第2話 秘密が駄々洩れ
勿論、片付けには魔法を使う。
僕は吹き飛んだ正面扉に向かって、掌をかざした。
「【原初への回帰】」
唱えた途端──床に散らばった木片と蝶番が、逆再生のように宙を舞い、吸い寄せられ、組み上がる。
一ミリのズレすらもない。
要した時間は僅か三秒。樫の大扉は傷ひとつない姿で枠に収まった。
「ついでに補強もしておくか……うん、よし」
「よし、じゃないんですけど!!」
床にへたり込んだままの少女が叫んだ。
「え、は、え!? と、扉が、巻き戻っ!? な、ななんですか今のッ!」
「騒ぐほどのものじゃない。単なる時間干渉魔法だ。初歩のね」
「しょほ……」
絶句する彼女の手中に収まる光る板で、コメント、と呼ばれる文字列が再び流れを加速させる。
□
『扉直ったんだけどwww』
『逆再生かと思ったら生映像で草』
『修復スキルの最高峰でもヒビ埋めるのが限界です』
『「初歩」って言った?』
『初歩(世界最高峰)』
『なぁ、これって本当にCGじゃないの?』
『生配信にはCGは使えません定期』
□
「さ、次は……」
僕は死神の大鎌に裂かれた『古代精霊契約大全』を手に取り、その背表紙に指を這わせる。淡い紫を帯びた、温かな魔力。それがなぞった途端、瞬く間に傷は綺麗さっぱり消え去った。
「本の傷も、いとも簡単に……」
「本の修復は司書の基本だが」
「基本のレベルがおかしいんですよ!」
声が大きい。そして張りがある。
良かった、元気になってきたな。
「立てるか? 温かいものを淹れよう……ええと、確か客用のカップが」
戸棚の奥から、二千年ものの埃をかぶったカップを取り出す。
指を一振りして浄化魔法を施すと、途端に埃は光の粒になって消え、カップは新品の艶を取り戻した。
これでよし。
綺麗になったカップを机に置くと、それを待っていたかのようにポットがふわりと宙に浮かび、中の紅茶を注ぎ始める。
僕にとっては日常の光景。
だが、彼女にとっては非日常の光景のようだった。
「な、なにこれ、凄い……ポットが自分から紅茶を注いでる……」
「そんなに驚くような魔法でもないんだけどな」
「そもそも魔法自体が驚きそのものなんですよ」
呆れ気味の少女。
彼女の手元の板も、彼女と同様の反応だった。
□
『さっきからビックリの連続なんですけど笑』
『え、やば。破壊された扉がものの数秒で直った?』
『いやこれマジでCGだろ』
『生配信はCGできない定期』
『だとしてもこれはCG疑いたくなるのも当然だわ』
『ねぇ、やばい、魔法使いさんの見た目ドストライク過ぎて心のち〇こがおっきしちゃう』
『↑きっしょ』
『ゴブリンの汚物レベルで草』
『流石にライン越えだろ』
『そもそもきしょいコメントすんな』
□
よくわからないが、盛り上がっているようだ。
別に不思議なことは何もしていないんだが……。
「君、名前は?」
「え……あ、そ、そうでした!」
姿勢を正し、ココナは僕にお礼を告げた。
「あ、あの、自己紹介がまだでした! 私、白波ココナといいます! ダンジョン配信者です! 助けていただいて、本当に、本当にありがとうございました!」
勢いよく頭を下げる。礼儀正しい子だ。
彼女に倣い、僕も自己紹介をする。
「ラグロ=バティーシャ。ここの司書だ」
「ラグロさん、ですね! ……っ、聞きたいことが、多すぎて……えっと」
ココナはカップを置くと、身を乗り出して一気にまくし立てた。
「どうしてダンジョンに図書館があるんですか!? ラグロさんは何者なんですか!? 魔法って何なんですか!? ここの本はどういう本なんですか!?」
「落ち着きなさい」
「これでも落ち着いてるほうです!!」
元気な子だ。二千年ぶりの会話にしては、ずいぶん賑やかになった。
気持ちはわかる。知的好奇心はどうしても理性で抑えきれるものではない。特に彼女のような若人は貪欲だろう。
ちょうどいい。
実のところ、僕にも訊きたいことが山ほどある。二千年分の、地上の話だ。
「では、取引といこう。まず僕が君の質問に答える。その代わり、次は君が地上のことを教えてくれ。それでどうだ」
「乗りましょう」
「よろしい……どこから話すか」
僕はカップに紅茶を注ぎ足し、書架の海を見上げた。
「ここは【大図書館】。太古の叡智が集う場所だ。魔導書、術式理論、星読みの記録──かつて人類が積み上げた魔法のすべてが、この書架に眠っている」
「かつて、ということは……昔は、魔法って普通にあったんですか?」
「ああ。パン屋が竈に火を入れるのも、農夫が雨を呼ぶのも魔法だった。誰もが使う、当たり前の技術だ……だが、ある時代に」
カップの水面が、ランプの光を揺らす。
「魔法を禁忌と断じる宗教が興った。連中は各地の図書館に火を放ったんだ。何百年もかけて積まれた知が、一晩ずつ、灰になっていった……特に、アレクサンドリアは酷かったな」
「そんな……」
「僕の友人たちは──当代最高の魔法使いたちは、燃やされる前に本を運び出した。地の底の、誰の手も届かない場所へ。それが、ここだ」
「じゃあ、この書架の本は全部……」
「焚書を生き延びた、僅かな本たち。友人たちは僕に言ったよ。『いつか魔法が赦される日まで、頼む』と……で、引き受けたはいいが、困ったことに人の寿命は短くてね」
「え」
「だから捨てた」
