第22話 カップル限定メニュー
案内されたのは、窓際のテーブル席だった。
薄いレースのカーテン越しに、午後の光が落ちてくる。
外を通る人たちの影が、ゆっくりと流れていく。木の椅子は少し軋んで、それがまた妙に落ち着く。店内に流れている音楽も、心安らぐものだ。
……いい店だな、ここは。
居心地の良さに微笑む。
古い時代にもこんな店はあった。もっと薄暗くて、もっと騒がしかったが。人が集まって、湯気の立つものを飲みながら、他愛もない話をする場所。当時は白湯を飲んでいた印象がある。
どれだけ世界が変わっても、人はこういう場所を作るらしい。
「――お待たせいたしましたぁ。ご注文、お決まりですか?」
顔を上げると、若い女性の店員が伝票を手に立っていた。
咄嗟に、僕は机の端に置かれていたメニュー表に視線を向ける……が、さっぱりだ。
文字は読めるが、品目の中身がまるで分からない。
「本日のブレンド」も「季節のタルト」も、字面から味が想像できない。
となると、僕が取れる選択肢は一つしかない。
「アルテミア。任せる」
「お任せください」
アルテミアは、にっこりと微笑み……迷いなく、こう言った。
「カップル限定メニューを、ひとつ」
「…………はい?」
店員が呆然とした声を零した。
「あの……失礼ですが、お客様……」
店員の視線が、僕とアルテミアの間を、二往復した。
薄紅色の髪の令嬢と、白髪の少女。どこからどう見ても、女の子が二人。
「え、えっと……その、こちらのメニューは、カップルのお客様限定でして……あの、その、お二人は……」
「もちろん、恋人同士ですが?」
「はっきり言ったな」
「あ、あー……えっとぉ……」
店員は伝票で口元を隠しながら、しどろもどろに続けた。
「じ、実はですね、お店のルールで……その、カップル様であることの証明といいますか、そういうのを見せていただくことになっておりまして……」
「証明ですか」
「はいっ。あの、ほんとにすみません、以前から悪ふざけで頼まれる方が多くて……」
なるほど、つまるところ疑われているというわけだ。
まぁ、当然だろう。同性同士のカップルは早々いない。無論のこと、皆無というわけではないだろうが……相当珍しいだろう。
実際、僕とアルテミアはカップルではなく師弟関係である。
店員の見解は正しい。
だが、二千年ぶりの甘味のためだ。
嘘をつくのは申し訳ないが、ここは芝居を打たせてもらおう。
「アルテミア。手を」
「……はい?」
「左手だ」
言われるままに、アルテミアが左手を差し出してくる。
僕はその細い指先を取って、口元へ引き寄せた。
そして――薬指の、第一関節のあたりを。
かり、と。
軽く、歯を立てた。
「――――っ、ぁ」
アルテミアの喉から、小さく息が漏れた。
痛みはないはず。ただ少し、歯形をつけただけだ。
僕は唇を離し、顔を上げる。
「これでいいかな?」
「…………」
「……店員?」
「…………」
――しん、と。
店内が、静まり返っていた。
いや、店内だけではない。窓の外を歩いていた人が、二人ほど足を止めてこちらを見ている。奥のテーブルの客が、カップを持ったまま固まっている。カウンターの向こうで、豆を挽く音まで止まった。
……なんだ?
