黒い影
秋斗達が移動を始めたのと同時刻、怪しい動きを見せる者がいた。
「はぁ……今日も朝から面倒ですわね……」
彼女の名はセリナ。サラサラな長い紫色の髪にスラリとした足腰、豊満なバストが特徴的なヴァンパイアだ。彼女はそのヴァンパイアのボスの眷属であり、同時にメイドでもある。そのため、よく仕事を頼まれることが多く、今日も朝から一人働いていた。
「最近、私が一番働いている気がしますわ……日の光は辛いですし、昨日もロクに眠れていませんし……」
これでも、セリナは眷属の中で一番の実力者なのだが、扱いは他の眷属よりも酷かった。
ヴァンパイアの中で日が出ていても外を出歩ける者は少なく、セリナは朝昼晩全てにおいて活動していた。
しかし、日の光に耐性があるといっても辛いことには変わりないので、あまりいい気分ではなかった。
「眷属としてもメイドとしても頼りにされるのは嬉しいことですが、もう少し休みが欲しいですわ……」
ほぼ毎日のように丸一日動き回っているので、疲労は溜まっていく一方だった。目の下にはクマができており、心なしか足取りもふらついていた。
「で、ですが、今日はあの洞窟で過ごすだけ!色々な場所を飛び回っていましたが、今日の仕事が一番楽できますわ!」
目的地に着き次第、絶対に寝ようと心に決める。
近い未来、秋斗達の脅威となる存在は、休息を求めて行動を始めていた。
「とーちゃく」
「ここがサキュバスの町か。意外と早く着いたな」
日が暮れる少し前に着く予定だったが、昼過ぎには着いていた。
昨日入ったエルフの泉には疲労を回復させる効果があるらしく、昨日までの疲れが嘘のように消えていた。そのため、今日は体の調子が良く早く移動できたようだ。
余談だが、泉には疲労回復効果だけでなく、肌にもいいらしい。エルフの綺麗な肌はあの泉から作られているとかなんとか。
「にしても、なんだか普通の町みたいだな」
パッと見た感じだと、秋斗が最初に来た町と同じように見える。サキュバスの町と言われるくらいだから、もっとこう、卑猥な感じかと思ったのだが。
「いや、よく考えたら町の構造が卑猥だったらおかしいか……」
「……?なんの話?」
「……なんでもない」
町の中を進むと、数人のサキュバスが出迎えてくれた。
「ようこそ、サキュバスの町へ!ここでは色々なサービスをしてるから、楽しんでイッてね!」
相変わらず皆子供の姿なのだが、驚くべきはその格好だ。どう見てもそういうお店で着ているイメージしかない際どい服を、どのサキュバスも着ていた。
しかも、子供の姿なのもありさらに背徳感が増していた。秋斗にそういう趣味はないが、嫌でも意識して見てしまう。
「って、あら?貴方もしかして人間?」
「え、えっと、そうですけど……」
サキュバスの一人が顔を覗き込むようにして見てきたので、思わず目を背ける。
「まぁ!まさかこんなにも早く私達の町に来てくれるだなんて!みんなー、人間のお客様が来たわー!」
その一言で、町中のサキュバスが一斉に秋斗の周りへとやってきた。
「え、本当?」「彼がそうなの?」「本物の人間だわ!」「結構可愛い顔してるわね」
「あ、あの……」
四方八方から声をかけられる。もちろん、あの際どい格好でだ。
(どこ見たらいいんだこれ……!)
ふと隣を見ると、シアンが興味深そうにサキュバス達を見ていた。
「シアン、お前が居てくれてよかったよ……」
「……?任せて、しゅーとはシアンが守る」
「そういうことじゃないけど、ありがとな」
唯一普通の格好をしているシアンを見て安堵する。
「それにしても、噂の人間が私達の町に何のご用件かしら?」
「えっと、実は──」
諸悪の根源であるヴァンパイアを倒そうとしていること、倒すためには指輪の使い方を知らなければいけないこと、情報を集めるために旅をしていることを話した。
「つまり、ここには情報収集に来たってわけね」
「そうですね。この町に何か知ってそうな人はいませんか?」
丁度かなりの人数がここにいるので聞いてみる。だが、皆首を傾げるか、横に振るかのどちらかで収穫はなさそうだった。
「ごめんね、知ってる人はいなさそう」
「いえいえ、簡単に情報が集まるとは思っていませんから。皆さん、もし何か分かったら俺のところまで来てください。どんな些細なことでも構いません」
状況が進展しないのは残念だが、指輪の存在すら知らない人の方が多いのだから仕方ない。こうして声をかけるだけでも、ここに来た意味はあるだろう。
とはいえ、もうここには指輪に関する情報がないことが分かってしまった。正確にはまだ聞き込みできてない人にも聞くつもりだが、望みは薄いだろう。
「なぁ、シアン。この後どうする?」
「……どうしよう?」
今からエルフの森に戻ったところでやることはないので、もう少しここに滞在したいところだが。
「ねぇ、貴方達。せっかくこの町に来たんだし、今日は泊まっていかない?一番いい宿を貸してあげるわ!」
「え?いいんですか?でも、俺金とか持ってないですよ?」
「安心して。貴方達からお金を取るつもりなんてないわ。むしろ、こちらから歓迎させて欲しいくらいだわ!」
当たり前だが、秋斗はリンブルの世界で使える金を一銭も持っていない。そのため、町で寝泊まりする為の宿を借りる金がなかったのだが、無料で貸してくれることになった。
「どうする?泊まっていくか?」
「ん、やることないし」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうか」
せっかくなので、今日一日サキュバスの町に泊まっていくことになった。
サキュバスの一人に宿を案内してもらい、部屋を借りた。
「え?相部屋でいいのか?」
「しゅーとを守るため」
「……なら、仕方ないか」
流石にシアンと同じ部屋になるのはダメだろうと思ったが、何が起こるか分からないとシアンに説得されてしまい相部屋になった。
その時、案内をしてくれたサキュバスがニヤニヤとこちらを見ていたのだが、一体何だったんだろうか?
