと思っていたが、本人から確認を取れて安心した。
「でも、アイツを野放しにしてるのは、ダメ……」
「そうだよな……敵の狙いがサキュバスなら、操っていた人達を連れ戻しに来るかもしれないしな」
「そうなる前に、絶対に倒さないと……」
そう呟くシアンは相変わらず無表情だったが、みんなを助けたいという気持ちがしっかりと伝わってきた気がした。
「……とにかく、しゅーとはシアンから離れないで」
「ああ。頼りにしてるぞ、シアン」
シアンがいつものように秋斗の手を握る。こうして手を繋いで歩くのも当たり前になってきた。いつもなら、空いた手にシトラスも繋いでくるのだが、生憎今は別行動をしている。少し寂しさを感じつつ、二人で宿へと戻った。
その日の夜。秋斗は一人部屋で横になっていた。
「シアン、大丈夫かな。ちょっと様子を見てくるって言ってたけど……」
恐らく、今日ヴァンパイアの襲撃がくると予想しているシアンは、警戒のため付近を見回りに行くと言って宿を出て行ってしまった。
「シアンには宿から出るなって言われてるし、かと言って寝るわけにもいかないしな……」
というか、いつヴァンパイアがくるかも分からない状況なのだ。緊張で寝れるわけがない。
「かといって、やることもないしな……」
どうしようかと考えていた時、不意に窓を叩く音がした。緊張していたあまり、その音でビクッと体を震わせる。
「だ、誰だ?」
流石に、ヴァンパイアということはないだろう。わざわざ窓を叩いてくる意味がわからない。
だからと言って、誰が来たかは分からない。というか、なぜ扉から入らないのだろう?普通に怖いからやめてほしい。
「……あ、開けた方がいいのか?」
念のため窓の外を見ながら待ってみるが、それ以降音はしない。それどころか、人影すら見えなかった。
「……?」
どうしても気になり、ゆっくりと窓を開けて外を覗き込もうとした。次の瞬間、何かが秋斗の目の前に飛びついてきた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
驚きのあまり情けない声が宿内に響き渡る。
(や、やっぱりヴァンパイアか!?俺、死ぬのか!?)
恐怖のあまり目を開けられずにいた。そのため、飛びついてきた人物が誰なのか分からなかった。
飛びついてきた人物は秋斗に馬乗りになると、頬に手を添えて撫で始めた。秋斗の精神状況は乱れに乱れ、声すら出せない状態になってしまっていた。
(し、シアン……!助け──)
そう心の中で叫んだ時、予想もしてなかった人物の声が聞こえてきた。
「ハァ……ハァ……お兄さん……」
「え……?」
その声を聞き、ゆっくりと目を開ける。目の前には、顔を真っ赤に染めて、あの露出の多い格好をしたムツリがいた。
一瞬、敵ではなかったことに安堵する秋斗だったが、すぐにムツリの様子がおかしいことに気づいた。
「む、ムツリ!?何しに来て……てか、何やってるんだ!?」
秋斗に対してゼロ距離で接することができていることにも驚いたが、それよりも今のムツリの行動の方が衝撃的だった。
なぜなら、秋斗に飛びついて馬乗りになった後、何の迷いもなく服の中へ手を突っ込んできたからだ。
「お、お兄さん……ご、ごめんね?わ、わたし、我慢、できなくて……」
荒い息を立てながら、秋斗の服を脱がそうとしてくる。もちろん秋斗も抵抗したが、いくら戦闘能力の低いサキュバスとはいえ、秋斗が力で勝てるわけもなく上半身の服を少しずつ脱がされていく。
「お、おい!?マジで何する気だよ!?」
思わず強めの言葉を使ってしまいしまったと思ったが、ムツリは気にした様子もなく、それどころか先程よりも息を荒くしていた。
「ハァ……ハァ……も、もういいよね……?お兄さん……」
「む、ムツリ……!」
必死に声をかけるが、ムツリは秋斗の服を脱がすことに意識を向けているからか、こちらの声が届いていない。
必死の抵抗も虚しく、半裸状態にされてしまった。そして、そのまま流れるようにズボンの方へと手が伸びる。
「さ、流石にそっちはダメだって!」
「うへへ……お兄さんの、精気……ど、どんな味がするんだろ……」
なんだか危ないことを口にしている気がするが、考えている余裕はなかった。今はどうにかしてムツリの正気を取り戻さなければ、秋斗の貞操が危ない。
「な、なぁムツリ。一旦落ち着かないか?さっきから様子変だぞ?」
「……?ううん、変じゃない。わたしは、落ち着いてるよ……?」
そう言いながら、ゆっくりとズボンを脱がそうとしてくる。
こんな状況なのだから仕方ないのだが、秋斗のソレはムツリにしっかりと反応を示していた。
気づけば秋斗の体は燃えるように熱くなっており、ムツリ同様、息も荒くなっていた。
実はこの時、秋斗はムツリからチャームを使われており、無意識的にムツリを意識するようになっていた。しかし、チャームのことを知らない秋斗は自分が雰囲気に呑まれてしまったと勘違いした。
(ヤバい……なんか、ムツリがすげー、エロく見える……いや、この服装だから当たり前……なのか……?)