何かおかしなことをしただろうか。
「……貴方様」
「うん?」
「その……随分と、思い切った証明を……」
「外だから恥ずかしがっているのか? フフ、可愛い子だね。家ではもっと凄いことをしているじゃないか」
怪しまれないよう、僕は最後まで演技を続ける。
「証明としては、足りたかな?」
「……じゅ、じゅうぶん、ですぅ……」
「ん? 鼻から血が出ているけれど」
「へ、平気ですっ、いつものことなのでっ! ごゆっくりどうぞぉぉ!」
店員は伝票を掲げたまま、ふらふらと厨房へ引っ込んでいった。
どうやら刺激が強すぎたらしい。そこまでのことをしたつもりはないのだけど……やはり、現代の者たちは皆子供だ。まだまだ青い。
「――流石です、貴方様」
正面を見ると、アルテミアが左手を胸に抱いたまま、うっとりと目を細めていた。頬が、薄紅色の髪と同じくらい染まっている。
「まさか、あそこで応じてくださるとは……思わず、卵管から放出されそうでした」
「表現の仕方に悪意を感じる」
周りに人がいることを考慮してほしい。
「――ときに。もし僕が応じなかったら、君はどうするつもりだったんだ?」
「え?」
「証明を求められた時点で、詰んでいただろう。君なりの手はあったのか」
「ああ、それでしたら」
アルテミアは、あっさりと答えた。
「――口づけをするつもりでした」
恥ずかしがっていたのは何だったんだ……。
僕は、思わず天井を仰いだ。
「衆人環視の店内で?」
「はい。ガッツリと」
「初対面の店員の前で?」
「はい。濃密な奴を」
一切の迷いがない答え。
僕は思わずこめかみに指を当て、溜め息を吐いた。
「……倫理観というものを、君はもう少し学ぶべきだな」
「学んだところで生かすつもりがないので無駄ですよ」
「自信満々に言わない」
世界最強の強さの代償に、人として大切な何かが欠落しているのだろうか。
頬杖をつき、アルテミアの真顔を眺めながら、僕は本気で心配した。
◇
「――お待たせいたしました。カップル限定【恋人たちの午後セット】でございます」
やたら元気を取り戻した店員が、大きな盆を運んできた。
鼻には、丸めたティッシュが詰まっている。
テーブルに置かれたのは二つの皿と、一つの背の高い硝子杯。
皿の上には真っ赤な果実のソースをかけた、ハートの形のケーキ。
そして、硝子杯。
中の飲み物は桃色から橙へと、下に向かって色が移り変わっている。夕焼けを閉じ込めたようだ。
特殊な薬のような色合い。
問題は、そこから伸びている管である。
「……アルテミア。この管は、二本あるようだけど」
「ストローですね……ご覧のとおり、絡み合っております」
二本の管は、途中で綺麗に一回ひねられて、それぞれ左右へ分かれていた。
つまり、二人で顔を寄せて飲めということらしい。
これがカップル限定メニューか。
なかなか、悪趣味な設計だ。嫌いではないけれど。
「世のカップルたちはそれぞれのストローに同時に口をつけ、ドリンクを飲むものなのですよ」
「へぇ。顔が相当近くなる設計なんだな」
「はい。互いに顔を近づけあって、目があって、恥ずかしくて逸らす。だけど嫌な気分ではなくて、寧ろ不思議な幸福感を堪能できる……さぁ、貴方様」
早速口をつけて、ドリンクを頂こう。
と、アルテミアは言うのだと思ったのだけれど……何故か彼女は硝子杯を横にずらして言った。
「まずは──いただきます、の口付けを」
「幾ら僕でもそんな文化がないことはわかるぞ」
「はい。一般的な文化ではありません。これは、私たちだけの文化です」
「そんな文化は認めない。馬鹿なことを言うのなら、先に口をつけるぞ」
「あっ」
アルテミアの制止を無視し、僕はストローの片割れに口をつけ、液体を喉に通した。
まずは、甘い。冷たい温度と共に適度な甘さが舌に浸透する。
また、多少の酸味も聞いている。甘味と酸味が調和し、僕の味覚を喜ばせ、喉を通っていく。
へぇ……これは中々どうして。
濡れた唇を指先で拭い、僕は満足に頷いた。
「……いいね。この時代の料理は進んでいるらしい」
「……一緒に飲みたかったのに」
「なら最初からそう言いなさい。変な文化を教え込もうとするからだ」
「乙女の悪戯は笑って受けれるのが殿方の義務というものです」」
「残念ながら、今の僕は乙女なのでね」
そんな、和やかな時間を過ごしていた──時。
テーブルの上で、アルテミアのスマホが震えた。
「……失礼。あ、ココナからです」
「? 何かあったのか」
アルテミアが板を耳に当てて、明るい声を出した。
「はい、アルテミアです。ココナ、そちらは無事に――」
その表情が一瞬で、消えた。
「――どうしました。落ち着いてください。もう一度」
僕はカップを置いた。
スマホの向こうから漏れ聞こえてくる声は、掠れていて、震えていて。
――泣きそうに、なっていた。
『し、師匠は? 師匠は、そこにいますか!?』
「ここにいるよ」
僕はスマホを受け取り、耳に当てた。
「ココナ。ゆっくりでいい。何があった」
『……っ、び、病院に、着いたんです。それで病室に入ったんですけど──』
声が、途切れる。
息を吸う音。
それから、彼女は言った。
『――妹が、いないんです!』




