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第21話 2000年後の地上

 二千年ぶりの地上に出た瞬間、僕は変わり果てた世界に衝撃を受けた。


 まず、騒々しい。

 周囲では常に何かが唸っていて、金属が擦れて、風がずっと高いところで鳴っている。静かな時は片時だって存在しない。これだけ音の多い場所といえば、かつては戦場くらいのものだったのに。


「…………」


 頭上を見上げる。

 空が、狭い。

 いや、違う。空が、高いんだ。


 硝子と鋼でできた塔が何十本も、まっすぐ天へ伸びている。

 あれは、建物なのか? 石でも木でもない、鏡みたいな面を張った柱が雲の高さまで届いている。


 足元もおかしい。

 道が平らだ。石畳ですらない。

 継ぎ目のない黒い面が地平の向こうまでつるりと続いていて、その上を馬もいないのに箱が滑っていく。


 そして何よりも──人。

 人が多い……いや、多いという言葉では表現しきれない。


 視界の中に二千年前の都市の一区画分がいる。

 誰も剣なんて帯びていない。誰も飢えていない。みんな手のひらのスマホを見ながら、まったく迷わずに歩いている。時折よろけて転んでいる者もいるが。


「…………すごい」


 あ。

 声が、高い。

 ――そうだった。今の僕は、こういう姿なのだった。

 掌を見れば、白くて、細い。肩からこぼれ落ちる髪は雪みたいに白い。


 ……違和感が凄い。

 なんでこんな姿になってしまったのやら。


「師匠……?」


「あぁ、すまない。少しばかり感動している」


 時の流れは残酷だけど、同時に、美しくもある。

 かつての友人の言葉を、僕は今直に体験していた。


「……凄い」


 目の奥が少しだけ熱くなった。

 僕が地の底で本を守っていた二千年の間に、地上はこんなに先へ行っていたのか。


 焼かれて、失って、それでも人は、また積み上げたわけだ。

 へこたれず、逞しく、焼かれた以上に進歩した。人の逞しさを実感する。人間の強さに、僕は何処か嬉しくなった。


「司書様、目がキラッキラですね……」


「まるで子供のようです。今の姿も相まって」


「今の師匠、とっても可愛いですね」


 感動に震える僕を眺め、弟子たちが口々に言う。

 だが、僕はそれらに反応を示すことはせず……ただ、眼前の変わり果てた素晴らしい世界を眼に映し続けた。


     ◇


 だが、そんな感動から五分ほど経過した頃。

 街中を歩き始めた僕は、別のことに気が付いた。


「なぁ。周囲の者たちが皆、こっちを見ていないか?」


「……はい。見てます」


 弟子たちの顔が、揃って引きつっていた。

 確かに視線が集まっている。すれ違う人が二度見して、立ち止まって、中には手のひらのスマホをこっちに向けている者までいる。


「おかしいな。完璧に化けたはずだが」


「……あの。私、今、重大なことに気づいちゃいました」


 黒髪の長身令嬢と化したココナが、すごく遠い目をして言った。


「私たち、全員、美少女なんです」


「うむ」


「そういう四人組が並んで歩いてたら……普通に、目立ちますよね?」


「…………」


 ……盲点だった。

 誰にも気づかれないことばかり考えて、目立たないことを一切考えていなかった。


「失敗したな。もっと平凡な姿にすべきだった」


「そこは同感です……でも、たぶん、一番の原因は」


 三人が、そろって僕を見た。


「――師匠です」「司書様ですね」「貴方様が原因かと」


「僕?」


 何故。

 と問う前に、ココナが僕の頬を両手で挟んだ。


「……可愛すぎるんですよ」


「ココナちゃんの言う通りですね。可愛いというか、もう、なんというか、その……」


「現代風に言うのなら──滅です」


「……まぁ、今の僕が男女問わず魅了してしまうほどに可憐で綺麗なことはよくわかった。それは僕も自覚している」


 寧ろ、当然だろうと思う。

 今の僕を可愛くないと言ったら、幾ら弟子であっても怒るところだ。

 何故なら──。


「……師匠。ひとつ、聞いてもいいですか」


「なんだ」


「なんで、その姿にしたんですか?」


「……浮かんでしまったんだ」


「浮かんだ、というのは?」


「僕が恋した乙女の姿だ」


 ――しん。

 三人が綺麗に硬直し──次いで、驚愕に顔を染めた。


「「「……えっ」」」


「なんだ」


「こ、恋!? 図書館に籠って一日中本を読んでいる活字中毒の師匠がッ!?」


「て、てっきり本に恋をしている変態なのかと……」


「貴方様の中に人間の本能である性欲以外に恋心があったとは驚きました」


「うわぁ、殴りてえ……」


 僕のことを一体何だと思っているのか。

 額に青筋を浮かべながら、僕はそれを堪える。

 と、アルテミアが僕の小さな身体を抱き締めながら尋ねた。何で抱き締める必要があるのかはわからない。


「貴方様。お付き合いはなされたのですか?」


「あ、気になります。どうだったんですか? 師匠」


