真空ドープ
そうして二人は、高架から身を躍らせた。
十月。午後三時。
へんに明るい残暑の曇り空にアスファルトは眩しく、
――夕立ちになるな。
思いながら体は落ちていく。
変状した土地をめがけて。
着地と同時に眼前のモブ〈ワーボア〉からヘイトラインが鋳めがけ伸びる。最初の三択を保留しながら、ワーボアの右フックをバックステップで外す。
「そっちのボーナスは?」
「〈ヴァンブレイス(金)〉にするつもりだ。愛奈は?」
「イルがフロントロードなら、コンボ用に先ピックしたいな。おもしろそうなスキルがあるんだ」
「後で確認させてくれ」
鋳は防御力+3、筋力+2の灰色腕装備、〈ヴァンブレイス(金)〉を獲得した。金色の小手が、鋳の拳から前腕を覆った。
ワーボアの突進をジャブで止め、左のハイキック。ワーボアは両手を上げて鋳の蹴りを受け止めるも、重心が後ろになる。
すかさず胴タックル、ワーボアの背中側で両手をしっかりクラッチする。小外掛けで倒して素早くマウントに移行し、顔面に鉄槌を繰り返し叩きつける。
二十発のパウンドで、ワーボアは沈んだ。
「いいね、フィジカルだ」
「人型相手だからな。スタートボーナスは何を?」
「〈ケトジェニック〉。青色。確認してみて」
鋳はHUDに注意を向け、愛奈が獲得したスキルを確認した。
〈ケトジェニック〉
〈対象はこの戦闘中、HPを回復するたび、回復量の50%分の筋力を得る〉
〈対象はこの戦闘中、HPの回復量が50%になる〉
「すごく悪さができそうなスキルだと思って」
スキル説明をとっくり眺めながら、鋳は考えをめぐらせた。
これまで見てきたスキルは、筋力に関連したものが多い。〈ランダマイザ〉によって報酬はランダム化しているが、傾向があるのかもしれない。
とすると、たしかに〈ケトジェニック〉は邪悪なシナジーの発火点になりそうだ。
「イル、やばいレリック出た。赤橙だよ」
ワーボアの報酬として愛奈に提示されたものを見て、鋳の考えは確信に変わった。
〈真空崩壊〉
〈筋力が100を越えた際、発動する。所持者はこの戦闘中、継続的に、筋力分の円形範囲攻撃を放つ。範囲とダメージは筋力に依存する〉
間違いない。すくなくとも芹が谷公園浸度1のアーキタイプは筋力だ。
「でも、筋力100は現実的な数字じゃないかな」
「そうだろうか。俺は意図を感じる」
「デザイナーズコンボ?」
鋳はワーボアの報酬、緑色のスキルを回収した。
〈ドープ!〉
〈使用者はこの戦闘中、継続的に筋力+5を得る〉
〈使用者はこの戦闘中、デバフ:毒を得る。毒状態のプレイヤーは継続的に最大HPの15%を失う〉
「あ、聞き覚えある。どこだっけ」
愛奈は、鋳がピックした報酬を確認した。
「わたしを助けるために、使った?」
「ああ」
〈ランダマイザ〉の力で最初に獲得した、因縁深いスキルだった。〈ドープ!〉が無ければみっともなく公園を這いずり回ることもなかったし、愛奈と出会うことも、救うこともなかっただろう。
「見る見る死んでくスキルだね。単体では、筋力100に届かない」
〈ドープ!〉最大の問題点は、起動すれば24秒で死に至ることだ。
かつて、これを純然たるゴミと断じた。しかし百数十時間に及ぶSlay the Spireのプレイを経て、鋳はローグライト、その真髄に漸近している。
「あと一つのキースキルで条件が揃う。探そう、愛奈」
「いいね」
強プールのモブやエリートを中心に、狩りを始める。道中でピックした装備によって、狩り効率が上がる。理想的なスノーボール。
ブレードシングを苦もなく撃破し、鋳は目当てのスキルを引いた。
〈自己血輸血〉
〈対象はこの戦闘中、継続的に、HPを喪失するたびHPを筋力×3回復する〉
〈対象の筋力を-5する〉
「わたしがイルを殺したスキルだ」
「卑屈にならないでくれ。あの死があっての今だ」
単体で使用すれば、4秒に一度15点が飛ぶだけのDotスキル。
しかしローグライトとは、手元に並んだ一見してゴミ同然のスキルを、組み合わせの魔法で輝かせる営為だ。
二人は多目的広場に向かった。弱プール、強プール、エリートがバランスよく配置されていて、検証には都合がいい。
「愛奈。実証の前に、改めて手札を整理しよう」
「待って、イル。コンボの名前はどうするの」
「それは重要なことなのか?」
愛奈が重おもしい表情を浮かべたので、鋳は傾聴の姿勢を取った。