チャームにかかってしまえば、子供の姿だろうが興奮を覚えるようになってしまう。
ただの人間である秋斗には、使い慣れてないムツリのチャームでも充分効果を発揮していた。
(あれ、何で俺、抵抗してたんだっけ……?さっきから、頭、ボーッとするし……)
最早、秋斗の脳は正常な判断ができなくなっていた。抵抗をやめ、ムツリを止めようとしていた手を止める。
「お兄さん……わたしに、全部ちょうだい……?」
(ムツリ……)
甘い囁きが秋斗の脳を刺激する。理性は既になく、ただ本能のままに動こうとしたその時──、
「──『テレキネシス』……!」
「ふぇ……?ぐえっ!」
突然、ムツリが浮かび上がり、そのまま壁に叩きつけられた。それと同時に秋斗にかかっていたチャームが切れ、正気を取り戻した。
「……あれ?俺、何して……」
数分の記憶がなく、辺りを見渡して状況確認をする。そこには、壁に貼り付けにされているムツリと、ムツリに手をかざしているシアンの姿があった。
「しゅーと、コイツ、殺す」
「え?ちょ、ストップストップ!!!」
容赦なくムツリを殺そうとするシアンを必死に止めに入る。
「なんで?しゅーと、襲ってた。コイツ敵」
「ち、違うって!ムツリにも何か事情があったんだよ!……多分」
「……やっぱり殺す」
「ま、待って待って!せめて話だけでも聞いてからにしてやってくれ!」
「……分かった」
シアンは『テレキネシス』を解くと、秋斗にピッタリくっつきながらムツリを睨んだ。
「ひ、ひぃ……!ご、ごめんなさいごめんなさい!」
いつの間にか秋斗の知っているムツリに戻っており、シアンに向けて全力で土下座をしていた。
「……それで、ムツリはなんで俺を襲ったんだ?というか、いつの間にあれだけ近づいても平気になったんだ?今朝話した時は気絶してただろ?」
「え、えっと、わ、わたしにもよく分からない…… 実は──」
ムツリはここに来るまでの経緯をゆっくりと話し始めた。
時はムツリが秋斗を襲いに来る前に遡る。ムツリは部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。
今日、実際に秋斗と間近で会話をして、秋斗のことをさらに意識するようになっていた。何度も顔を赤くしては、床をゴロゴロと転がってのたうち回る。
「……こんなことしてるってことは、やっぱり好き、なんだよね……」
ネムとビノセントに言われて、少しずつ自覚できてきた気がする。それでも尚、自分が恋をしていることに驚きを隠せなかった。
「わたしが、男の人を……」
この先、ずっと異性を避けて生きていくものだと思っていた。いや、今でもそう思っている。しかし、ムツリは恋をした。それも、苦手としている異性にだ。その事実は変わらない。
「……そういえば、この服着たままだった……」
ふと、自分の体を見てみると、ネムとビノセントが着せてきた服をずっと着ていたことに気づいた。秋斗のことで頭がいっぱいで、着替えるのを忘れていたみたいだ。
「みんな、こんな服着て仕事してるんだよね……すごいなぁ……」
ムツリには刺激の強すぎる服だが、他のサキュバス達はこれと似たような服装をして仕事をしている。サキュバスとしての仕事をしたことがないムツリにとって、他のサキュバス達は尊敬している人達だった。
(もし、私がお兄さんとそういうことができたら……)
そんな考えが頭をよぎる。それがいけなかった。
「──ッ!」
(な、なに……?また、体が熱く──ッ!?)