「次は町の中を案内しますね」
宿に荷物を置いてから、案内役のサキュバスについていく。
まず案内されたのは、雰囲気からして危なそうな建物だった。
「ここは『淫魔サービス・エデン』です」
「名前からして危ない感じなんだが……」
「ここでは、お客様のご要望に応じた様々なプレイをサキュバス達が実践してくれる場所です。この町のサキュバスのほとんどは、ここで働いています」
入り口付近にある看板を見ると、『どんなお客様でも楽園へお送りします!お好みプレイでlet's昇天!』と書かれていた。
(なんだこれ……)
「……ちなみに、どんなことをするんですか?」
「大まかに言えばS・Mプレイのどちらかを選べます。Sを選んだ方はドSのサキュバスが、Mを選んだ方はドMのサキュバスが相手をしてくれます」
「そう、ですか……」
(まんま風俗じゃねーかこれ)
なんとなく想像はしていたが、実際に話を聞くと頭が痛くなる。
本音を言えば興味がないわけではない。だが、どちらかと言えばあまり関わりたくない場所だった。
「お客様も一発どうですか?」
「い、いえ、遠慮しときます……」
「……ねぇ、えすえむぷれい?って何?」
「それはですね──」
「説明しなくていいです!シアンは知らなくていいことだから……」
「……?分かった」
ここはシアンに悪影響でしかない。さっさと別の場所へ移動することにした。
次に案内された場所は、たくさんの衣服が並んだ店。要は、衣料品店だった。
「ここでは、様々は衣服が売られています。お気に召す衣服がない場合は、お客様のご要望にお応えして仕立てることも可能です」
「それはすごいな。……売っている服がまともならな」
衣料品店で売っている衣服は、どれもこれも露出の多い服しかなく、その多くが女性用だった。
男性用もあるにはあるが、肝心なところに穴が空いていたり、そもそも布面積がほぼなかったりと、衣服と呼べるか怪しい物も売っていた。
「……なんで、こんなところに穴が?」
「もちろん、そういう人向けのプレイができるように改良されて──」
「はい、説明はいいですから!」
純粋無垢なシアンにこの町は刺激が強すぎるかもしれない。こういう時にシトラスがいれば、なんて考えるが、シトラスがいたらそれはそれで騒がしくなりそうだった。
「最後はここです!」
最後に案内されたのは酒場だった。中に入ると、昼過ぎだというのにかなりの人が飲み食いしたり雑談したりしていた。
「ここでは食事を楽しむことができます。仕事の休憩に来たり、暇潰しに来たりと、基本的には自由に使える場所となっています」
酒場の中は思ったよりも広く、これだけ人数がいるというのにまだ空席がいくつか見えた。
「お客様はもう食事はお済みですか?」
「……そういや、なんも食ってないな」
「お腹空いた……」
「でしたら、是非この町の料理を味わっていってください!もちろん、お金は取りません!」
店でタダ飯を食べるのは中々抵抗があるが、空腹には勝てないのでありがたく頂くことにした。
「では、私は席を外しますね。また何かあればお呼びください〜」
そう言って、案内役のサキュバスは酒場を出て行った。正直、もう世話になりたくない。
席に着いてからしばらくすると、見たこともないような料理が次々と運ばれてきた。
中にはこちらに来てから初めての肉料理もあり、余計に食欲をそそる。
「いただきます」
早速、ステーキのような物に齧り付く。
「こ、これ美味いな!」
歯ごたえがあり、噛めば噛むほど肉汁が溢れ口の中いっぱいにジューシーな肉の味が広がる。
この世界で初めて食べる肉は想像を絶するほどの美味しさだった。
「でも、これなんの肉なんだ?」
味はいいのだが、今まで食べたことのない肉の味がする。この世界の肉はどこから調達しているのだろう?
