第23話 仇敵
喫茶店で出された飲み物と菓子を味わう余裕もなく二秒で胃に詰め込み、僕とアルテミアはココナが今いるという病院へ直行した。
硬質な灰色の地面を踏みしめ、人混みを駆け抜け、人目も気にすることなく走ること十数分。
目的の場所に着いた瞬間、僕は足を止めた。
建物の前に、赤と青の光が回っている。
制服を着た者たちが十数人。白衣の一団。その周りを、スマホを掲げた人々が取り囲んでいる。黄色い帯が張られ、誰も通してもらえそうにない。
「……これは」
「警察と、報道です……病院関係者も出ていますね。患者の中から行方不明者が出たのですから、当然でしょう」
「中に入るのは、難しそうだな」
あの人の山をどう越えるか。
そして、どうやってココナを見つけ出して合流しようか。
考えた始めた──時。
「――師匠!」
人垣の隙間から、長身の黒髪の娘が飛び出してきた。
顔がぐしゃぐしゃになっている。息が上がって、走ってきたというより、転がってきたという方が近い。
「ししょ……っ、い、妹が、どこにも……っ」
「――落ち着きなさい」
僕は膝を折り、彼女の背に手を置いた。
子供のような泣き方だった。いや、今は見た目こそ大人だが、中身は本当に子どもなのだ。大切な家族がいなくなったとあれば、こうなってしまうのも仕方ない。
「大丈夫だ。僕はここにいる。息を吸って、吐いて……そうだ。もう一度」
「っ、ふ……っ、ぅ……」
「ゆっくりでいい。誰も君を急かさない」
しばらくして、震えが少しだけ収まった。
「……はい……はい、大丈夫です」
「よろしい……では、教えてくれ。何があった」
ココナは袖で乱暴に顔を拭って、話し始めた。
「……受付で、面会の手続きをして、妹の病室に入ったんです。そしたら、ベッドの上には誰もいなくて、妹の身体に繋がっていた点滴の管も抜かれていて……」
ポツ。
瞳から一筋の涙を零し、言った。
「──閉じているはずの窓が、全開になっていました」
「……」
「病室は少し荒らされていました。点滴のスタンドが倒れてて。あの子の毛布だけが床に落ちてて……ナースステーションに走ったら、みんな真っ青な顔で『五分前の巡回の時にはいらっしゃいました』って」
「五分前? そんな僅かな間にいなくなったということか」
「はい。五分です。廊下には防犯カメラもあったのに、何も映ってなかったって……」
五分。カメラに映らず、寝たきりの少女を一人病棟から連れ出した。
現代の技術で、それができるかどうかは知らない。
だが、魔法なら……造作もない。
「それで、その……ベッドの上に、これが」
ココナが、震える指で一枚の紙片を差し出した。
厚手の、白い札だ。角が金で縁取られている。妙に上等な紙質だった。
なんだ、これ。
首を傾げ、僕はそれを受け取る。
そして、その紙面に描かれていた紋様を見て──硬直した。
カードの中央。
そこに描かれた──三日月に剣が突き刺さっている紋様を見て。
僕はこれを知っている。
知らないわけがない。忘れるわけがない。これは二千年が経過した今も尚、僕の脳裏に焼き付いている。
目を閉じれば、今でも見えるのだ。
燃える書架の間に、この紋様の旗を掲げる戦士たちを。
略奪と破壊の限りを尽くす、簒奪者たちを。
僕の友人たちの言葉が焼ける音を、神を称える讃美歌で掻き消す──魔法使いの仇敵たちを。
「貴方様? 体調でも?」
アルテミアの声で、我に返る。
今は過去を思い返す時ではない。感傷に浸るのは後回しだ。今は──ココナの妹の行方を調べなければ。
「――【聖剣軍】」
「ぐら……?」
「貴方様、それは一体?」
困惑する二人にカードの紋様を見せ、僕は説明する。
「二千年前、大陸中の図書館を焼いた連中の紋様だ。……魔法を『神の座を侵す邪法』と断じ、魔導書を焼き、魔法使いを狩った──魔法使いの仇」
「そ、それって……師匠が、前に話してくれた……」
「僕が迷宮内に図書館を創るきっかけとなった者たち……そして」
あの日、松明を持っていた彼女の胸元にもこの紋があった。
……いや。今は、そこではない。
「……師匠。でも、それって二千年前の話ですよね? なんで、そんな昔の組織のマークが今ここに……」
「――僕が聞きたい」
声が思ったより低く出た。
