第3話 視聴者の皆さん教えてください
夜が深く、また死神に追い回された疲労もあったのだろう。
あの後、少し話したところでココナは眠りについてしまった。
あどけない表情で眠る彼女を抱き上げた僕は寝室のベッドに彼女を寝かせ、僕はソファで眠りについた。
そして──翌朝。
「おっ、おはようございます!」
僕がいつものように大図書館の見回りし終え、紅茶を淹れるための湯を沸かしていると、寝室からココナが転がるように出てきた。
可愛らしい寝癖が跳ねている。
寝起きなのに、元気なことだ。
「おはよう。よく眠れたか」
「はい! ベッドふかふかでした! 二千年もののベッドとは思えな……って、そうじゃなくてですね」
声を大きくした彼女は光るスマホを突き出した。
画面には、文字がびっしり並んでいる。
「大変なんですよ! 昨日の『模様替え』! 迷宮の構造変化! 世界中が大騒ぎです!!」
「大騒ぎ? どれどれ……」
白い湯気が立ち上る鍋をその場に安置し、僕は画面を覗き込んだ。
◇
『【速報】全世界のダンジョン観測網、一斉に異常検知。全百階層の構造が一晩で変動』
『各国の攻略地図、全部ゴミになったってよ』
『そんな部活やめるみたいなノリで……』
『地図会社、株価大暴落で草』
『マジで金返せks』
『歴史学会も大荒れ。「魔法文明と焚書は実在した」で教科書改訂の動き』
『たった一人の配信で世界が三回転してる』
◇
「ほほぉ……地図は、悪いことをしたな」
「反応薄すぎます! 世界中の各方面に大影響ですよ!?」
「大丈夫さ。人間の底力を僕は信じている」
「信じるって責任放棄の裏返しですからね?」
「まぁ、落ち着きなさい」
朝から元気な子だ。
僕は彼女の前にカップを置き、向かいの椅子に腰を下ろした。
「さて、ココナ。昨日の取引を覚えているかな?」
「取引……あっ」
忘れていたらしい。
全く、忘れん坊め。
「僕は君の質問に答えた。次は君の番だ──地上のことを、教えてくれ」
僕の頭には二千年分の空白がある。
国の名前。街の形。人々の暮らし。知りたいことは、書架の本より積み上がっていた。
僕の要望に、ココナは胸を叩く。
「任せてください! 現役の地上住民として、ばっちり解説して……えっと……」
自信満々に言ったココナだったが、次第に、目が泳ぎ始めた。
「電車は、レールの上を……電気で……あれ、電気ってなんで動くんでしたっけ。発電所が、こう、ぐるぐるして……お金は、紙なんですけど、最近は紙ですらなくて、数字が飛んで……あれ? なんで数字で物が買えるんでしょう……?」
「落ち着きなさい。順番でいい」
きっと、混乱しているのだろう。冷静になれば説明することができるはずだ。
と、僕は考えたのだけど……ゴン! と、ココナは机に額を打ちつけ謝罪した。
「すみません! 私、地上のこと、知ってるつもりで何も説明できません!」
「……そうか」
頭を抱えるココナに、僕は苦笑した。
真面目な子だ。知っていることと、教えられることは違う。それは学問の基本でもある。
「……そうだな」
僕はふと、机の上のスマホに目をやった。
板の向こうには、五十万だか八十万だかの人間がいるという。信じられない話ではあるが。
「なあ、ココナ。ひとつ思いついたんだが」
「はい?」
「この板の向こうの者たちに直接訊けばいいのでは?」
ココナが、ぽかんと口を開けた。
三秒後、彼女は勢いよく立ち上がった。
「────天才ですか!? それ、企画になります!! 題して……」
◇ ◇ ◇
【二千年ぶりに帰ってきた魔法使いに、現代のことを教える配信】
開始三分で、同時接続は昨日を超えた。
ドローンと呼ばれる箱、その眼球のような水晶体に、僕は問いかける。
「では、最初の質問だ。先ほどココナが話していた『電車』というものについて、誰か説明してくれ」
◇
『鉄の芋虫です』
『大きい箱が線路の上を走ります。中に人がぎっしり入ってる』
『朝は人が箱に詰められます。詰める専門の職員もいます』
『ちなみに拷問です。誰もが乗りたくないのに乗っています』
『もう満員電車は嫌だ』
『悪魔の空間と呼ばれています』
『やめろ、変な文化だと思われる』
◇
「鉄の芋虫に、人が詰められて運ばれる……そんな拷問を毎日? 地上は、大変なんだな」
「全然違います。便利なんです。みんなの説明の仕方が悪いだけなんですよ。あとでネットの画像を見せて説明します」
「? ま、まぁ、それはいいか。では次に……今の国には、王や皇帝はいるのか? ギリシャのアレクサンドロスとは親しく話したが……彼のような君主は」
◇
『サラッととんでもないこと言ってない?』
『古代の超ビッグネーム……』
『いない国が多いです。選挙で偉い人を決めます』
『国民みんなで投票して、代表を選ぶ制度です』
◇
「ほう……民が、自ら統治者を選ぶのか」
僕は素直に感心した。
二千年前、王座は血と剣で奪い合うものだった。
「いい時代になったな。人類は、賢くなった」
◇
『そうでもないです』
『そうでもないんだよなあ……』
『選挙も公正とは言えないし』
『権力者は権力者』
『ファッキュー増税』
『なんで昇給しても手取りが減ってるんですか?』