「この肉、竜人の尻尾……」
「……ん?今なんて言った?」
シアンがさらっと何か言った気がするが、まさかそんなことはないだろうともう一度聞き返す。
「……竜人の尻尾。美味しい」
聞き間違えではなかった。今ハッキリと竜人の尻尾と言った。
「え!?これ竜人の尻尾なのか!?」
竜人とは竜の尻尾と手足を持った種族とシトラスから聞いているため、知ってはいるのだが。
「まさか、尻尾が食えるとは……」
シアンに詳しく聞いたところ、竜人の尻尾は切ってもすぐ生え変わるらしく、その上とても美味であったため、この世界の肉料理のほとんどは竜人の尻尾から作られているらしい。
他にも様々な料理があったので、どれも味わいながらゆっくり食べていると、一人のサキュバスが話しかけてきた。
「あの、少しよろしいですか?」
「え?はい、大丈夫ですけど」
サキュバスは「ありがとうございます」と頭を下げると、空いている席に腰掛けた。
「初めまして、人間さん。私はネムと言います」
「俺は風槍秋斗。こっちはシアンです」
「……それで、何か用?」
「もしかして、指輪の件ですか?」
「い、いえ、指輪に関しては私はよく知らなくて……すいません、期待させてしまって……」
「いえいえ、こっちが勝手に勘違いしただけですから」
期待してしまったのは事実だが、仕方ないことだと割り切り、改めてネムの話を聞く。
「こんなこと、貴方達に話すようなことじゃないと思いますけど……」
「遠慮なく話してください。困ってることがあれば、俺はなんでもしますから」
ネムの深刻そうな顔を見て、すぐ力になることを決める。食事を手を動かしながら、話の続きを聞いた。
「……実は、私の友人が行方不明になってしまったんです」
「行方不明?」
「正確には友人だけではないんですが……最近、この町の住人が何人か行方不明になる事件が起きてるんです」
ネムは悲しげな表情を浮かべながら続ける。
「その行方不明になった人のほとんどが、町の近くにある洞窟へ向かっているんです」
「洞窟に何かあるんですか?」
「洞窟にはこの辺りでしか採れない鉱石があるんです。その鉱石は洞窟の奥深くにあって、仕事の関係上その鉱石を採りに行く人が多くいるんです」
「その友人も鉱石を採りに行ったんですか?」
ネムは「いいえ」と首を横に振ると、その友人について話し始めた。
「私の友人は正義感の強い人で、すぐに洞窟が怪しいことに気が付きました。そして、私の静止も聞かず洞窟に向かってしまいました……」
「それで、そのまま帰ってこないってことですか……」
後先考えずに行動してしまうことは秋斗も経験したことがあるため、その人の気持ちはよく分かった。
「これ以上被害を増やしてはいけないと思ったのか、その洞窟付近は立ち入り禁止区域になってしまいました」
「なるほど……」
「あの洞窟には何か危険なものが住み着いているのかもしれません……そこで、秋斗さん達に洞窟の様子を見てきてもらいたいんです」
聞けば、サキュバスには戦闘能力がほぼなく、何か危険がある以上自分達で探しに行くことはできないらしい。
そろそろ他の種族に手を貸してもらおうかと話していたところ、秋斗達が来たので話をしたとのことだった。
確かに、こちらにはシアンがいるので何かいても容易に倒してくれそうではあるが。
ちらりとシアンの方を見ると、サラダを小さな口いっぱいに入れ、美味しそうに食べていた。
「……シアン、話聞いてたか?」
「……、洞窟に行けばいい?」
「まぁ、そういうことらしい」
「ん、分かった。これ食べたら行く」
ある程度話は聞いていたようで、助けに行くことが決まった。
「あ、ありがとうございます!ご迷惑なはずなのに、引き受けてくださるなんて……」
「困った時はお互い様ですから。まぁ、俺は何もできないんですけど……」
指輪が使えない秋斗はただの人間なので邪魔になるだけだろうが、シアンと離れるのも危険なので自然とついて行くしかなくなる。
心の中では力になりたいと思っているのだが、余計なことをしてシアンの手を煩わせる訳にもいかないので大人しくしなければ。
「……ん?」
シアンが食べ終わるのを待っていると、ふと視線を感じたので振り向く。すると、空色の髪をしたサキュバスと目が合った。
「……っ!」
しかし、目が合った瞬間すぐどこかへ行ってしまった。
(誰だ、あの子?)
少し気になったが、人間である秋斗に興味があっただけだろうと思い、そのまま忘れることにした。
事情を話し、特別に洞窟に入ることを許可してもらってからネムに案内をしてもらった。
町から洞窟まではそこまで離れておらず、数十分歩いたらすぐに着いた。
「ここがその洞窟です」
言われて、洞窟の入り口をよく見てみる。これといっておかしなところはない、普通の洞窟のようだが、奥に行けば行くほど鉱石がたくさん採れるらしい。
洞窟自体生で見るのが初めてなので、これがどのくらい大きなものなのかは秋斗にはよく分からなかった。
「私が案内できるのはここまでです。許可が降りたのは、秋斗さんとシアンさんだけですから」
洞窟までの道のりを案内することは許可されたが、ネムが洞窟に入ることは許可されなかった。そのため、ここからは二人で探索することになる。
「気をつけてくださいね。頼み事をした私が言うのもおかしな話ですが、危険だと思ったらすぐに逃げてきてくださいね」
ネムの見送りを受け、慎重に洞窟の中へ足を踏み入れた。
「『フレア』」
シアンがそう唱えると、手から炎が出て、持ってきていた棒に火を灯し、洞窟内を明るく照らしてくれた。
「足元、危ないから」
そう言って、シアンが手を握ってきた。転ばないように気を使ってくれているのだろう。
「ああ、気をつけるよ。ありがとな」
「……ん」
シアンの言う通り、洞窟内の足場は凸凹しており歩きづらかった。下を見ずに歩いていたら、何度転ぶか分からないため足元に注意しながら進む。
「こんな洞窟で行方不明なんて、一体何があったんだろうな?」
「多分、ヴァンパイアの仕業。何をしてるかは、分かんないけど……」
「……ヴァンパイアか」
もしかしたら、この先に秋斗達が倒すべき敵であるヴァンパイアがいるかも知れない。そう考えると、緊張で冷や汗が出てきた。
「……大丈夫。しゅーとは、シアンが守る」
微かな手の震えを感じ取ったのか、シアンが優しく声をかけてくれた。
「……ほんと、シアンは頼りになるな」
「ん、任せて」
いつ何がきてもいいように警戒を怠らず、慎重に洞窟内を捜索する。
「しゅーと……」
「ん?なんだ?」
「なんでしゅーとは、たまに敬語になるの?」
「また突然だな。なんでそんなこと聞くんだ?」
「……暇」
「暇ならしょうがないな」
まだ洞窟内に入って数分しか経っていない。何かあるとしてもまだ奥の方まで進まないといけないだろうし、雑談でもして暇潰しをするのもいいだろう。
「別に敬語で話してるつもりはないんだが」
「フェルノートとか、サキュバス達には敬語」
「そりゃ、初対面でタメ口ってのも変な話だろ?」
「シアン達には、最初からタメ口」
「……確かに」
言われてから気付く。そういえば、なんでシアン達にはずっとタメ口で話しているんだろうか?
