王宮に行ったら、何もするなと言われました
翌日、オリヴィアは王宮へ向かう馬車の中で、膝の上に分厚い本を抱えていた。
『私だってもう淑女!5歳から始める淑女のマナー』
昨日、ルシウスから渡され、一晩かけて読んだ。
夜会まで後2か月弱。せめてこのくらいは身につけないとね
オリヴィアは窓の外を見た。
見慣れた王宮が、少しずつ近づいてくる。
(……王宮の隣に立つ塔。そこに使われてない階段があって、その先の壁、押すと開いて……)
(そこを通れば王宮の立ち入り禁止区画に……)
なぜだろう、この体はそんなことばかり覚えている
(どうせなら、淑女としての立ち振る舞いとかを覚えていてほしかったわ……)
残念ながら、元のオリヴィアにもその記憶はない。
(いや、今はそこじゃない)
問題は王宮そのもの。
数日前に届いた書状。そこに書かれたあまりにも念入りな注意事項。
絶対に、何かある。
「……怖い」
「ん?何が?」
「王宮……」
「王宮?実家だろ?」
「そうだけど。だって、あの書状……すごかったじゃない。体調不良でも延期は認めないって」
「ああ」
「でも、オリヴィアのお兄さんだろ?」
「……そうだけど」
「前に会ったときも、すげーいい人だったじゃん」
それでも不安そうに眉を寄せるオリヴィアに、ザックも少し心配そうに声をかける
「んー。オリヴィアは何が怖いんだよ」
「そうね……お兄様が怖いというより、私自身が何をしていたのか分からないことが怖いのかもしれないわ」
「……?」
「夜会にちゃんと参加していた記憶がないの。面倒くさいと思ったら逃げて、目の前の楽しいことを優先していたのは覚えているのだけど、じゃぁ、一体それは何をしていたのかしらって」
「……なるほど」
「もし、参加しなかったことを怒られるだけならまだいいの。でも……私が覚えていないところで、何かとんでもないことをしていたらと思うと……怖いわ」
オリヴィアは膝の上の本をぎゅっと抱え直した。
「そっか。じゃあ……怒られたらまたそん時考えようぜ」
「……え?」
「俺も隣にいるし。もし本当にとんでもないことしてたなら、そのときはまた一緒に考えよう!」
「そんな簡単な話かしら……」
「だって今から何したか考えても、分かんねぇんだろ?」
「……まあ、そうだけど」
「じゃあ、考えるだけ損じゃん!俺だって一緒に謝るからさ!」
「……あなたって、本当に……」
「ん?」
「……お気楽よね」
「よく言われる!」
いつものように笑ったザックに、オリヴィアもつられて小さく吹き出した。
「……ふふっ」
「笑った」
「誰のせいよ」
「俺!」
ザックは、楽しそうに笑った。
「あ、ザック将軍!」
「将軍!お久しぶりです!」
そして馬車は門を抜け、王宮に入ると顔見知りらしい兵士が声をかけてきた。
「おー!久しぶり!」
「今日は王宮で会議ですか?」
「いや、今日はオリヴィアと一緒に来たんだ!」
「おお!」
「王女殿下と?それは、大変ですね」
「……?大変ってなんだよ」
ザックが尋ねると、兵士は少し困った顔をした。
「あ……いえ、その……」
「ま、いいや!じゃあまたな!」
ザックは気にした様子もなく笑っている。
「はい!」
また馬車が進み、少しすると今度は文官が声をかけてきた。
「ザックさん!」
「おう!」
「今日は王女殿下とご一緒なんですね」
「そうなんだよ」
「……なるほど」
「?」
オリヴィアは小さく首を傾げた。
さらに進むと、今度は貴族らしき男性が声をかけてきた
「え、ザックじゃーん!」
「おー、久しぶっす!」
「今日はオリヴィア様と?」
「そうなんすよ!」
「……そっか。頑張って」
「何を!?」
なんだろう、なぜか皆、私を見ると一瞬止まる。
ザックはいつも通り周囲から気軽に声をかけられるのに、自分の名前が出た瞬間だけ微妙な空気になる。
(……やっぱり嫌な予感しかしない)
そうして、二人は王太子の執務室へ案内され、扉の前で、オリヴィアは大きく深呼吸する。
緊張で強張ったオリヴィアの顎を、ザックが、わしっとつかんだ
「……!?にゃにするのよ!」
オリヴィアのほっぺたが、ザックの手でむにむに形を変える
「ははっ変な顔!」
「……誰のせいよ!」
ザックが顎から手を放し、今度は自分の眉間に指をあてた
「ここも、シワ寄ってんぞ!」
「もう……」
「はははっ!まぁ、大丈夫だって」
「俺も横にいる」
「……うん」
そして扉が開き、室内にいた数人の視線が一斉にこちらへ向いた。
「王女殿下、将軍閣下がお見えです」
オリヴィアは背筋を伸ばし、本を思い出しながら丁寧に一礼した。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「えっ、オリヴィア様が……」
「今、挨拶……したのか?」
部屋に隠し切れない動揺が広がる
そして、兄である王太子ロイは驚いた顔で立ち上がると
「お前……挨拶できるのか」
(……そんなことで驚かれると、逆に怖い)
「ザックも来てくれてありがとう。妹が迷惑をかけていないだろうか。いや、愚問だったな」
「……?別に迷惑なんてかけられてないですよ?」
「……そうか?」
ロイは、屋敷が燃えた後も「俺、なにも失っていないので!」と笑っていたザックを思い出した。
「さすがだな、君はそういう男だ」
「……?」
「まず、オリヴィア言っておく。夜会では、問題を起こすな。いや、何もするな」
「え?」
「侯爵夫人。義母上からの願いだ。お前の夜会復帰は認めざるを得ないだろう。だが」
「……頼む。頼むから当日は黙って立っているだけにしてくれ。もし叶うのなら、全員に謝ってほしいろころだが……お前には無理だろう。だから頼むから、何もしないでほしい!!」
「え……?何もするな。とは?」
「そうだな。まず注意事項その1。気に入らないことがあっても逃げない」
「その2。人の話は最後まできちんと聞く」
「その3。他人を侮辱しない。侮辱という言葉は分かるか?悪口だ。」
(そんなところから……?)