脳内で手を繋いだだけで全身の力が抜けるほどなのだ。その先のことを考えてしまったらどうなるか、なんとなくだが分かっていたつもりだった。
(あ、れ……?なんか、変な感じ……)
気絶でもするのかと思っていたがそんなことはなく、頭がふわふわとしてきた。次の瞬間、ムツリの中の何かが弾ける音がした。
「あ──」
この時、ムツリはあることしか考えられなくなってしまっていた。
(お兄さん……お兄さん……!)
そう思った瞬間、ムツリは家を飛び出して秋斗のいる宿へと全速力で飛んでいった。
なぜ急にそんな行動を取ってしまったのかは自分でも分からない。ただ無意識に、サキュバスとしての本能が働いていた。
自分の意識とは関係なく動く体。しかし、それを止める術はなく、ムツリは本能に従い行動していた。
余計なことは考えられない。ムツリは秋斗から精気を吸い取ることしか頭になかった。
そのまま宿に着いた後、秋斗に飛びついて襲いかかった。
「──それからも、お兄さんを襲うことしか頭になくて……ごめんなさい……」
「ムツリの意思関係なく俺のとこに来たってことか?」
「い、いや……どうだろ……どちらかと言えば、本当のわたしが出た……って感じ、なのかな……?」
「そう、話は聞いた。殺す」
「えっ!?」
「だからダメだって!」
またムツリに向かって魔法を放とうとするシアンを止める。秋斗のことを心配してくれるのは嬉しいが、あまりやりすぎないで欲しい。
「し、シアン……さんが止めてくれて、ほんとによかった……あ、ありがとう……」
「うるさい、殺す」
「ひぃ!殺意高い!」
「……でも、シアン来てくれなかったらマジでヤバかったな……」
主に秋斗の貞操が。
「……それより、しゅーと。そろそろ来る。気をつけて」
「え?来るって、何が──」
そう言いかけた時、外からものすごい音ともに建物が一つ倒れるのが見えた。
「なっ──!?」
「……きた」
「え、え?な、なにが、きたの……?」
三人は急いで宿の外に出て、倒れた建物の元まで向かった。
そこには、メイド服のような服装をしており、紫色の髪をした高い身長の女性が立っていた。
「あら、昨日ぶりですわね。そちらの方々は初めまして」
こちらの存在に気付いた女性が、スカートの裾を掴みながら小さく頭を下げた。
「私はセリナと申します。以後お見知り置きを」
(紫色の髪……って、まさか……!?)
先日助けたサキュバスの証言を思い出す。シアンの反応を見るに、この人物こそがサキュバス達を操り、洞窟に潜んでいたというヴァンパイアだろう。
「シアンさん及び、サキュバスの方々を頂戴に上がりました」
「……、帰って」
「ふふっ、手痛い歓迎ですね」
セリナが不敵に笑うと、突然空気が重くなった気がした。
「お前」
「え?わ、私!?」
「しゅーと守れ。アイツは、シアンが相手する」
「ま、守れって……わ、わたし、弱いけど……」
「守れなかったら殺す」
「全力で守ります!」
この時、秋斗はどこか不安な気持ちがあった。
シアンの強さはなんとなく知っているつもりだが、ヴァンパイアがかなりの強さを有していることも聞かされている。
そんな相手に一人で立ち向かおうというのだから、心配くらいする。
そんな秋斗の様子を見たからか、シアンは一言だけ言葉を残した。
「……大丈夫。シアンは、信じてる」
「え?信じるって……」
「お話は終わりましたか?」
その問いかけが終わる前に、セリナが近づいてきた。
シアンは既に臨戦体制を取り、セリナの方を向いていた。
「では、そろそろ参ります。お覚悟を」
初めてのヴァンパイアとの交戦が、今始まろうとしていた。