「うーん、ほら、フェルノートさんとかサキュバスの人達はさ、見た目は子供だけど、どこか大人な雰囲気があるんだよ」
オーラとでも言えば良いのだろうか?それがあるせいで、自然と敬語になってしまう気がする。
「……シアンにはない?」
「シアンにはないかなぁ……」
「………………」
シアンの握る手の力が強くなった気がする。ちょっと痛い。
「……シアンも大人」
「今は子供だろ?」
「フェルノート達も、子供……」
「でも、シアンってどこか子供っぽい雰囲気あるし痛い痛い痛い!」
今度は更に強い力で握ってきた。こんな小さな体のどこにこれほどの力があるのだろう。というか、骨が軋む音がするのは気のせいだろうか?
「で、でも、タメ口で話せるってことはそれだけ仲がいいってことだろ?」
「……!そっか」
納得してくれたのか、握る力を弱めてくれた。あの力のまま握られていたら、骨が砕けていただろう。それくらい痛かった。
「それにさ、仲間同士で敬語なんて堅苦しくて嫌になるだろ?それとも、シアンは俺に敬語で話してほしいのか?」
「……別に、今のままでいい」
「だろ?シトラスもそうだけど、俺達は気楽に話せる関係が一番いいんだよ」
「じゃあ、フェルノート達も仲良くなったら、敬語やめる?」
「………………」
「……しゅーと」
「あ、あはは……どうだろうな?」
「やっぱり、シアンのこと子供扱い……」
「し、してないから!」
シアンが拗ねたらまた痛い思いをするので、なんとか宥めながら奥へと進む。
しばらく進むと、所々に鉱石が剥き出しになっている場所まで辿り着いた。
「かなり奥まで来たな。この周りにあるのがネムさんの言ってた鉱石か?」
「多分そう。綺麗」
「暗くてよく見えないけど、近くで見たら確かに綺麗だな」
よく見えるよう松明を近くまで持ってくると、それに共鳴するかのように鉱石が赤く光った。一体、何に使われているのだろうか。
「……!しゅーと、下がって」
「え?」
鉱石を眺めていると、突然シアンが臨戦態勢をとったため、慌てて後ろへ隠れる。
そのまま動かずにいると、洞窟の奥から複数の足音が聞こえてきた。
「あ、あれって……!」
「いなくなった、サキュバス達……」
喜んだのも束の間、その姿を見て思わず息を呑む。サキュバス達は、まるで操り人形になってしまったかのように、ふらふらとした足取りでこちらへ歩いてきていた。
「なんだあれ……あの人達、どうしちまったんだ?」
「多分、催眠。操られてる……首に、噛まれた後ある……」
「え?そんなのあるか?よく見えないんだが……」
「リッチは、目がいいから」
だが、敵意があるようには見えない。ただゆっくりとこちらに近づいてきているだけのようだが。
(動きも鈍いし、別に危険はないのか……?)
「なぁ、シア──」
「……っ、しゅーと危ない……!」
「え──」
突然シアンに押し倒された次の瞬間、先程まで秋斗が立っていた場所に一人のサキュバスが目にも止まらぬ速さで突進してきた。
「……っ、い、今何が──」
「しゅーと、シアンから離れないで」
持っていた松明を落としてしまい火が消える。暗闇の中で何が起きているのか理解が追いつかず、動けなくなる。だが、そんな状態からの獲物を敵が待ってくれるはずがなく、動けない秋斗に向かって、今度は一斉に飛び掛かった。
「『グラビティ』……!」
シアンが秋斗の前に立ちそう呟くと、目の前のサキュバス達が地面に吸い寄せられるように倒れていった。
『グラビティ』は、対象に重力負荷をかけ、動けなくする魔法だ。並大抵の力じゃ起き上がることは不可能であるため、操られたサキュバス達を無力化するのには丁度いい魔法と言える。
「ふぅ……大丈夫、しゅーと?」
「あ、ああ……俺は大丈夫だが……」
落ちていた棒を拾い、もう一度松明を作る。
やっと視界が広がると思った瞬間、秋斗の目の前には地面に倒れ伏したサキュバス達がおり、また困惑する。
「な、何したんだ?」
「危険だったから、無力化した」
「でも、この人達連れ戻さなきゃいけないよな?このままだと外に連れて行けないんだが」
「……確かに」
無力化できたとは言え、問題はこの人達をどうやって外に連れて行くかだった。
操られているのなら、自分から外に出てもらうわけにもいかない。
「なら、シアンの魔法で運べばいいんじゃないか?」
シアンの『テレキネシス』を使えば、ここにいる全員を運ぶことなど容易だろう。眠らせておけば、暴れる心配もない。
「でも、また敵が来たら、すぐ対処できない……」
シアン曰く、『テレキネシス』はかなりの集中力がいるらしく、周囲の警戒を怠ってしまう可能性があるらしい。
そのため、もし洞窟を出るまでにまた襲われたりでもしたら、最悪の場合死ぬかもしれないのだ。
かなり奥まで来ているため、すぐ出られる距離ではない。『テレキネシス』を使っての移動は危険だろう。
「うーん、じゃあこの人達はどうしようか。ここに放っておくわけにもいかないし」
「別に、催眠を解くことはできる」
「え?そうなのか?」
雰囲気的にできないものだと思っていたが、秋斗の早とちりだったようだ。
「ただ、少し面倒……時間かかる……」
「でも、今できるならやっておいた方がいいんじゃないか?あ、でも結局危険なことには変わりないか」
洞窟内にいる限り、常に危険を伴う。こんな場所で催眠を解くより、急いで洞窟の外に出た方が安全かもしれない。
だが、その場合移動中に襲われた時のリスクがある。こうしてる間にも、時間はどんどん過ぎていく。早く決断しなくてはならない。
「……こうすれば、安全にできる」
「どうするんだ?」
「『マジック・ルーム』」