ココナが、びくりと肩を震わせる。
嗚呼、いけない。やってしまった。
「……すまない」
「い、いえ……」
「僕の認識では、あの連中はとうに滅びているはずだった。何せ二千年だ。国も、言語も、暦すら変わる時間だ。組織などとうに散り、教義など忘れられていて当然」
だが。
この紋は、二千年前と寸分違わない。
紙の質も、金の縁取りの幅も。まるで昨日、同じ工房で刷られたかのように。
「……生き残っていたのか。あの連中は」
――となると。
この時代に彼らが動く理由もはっきりしている。
魔法が還ってきたからだ。
僕が配信などというもので、世界中に灯火を配ったから……消しに来たのだろう。再び魔法を滅ぼすために、神の言葉などというふざけた大義名分を掲げて。
そんなことは──断じて許すことはできない。
「――貴方様」
アルテミアが静かに一歩、前に出た。
「いかがなさいます。心当たりのある相手なら、私は今すぐにでも――」
「待て。まず、するべきことがある」
「と、言いますと」
「――ミルだ」
忘れてはいけない。
この場にいない、もう一人の弟子のことを。
「敵は厄介な相手だ。あの子を一人にしておくのは不安が残る。まずは合流しよう」
「承知しました」
アルテミアが即座にスマホを取り出し、指を走らせ、ミルのそれを呼び出す。
すぐに軽快な音楽が流れ始め、アルテミアはそれを耳に当てる──だが。
「……出ませんね」
「もう一度」
これだけの音がある街だ。気が付かなくても仕方がない。
僕はアルテミアに再度要請する。
しかし──結果は同じだった。
「……駄目です。応答なし」
「持ち歩いているはずですし、何度も呼びだしに応じないなんてことはないと思うんですけど……何かあったんでしょうか?」
「……」
僕は顎に手を当て、思案する。
今の彼女は普段の……配信で晒している元の姿とは全く違う。僕の弟子だとバレることはないだろう。
それにミルにはいざという時のために転移の腕輪を渡してある。判断力に長けている子だ。もしもの時は即座にそれを使うことができるはず。
大丈夫。あの子ならきっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせるが……やはり、不安は拭えなかった。
「……ミルの家を知っているか?」
「い、一応」
「ならココナ、案内してくれ。電話に出ないのなら、直接行って安否を確かめる。ミルと合流したらすぐ、妹の捜索に行こう」
「わ、わかりま──」
バサッ。
鼓膜を震わせた音に、僕たちは同時に顔を上げる。
――鳩だ。
街中には普通に生息している類の鳥類。
だが、色がおかしい。
全身が、燃えるような赤。血の色ではない。もっと鮮やかな、意図的に染め上げたような、儀式めいた赤。
そして、その首元。
細い鎖に、小さな金属の飾りが下がっている。
──三日月と剣の紋章を模った飾りが。
「…………」
鳩は、逃げなかった。
小さく首を傾げ、丸い目で――僕を見た。
次に、ココナ。
最後に、アルテミア。
一人ずつ。確かめるように。
数えるように。ゆっくりと確認する。
「顔を見比べていますね。まるで、人数を確認するように」
アルテミアが言った直後──鳩が首を動かした。
次いで、ばさっ、と羽ばたいて、街灯を蹴った。
高くは飛ばない。
屋根の高さで緩やかに旋回し――一度、こちらを振り返る。
まるでついて来いと言っているのように。
罠の可能性は高い。
連中は僕たちをおびき寄せ、自分たちにとって都合の良い場所に導こうとしているのだろう。それはわかっている。冷静にならなくとも理解できる。
だが──。
「手掛かりが全くない以上、ついていく他にないか」
危険は百も承知。
しかし、奴に追従すれば何か手掛かりが得られるかもしれない。上手く事が運べば、行方不明のココナの妹を取り返すことだってできるかも。
賭けよう。
この機会に、上手くいく方に、全てを。
「行くよ、二人とも」
異論の声は飛んでこない。
二人とも、覚悟の決まった目をしていた。
頼もしい弟子たちだ。
彼女たちの心の強さを嬉しく思った僕はフッと笑い、そして──。
「何があっても──僕が守るから」
約束し、鳩の導きに応じ──再び駆けだした。




