天使たちよ、そうじゃない!
数日後
ローレンティア侯爵家では、小規模なサロンが開かれていた。
次の夜会に招待した令嬢たちを前に、主催者のイザベラは深々と頭を下げた。
「このたびは、私が招待した夜会にオリヴィア王女殿下がいらっしゃることになり、皆様にご心配をおかけしております。申し訳ありません」
「そんな。侯爵夫人がお気になさることではありませんわ」
「ええ。アクセサリーさえつけて行かなければ、殿下は見ていて楽しいですもの」
「ぶっ飛んでて、面白いですわよねぇ」
前任のオリヴィアは、完全に見世物扱いだった。
「でも、アクセサリーを身に着けられない分、ドレスのデザインには調整が必要ですわね」
「実はそのことですが、オリヴィア王女殿下は、皆様に以前のようにアクセサリーを身につけていただきたいとお考えなのです」
「まあ……」
「今後は、皆様の持ち物を取り上げるようなことはなさらないと」
「……そうなのですね」
「オリヴィア様がそうおっしゃっていたのですか?」
令嬢たちに困惑が広がったころ、一人の青年が姿を見せた。
「ご機嫌麗しゅう。レディーの皆様」
そこに立っていたのは、侯爵家の長男。そして将来を期待されている軍人。
整った顔立ちに爽やかな笑みを浮かべた好青年の皮をかぶった、ルシウスだった。
「まあ……!」
「ルシウス様?」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
ルシウスは、さわやかな甘い笑顔を令嬢たちに向ける
「きゃぁぁ!なんて破壊力ですの!」
「ルシウス様が来てくださるなんて、感激です!」
「本当ですわ。めったに社交界にいらっしゃらないから、私、少し緊張しますわ」
令嬢たちの頬が、赤く染まりうっとりとルシウスを見つめる。
皆、普段のルシウスの顔を知らない。大変幸せなことである。
(よし。つかみは完璧だ!)
ルシウスは心の中で胸を張った。
「実は、本日は皆様にお伝えしたいことがありまして」
「まぁ。なんですの?」
「先日、王女殿下が王宮でリリア子爵令嬢の髪飾りを発見されました」
「私の……ですか?」
「もしかして、あの事件の?」
リリアの目が見開かれ、室内の空気が少し固まった。
「はい。間違いなく、リリア様のものだと裏付けも取れております」
「まあ……!」
リリアは、驚きながらも嬉しそうに微笑んだ。
「見つかったのですか。よかったです」
「え。良かっ、た……?」
「返していただけるのでしたら、私からは何も文句はありませんわ」
「え。文句は、ない……?」
「王女殿下も、わざわざ返してくださるのですもの。ありがたいことです」
「え。ありがた、い…………?」
ルシウスの笑顔が、引きつった。
(いやいやいや!違う!!違う違う違う!!!)
(反応が思っていたのと全然違う!!!なんだ、この慈愛に満ちた反応は!!?)
もっとこう――
「絶対に許しませんわ!」とか。
「今さら何を!」とか。
「あの女には、きっちりと思い知らせてやらなければ!」とか。
そういうものを想定していたのに、めちゃくちゃいい子だった
目の前では、他の令嬢も嬉しそうに「良かったですわね~」と微笑んでいる。
なんだこの平和な空気は!?