シアンがそう唱えると、秋斗達の周りをカラフルな壁が覆っていく。数秒後には、洞窟とはかけ離れた空間が出来上がった。
「本当は、こんな使い方しないけど……仕方ない」
「な、なんか不思議な空間だな」
「ここなら、誰も邪魔できない。催眠解けるまで、しばらくここにいて」
相変わらず、シアンは不思議な魔法をいくつも使えるんだなと感心する。
秋斗は何もできないので、シアンが催眠を解き終わるまで待つことになった。
まだこの空間について知りたいことがあったが、シアンが催眠を解くのに集中していたので、ただその光景を眺めることにした。
秋斗達が『マジック・ルーム』内にいる間、洞窟の更に奥で使い魔を通してそれを見る怪しい影があった。
(あの人数を一瞬で無力化とは……この町には戦闘に長けた者はいないはずですが……)
洞窟に来たサキュバス達を襲っていた犯人は、秋斗達の敵であるヴァンパイア、セリナだった。
(というか、リッチがいるなんて聞いてませんわ!今日はゆっくり休むはずでしたのに……)
休息の邪魔をされた挙句、必死に集めていたサキュバス達が連れ戻される様を、ただ悔しそうに眺めていた。
(催眠まで解いているようですし……ここ一ヶ月の私の苦労が……)
サキュバスにはチャームという固有の能力を持っている。名前の通り、チャームをかけた相手を魅了し我が者にできる能力だ。
基本的には精気を効率よく貰うために使う能力なのだが、セリナはその力を悪用しようとしていた。
個々に戦闘能力はほぼなく、簡単に操れる上にチャームまで使える。そんな種族、手を出さない訳がなかった。
(チャームがあれば他の種族も簡単に催眠にかけられると思ったのですが……)
思わぬ形で邪魔をされてしまい、計画が台無しになってしまった。
疲労も溜まり、今日で最後になると考えていたセリナには厳しい現実を突きつけられた気分だった。
(それに、あの人間は一体……?見たところ、何の力も持っていないようですが……)
人間というイレギュラーな存在を目にし、何かあるのではと疑った。しかし、実際はあのリッチに守られただけで何もしていない。むしろ、リッチがいなければあのまま死んでいただろう。
(特に警戒する必要はなさそうですわ。しかし、あのリッチは面倒ですわね……)
今出て行けば奪い返すことはできるだろう。だが、激しい戦闘になった場合、洞窟が崩れる可能性があった。シアンの力量を理解していないセリナは、迂闊に出て行くわけにもいかなかった。
(勝つのは簡単……ですが、ここで生き埋めになるリスクを背負うのは……)
このままノコノコ帰るわけにもいかない。そこで、セリナはあることを思いついた。
(そうですわ。あのリッチをこちら側にすることができれば、かなりの戦力になるはず)
実力はあるようなので骨は折れそうだが、セリナには絶対に勝てるという確信があった。例え戦闘になってしまったとしても、何の問題もない。
(そうなると、今できることは体を休めることですわね)
どうせ洞窟内で戦闘はできないので、急ぐ必要はない。ヴァンパイアの本領が発揮できるのは、他でもない夜なのだから。
催眠を解き、サキュバス達が目を覚ました後に洞窟を出た。その頃には、黄昏の空が広がっていた。
町に戻る途中、行方不明になっていた人達に何があったか話を聞いてみる。
「いつも通り、仕事で使うための鉱石を採りに行こうと洞窟に入ったんです。そしたら、突然誰かに襲われて、そのまま気を失ったみたいで……」
他のサキュバス達からも似たような返事が返ってきた。
その中で、何人かは洞窟に行っていないと証言している者もいた。
「私はたまたま洞窟近くを歩いていたら、紫色の髪をした女に襲われたのを覚えてるわ」
「それ、詳しいことって分かりますか?」
「その後は他の人と同じで気を失っちゃったから何も」
「そうですか……」
“紫色の髪をした女”ということは分かったが、それ以外は何も分からなかった。
「そういえば、ネムさんの友人の方ってこの中にいますか?」
「ネムの友人であれば、恐らく私だ」
ボーイッシュな髪をしたサキュバスが手を挙げて前に出てきた。
「私はビノセントという。君達はネムのことを知っているのか?」
「俺達はネムさんにお願いされて皆さんを探しに来たんです」
秋斗達が洞窟に来るまでの経緯を説明すると、ビノセントは感謝を述べると共に謝罪をした。
「君達には本当に感謝している。私の勝手な行動で迷惑をかけた。すまなかった……」
「いえいえ、こうして無事でいてくださって本当によかったです」
「ネムにも謝らないとだな……」
「謝罪もいいですけど、ネムさんにもお礼を言ってあげてください」
「……そうだな。帰ったら色々話してみるよ」
ここで、シアンがビノセントにも他のサキュバス達と同じ質問をした。
「何か、覚えてることない?」
「そうだな……私も他のみんなと同じで気を失ってしまったからな。似たような状況だったと思う」
「……そう」
暗い洞窟内だったことや不意打ちで襲われたということもあり、これと言った情報は得られなかった。
とはいえ、今は生還出来たことを喜ぶべきだろう。幸い、怪我をした人もいないようだ。
町に戻ると、ネムがこちらに向かって走り寄ってきた。
「ビノセント!よかった、無事だったんだね!」
「すまない、ネム。君には心配をかけてしまった……」
「ううん、貴方が無事ならそれでいいの」
再会を喜び抱きしめ合う二人。その様子を見て、秋斗も笑みをこぼした。
ネムとビノセントは秋斗達に向き合うと深々と頭を下げた。
「友人だけでなく、他のみんなも連れ戻してくださるなんて……お二人にお願いして本当によかったです!」
