元気いっぱい、走ります!
「うわああああああああ!!馬がぁぁぁぁ!!」
その日、軍の厩舎にとんでもない悲鳴が響き渡った。
「何してんだお前ぇぇぇぇ!!」
「だって、元気薬って書いてあったから!!」
半泣きの隊員の横を、一頭の老馬が厩舎の扉を吹き飛ばし、駆け抜けた。
「ヒヒィィィィィン!!」
「おい!!待てーーーっ!!」
いつもはゆっくり歩き、のんびりとしている老馬の面影はなく、今や筋肉の塊となって暴れ回っている。
「うおおおおおお!!待てぇぇぇ!!」
「うわぁぁーーー!壁が壊れたーーー!」
「まずい!あっちは門だ!」
「くそ!普通の馬じゃ追いつけない!おい、薬貸せ!この馬にも飲ませる!」
「バカ野郎!被害増えるだろ!」
下の大騒ぎを聞きつけ、ザックが2階の窓から顔を出した。
「おい!!なんで馬がムキムキになってるんだよ!!」
「元気薬を飲ませました!!」
「バカ野郎!今行くから待ってろ!」
馬は訓練場を横切り、一直線に門へ向かっていく。
「……まずいな。ルシウス!頼む!」
ルシウスには、その一言で十分だった。
「第一班、東門へ回れ!第二班は南の道を使って街に先回りしろ!騎兵第3・4部隊は街へ続く主要道を封鎖だ!急げ!」
「はい!」
ルシウスは、隊員たちに次々と指示を飛ばす。
ザックはその様子を一瞬だけ見て、にっと笑った。
「頼んだ!俺は馬を追いかける!」
「そんで、薬飲ませたやつ!あとで説教な」
「はいーーーっ!すみませんでした!」
そして、馬は高さ三メートルはあろうかという門を――
軽々と飛び越えた。
「ヒヒィィィィィン!!」
「飛ぶのかよぉぉぉぉ!!?」
ザックは門を蹴破り、馬を追う。
町へ出た馬は、まるで長年の鬱憤を晴らすように大通りを駆け抜けていく。
「わーっ!危ない!」
「馬が走ってるぞ!」
ザックは、馬が曲がれば先回りし、
人がいれば声をかけて道を空けてもらう。
「わりーな、にいちゃん!!」
そして、たまたま横を通った馬車の荷台、そのまた別の馬車に飛び移り
なんとか馬に食らいつく
そして。
「……どこまで走るんだよ、あいつ!!」
さすがのザックもそろそろ馬を見失いそうになった、その時
「……ん?」
見覚えがある道の形。
緩やかな坂。
その先に見える古い木立。
「……ここ……」
やがて古びた厩舎の前で馬は突然、足を止めた。
「ヒヒィィィィィン!!」
突然現れた筋肉の塊に、厩舎の中の馬は驚いて牧場のほうに逃げていく。
「おい!どうしたお前!」
すると厩舎の奥から一頭の年老いた雌馬がゆっくりと、近づいてくる
そして
「……ブルル」
「ブルルル……」
二頭はしばらく鼻先を寄せ合っていた。
そしてその後ろから、若い馬が一頭。
さらにその奥から、もう一頭。
老馬を囲むように集まってくる。
「……お前は家族のもとに、帰りたかったのか」
老馬はただ懐かしそうに鼻を鳴らし、年老いた雌馬の隣に寄り添っている。
その姿を見ていると、不意に胸の奥がざわついた。
ザックに残っている、一番古い記憶。
それもまた、誰かの背中だった。
大きな背中によじ登って笑っていた、小さな自分。
「……会えて、良かったな」
先ほどまであれほど暴走していた老馬は、家族に囲まれて嬉しそうにしている。
その時、
「閣下ーーーーーー!!」
「閣下ぁぁ!ご無事ですか!!」
いつもの声に振り返ると、道の向こうから汗だくの兵士たちが走ってくる。
「おう!こっちだ!」
ザックの顔に、いつもの笑顔が戻り大きく手を振る
「……俺も、帰るか」
「はい!」
「……ところで閣下」
「ん?」
「その馬、どうやって連れて帰ります?」
老馬は家族の隣で、ものすごく満足そうに草を食べていた。
「…………置いてく?」
「ダメでしょう!!」
結局、元気になりすぎた老馬を軍へ連れ戻すため、ザックたちはもう一度、全員で走る羽目になった。
「すみませーん!!」
「さっき馬が走っていきましたー!!」
「ご迷惑おかけしましたーー!!」
町の人々が呆然と見送る。
その先頭を、ザックが笑いながら走っていた。
その帰り道、買い物袋をいくつも抱えているオリヴィアがいた
「オリヴィア!」
「……ザック?」
オリヴィアはこちらへ向かってくる大勢の兵士と、その先頭で汗だくになっているザックを見て、目を丸くした。
「ザック、一体どうしたの?」
「ちょっとこの馬追いかけて走ってたんだ!」
そこには筋肉が元に戻り、なんだか少しだけ元気になった老馬が立っていた。
「お前らは先に戻って休め!俺がこいつ連れて帰るから!」
ザックが老馬の手綱を引き隊員たちに声をかけると、なぜか皆ニヤニヤしていた
「やだなぁー閣下」
「そうそう!俺ら、荷物置いてきてますんで!」
「奥さんと帰ってくださいよ!」
「閣下は奥さんとごゆっくりー!ひゅーひゅー!」
「何がごゆっくりだよ!」
隊員たちが楽しそうに馬を連れていく背中を、ザックは苦笑しながら見送った。
「……ったく」
そして、ザックはオリヴィアの持つ買い物袋を見ると
頬をぽりぽりとかいて、ほんの少しだけ照れくさそうに
「じゃあ、まぁ。行きますか?」
「そうね」
「それ、重いだろ」
「別にこれくらい――」
言い終わる前に、ザックが買い物袋を全部取り上げた。
「ありがとう……」
「おう!」
さっきまで馬を追いかけて町中を走り回っていた男は、
今度は、隣を歩く妻の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いていた。
その頃
ルシウスは破壊された厩舎を整え、報告書を書き、
そしてザックに蹴破られた門の破片をハンカチでそっと、包み込んだ。