小学校の道徳のほうがまだレベルが高そうだった。
そしてそこから、淡々と読み上げられた確認事項は、ゆうに百を超えていた
「その113。気に入らない料理をまるめて庭に放り投げない」
「はい」
「その114。気に入った馬の毛を剃って、『オリヴィアのうま』と書かない」
「はい?」
だんだんリストの内容が怪しくなってきた
「その115。王宮の屋根から勝手に飛び降りない」
「飛び降りない……?」
「飛び降りる気か?」
「違います!なぜそのリストに飛び降りが入っているのかと……」
(前任者に、自殺願望でもあったのだろうか……)
オリヴィアは不安になった
「覚えていなかったか。10歳の頃だからな。新年の祝賀会で挨拶が面倒だと逃げ出し、その後、王宮の屋根から、バンジージャンプをした」
「バンジージャンプ?」
「しかも、その日は婚約者候補として隣国の王子が来ていてな。王子は『荷が重いようですので』と言って帰ってしまった」
「……ごめんなさい」
「その言葉を、あの時に聞きたかったよ」
ロイは諦めたように笑った。
まぁいい。次だ。
「その116。香水が気に入らないと言われても、相手の屋敷に自分の香水を大量に散布させない」
「なにそれ」
(……前任者いったい何をしていたんだろう)
「不満か?」
「いえ、そうではなく。香水を大量に散布とは……」
「自分の香水の香りが気に入らないと、知らずに言ってしまった令嬢の屋敷の周りに、馬車3台分の香水を積んで撒きに行っただろう。これも覚えていないのか?」
「……はい」
「はぁ。相手の貴族は、1週間ほど匂いのせいで外出もままならず軟禁状態になったそうだ。当時お前にもかなり説教をしたと記憶しているが……」
「申し訳ありません……」
「もう、絶対に撒くな」
「その117。嫌なことがあっても、その辺の人間を捕まえて勝手に身代わりにしない」
「……はい。身代わりまで……」
(そんなことまでやっていたんだ、わたし……)
「当たり前だ。身代わりも許さない。以前お前が家庭教師から逃げて背格好も何もかも違う女性を適当に放り込んだせいで……」
「放り込んだせいで……」
「二人は意気投合して結婚した」
「それは……よかったですね」
「お前の功績ではない」
「はい……」
王太子は淡々と次の紙をめくった。
「その118。劇団の公演中に舞台へ乱入し、勝手に参加した火の輪くぐりに失敗しても劇団員を叱責しない」
「…………はい」
「その119。暑くても、夜会会場に放水しない」
「…………」
「あの、もうお腹一杯です」
「まだある」
「もう、聞きたくありません……」
「注意事項その1『逃げるな』その2『最後まで聞く』だ。思い出せ」
「うぅ……」
オリヴィアの目が、完全に死んでいく。
その様子を隣で見ていたザックが、少し心配そうに眉を寄せた。
「……なぁ、おにいさん」
「なんだ?」
「オリヴィア、もう大変そうだし。一回休憩させてもいいか?」
「いや、だめだ……」
確かに、オリヴィアの顔色は悪い。
しかし、妹には前科がありすぎるのだ。
「以前も『少し休みたい』と言って、そのまま逃げたことがあっただろう」
「だから休憩は認められない……」
「でも、俺もトイレ行きたいし!オリヴィア、一緒に行こうぜ!」
「え?」
オリヴィアが顔を上げる。
「ちょっと待って。でも休憩はだめってお兄様が」
「ほら、行こう!」
「いや、だから――」
「俺、もう限界!漏れちゃうよー!」
ザックは空気を軽くするようにおどけて言うと「だから。な!」と、ロイに向かって顔の前で手のひらを立てた。
オリヴィアがザックに引っ張られ、立ち上がる。
その瞬間、部屋の左右に控えていた二人の男女が、ほぼ同時に懐へ手を入れた。
細長い筒をそっと口元に当てると、その先端が静かにオリヴィアに向けられる
「……まだいい」
ロイはそれを横目で確認すると、低い声で2人を制した。
「仕方がない……5分だ」
「おう!」
「じゃ!行くぞ、オリヴィア!」
「ありがとう、ザック」
二人はそのまま部屋を出ていった。
扉が閉まり、執務室は静まり返っていた。
ロイは、何事もなかったかのように手元の書類へ目を落とした。
「……さて。2人が戻ったら、本題に入るか」
まだ、本題ではなかったらしい。
手元の書類には『夜会におけるアクセサリー事件についての詳細』と記載されていた
そんなことは知らない二人は、王宮の廊下を並んで歩いていた。
「ザック、連れ出してくれてありがとう」
そういって、オリヴィアは胸元のネックレスを握りしめる。
なんだか、勇気が湧いてくる気がした。
ロイ「オリヴィアが、まさかここまで話を聞けるとは。……結婚は人を変えるのだな。」