「私からも改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
二人だけでなく、助けたサキュバス達からも感謝の言葉を口にする。
そんな中、感謝の気持ちを素直に受け取れない者がいた。
(俺何もしてないんだけどな……)
何もできないのは分かっていたとはいえ、心のどこかでは少しは力になれると思っていたのかもしれない。しかし、結果だけ見れば人助けのつもりがシアンに助けられただけという、完全に足を引っ張る形になってしまった。何も知らないサキュバス達はシアンだけでなく秋斗にもお礼を言ってくるので、申し訳ない気持ちになる。
このお礼の声は全てシアンが受け取るべきだろう。
「よかったな、シアン。みんな、お前にお礼を言ってくれてるぞ」
「……疲れた。早く寝たい」
「そ、そうか」
シアンはもっと誇ってもいいと思うのだが、相変わらずマイペースだった。催眠を解くのにかなり労力をかけたらしいので、仕方ないのかもしれないが。
「じゃあ、宿に帰って寝るか」
「ん、早く行こ……」
眠たそうに目を擦るシアンを連れて宿に戻ろうとした時、また視線を感じた。
「……?」
振り向くと、昼間に秋斗達を見ていた空色の髪をしたサキュバスがいた。
「……、──っ」
昼間と同じように目が合うと、今度はすぐ逃げ出さずに何か話しているように見えた。
しかし、声が小さいのかこっちまで声は届かず、それを理解しているのか悲しそうな顔をしてまたどこかへ行ってしまった。
(あの子、昼間にいたサキュバスだよな?何か用があったみたいだけど……)
「……?しゅーと、どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。行こうか」
あのサキュバスのことは気になるが、今はシアンを休ませてあげよう。
宿でシアンを寝かせた後、秋斗は一人で酒場に来ていた。
酒場の中は昼間よりも多くの人で溢れていた。
「一人での食事は久しぶりだな」
なんとか空いている席を見つけ座り、注文を取る。
食事を待っている間、周りを見てみると皆楽しそうに食事や会話をしていた。中には、今日助けた人もおり、元気そうな姿を見られてホッとした。
(でも、この人達を助けたのは……)
同時に、無力感と悔しさに襲われる。最近、一人になると自分がなぜこの世界に来たのか疑問に思うことがある。
(早く指輪を使えるようにならないと……)
何もできていないという事実、そして不安と焦りが秋斗を追い詰めていた。人助けを生き甲斐としている秋斗にとって、この事実はかなり心に響いていた。
「……なぁ、どうやったら使えるんだよ」
意味もなく指輪に問いかける。指輪は青い宝石を輝かせるだけで、何も反応してくれない。
(そもそも、こんな指輪で本当にヴァンパイア倒せるのか?戦闘能力が低いって言ってたサキュバスでさえ簡単に死にそうだったんだが……)
そんなことをうだうだ考えていると、後ろから声をかけられた。
「こんばんは、秋斗さん」
「少年も今食事か?よろしければ、相席したいのだが」
ネムとビノセントは空いている席を探しているようで、丁度一人だった秋斗はまだ数人座れる席が残っていた。
「こんばんは。大丈夫ですよ、一緒に食べましょう」
嫌な考えを忘れて、相席を許可する。
「もう一人の、シアンという子はいないのか?」
「シアンは疲れて宿で寝てます。お二人はよくここで食事されるんですか?」
「ああ。私達はここの酒場の常連だからね」
「今日は色々あったので遅くなっちゃって、席が埋まってたんです。秋斗さんのおかげで座れましたけど」
「ははっ、お役に立てたなら何よりです」
一度会話を止め、二人も注文を取る。
「ビノセントさんは、体の方は大丈夫なんですか?」
「ああ。一応さっきまで様子を見ていたんだが、特に異常はない」
「ビノセントったら、お詫びになんでも奢るからって聞かなくて」
「今日くらいは奢らせてくれ。ネムには本当に心配かけたからな」
「もう、私は気にしてないのに」
二人はとても仲がよいらしく、楽しそうに会話をしていた。
「あ、ごめんなさい。私達だけで話しちゃって」
「いえいえ、気にしないでください」
秋斗としては、誰かが幸せそうにしている姿を見ることが好きなので、そのまま続けてもらっても問題ないのだが。
「そういえば、お二人に聞きたいことがあるんですけど」
「少年には命を助けられた恩があるからな。答えられることなら何でも答えよう」
「あはは、そんな大袈裟なものじゃないですけど」
ここに来た理由は食事以外にももう一つある。とある人物のことが気になり、それを酒場にいる人に聞いて回る予定だった。
「今日、何度か空色の髪をした子が俺達のことを見ていたんですが、何か知ってますか?」
「空色の髪……それなら、恐らくムツリのことだろう」
「そうですね。この町であの髪色をした人はあの子だけですからね」
「えっと、ムツリって人はどんな子なんですか?」
「……彼女は、サキュバスとしては落ちこぼれと言われていて、気が弱い性格なんだ」
落ちこぼれと聞かされてもピンとこず、首を傾げる。
「当たり前だが、サキュバスは精気を貰うために異性を魅了しなければならない」
「ですが、ムツリちゃんは男性恐怖症で異性に近づくことも難しい子なんです」
「サキュバスが男性恐怖症?」
「嘘のような話だろう?だが、彼女は生まれつき異性が怖い存在だと思っているようでな。気弱な性格なのもあって、サキュバスとしての仕事は何もできないんだ」
サキュバスが男性恐怖症なんて想像もできない。もしかしたら、俺をずっと見ていたのは怖がっていたからなのだろうか?
