ようこそ、ダンジョン都市〈町田〉へ
東京都町田市原町田6丁目 原町田大通り
JR横浜線町田駅前から国道47号線までまっすぐ伸びる四車線の道路は、〈大変状〉以降、違法建築の立ち並ぶ多世界的な空間となっていた。
通りに1677万色ゲーミング傘がひしめく。小ぬか雨に滲むネオンサインはひらがな、カタカナ、繁体字、アラビア文字、ラテン文字、ハングル、エルヴンアルファベット、神聖パワー文字。
上空に浮遊する企業広告ドローン群は、画期的でクリーンなスマート電力網への切り替えを促したり、アイドルグループによるダンジョン攻略の生配信日時を告知したり、納税の重要さに関する川柳を繰り返し表示したりしていた。
JR横浜線と小田急線を結ぶペデストリアンデッキの下で、鋳は、いささか自失した。
「繁華街、はじめて?」
視線をせわしく動かす鋳に、愛奈はくすくす笑って声をかけた。
「率直に驚いた。知ってはいたんだが……目の当たりにすると」
愛奈は大股で鋳の前に飛び出すと、くるりと反転して鋳を見上げた。
「ようこそ、ダンジョン都市〈町田〉へ」
小鼻をぷくつかせる愛奈のすぐ脇に頭ぐらいの大きさの何かが落ちてきて、火花と破片を撒き散らしながら跳ね回り、水たまりに突っ込んで停止した。
「え……なんだ?」
「撃墜された広告ドローンだね」
動じた様子もなく、愛奈は立てたひとさし指を空に向けた。
「町田の空では、広告の出稿権は武力で勝ち取るんだよ」
「すごい」
「行こうか。良い店があるんだ」
露店で買ったゲーミング傘を鋳に押し付けた愛奈は、ガードレールをひょいと乗り越えた。鋳は傘を広げ、愛奈を追った。
しばらく歩いた二人は数世界語で『町田前すし』と書かれたのれんをくぐり、パイプ椅子に腰を下ろした。
「へい、ぇらっしゃぁせ」
屋台の主人は白くぱりっとした調理服を着た若い男だった。ドレッドヘアの髪束ひとつひとつが稲妻で、かすかに低くごろごろと唸っていた。
「シャコ。二つで十分だよ」
「へい、シャコ」
洞穴シャコの握りはぷりぷりと歯切れよく、噛むとはらはらほどけ、煮切り醤油とともに甘い。
「こういうことを面と向かって聞いていいのかは分からないが……愛奈、君は異民なんだな」
「ん」
指についた米粒を舐め取りながら、愛奈は肯いた。
「自我が芽生えたのは〈大変状〉のときだけど、主観的には1000年以上生きてるかな」
「君は、どうしてダンジョンに?」
「クラーケン、えんぺらで」
「へい、えんぺら」
細かく隠し包丁を入れた、境川クラーケンのえんぺら。ばつんと弾けるような歯ごたえで、噛むほどに味が湧き出る。
「楽しそうだったから」
「死にそうだったが」
「本当に、本当に、助かったよ。肉体にはまだ不慣れなんだ」
異民――エルフや神族、コボルドやインプのことを、鋳はよく知らない。〈大変状〉を境に現れた彼らは、町田に生存圏を築いているらしい。それは、誰でも知っているようなことだ。
「マンドラゴラ」
「へい、マンドラゴラ」
マンドラゴラの手まり寿司。甘酢漬けのマンドラゴラはしゃっきり瑞々しく、酢飯にはクリームチーズとゴマが混ぜてある。
「イルは?」
「探し人がいる。最後に見かけたのが、やくし池ダンジョン群だった。なんだかいうギルドの配信に、すこしだけ顔が映ったんだ」
「やくし池か、現状の最高難易度ダンジョンだね――注文しないの?」
「マグ……いや、タマゴだ」
「へい、タマゴ」
玉虫色に発光するタマゴは摺ったブソウヒカリバンジョウエビの味わいが深く、きりりと甘い。
「手伝うよ、イル」
「助かる、愛奈」
愛奈がこっちに向けて突き出した拳に、鋳は拳を合わせた。
「お酒は? 呑める歳? ここはクラフトビールが充実しているんだ」
「一杯もらおうか」
「いいね。谷戸ブルワリーのリビングヘイジー、あとグラスふたつ」
「へい、ただいま」
開栓された瓶と、小さなグラスが差し出される。愛奈は手慣れた様子でグラスに注ぎ、手慣れているのは仕草だけで八割がた泡になった。
「……肉体にはまだ不慣れなんだ」
「俺がやるよ」
ビールを注いだ鋳は、泡だらけのグラスをさっと手に取り、有無を言わさず乾杯した。
「お疲れ、愛奈」
「ごめん。おつかれさま、イル」
グラスを傾ける。小山田緑地ダンジョン産のジャイアントリビングホップを使ったビールは、熱帯の果実のように甘く、初夏の草原のように青い。
疲労と倦怠をひとまとめに、長く吐き出す。しびれるような心地よさが腹の中心から末端に向かい広がっていく。
「いい飲みっぷりだね」
「人の金だと思うとな」
二人は笑い合った。
屋台を後にしたころにはもう雨も上がり、晴れた夜空には星光とエーテルが渦巻いていた。まあまあちゃんと呑んだ愛奈は、ふらふらよちよち、歩き方を覚えた直後のぺんぎんみたいに鋳の後をついてきた。
「ちゃんと帰れるのか?」
「だーいじょうぶ。だいじょうぶ。見てて。片足で立てるから。片足で立てるときは酔ってないんだよ。逆説的にあれかと思うけど。ね、ほら」
言うそばからひっくり返りそうになった愛奈の肩を、鋳は抑えた。
「んふん。大丈夫だった」
「まったく大丈夫ではないぞ。タクシー……いや、なんだ? 馬か? ワイバーンか? とにかく、帰る足が要りそうだな」
「それは、もうまったく、合理的な判断だ」
わけ知り顔でうなずいた愛奈は、鋳の背中に飛び乗った。
「イルタクシー、しゅっぱつ」
「どこなんだ、君の家は」
「ないよ」
恬然と、愛奈は言うのだった。
「住むから」
「なんだと?」
「住んでいいよね」
「……聞いたことのない問いかけだ」
「女性と同棲すること、気にしてる? いいよ、わたしはお姉さんだから」
愛奈は鋳の頭を平手で何度も打った。どうやら撫でようとしているらしいが、猫の腰を叩くときのやり方だった。
「やめてくれ。なにもよくない」
「照れてるね。少年って呼んだ方がいい? なにぶんね、お姉さんだからね」
「なんだそれは。愛奈、君は――冗談だろう、寝たぞ」
鋳に負われて、愛奈は寝息を立てていた。
ため息をついて、鋳は愛奈を背負い直した。
「荷ほどきぐらいは手伝ってもらおうか」
「……んむぐ、むぐんぐ」
愛奈はくちびるをもちょもちょさせ、拍子に口の端からよだれが垂れて鋳の首筋に落ちた。
「困ったものだな」
口にしながら、そう悪い気はしなかった。