「……何をですか?」
「寿命を」
ココナが、紅茶を吹きかけた。
「す、捨てたって……そんな、道端の石ころみたいに……」
「禁忌魔法【刻の柩】。命の時間を止める術式さ。術者は老いず、死ねなくなる。友人たちには最後まで反対されたが……本を託されたのは僕だ。番人の寿命が尽きては、話にならないだろう」
「反対されますよ! 当たり前です! だって、それ……ラグロさんだけが、ずっと……」
ココナの声が、途中で萎んだ。
大きな目が、じわりと潤んでいる。
優しい子だな。
僕は思わず微笑む。
「……そう泣きそうな顔をしないでくれ。自分で選んだことだ。後悔はしていない」
僕は肩をすくめて、少しだけ声を落とした。
「とはいえ──この話は、あまり人に知られたくない。禁忌は禁忌だ。それに、寿命のない番人がいると知れたら、蔵書ごと僕を狙う輩も出るだろう。ここだけの話にしてくれ」
「は、はい……お墓まで持っていきます……」
「頼んだ──さて」
僕はカップを置き、手を打った。
「暗い話は終わりだ。約束どおり、次は君の番だよ。地上のことを教えてほしい。国は? 街は? 今の人々は何を読んでいる?」
返事がない。
「……ココナ?」
彼女は、スマホの画面を見つめたまま、石像のように固まっていた。
血の気が引いて、顔が紙のように白い。
「どうした? 顔色が悪いけれど」
「ら、ラグロさん……あの……大変、申し上げにくいのですが……」
ココナは震える指で、宙に浮かぶ金属の箱と、スマホを順に指さした。
「この子、カメラっていう『見たものを遠くに届ける道具』でして……今の景色を、地上のたくさんの人が、手元の画面で一緒に見られるんです……。それで、その……ずっと、繋ぎっぱなしで……」
「ええ……つまり【遠見の水晶】の親戚か。それが?」
「今のお話…………五十万人が、聞いてました」
「…………」
「…………」
スマホの画面を、光る文字が滝のように流れていく。
◇
『あ』
『あ』
『あ』
『あ』
『え、やばくね』
『まずい』
『聞いちゃいけない話を聞いた気がする』
『禁忌魔法……』
『「ここだけの話」の範囲、五十万人ww』
『墓まで持っていく(全世界配信)』
『切り抜き不可避』
『もう百万再生されてるぞ』
◇
「なん、だと……」
声が、出た。
死神が飛び込んできた時も、正直、何とも思わなかった。だが今、僕は二千年ぶりに──動揺している。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 切るタイミングが分からなくて! というか話に聞き入っちゃって!」
「五十万……アレクサンドリアの人口より多いじゃないか……ここだけの話が、一瞬で史上最大の公然の秘密に……」
◇
『死神には無表情だったのに今動揺してるの草』
『初めて人間らしい顔したww』
『弱点:配信』
『最強の魔法使い、うっかりに敗北』
『無知って罪だよな』
『俺はムチムチが好き』
『てめぇの性癖は聞いてねぇから去勢してこい』
『辛辣過ぎて森』
◇
と、その時。
──ゴンッ! ゴンッ! ゴンゴンゴンッ!
正面扉がけたたましく打ち鳴らされた。
さっきよりずっと乱暴で、切羽詰まった音だ。
「えぇ!? 嘘でしょう!? まだ配信したばかりで──あ、そ、そうでした。この迷宮、最近一番ホットな場所で、潜っている人も多いんでした……」
「つまりは、いずれは暴かれる運命だったと……はぁ」
僕は深く、深く、ため息をついた。
秘密は漏れた。場所も割れた。客は押し寄せる。読書の続きは、遠のくばかり。
仕方ない。
「少し、模様替えをしよう」
「へ? 模様替え……って、お部屋のですか?」
「いや」
僕は立ち上がり、床に指先で触れた。
「ダンジョンのだ。──【迷宮再編】」
瞬間、大地の底から鯨の歌に似た低い響きが立ちのぼった。
この大図書館を頂点に、全百階層の通路が組み変わる。
階段は裏返り、回廊は結び直され、ここへ至る道筋は世界から一本残らず消え失せる。扉の前の客人たちは、術式が編んだ帰り道に乗せて、入口まで丁重にお送りした。
三秒後。
扉を叩く音はやんでいた。あとには、いつもの静寂だけが残る。
心落ち着く、素晴らしい静寂に。
「……よし。これで当分、誰も来ない」
振り返ると、ココナが口を開けたまま固まっていた。
スマホが、これまでで一番けたたましく鳴いている。
◇
『What??』
『ダンジョンの形、変わってるやん』
『【速報】世界各地の観測所、ダンジョン全域の構造変動を検知』
『世界ランカー、気づいたら入口に強制送還されてて草』
『模様替え(天変地異)』
『この人もう国じゃん』
『いや、もう国越えて星』
『一等星は俺や』
◇
「ら、ラグロさん……いま、何を……?」
「模様替えだと言っただろう。ああ、心配ない。誰も傷つけていないし、君の帰り道は後でちゃんと繋ぐ」
「そういう心配じゃないです……ダンジョンって、模様替えするものじゃないんですよ?」
ココナははっと自分のスマホを見下ろし──同時接続者数の桁を数えて、小さく、掠れた声で言った。
「……あの。ご報告です。今ので、八十万人になりました」
「……紅茶を、淹れ直そうか」
僕の静かな読書生活は、どうやら本格的に、終わってしまったらしい。