「だが、おかしな話だな。彼女は異性を見たらすぐ逃げ出すはずだが」
「でも、確かにこっちを見ていましたよ。目を合わせたら逃げちゃいましたけど」
「人間さんが珍しくて見ていたのかもしれませんね」
確かに、見られていただけならばそれで納得がいく。だが、秋斗にはそれで納得しきれないことがあった。
「じゃあ、あの時こっちに向かって何か話していたのは何だったんでしょうか?」
その言葉を聞いた二人は、目を丸くして秋斗に迫ってきた。
「なっ、ムツリが異性に対して声をかけたのか!?」
「そ、それって本当なの?気のせいとかじゃないんですか?」
「いえ、確かに何か声をかけてました。声が小さくて何を言っているかは分かりませんでしたが」
二人の反応からするに、ムツリという子が異性に声をかけることはかなり珍しいらしい。
秋斗はムツリについて何も知らないので、二人の驚きようは大袈裟だと思えてしまうが。
「そうか……ムツリも成長したのかもしれないな」
「明日話を聞いてみましょう。秋斗さんも是非一緒に!」
「い、いいんですか?俺男ですけど……」
男性恐怖症なら、秋斗が行くのは迷惑でしかないと思うのだが。
「元々秋斗さんに用があったみたいですし、きっと大丈夫ですよ!」
「それに、もしかしたら男性恐怖症を克服するための第一歩になるかもしれないからな」
「まぁ、そういうことならご一緒させてもらいますけど」
秋斗もムツリのことは気になるし、男性恐怖症を克服するための力になれるのなら、ついて行かない理由はなかった。
そのまま明日の予定について話していると、料理が運ばれてきたので食べながら会話を続ける。
「ムツリって子は普段どこにいるんですか?」
「うーん、私達もムツリちゃんが普段どこにいるか知らないんですよね。あの子、一人でいるのが好きみたいで」
「町で見かけた時に話しかけることはあるが、少し会話したらすぐどこかへ行ってしまうからな。まぁ、大抵は家にいるようだし問題はないさ」
それだけ消極的な性格をしていると、いじめられたりしないか心配になるが、雰囲気的にそういうことはないみたいだ。
「さっきは落ちこぼれなどと悪い言い方をしたが、別に彼女を軽蔑視している者などいない。確かに、サキュバスとしては色々と問題のある子だが、誰よりも仲間思いで優しい子ということは理解しているからな」
そう話すビノセントの雰囲気は、見た目に不釣り合いなほど格好いいものだった。
こんな格好いい人になれたらいいな、なんてことを思いながら食事を続けた秋斗だった。
しかし、数十分後。
「おぉい、少年!もっと食え食えー!たくさん食べないといい精子は作れないぞぉ!」
めちゃくちゃ酒に呑まれていた。
「ちょ、ビノセントさん!?そんなくっつかれたら食べづらいってか溢れる溢れる!」
このままでは食事が全て床に落ちてしまいそうだったので、仕方なく手を止めてビノセントを引き剥がそうとする。が、サキュバスとはいえ人間の秋斗が力で勝てるわけがなく、全く引き剥がせなかった。
「というか、今子供なんですからお酒なんて飲んでいいんですか!?」
「なぁに言ってるんだ少年?酒なんて誰だって飲むだろぉがぁ!」
リンブルでは酒は子供から飲むことができるらしい。人間と体の構造が違うので、飲んでも問題ないということだろうか。それにしても酔いすぎな気もするが。
「ね、ネムさん!この人止めてください!俺の力じゃどうしようも──」
助けを求めようとネムの方を見ると、視線の先にはビノセントと同じように顔を真っ赤にして、デロデロになったネムがいた。
「そぉよ〜ビノセント〜?秋斗さんが困ってるじゃな〜い。ふふふっ」
「いや、笑ってないで助けてくれませんか!?ネムさんまで酒に弱いなんて……」
こうなってしまってはどうしようもない。このまま二人が酔い潰れるのを待つしかないようだ。
できれば何も起きずそのまま酔い潰れてほしいのだが、そう言うわけにもいきそうになかった。
「なぁ、少年〜?君は彼女はいるのかい?」
「え?い、いませんけど……」
「それじゃあ、秋斗さんは未経験ってことですか〜?」
「……そうですけど」
酔っているせいか、めちゃくちゃ煽られているように聞こえる。そんな秋斗の気持ちなど酔っている二人に分かるわけもなく、ネムが秋斗の腕に体を擦り付けるようにして寄ってきた。
「私達なら〜、気持ちいいコト、してあげられますよぉ?」
「そうだぞぉ?これでも私達はサキュバスだからな!異性一人を満足させることくらい造作もないことだ!はっはっはっはっ!」
「いや、普通にお断りしますけど……」
そう簡単に貞操を渡すわけにもいかない。それに、中身が大人なのは理解しているが、見た目が子供なのでそういう目で見るのはどうかと思う。
……まぁ、この状況に興奮していないのか、と聞かれれば嘘になるのだが。
「おいおい、男の癖に消極的だなぁ?ヤる気あるのか?」
「だからないです……」
「ほんとですか〜?ここ、こんなに腫れちゃってますよ〜?」
「っ!?ど、どこ触ってるんですか!?」
「ふふふっ、可愛い反応するじゃないですか」
「おいおい、ネムだけずるいぞ?私にも触らせてくれ!」
今度はビノセントが秋斗の腕に絡みつくように抱きついてきた。
両腕をがっちりとホールドされ、ついに身動きすらできない状態になってしまった。振り解こうと腕に力を入れても、それ以上の力で抑えつけられてしまう。
小さな体とはいえ、確かに胸の感触があり、酒のせいで色気の出ている二人にソレは秋斗の意識と関係なく反応していた。
(ま、まずい……!このままだと本当にヤられる……!)