「司書様の恋愛事情かぁ……二千年前だと、どんな恋愛観だったんですか?」


「何を期待しているのかは知らないが、君たちの期待通りの結末にはならなかったぞ。僕にとっても……少々、キツイ記憶だ」


「「「キツイ?」」」


 まあ、答えても差し支えはないか。

 僕は胸に残る苦い、そして疼痛を伴う記憶を振り返り、告げた。


「想いは伝えた。君と共に朽ち果てていきたいと」


「な、中々個性的な告白ですね……それで?」


「――実らなかったがな」


「あっ……」


「向こうにも言い分があったし、僕にも至らないところがあった。よくある話だ」


「そう、だったんですね。ごめんなさい。辛いことを話させてしまって」


「いや、構わないよ」


「では、貴女様」


 アルテミアが続けて僕に尋ねる。


「その方とはその後、どうなったのですか?」


「──殺した」


 自分でも驚くほどに、滑らかに口から出た言葉。

 三人分の息が、止まった。


 あれだけ賑やかだった街の音が、急に遠くなる。

 昂っていた感情が、急速に冷えていくのを自覚した。


「こ、殺した、ですか?」


「え、なんで? もしかして、フラれたから……?」


「違う。僕はそこまで女々しい男じゃない」


「では、どうして?」


「彼女が──本を燃やす側に、僕たちの敵になったからだ」


 二千年前のことを思いだす。

 涙を流しながら松明を持ち、図書館に火を放ち、相対する僕に冷たい微笑みを浮かべる彼女。


 動揺した僕は『愛していたのに』と『君と共に朽ち果てていきたいと思っていたのに』と想いをぶちまけた。

 だが、返ってきた答えは──『なら、全部燃やして一緒に死のう』

 そんな破滅の言葉。


 間違いなく、彼女は僕たちの敵だった。

 魔法使いの、知識を探求する者の敵だった。

 知性に反逆する悪そのものだった。

 だから──殺した。魔法使いの未来のために。


「……しまったな」


 言い終わってから、ようやく気づいた。

 三人の顔が、真っ青になっていることに。


「……すまない。ここでする話ではなかったな」


 僕はできるだけ軽い調子で言った。


「忘れなさい。二千年も前の話だ。今日はそういう日じゃないだろう」


「で、でも……」


「――ココナ。妹さんに辛気臭い顔を見せるものじゃない」


 その一言で、彼女は、はっと顔を上げた。


「……はい」


「ミルも部屋の手続きがあるんだろう。日が暮れる前に済ませなさい。運びたい荷物があれば遠慮なく持ってくればいい。部屋は、まだいくらでも空いている」


「……わかりました」


 僕は、三人の手首に嵌めた銀の腕輪を指さした。

 出発前に配っておいたものだ。


「それと、これを忘れるな。転移の術式を組んである。強く握れば、図書館に戻る。何かあったら迷わず使いなさい。誰かに絡まれた時も、道に迷った時も――」


 少し考えて、付け足す。


「……ただ、心細くなっただけでも構わない」


「そんな理由で使っていいんですか?」


「――いいに決まっているだろう」


 僕は白い髪をひとつ払って、言った。


「僕の弟子だぞ、君たちは」


 ココナの顔がくしゃりと歪んだ。

 それから、勢いよく頭を下げる。


「……っ、行ってきます!」


「では、私も行ってきますね。夕飯までには戻りますので」


 二人が人波の中へ駆けていった。

 黒髪の令嬢と、亜麻色の少女。うん、誰もあの二人の正体には気づくまい。可愛いので、目立ってはいるが……まぁ、大丈夫だろう。


 ――で。

 残ったのは。


「――さて。ようやく、二人きりですね。貴方様」


 薄紅色の髪をした、儚げな令嬢がひとり。

 但し、人類最強である。


「……君は用がないのか」


「私の用は、あなたのお側にいることですので」


「ぶれないな」


「はい。それに、案内役を仰せつかっておりますから」


 そう言って、アルテミアはごく自然に僕の手を取った。


「いかがですか、地上は」


「……ああ。正直、想像以上だった。ここまで人は逞しいのだと、実感したよ」


「それは何よりです……では、次の感動を差し上げましょう」


 彼女は、やたら確信に満ちた笑みを浮かべた。


「貴方様――現代の甘味を、ご存じですか」


「かんみ?」


「二千年で最も進歩した分野のひとつだと、私は考えております。塔も電車も、確かに素晴らしい。ですが、あなたに最初に味わっていただきたいのは、あれです」


 ぐいぐいと手を引かれて、人波を抜ける。

 街路樹の並ぶ細い道の突き当たりに、蔦の絡んだ小さな店があった。硝子越しに、琥珀色の灯りが漏れている。


 扉を押すと――ころん、と鈴が鳴った。

 そして、匂いが来た。

 焦がした砂糖と、深く煎った豆と、温かい乳の匂い。

 嗅いだことのない匂いだ。


「…………ほう」


「いい反応です」


 アルテミアが、勝ち誇ったように微笑んだ。


「――ようこそ、貴方様。現代の喫茶店へ」

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