VSブレードシング
「ひぃーん、ひぃーん」
「すごいな、パリィは。どこか痛むか?」
「ぜんっひぃーんぜんっだよひぃーんザッッコがっひぃーん」
差し出された手にすがって立ち上がった愛奈は、まだしっかり笛呼吸しながら、言葉と裏腹に鋳の腕にもたれた。
「まずは息を整えるんだ」
「うん、ありがと。それにしても、パリィは、あれだね。無敵フレームと攻撃フレームの把握が前提だね。これは、フィジカルだ」
「フィジカルか。ダンジョン攻略配信でたまに聞く単語だな――説明の前に、ゆっくり吸って吐いて」
愛奈は言われるがままに何度か深呼吸すると、咳払いした。
「スキルは必中のバフが付与されていない限り、回避することができる。こちらも敵も。つまり理論的には、すべての攻撃を回避して殴り続ければ勝つことができる。レベル1でダンジョンを周回するのが趣味の、いかれた町田市民もいる。縛りプレイだね」
前回のランでアミガサと対峙したときのことを、鋳は思い出した。あのときアミガサにとどめを刺したのは、〈ドープ!〉なるろくでなしのスキルではない。己のジャブとストレートだ。
「言われてみれば、そうか。考えたこともなかったが……」
「最後にものを言うのはフィジカルと主張するノー・カラテ、ノー・ニンジャ派は根強いね」
愛奈は言葉を切って、鋳を見上げた。
「なにか、思いついた?」
「試してみたいことがあるんだが、かまわないか?」
「やっちまいな」
鋳はHUD左下隅で輝き続けるスタートボーナスに焦点を合わせた。眼前に展開した三つの光球のうち、青色装備を選択する。
〈OFG〉 攻撃力+42
〈OFG〉を起動すると、黒い指ぬきグローブが両手に装着された。
掌を握り込み、開き、また握る。拳を覆う、厚みのある部分を指で圧す。手首部分のマジックテープをはがして、きつく締め直す。
すこし、硬い。通っていたジムで付けさせてもらった、UFCのものに感触が似ている。
体の中でなにかざわめくような感覚があった。静かに呼吸して、散らす。
「気合、入ってきた?」
問われて鋳は肯いた。
「借りを返しに行ってくる」
◇
芹が谷公園の北端近い芝生広場に、そいつはいる。
ヒトの肢体にカマキリの頭と鎌を接合したような、ぶかっこうな怪物。
最初の日、鋳を追いかけ回して〈ランダマイザ〉をもたらしたエリートモブ、ブレードシングだ。
「いきなりエリート?」
感知範囲ぎりぎりに、鋳と愛奈は立っている。
「これで通用しないなら、自分のフィジカルが信用できない。それに、あいつにはやり返しておきたいんだ」
「いいね。そういうの好きだよ」
「離れて見ていてくれ。君の残りHPはもういくばくもないだろう」
わかった、と、後ろに下がった愛奈は、アミガサから獲得した〈アイスカフェモカ〉のカップにストローを刺した。HP7回復の消費アイテムだ。
「がんばれ、イル」
背中を押す応援の言葉に、鋳は片手を挙げて応じた。
荷ほどきもせず飛び込んだダンジョンで、パニックを起こし、逃げ惑うことしかできなかった。なにごとも予習通りにはいかないものだ。
けっきょくのところ、身に馴染ませていくしかない。痛みと成功を積み上げるしか、ない。
一歩、進む。ブレードシングがこちらを向いて、目が合った、ように感じる。
ヘイトラインが怪物と鋳を結ぶ。
試合開始を告げるホーンが心中で鳴り、鋳は大きくステップした。
靴裏のグリップが利きすぎているのを感じて、踏み込む勢いを調整する。異相の怪物はまっすぐ鋳に迫る。
お化けのまねをするとき掌を垂らすように、ブレードシングの鎌は手首から先で下を向いている。攻撃の軌道として妥当なものを鋳は三つ思い浮かべた。
振り上げ、振り下ろす。手首を返し、フック気味に鎌を引っかける。刃をまっすぐ伸ばした直線の打撃。
そのいずれにも対応できる距離で、鋳はまず相手の出方を伺うことにした。
遠い間合いで、来たのは右ストレートのような直線の打撃だった。怖いのは鋭く尖った先端のみ。握った拳を振り下ろして相手の腕をはたき落す、パリングで対処。
ストレートの間合いから一歩半踏み込むと、フックが飛んできた。上体を反らすスウェイか、バックステップで対応できるだろう。
鋳はスウェイを選択した。鎌の先端がフライトジャケットに引っかかり、ファスナーを弾き飛ばした。
うなじが興奮と恐怖にぞわりと痺れる。
もう半歩、近寄る。五十センチ上にあるカマキリの頭部が鋳に影を落とす。
ブレードシングは腕を高々と振り上げ、袈裟懸けに振り下ろした。膝を落として上体を後ろに反らすダッキングで回避。返しのフックには、バックステップ。
「お、おー? あぶなっ、あぶなっ」
愛奈の声が聞こえる。なにも危なくない、と、声を出さずに即答する。
次は、こちらから仕掛けてみる。まずは前にした左脚を強く踏む、接近のフェイント。ブレードシングは即座に反応してフックを放つが、空を切る。
すかさず低く潜るようなステップイン、左ジャブを腹に放る。このボディジャブは触るだけで良い。どこからどこまでが自分の距離なのか、探るための一撃だ。
振り下ろしをバックステップで回避する。どたどたと追ってきたブレードシングが放つストレートを避けながらステップインし、再びボディジャブ。今度は、強く当てる。
腹に拳が沈む、あの奇妙な感覚。打撃を浴びた体が液体のように波打つ、その感触が拳に伝わる。
ブレードシングが返しの振り下ろしを放ったとき、鋳はもう距離を外している。
全て想定通りだ。鋳はより深く集中する。どこに立てば相手にとって自分にとってそれぞれ危険なのか、その線が見える。
鋳は後ずさり、大きく離れた。ブレードシングは誘導に気づかず、鋳を追った。
低く駆け、ブレードシングの右脚、その膝裏を左手で抱える。同時に、相手の左肩を右手で強く押す。相手を転がすテクニック、ニータップだ。
右足を担がれ踏ん張りのきかなくなったブレードシングは、押された勢いで仰向けに倒れた。即座に上体を起こして立ち上がろうとする、その無防備な顔面を、鋳は爪先で思いきり蹴りこんだ。
ぐし、とも、めぢ、ともつかない、硬い外がわと柔らかい内がわが同時に潰れる音が鋳の体の内側に響いた。
棒のように倒れたブレードシングめがけ、鋳は、飛んだ。
右足に全体重を乗せた踏みつけが、ブレードシングの喉に突き刺さる。かかとが深く、軟組織に沈む。
呻いて鳴いて、ブレードシングは斃れた。痙攣する肉体が光る粒子となって舞った。




