第1話 配信とはなんだ?
天井の疑似太陽から柔らかな光が降り注ぐ空間。
紅茶の湯気が、ランプの光にゆらりと溶けていく。
使い慣れた安楽椅子に腰かけ、僕はページをめくった。
羊皮紙の乾いた音が、天井の見えない書架の谷間に吸い込まれていく。
ここは【大図書館】
世界中の魔導書が眠る、地の底の最奥。僕──ラグロ=バティーシャが、二千年間ひとりで守り続けてきた場所だ。
朝は書架の見回りから始まる。
第一区画から第九百区画まで、保存魔法の劣化がないかを確かめて歩く。昼は修復。インクの掠れた頁に時間遡行の術式を薄くかけ、文字を蘇らせる。
そして夕方からは、読書だ。
一日のうちで、一番いい時間。
今日読んでいるのは『第七紀元における雷霆理論の再構築』。
四百年ぶり、十二回目の再読になる。何度読んでも第三章の論証は美しい。著者とは生前、酒場でよく議論したものだ……もう、名前を呼んでくれる相手もいないけれど。
「……うん。今日も、静かな一日になりそうだ」
僕はカップを傾ける。
二千年間、毎日そう呟いてきた。
そして二千年間、その呟きが外れたことは一度もなかった。
──今日、この瞬間までは。
「……ん?」
ドォンッ!!
凄まじい爆発音が空間内に反響し、同時に、大図書館の正面扉が、内側へ吹き飛んだ。
二千年間、一度も崩れることのなかった平穏。
その崩壊に、僕は『何事だ?』と立ち上がった。
「ひっ、ぎゃあああああああ!? 無理むりムリ無理ぃぃ!!」
悲鳴とともに転がり込んできたのは、一人の少女だった。
銀色の軽装鎧はひしゃげ、白い髪は埃まみれ。頬には擦り傷。よほど長く追われていたのか、息は千切れ、足はもう立っていない。
「お、おい、君──」
大丈夫か、と僕は声をかけようとした。
だがその寸前、僕は興味を引く二つの物に出掛けた声を飲みこんだ。
一つは、少女が勢いのまま床を転がった拍子に、彼女の手から滑り落ちた薄い板のようなもの。
そしてもう一つは──箱だ。
少女のあとを追うように、小さな金属の箱がふよふよと宙を飛んで入ってくる。
色は黒。正面には、眼球のようなものが一つ。
……なんだろう、あの箱。使い魔か? ずいぶん躾がいい。まぁ、僕の使い魔ほどではないのだけど。僕の使い魔は世界一の子たちなので。
湧き上がる好奇心。掻き立てられる知識欲。
それらは一体何なのか。答えを求め、僕は倒れたままの少女に近寄ろうとした──その時。
──ズ、ォ……。
壊れた扉の向こうから、闇が滲み出す。
体高十メートルはあろうか。漆黒の骨躯に襤褸の外套。手には錆びた大鎌。眼窩の奥で、青白い燐光が少女を捉えていた。
知っている。あれが何なのか。
数いる死神の上位種【冥府の刈り手】。
生きた個体を見るのは千六百年ぶりだ。
魔力の澱みが濃い場所に湧く厄介な魔物で、確か当時の討伐推奨は……一個大隊だったか。それでも、確実に倒せる保証はない。
「う、うそでしょ……Sランク指定……攻略トップ層でも全滅した記録があるやつ……」
少女は腰を抜かし、後ずさりながら掠れた声を絞り出す。
えすらんく? こうりゃく? 聞き慣れない言葉だ。
地上の言葉も、随分変わったらしい。
「ご、ごめんなさい、みんな……私、ここまで、みたい……最後まで観てくれて、ありがと……」
「さっきから誰に話して──」
宙に浮かぶ金属の箱に向かって、泣き笑いのような顔をする少女。
意図が理解できずに僕は首を傾げ──次の瞬間、目を見開いた。。
死神が大鎌を振りかぶる。
冥府の刈り手の一撃は魂を裂く。少女は死ぬだろう。
それは、まあ、気の毒だとは思う。だがここは迷宮だ。足を踏み入れた以上、彼女も覚悟はあるはず。
問題は、そこじゃない。
振りかぶった大鎌の切っ先が──書架の一段目を、掠めた。
『古代精霊契約大全』の背表紙が、はらりと裂ける。
「…………ああ」
僕は本を閉じた。
栞は挟んだ。
第三章の途中だからだ。
「それは許さない」
前に出る。
死神の眼窩がぎょろりとこちらを向いた。
人間がもう一人いたことに、今気づいたらしい。
僕は既に──人間ではないけれど。
「人を襲うのは、まあ、君の生態だから仕方ない。腹も減るだろう。魂を喰らう性は変えられないからね……でも」
僕は指を軽く持ち上げ、
「本を傷つけるのはいけない。それは全部、僕の友人たちが遺したものなんだ」
──パチン。
乾いた空間に反響する指の音。
刹那。
大図書館の天井が、白く染まった。
天井を貫いて顕現した『それ』は、圧縮された七重の雷霆──古代語で言うところの【神罰の柱】
第七紀元の対軍殲滅魔法。
本来は地平線の向こうの敵軍ごと大地を消し飛ばすための術式だ。
音はなかった。
音が生まれるより先に、全てが終わっていたからだ。
死神は、悲鳴すら、影すら、チリひとつすら残さず──消滅した。
焦げ跡ひとつない床。揺れひとつしないランプの灯。紅茶の水面すら波打っていない。裂けた背表紙以外、被害はなし。