『二千年ぶりの人に希望を持たせてあげて』
『現実は非情である』
『非正規社員でも贅沢したい!』
◇
「……歯切れが悪いな?」
「そこは、あんまり深く聞かないであげてください……」
なるほど。
人の世は、いつの時代も一筋縄ではいかないらしい。少し安心した。人間はいつの時代も人間のようだ。
「では、これが一番訊きたかったことだ──今、本はどうやって作られている? 写本師は健在か?」
◇
『印刷っていう技術で、機械が一日に何万冊も刷ります』
『あと電子書籍っていうのがあって、データなので紙がいらないです』
『スマホの中に何千冊でも入ります』
◇
「機械が、一日に……何万冊……」
カップを持つ手が、止まった。
二千年前、一冊の写本に、写本師は一年をかけた。だからこそ焼かれた時、二度と戻らなかったのに。
「しかも紙のいらない本まであるのか。それは……つまり、燃えないんだな。火を放たれても、消えない本が、あるんだな」
「ら、ラグロさん……?」
「……いや。いい時代だ。本当に」
僕は紅茶をひとくち飲んで、続けた。話しすぎるところだった。
◇
『今ちょっと声が震えてたな』
『焚書の話、昨日聞いたばっかりだから刺さる……』
『この人の二千年、重すぎる』
『泣かせにくるじゃん』
◇
「はいはい、しんみり禁止です。次の質問いきますよ。えーと……『司書さんに聞きたいことがある人ー?』」
ココナが場を仕切り直す。板の上の文字が、一斉に加速した。
◇
『ずっと気になってたんだけど』
『言っていい?』
『司書さん、顔面偏差値バグってません?』
『それな。顔が良すぎる』
『銀髪に灰色の目、造形が神』
『昨日から魔法より顔見てるまである』
『不適切表現のため削除されました』
『誰だヤバいこと書いた馬鹿は』
◇
「……顔面の、偏差値?」
僕は首を傾げた。
「顔を測る学問があるのか。地上の学問は進んでいるな。それで、僕の顔がどうかしたのか」
「い、いや、あの、それはですね……っ」
なぜかココナが、真っ赤になって視線を泳がせている。
「か、顔が、いいって言ってるんです。その、ものすごく、整ってるって意味で……じゃなくて! 私に言わせないでください! 恥ずかしい……」
「? 顔が整っていて、何か良いことがあるのか?」
言われても、よく分からない。
この顔は二十二の年で止まったまま、二千年変わっていない。
鏡を見る理由も、特になかった。
それに、例え万人から受け入れられる顔の造形をしていたとしても、魔法が上手くなるわけではない。知恵を得られるわけでも、世界を変えられるわけでもない。
無価値なものだ。
僕にとっては、顔の造形など興味もない。
「……変わった価値観をしているのだな、この世界の人々は」
◇
『流したwww』
『無自覚なのは強さだけじゃなかった』
『顔がいい自覚もないの、たちが悪い』
『「顔の話より本の話をしよう」名言すぎる』
『ココナちゃん、耳まで真っ赤で草』
◇
「〜〜〜っ、き、今日はここまで! ご視聴ありがとうございました!」
配信が終わると、大図書館にいつもの静寂が戻ってきた。
……いや。いつもの、ではないな。
ココナが片付けをする音がする。
鼻歌が聞こえる。
静寂に、生活の音が混ざっている。
「今日もすごかったですね。登録者、もう……ハハ、三百万人ですよ。私、先週まで八百人だったのに……ふふ、夢みたいです」
「そうか……ああ、そうだ。言い忘れていた」
僕は指を鳴らし、宙に小さな光の地図を描いた。
組み替えた迷宮。その現在の全容だ。
「君の帰り道だが、いつでも繋げる。ここから地上まで、安全な一本道を編めばいい。五分もかからない」
「…………」
「明日の朝にでも繋ごうか。家の者も、心配して──」
「あのっ」
ココナが、僕の言葉を遮った。
珍しく、声が小さい。指をもじもじと絡めて、上目遣いにこちらを見る。
「その……帰り道は、ありがたいです。ですけど、その、企画もいっぱい残ってますし。それに、あの、知りたいことがまだ、たくさんありますから」
彼女は息を吸って、言った。
「……もう少しだけ、いても、いいですか」
「…………」
僕は一時、沈黙する。
二千年。
この机の向かいには、誰もいなかった。
積み上げた本と、冷めない紅茶と、僕だけだった。
それが、変わる。
一人。たった一人ではあるけれど……僕の孤独を埋めてくれる子がいる。
それは何とも……魅力的な提案だった。
「……好きにするといい。部屋は空いている」
「! やった! ありがとうございます!」
花が咲くような笑顔を輝かせて、ココナは喜んだ。
思わず、僕の口にも笑みが浮かぶ。
人の笑顔を見るのなんて、いつぶりだろう。
「あ、それとラグロさん! 明日の配信、リクエスト企画やりましょうね! 視聴者さんから『魔法見せて』のコメント、一万件超えてますから!」
「一万……まあ、地上のことを教えてもらった礼くらいは、しようか」
僕は答えて、読みかけの本に手を伸ばす。
第三章は、まだ途中だ。だが不思議と、急いで読む気にはなれなかった。
続きは、明日でもいい。
──そう思える夜は、二千年ぶりだった。




