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第15話 結婚をかけた戦い

 転移の光が晴れると、そこは石造りの大広間だった。

 第八十階層。

 天井は高く、柱は太く、床は広い。

 千年前、僕が「何かを盛大に壊したくなった時のため」に造っておいた空間である。使ったことは、一度もない。


 そして、ダンジョン内ということは当然──。


「ざっと……100体と言ったところかな」


 薄闇の中に光る無数の光。」

 赤い目。黄色い目。緑の目。柱の陰、天井の梁、床の亀裂――魔獣が、空間に現れた僕たちを取り囲んでいる。

 牙を剥く獣型、鎧をまとった骸骨、羽ばたく異形。

 どれもこれも、地上ならA級指定は下らない代物だ。


「……まぁ、千年も放置していたら魔獣が住み着くのも当然か」


 高い天井、広々とした空間。彼らにとって、ここは大層快適な住処だろう。

 とりあえず、駆除しようか。

 僕は魔法を行使するため、眼前に片手を掲げた──瞬間。


戦姫の獣刃(ウル・ガラシアス)


 アルテミアが床を蹴った。

 音が遅れて届く。彼女の姿は既に広間の反対側にあり、その軌跡上の魔獣が、ひとつ残らず両断されていた。バルバードを薙ぎ、着地と同時に床を割り、群れの全てを吹き飛ばす。

 剣閃が視認できない。

 ただ、彼女が通り過ぎた場所から順に、静かになっていく。


 要した時間は──五秒。

この僅かな時間の間に百体の魔獣がいた広間は、しん、と静まり返っていた。


「……なるほど。これが──世界最強」


 実力は本物らしい。

 納得し、僕は視聴者の反応を見るため、スマホを見た。


 ◇


『は?』

『今の5秒で何が起きた?』

『A級の群れが五秒で塵殺。何を言っているのかわからねぇと思うが、俺にも何が何だかわからねぇ』

『やばいのは知ってたけど、ここまで強かったっけ? 好きな人と結婚できるかもしれなくて高揚してる?』

『恋の前には魔獣すら塵となる』

『掃除だ掃除。ただの掃除』

『前座で世界記録が二個くらい割れてる』

『これから始まるのが「本番」なの、正気じゃない』


 ◇


 やはり、この強さは異常らしい。

 称賛というよりも、ドン引きな反応が大多数を占めていた。


「よろしかったのですか? 弟子の方々を連れてこなくて」


 ハルバードをぐるんと回転させ、石突きを床に叩きつけたアルテミアは僕に尋ねる。

 僕は彼女に頷きを返した。


「彼女たちはまだ連れてくるには実力が足りないからね。お留守番だ」


「そのドローンは?」


「大勢の視聴者が行く末を気になっているらしい。内緒にするのは、意地悪だろう?」


「なるほど、承知しました。では──画面の向こう側にいる視聴者全員が結婚の承認ということで」


「勝てたら、ね」


 勿論、負けるつもりはない。 

 僕はパチンと指を鳴らし──この場には異質な椅子を召喚。


 は?

 とでも言いたげに目を見開いたアルテミアが見つめる中、僕はその椅子に深く腰掛け、持参した本を開く。古代文字が紙一面に記された、古文書を。


「ルールはさっき言った通り。僕を倒したら……いや、それだと曖昧だから、僕をこの椅子から下ろすことが出来たら君の勝ちだ。手段は何でもアリ。武器もスキルも小細工も、好きな手段を使うといい」


