ザックの夢
その夜
ザックはベッドの中で昼間の馬の姿を思い出していた。
生まれた場所へ戻り、懐かしい仲間たちのところへ帰っていった馬。
――帰る場所、か。
そんなことを考えているうちに、ザックは眠りに落ちた。
ザックに残っている一番古い記憶は、誰かの背中だった。
血の繋がった兄ではない。
それでもザックにとっては、誰よりも大好きで、誰よりも頼りになる兄ちゃんだった。
見つけるたびに、ザックは満面の笑みで背中によじ登った。
「またお前か!」
「へへへっ!」
「……しょうがねぇな」
兄ちゃんは、ザックに生きていくための知恵を教えてくれた。
良いことも悪いことも、綺麗事だけでは生きていけないことも。
スラム。そこでは仲間の死は、いつもザックたちのすぐ側にあった。
ザックは、いつも誰よりも大きな声でたくさん泣いた。
兄ちゃんは目を伏せて、ザックが泣き止むのを隣で待っていてくれた
「ありがとう」
兄ちゃんはお墓から去るとき、いつも『ありがとう』と口にした
「なんで、ありがとうなんだよ!死んじゃったんだぞ!!」
「うん。でもこれまで一緒にいてくれたから」
「だから悲しいんだろ!もう会えないのになんで……ありがとうなんておかしいじゃんかよ!」
「……そうかもな」
兄ちゃんの背中に顔を押しつけて、いつまでも泣いていた。
けれど、ある日。その大好きな背中が、突然なくなった。
「……お兄ちゃんは?」
「捕まったらしい」
「え。なんで?」
「さあな」
「いつ帰ってくる?」
「……分からない」
それでも、腹は減るし、朝は来る。生きていくためには、立ち止まっている暇などなかった。
ある日、暮らしていた荒屋が崩れた。古い木材が折れ、錆びた釘がむき出しになった。
その釘を踏んだ仲間が、足をひどく傷つけた。
そしてまともな医者にかかることもできないまま、その仲間は死んでしまった。
それ以来、ザックはみんなが走り回るとき、無意識に足元を見るようになった。
危ないものを見つければ、考えるより先に声が出た。
「そこ、危ねぇ!」
「こっち来るな!」
「怪我を甘く見るなよ!手当はちゃんとしろ!」
今度は、誰も失いたくない。
そんな気持ちが、まだ幼いザックの中に少しずつ根を張っていった。
けれど、どれだけ気をつけても、守れないものはあった。
「あそこには手を出すな」と、みんなが口を揃えて言っていた危険な組織があった。
そこへ、ある仲間が自分から入っていった。
なぜだったのか、ザックには分からない。
ただ、その友人が組織へ向かう前、いつもとは違う雰囲気をまとっていたことだけは覚えている。
何かを決めたような顔をしていた。
ザックは、仲間の変化に気づいていた。
けれど、『もう少し、落ち着いたら何があったのか聞いてみよう』
そう迷っているうちに、友人はもう踏み込んでしまっていた。
そして、帰ってこなかった。
その少し前、別の仲間が病気になっていた。
薬が欲しかったのか、それとも別の理由があったのかも、今となっては分からない。
――声をかけていれば。
――あのとき、もう少し踏み込んで聞いていれば。
違和感には、気がついていたのに。
それからザックは、違和感を感じたら必ず声をかけるようになった。
「気づいていたのに」その後悔だけは、もう二度としたくなかった。
そんな日々を繰り返すうち、今度は自分が誰かを背中に背負う番になっていた。
「泣くなよ」
「だって……」
「大丈夫だから。」
全然大丈夫じゃないことくらい、ザック自身が一番よく分かっていた。
それでも、小さな子が泣いているのを見ると、自分まで大声を上げて泣くことはできなくなっていた。
「俺たちがいるだろ」
そう、言ってしまったからには、立ち上がるしかなかった。
そうしていつしかザックは、ちょっとやそっとのことでは泣かなくなっていた。
何度目かも分からない仲間の墓の前
「……ありがとう」
ザックは小さく呟いて、ほんの少し笑った。
「……じゃあな」
飢饉のとき、何人もの仲間が倒れた。
だからザックは畑からジャガイモを盗んできて、空き地に埋めた。
「これ、食える?」
「おう!いっぱい増やしてからみんなで食うぞ!」
けれどそれは、空腹に耐えられなかった小さな子供が、食べてしまった。
「……ごめんなさい」
泣きながら謝る子供の頭を、ザックはそっと撫でた。
「大丈夫だ!また貰ってきてやるから!でも次は食う前に言えよ?」
そういって、笑った。
そして次に盗みに入った畑で、ザックは捕まった。
牢の中で途方に暮れているザックに、老人が声をかけた。
昔は兵士だったらしい。
今は小さな牢の番をしているという。
「お前、いつまでそんなことを続けるつもりだ」
「俺だって……俺だって変わりてぇよ……!」
「でも、俺はこれしか知らねぇんだよ!!」
「なら、俺が教えてやる。お前は多分、もっとふさわしい場所がある」
「なんだよそれ、俺には待ってる仲間がいるんだ!早く出せよここから!」
「……俺も昔、貧乏でさ。家族を置いて軍に入ったんだ。ずっと同じ場所で一緒に生活するだけが、家族のためになるとは限らないと思ったんだ」
「お前が変われば、いつか仲間も変わるかもしれん」
その後、老人が細い糸を手繰り寄せるようにつないでくれた縁で、軍に入ることになった。
「俺、軍に入ることになったんだ」
「やだよ、ザック兄ちゃん!!行かないでよ!!」
「ごめんな。でも、俺ここを変えたいんだ」
「……いつ帰るの?」
「分からない。でも、かならずここに帰ってくるから」
そして、数年ぶりにザックはスラムへ戻った。
「ただいま」
昔と同じように、そう言った。
けれどその場所に知っている顔は、もうほとんど残っていなかった。
軍服姿のザックを見る人々の目には、警戒が浮かんでいた。
帰ってくると、約束した場所
だけどもう、そこは昔の場所ではなかった。
そして今。
少し離れたベッドでは、オリヴィアが眠っている。
ザックはベッドを抜け出し、静かにその寝顔を覗き込んだ。
(……なんか、昔から考えたら変な感じだよなー)
「変なの」
「……ん?」
オリヴィアが薄く目を開けた。
「どうしたの。ザック?今、変って言った?」
「えっ!? いやいや! 違う違う!」
「幸せだなーって思って!」
「……なんなの、それ」
寝ぼけた声でそう言って、オリヴィアはまた目を閉じる。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
そうしてもう一度、自分のベッドへ戻った。
もともと、ザック少年の成長物語を書きたくて始めたお話なので、ダイジェスト版でも書けて嬉しいです!
圧縮したせいで、なんだかものすごく悲惨な少年時代に見えますが、結構楽しいこともたくさんありました!
というわけで、次回からは
また清く正しいコメディ作家に戻ります〜っっ!!




