第16話
「師匠! アルテミアさ……だ、大丈夫なんですか!?」
大図書館へ戻るなりココナが悲鳴を上げた。
無理もない。腕の中の人類最強は、ぐったりと目を閉じたままだ。側から見れば、死体にだって見えるかもしれない。
もちろん、しっかり生きているが。
「気を失っているだけだ。心配はいらない……そこのソファを借りる」
「あ、よかった……そうなんですね」
「でもその割に司書様、焦っているように見えますが?」
流石はミル。鋭いな。
ちょっとな。と返した僕はアルテミアの身体をソファに横たえ、簡単に触診をする。
まずは――肋骨。
「……ふむ。三本」
指先を滑らせる。
骨に触れず、内側を視る。
体内に魔力を這わせ、よく診察する。
「左の第五、第六肋骨に亀裂。右の手首に剥離。掌の傷は深いが、これは簡単に治療可能……問題は、こっちだな」
腹部に手をかざす。
淡い光が、内側の陰影を映し出す。
「肝臓に打撲。腎の周りに出血……ここまで来るのに、かなり無理をしたのだろう。それで壁を破壊するのも信じられない話だが……これを、隠して立っていたのか、この子は」
「そ、そんなに……!? は、本当に、だ、大丈夫なんですか?」
「今のところは……だが、放っておけば半日で危険域だ。早急な治療が必要になる」
僕は立ち上がった。
「――第五区の湯池へ運ぶ。ミル」
「はい」
「湯浴み着を二人分と、湯上りの布を頼む。それから、この子の着替えは君が。僕は中で待つ」
「か、かしこまりました」
テキパキと動き出すミルを見送ってから、僕はココナに向き直った。
「ココナ。君はここで修行だ。灯火の維持を……モコと一緒に、この部屋を出るな」
「え。……えっ、待ってください!私も手伝います! お湯を運ぶとか、道具を持つとか、何かできること――」
「駄目だ」
「な、なんでですか!」
「――君は、まだ二十にもなっていない子供だろう」
ココナの言葉が、詰まる。
「湯池の治療は体を診る。傷の位置も、血の巡りも、全部だ……そういう場所にまだ君を立ち会わせる気はない。ミルは成人だから頼む。それだけの話だ」
「……っ、こ、子供扱いしないでください!」
「するとも。子供だからな」
僕はぽん、と彼女の頭に手を置いた。
「――今はまだ子供に甘んじなさい。時がくれば、ちゃんと大人扱いしてあげるから」
「……わかりました」
不貞腐れ、視線を逸らしながら返事をする。
こういうところはまだまだ子供だな。
僕はアルテミアを抱え直し、第五区へ向かう転移の輪をくぐった。
◇ ◇ ◇
「……行っちゃった」
私は誰もいなくなった書架の谷で、ぽつんと座り込んでいた。
そんな私の足元に、モコがスリスリと頭を擦り付ける。慰めてくれているらしい。
「うん、分かってるよモコ。修行、修行だよね」
指先に火を灯す。
一、二、三、四……。
……気になる。
いや、修行してるよ? してるんだけど……。
――なんで私だけ、駄目なんだろう。
いや、わかってる。理由は明確だ。年齢というわかりやすい理由が示されている。納得はできないけれど。
ミルさんは、いいんだよね。
成人だから。私は二十歳になってないから、駄目……いや、正論なんですけど。正論なんですけど、なんか、こう。
十七、十八……あっ、消えた。
「……はぁ」
だいたい、団長さんはあんなに堂々と「結婚してください」とか「子種だけでも」とか言える人で、私は「子供だから駄目」で、それってつまり、私は、その、そういう対象じゃ……いやいやいや、何を考えてるんですか私は。
……でも。
治療って、なに? 湯池って、なに?
二人きりで湯浴み着で、体に触れて。
――それ、ほんとに治療ですか?
「…………モコ」
私はモコに声をかける。
「……ちょっとだけ。ちょっとだけ、様子を見に行くだけなら、いいと思わない? ほら、患者さんの容態が心配だし。うん。心配だから。心配だから」
モコが、明らかに引いた目でこちらを見た。
そんな目で見ないで。気になるんだから、仕方ないでしょう。
嗚呼、だめだ。
気になりすぎる。こんなの、修行に集中なんてできるわけがない。
抑えきれない好奇心。
それを自覚した瞬間──私の手は、切ったばかりの配信開始ボタンに伸びていた。
◇
【緊急】師匠が人類最強と二人きりで湯池に消えました【治療(?)】
「み、皆さん、こんばんは……ココナです。あの、突然なんですけど、緊急配信です」
開始十秒で、同接が跳ね上がる音がした。
「実は今、師匠が、気絶したアルテミアさんを抱えて、湯池っていうところに行きました。治療のためだそうです……治療のため、だそうです」
私はカメラに顔を寄せて、囁いた。
「――二人きりで、です」
正確には、ミルさんもいるけれど。
◇
『は?』
『おいおいおいおい』
『二人きり!?』
『治療(?)のカッコが不穏すぎる』
『ココナちゃん、目が据わってる』
『滾ってるね、キャプテン』
『これ、煽ってるだろ』
『いや正直、俺たちも気になってた』
◇
「私、思うんです。ほんとに治療なんでしょうか? だってアルテミアさん、あんなにグイグイいってた人ですよ? 目が覚めたら、こう、雰囲気で、その、変なことに……なってたりしませんか!?」
◇
『やめろ』
『やめてくれ』
『でも見たい』
『見たくないけど見たい』
『行け‼』
『行くな‼』
『行け‼‼』
『突っ込め』
『男だろ』
◇
乙女ですけど。
「……行っちゃいますか」
『『『行けえええええ』』』
「はいっ!! 突撃しまーす!!」
――今にして思えば。
この時の私は、たぶん、十万人くらいの共犯者に背中を押されて、正気を失っていたんだと思う。
◇
第五区の湯池は、書架の谷を抜けた奥、白い石造りの回廊の先にあった。
温かい湯気が、扉の隙間からゆるく漏れている。ふわり、と薬草の香り。
私は、ドローンを構えたまま、そっと近づいた。
「……い、行きますよ。三、二、一――」
そーっと、扉を押し開ける。
湯気。白い湯気。ゆらめく湯面。天井の水晶が、湯を淡い青に照らしている。
そして、その中央。
――湯池に、二人が浸かっていた。
湯浴み着に身を包んだ師匠が、同じく湯浴み着のアルテミアさんを片腕で抱き支えるようにして。
アルテミアさんの頬は上気して、金の髪が湯に広がって。
師匠の空いた手が、彼女の後頭部をそっと支えていて。
そして。
――重なっていた。
唇が。
「――――」
私の頭の中が、真っ白になった。
湯気の音だけが、やけに大きく聞こえる。
持っていたドローンが、ずるり、と手から滑って――かろうじて、宙で止まった。
……レンズはしっかり、その光景を映していた。
「……あ」
声が出た。
それだけしか、出なかった。
そして。
板の上を流れる文字は――全部、同じ一文字で、埋め尽くされていた。
◇
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』
『あっ』