(くそ。困った)
ルシウスは一度咳払いをした。
「もちろん、返却されること自体は喜ばしいことです。ですが……皆様も、当時のことを少し思い出してみていただけませんか?」
「当時?」
「ええ」
「皆様、相当大変な思いをされたのではありませんか?」
「例えば、アンナ様」
突然名前を呼ばれた令嬢が顔を上げた
「アンナ様は、婚約者様から贈られた大切なアクセサリーを王女殿下に持っていかれてしまったのでは?」
「……そうでしたわ。あれは、本当に困りました」
「婚約者には何と説明すればいいのか分からなくて……」
「そうでしょう、そうでしょう」
ルシウスは、何度も深く頷く
そして次の令嬢を見る。
「ケイト様も、大変でしたよね」
「え?」
「公爵令嬢の大切なアクセサリーを、突然贈られたこと」
「……えぇ。確かに」
「高価な品でしたし、男爵家の我が家ではどうしていいか分かりませんでしたわ」
そして、公爵夫人イザベラも、静かにカップを置いた。
「……グレースも、あの件ではずいぶん苦労しましたのよ。自分の髪飾りを取り戻しただけなのに、王太子妃という立場を利用したのではないかと噂されて。あの子がどれほど気にしていたか……」
「まあ……」
「王太子妃殿下も、おつらかったでしょうね」
「ええ。私たちも、あのときは十分にお力になれなくて……」
「でも、こうして皆様にグレースのことまで気にかけていただけて、母として嬉しく思いますわ」
「とんでもないですわ」
「本当に、皆のもとにアクセサリーが戻ってよかったですわね」
「本当に良かったですわ!」
(は??なぜだ!!なぜ良かったという話になっている!?)
(私は今、皆様の心に眠る怒りを呼び覚まそうとしているのに!!どうして全員、仲直りのハッピーエンドみたいな雰囲気になっているのだ!!)
「……皆様。この度の夜会では、オリヴィア殿下はみな様にもう一度、アクセサリーを身につけて夜会に出席してほしいとお考えです。」
「自分は心を入れ替えたので、もう皆さまのアクセサリーには手を出さないと……」
(よし。来い!ふざけるな!『そんな簡単につけて行けるわけないだろう!』と怒るのです!!)
「まぁ!やはり先ほどイザベラ様が仰っていたことは本当なのですね!」
「ルシウス様がそうおっしゃるなら、安心してつけていけますわ!」
「本当ですね!それなら私、つけていきたいネックレスがありますの!」
(違う!!そうではありません!!)
(なぜ、こんなにあっさりと受け入れているのですか!?皆様は被害者なのですよ!?)
(もっとこう……「信用できませんわ!」とか、「本当に反省しているのかしら!」とか、そういう反応があってもいいのでは!?)
「まぁ!どんなネックレスですの?」
令嬢たちは、再び楽しそうに会話に花を咲かせ始めた。
ルシウスは、その花を枯らす方法を必死に考えていた。
そして、ルシウスは悲しげに目を伏せ、まつげを震わせながら大げさに語りかけた。
「皆様は本当に、それでよろしいのですか?」
「皆様は、あのとき大変な思いをされたのです。王女殿下が心を入れ替えられたからといって、皆様が受けた仕打ちまで消えるわけではありません」
「私は、レディーの皆様が心から笑えるよう、少しでも力になりたいと思っているのです!」
「まぁ。お優しいのですね、ルシウス様!」
「とんでもございません!どうですか??やり返したい気持ちが、ムクムクッと芽生えてきたのではないですか!??」
ルシウスは期待を込めて令嬢たちを見つめる。
「やり返したいだなんて、ふふ。でも確かに、当時は本当に困りましたわ」
「そうですね、当時でしたら、そう思ったかもしれませんわね」
「当時じゃなくて、今でもいいのではないでしょうか!!?」
ルシウスが必死に軌道修正を図る。
「今ですか?ふふっ。今となっては笑い話ですわね」
「え?……笑い話?」
「私……こうして皆様とお話しできて、なんだか気持ちが軽くなりましたわ」
「ええ、私もです!」
「これで一件落着ですわね!」
(違うううううううう!!!)