「絶対に必要。たとえばMoMa、グレ神話、激動サイカ。たとえば堕落枝、バリケスラム、圧縮ウォッチャー。凶悪なデッキタイプやコンボには名前があるもの。そこにはなんというか、偉大さに対する敬意と悪辣さに対する皮肉がこめられているんだよ」
愛奈は小鼻をぷくぷくさせて語りに語った。
「理解した。そうした文化があるわけだな。出してもらった例を手本にすると、キーカードの名前やメカニクスを繋げたかたちになりそうだ」
「物分かりがいい……オタクに優しすぎか?」
鋳はしばし考えた。
「真空ドープ」
「いいね。とてもそれらしい。それじゃあ、真空ドープの――」
のこのこ歩いてきたアミガサに、小石をぶつけて敵対する。
「――実証開始だな」
鋳が〈ドープ!〉〈自己血輸血〉を、愛奈が〈ケトジェニック〉を、それぞれ起動する。スキルの対象は全て鋳だ。
〈ドープ!〉の、
〈使用者はこの戦闘中、継続的に筋力+5を得る〉
〈使用者はこの戦闘中、デバフ:毒を得る。毒状態のプレイヤーは継続的に現在HPの15%を失う〉
が発生する。
毒によるHP減少イベントをトリガーに、〈自己血輸血〉の
〈対象はこの戦闘中、HPを喪失するたび、筋力×3回復する〉
〈対象の筋力を-5する〉
が発動する。
回復イベントをトリガーに、〈ケトジェニック〉の
〈対象はこの戦闘中、HPを回復するたび、回復量の50%分の筋力を得る〉
〈対象はこの戦闘中、HPの回復量が50%になる〉
が動き出す。
コンボ始動から0秒、鋳は自らのステータスを確認する。HP46/50、筋力5。真空ドープの挙動について、鋳は頭の中で数字をあれこれ動かしてみた。
〈ドープ!〉と〈自己血輸血〉は筋力の増減を打ち消し合うが、〈ヴァンブレイス(金)〉の筋力2に〈自己血輸血〉の回復効果は反応する。本来であれば2×3の6点回復するところが、〈ケトジェニック〉の回復量半減効果によって3点回復。HPが46なのは、本来7.5であるはずの毒ダメージが、端数を丸めて7とされているから。50-7+3=46。明快だ。ここまではよい。
〈ケトジェニック〉の説明文を素直に読めば、3点回復した場合の筋力付与は1.5だ。しかし、鋳の筋力は+3されて5になっている。とすると〈ケトジェニック〉の実際の挙動は、HP回復イベントが発生した際、点数を回復と筋力に半分ずつ振り分ける、というものになる。
たしかにそうと取れなくもない記述だが、どこまでいっても日本語がやや不可解だ。今後もこんなことに悩まされ続けるのだろう。
4秒後、GCDが空けて再度〈ドープ!〉を皮切りに〈自己血輸血〉、〈ケトジェニック〉が回る。筋力は12、HPは45/50。
既に〈ドープ!〉の毒ダメージは〈ケトジェニック〉の回復効果によって相殺されている。無限ループの成立だ。
更に4秒後、HP57/50、筋力31。回復量が毒を上回り、オーバーヒールが発生しはじめた。
「イル、なんかすごいことになってきているよ」
「きちんと動いているようだな」
鋳は血を吐き捨て、口もとを親指で拭った。
検証開始から12秒、HP97/50、筋力78。ここまで来れば、芹が谷公園の全てのモブをちり紙のようにたやすく引き裂けるだろう。しかし真空ドープの主眼はそこに無い。
次のティックで、鋳の筋力は100を越える。すなわち赤橙レリック、〈真空崩壊〉のトリガーを引く。
検証開始から16秒。HP206/50、筋力195。
世界が歪んだ。
コンクリートが、木々が、空が、輪郭だけの平面的な色の立体の右側に音の触覚は純粋数学だった。
範囲攻撃に巻き込まれたモブがことごとく死んでいるようだ。ようだ、というのは、すでに認知可能な既知の法則は瓦解し、四方八方から無数に飛んでくるヘイトラインと、ピストンのように激しく動く経験値バー以外のなにものも理解不能となっていたからだった。
検証開始から20秒。HP491/50、筋力489。〈真空崩壊〉の範囲は想像も付かない。経験値量から、芹が谷公園全域を呑みこみつつあることが辛うじて理解できる。
検証開始から28秒。HP3040/50、筋力3052。数値の上昇はもはや空疎だ。
卒然、全ての認識が状態に服した。木々は木々で、空は空で、コンクリートはコンクリートだった。
遠くで彫刻噴水・シーソーが、互い違いに水を吐き出していた。
DOMINATE AN AFFECTIO
HUDにシステムメッセージが表示された。