「……何ともなくて良かった」
室内で使うと本が焼けるから、威力は通常の三割、範囲は死神の輪郭ぴったりに絞ったのだ。我ながら丁寧な仕事だった。あとで『契約大全』の背表紙を直してやらないと。
ただ、その前に。
僕は少女に歩み寄り、膝をついて目線を合わせる。
「大丈夫か? 怪我は……ああ、頬が切れてるな。動かないで」
指先で傷をなぞる。
途端、治癒術式が淡く光り、擦り傷が跡形もなく消えた。
「………………え」
少女は、口をぱくぱくさせていた。
「え。えっ。は? い、今の……なに? スキル? ってか、あの死神……消え……頬、治って……え?」
「スキル? なんだそれ。これは魔法だが」
「ま、まほ……」
少女はそのまま固まってしまった。
目を見開いて、何度も僕と天井を見比べている。
壊れたわけではなさそうだ。
まぁ、動揺するのは無理もない。何せ、死神に魂を喰われそうになっていたのだから。とりあえず……落ち着くまで、待つとしよう。
……と、そこで気づいた。
足元で、何かが光っている。
さっき彼女の手から弾け飛んだ、あの薄い板だ。掌より少し大きいくらいの、黒い硝子のような板。その表面が、チカチカと忙しなく明滅していた。
「なんだ、これ?」
僕は板を拾い上げ、覗き込んだ。
──瞬間。
板の上を、光る文字が滝のように流れ始めた。
□
『は?????』
『いま何が起きた』
『えっっっっぐ』
『CGだろこれwww』
『いや生配信でCGは無理だって』
『おい待て、今のスキル何だ!?』
『天井ぶち抜いた光の柱なに??』
『Sランクが消し飛んだんだが』
『指パッチンで、だぞ。指パッチンで』
『草』
『草じゃないのよ』
『詠唱なし、装備なし、モーション指パッチン。意味わからん』
『司書っぽい兄ちゃん誰!? 隠しボス??』
『「魔法だが」←は?』
『回復までノータイムで草。ヒーラー廃業だろ』
『やばい、その兄ちゃんこっち見た』
『スマホ拾ったww 画面ガン見してるww』
『不思議そうな顔かわいくて草』
□
「……ほう」
中々に面白い光景に、僕は唸った。
文字が、生きているように流れていく。
古代の伝令魔法に似ているが、魔力の気配はまったくない。
それに、この文字。僕の知らない崩し字だが、不思議と読める。『草』……? 草など生えていないんだが。
「これは、なんの魔道具だ? 文字が次々と湧いてくる。それに『くさ』とは、なんの暗号だ」
「〜〜〜っっ、それ私のスマホ! 返して、見ないでぇ!」
我に返った少女が、真っ赤な顔で板をひったくった。
そして画面を見た瞬間、今度は別の意味で悲鳴を上げる。
「どうせつ……十万!? え、私の配信、いつも二十人くらいなのに!? うそ、トレンド!? 世界一位!?」
「??」
知らない言葉ばかりだ。
僕は素直に、宙に浮かんだままの金属の箱を指さした。
「なあ。あの浮いている金属の箱は、なんだ? さっきからじっと僕を見ているんだが。使い魔にしては魔力を感じない。新種のゴーレムか?」
「…………はい?」
少女の顔から、すうっと血の気が引いていった。
「え、待って。ドローン知らない? 配信は? ネットは!? お兄さん、いつからここにいるんですか!?」
「いつから? あー、そうだな……」
もう随分と年数を数えていない。
だが、記憶が確実なら──。
「ザッと、二千年前からだが」
「──にせんねん!?」
少女の手の中で、板がまた、ぴこんぴこんと鳴き出した。
文字の滝が、さらに勢いを増していく。
□
『二千年wwwww』
『設定盛りすぎだろ……いや、あの魔法見たら信じるしかない』
『2000年前って古代文明の時代じゃん』
『【速報】人類、本物の魔法使いを発見』
『歴史の教科書が書き変わる瞬間に立ち会ってる』
『各国の攻略機関、絶対もう動いてるぞ』
『この人の居場所、座標割れたらヤバくない?』
『同接30万突破』
□
「なぁ、これは一体何なんだ? さっきから、凄い勢いで文字が流れていくが」
「こ、これはコメントで、今ここを配信していて……って、あ!」
何かに気が付いたらしい。
少女は顔を青褪め、次いで、彼女は震える指で浮かぶ箱と手の中の板を順に指さした。
「その、すごく言いにくいんですけど……今の全部……世界中に生中継されちゃってて」
「???」
「って言ってもわかんないか……えっと、だから、その……た、たぶんもうすぐ、世界中の人が……あなたを探しに来る、と思います」
「……つまり」
わからない単語が次から次へと。
大体のことはわからない。理解するための知識が不足している。
ただ唯一、この少女の話から理解できたことは……。
「僕の平穏な読書ライフが終わる……ってことか」
「その、ごめんなさい」
「いや、起きてしまったことは仕方ない。一先ず今は……」
破壊された扉。傷ついてしまった本。
それらを見やり、やれやれ、と溜め息交じりに呟く。
「……片付けするか」