ルシウスは、危うく紅茶を吹き出しかけた。
「えっと、えっと…………レディーの皆様のお気持ちが晴れたのであれば、何よりです」
「ですが、皆様。少しだけ、いや、よーく。よーーーく。じっくりと、考えてみてください」
「皆様は、何も悪いことをしていない!それなのに、もやもやした気持ちを抱え。その原因を作った方が、何の償いもないまま、すべてを終わらせてよいのでしょうか?」
「償い、ですか?」
「えぇ。そうです!皆様が受けたご迷惑は、アクセサリーが戻ってくるだけで、すべて帳消しになるわけではありません!」
「そう、なのでしょうか」
「……でも、もう終わったことですし」
「終わってない!」
ルシウスの思わぬ大声に、令嬢たちはびくりと肩を揺らした
「……失礼。少々、熱が入ってしまいました」
「つまりですね。皆様が、ご自身のお気持ちに区切りをつけるために、何かをなさるのは、決して悪いことではないのです」
「……そうでしょうか?」
「そうです!よくお考えください!今度の夜会でも、私たちは本当に安心してアクセサリーを身につけられるのでしょうか?」
「あの騒動以来、皆様もアクセサリーを身につけることには慎重になられていたことでしょう!オリヴィア殿下がいらっしゃらない夜会でさえ、大きなアクセサリーは避けたほうがよい。そんな空気があったのではありませんか?」
「それなのに、今度は殿下ご自身がいらっしゃるのです!本当に、本当に安心して、お気に入りのアクセサリーを身につけられるのでしょうか!?」
「しかも!殿下は、これまで口でおっしゃったことを何度も覆してこられました!」
ルシウスの弁にも、次第に熱が入る。
「確かに……」
「言われてみれば、つけて行って、また取られてしまったらと思うと不安ですわ」
イザベラも不安を口にする
「そうですわね。皆さまがせっかく付けてきてくださっても、私が殿下をお呼びしたばかりにまた騒動が起こってしまったら、私もどうしたらいいか……」
さっきまで穏やかだった令嬢たちの表情が、少しずつ変わっていく。
「ですから!!もう二度と同じことが起きないよう、何かしら思い知らせて差し上げてもよいのではないでしょうか!!いや!思い知らせるべきなのです!!」
ルシウスは、キラキラと目を輝かせながら、鼻息荒く令嬢たちに訴えかけた。
「なるほど。確かに……」
「確かに。少しくらい……」
「えぇ……なんだか、ちょっとくらい私も仕返ししたくなってきましたわ」
(来たあああああ!!!)
ついに来た仕返しの流れに、ルシウスはキラキラと目を輝かせ、鼻息荒く身を乗り出した。
「もしよろしければ!!皆様のお気持ちを、私が叶えて差し上げましょう!!」
「え?」
「すべて私が手配させていただきますので、ご安心ください!」
「ルシウス様が?」
「はい!」
「でも……どうやって?」
「よろしければ、私も皆様と一緒に考えさせていただきます」
ルシウスの目が、楽しそうに細められる。
「それなら、少しくらい……」
「えぇ。えぇ。私も皆さまのお心が晴れるよう、全力で協力いたします」
「でしたら、こういうのは?」
「それなら、私は――」
次々と意見が出始める。
ルシウスは、それを嬉しそうに聞いていた。
「なるほど」
「ふむふむ」
「猿、ですか。それは面白いですね」
「なるほど、なるほど」
そして三時間後。
何度も脱線しては和解エンドに持ち込もうとする令嬢たちを、ルシウスは必死に引き戻し続けた。
「では、こちらの案で進めましょう!」
ようやく計画の全容がまとまった頃には、爽やかな笑顔もすっかり疲労の色を帯びていた。
「それでは、お店の手配は私がさせていただきます。ご令嬢方には、改めてご連絡申し上げます」
「ルシウス様、本当にありがとうございました!皆様とお話しできて、すっきりしましたわ!」
(だから!!すっきりするのは、まだ早いんだよ!!)
ルシウスは最後まで爽やかな笑顔を崩さなかった。
――こうして、一つの計画が静かに動き始めた。
ルシウス「くそ。なぜ、あんなにも善良なのだ……」
この国の人間が善良であることを、今日ほど呪った日はなかった。