シアンに助けを求めることもできず、動くこともできない。
万事休すかと思われたその時、ネムでもビノセントでも、もちろんシアンでもない。第三者の声が聞こえてきた。
「ふ、二人とも……その人、こ、困ってる、から……や、やめてあげて……」
その声の主の方を見ると、さっきまで話していた空色の髪のサキュバス。ムツリが立っていた。
「「……!?ムツリ(ちゃん)!?」」
同じように二人がムツリを見ると、素っ頓狂な声をあげた。
「な、なんでムツリちゃんが……?」
「嘘だろう?ムツリが異性相手に……?」
それを見た二人は、呆気にとられたかのような顔をした後、そのまま秋斗の腕から離れてムツリに近づいていった。二人は、ムツリが止めに入った行動よりも、秋斗を助けようとしたという事実に驚いているようだった。よく見ると、周りの客達も驚いた顔でこちらを見ていた。
「えっと……」
何が何だか分からず、二人が離れたのにも関わらずその場で固まる秋斗。だが、ムツリのお陰で助かったことは分かっているので、急いでお礼を言う。
「確か、ムツリ……だったよな。ありがとな、お陰で助かった」
「……っ、だ、大丈夫」
すると、ムツリはネムを盾にするように隠れながら返事をしてくれた。どうやら、男性恐怖症なのは本当らしい。
「あ、ご、ごめんなさい!私達、いつものノリで……」
「すまなかった……完全に我を忘れていた……」
遅れて、二人がペコペコと頭を下げた。いつもあんなノリなのか。
「い、いえ、俺は全然……」
本音を言えばめちゃくちゃ怖かったし、もうお婿に行けないんじゃないかとヒヤヒヤさせられたが、ここで言うのは野暮だろう。
……今後、絶対にこの二人とは一人の時に食事はしたくないが。
「命の恩人にこんな無礼を働いてしまうとは……酒は控えるとするか……」
「あ、あはは……そうしてもらえると助かります」
悪気がなかったことは理解しているし、終わった話を引きずっても仕方ないので、この件は忘れるとしよう。
(それより、今はこの子の方が気になるよな)
ムツリが秋斗を助けただけで、二人だけでなく周りのサキュバス達も驚いた様子を見せている。いくら男性恐怖症とはいえ、そこまで驚くことだろうか?
「なぁ──」
「……む、無理っ!」
「え?」
少し話を聞いてみようと声をかけようとすると、ムツリは顔を真っ赤にして酒場から出て行ってしまった。
あれだけ騒がしかった酒場が静寂に包まれた。しかし、誰かが声を発した瞬間、秋斗に嵐のような質問攻めが飛んできた。
「ね、ねぇ!いつムツリちゃんとあんなに仲良くなったの!?」
「え?いや、今日初めて会いましたけど……」
「会話してましたよね!?あのムツリちゃんと!」
「会話ってほどじゃなかったと思うけどな……」
「ムツリと会話した男なんて初めて見たな……なぁ、人間。正直に言ってくれ。ナニで釣ったんだ?」
「変なこと聞くのやめてもらえません!?」
結局、一つ一つの質問に答えることになり、秋斗が残りの食事に手をつけることはなかった。
ネムとビノセントと共に酒場を出る頃には、周りの家の灯りがいくつか消えていた。
「本当にごめんなさい……」
「すまなかった……」
「も、もう気にしてないですって!ただ、あの質問攻めには流石に疲れました……」
ぐったりとした様子で歩く秋斗。もし二人が止めてくれなければ、もっと長くあの場に拘束されていただろう。
「それにしても、あの子と話したことってそんなに驚くことなんですか?」
「ああ、なんてったってムツリが会話をした相手なんて君が初めてだからな」
「なんか、酒場の人達もそんなこと言ってましたね」
「何度も言いますけど、ムツリちゃんが異性に声をかけること自体あり得ないと言ってもいいレベルなんです。そんなムツリちゃんに二度も話しかけられた秋斗さんは、相当気に入られているはずですよ!」
この町の人にとっては、秋斗の存在がイレギュラーということか。もちろん、自分が気に入られているなんて自覚は全くないのだが。
ムツリについて色々と話していると、宿の前まで来てしまった。
「それじゃあ、俺はこの宿に泊まってるので」
「分かりました。では、明日お迎えにあがりますね」
「じゃあな、少年。いい夢を」
二人を見送った後、暗くなった宿に戻る。シアンが寝ているので、ゆっくりと部屋の扉を開けて静かに入る。
「……あれ?」
しかし、部屋に入るとそこにシアンの姿はなかった。確かに、酒場に行く前はこの部屋のベッドで寝ていたはずなのだが。
「まぁいいか」
シアンがどこに行ったかは分からないが、明日までには帰ってくるだろう。
それよりも、今日は色々な意味で疲れる一日だった。エルフの森の泉にまた入りたい気分だ。
「……眠いな」
疲れでいつも以上に眠気がきている。シアンの帰りを待とうとも思ったが、睡魔には抗えずそのまま意識は夢の中へと落ちていった。