「……」


「制限時間は三十分。他に質問は?」


「……ありません」


 言いながら、すぅ、とアルテミアは目を細めた。

 もしかして、怒らせてしまったか? 改めて考えてみると、相手の神経を逆撫でにするようなルールだったかもしれない。君は僕よりも格下だ、と言っているようなものだから。


 まぁ、ただ……真の強者ならば、この程度の挑発は力に変えるだろう。

 その上で、戦いに身を投じるはずだ。


「じゃあ、準備ができたらかかっておいで」


「それでは、お言葉に甘えて……」


 長大なハルバードを片手に姿勢を低くし、膝を折ったアルテミアは次の瞬間──。


「──参ります」


 白光を身に纏い──姿を消した。

 いや、消えたのではない。速すぎるのだ。視認することができないほどの速度で移動しているのだ。


 なるほど。これが世界最強のスキル。

 確かにこれは厄介。威力、正確性、速度。どれもが異次元。

 ダンジョンでは敵なしになるわけだ。


「じゃあ──その強さを貰おうか」


 僕は、指を一度だけ、鳴らした。


「――【黒陰の乱舞(ウブラ・サルタティオ)】」 


「──ッ!?」


 僕に向けてハルバードを振るったアルテミア。だがその瞬間、甲高い衝突音と火花が散った。


 攻撃を防がれ、彼女は即座に後方へと跳躍。

 しかし、着地の瞬間──驚愕に言葉を失った。


 影だ。一撃を防いだのは、ゆらりとゆれる影。

 それは立ち上がり、輪郭を得て、四肢を得て――外套の裾を、ハルバードの形状までも写しとり、そこに立った。


 それは正しく彼女そのもの。

 アルテミアの影だった。


「……なっ」


「この影は君の完全な写しだ。速さも、膂力も、剣技も、スキルも、判断も――寸分違わず今の君と同じ……つまり君にとって唯一、対等な相手だな」


「私、と……同じ……」


「僕に届きたいなら、まずそいつを越えなさい――ああ、遠慮はいらん。僕は読んでいる」


 僕はページを開いた。

 その視界の端で、影が動く。


 ――剣戟の音が、大広間を割った。


 鋼と鋼。

 速度と速度。

 同じ踏み込み、同じ角度、同じ返し。

 彼女が知る全ての技を、影も同じ精度で振るう。


 柱が斬れて崩れ、床石が砕けて舞い、天井にひびが走った。人類最強が二人分ぶつかる音は、正直、読書には向かない。


「く……っ、初手も、返しも、全て……同じ!」


 当然だ。それは君なのだから。

 視界の端で繰り広げられる戦いを眺めつつ、僕は文章に視線を滑らせる。やはり、この部分は何度読んでも――。


 どぉん、と壁が崩れる音がした。

 見れば、アルテミアが吹き飛ばされたらしい。


 少し目を上げる。

 彼女は血を吐きながら、立ち上がるところだった。


「……妙だな」


 僕は首を傾げた。

 おかしい。あの影はアルテミアの能力を完璧に模倣したもの。実力は拮抗し、良い戦いが見られるはずだった。

 なのに、アルテミアは影におされている。

 戦況はかなり一方的なのだ。


 なんだ? 影が強いのか? いや、それはない。魔法の才能の天井は、相手の強さと同じまで。超えることはできない。


 とすれば……アルテミアが、全力を出せていないのか。


 ◇


『何これ』

『最強と最強が戦ってる』

『影が完全コピーって……そんな魔法ある?』

『世界最強を「相手をさせる」ための道具に使ってるんだが』

『つか戦い中に読書してんじゃん。どんだけ余裕なんだよ』

『これは異次元ですわ』

『こんなの、赤子の相手をしてるのと同じじゃん……』

『世界ランク1位が、赤ちゃんプレイの赤ちゃん側になってる』

『格が違うとかいう次元じゃない』

『なんか可哀想になってきた』

『いや見ろ、アルテミアの目、まだ死んでない』


 ◇


 ――五分が経った。


 影に押されている。

 当然だ。影は疲れず、迷わず、痛みもない。

 同じ性能なら、消耗する側が必ず負ける。押され方は気になるが……まぁ、とにかく、僕の勝ちだろう。


 やめろ。もう十分だ。

 僕は影に命じて、戦いを終わらせようとする。

 だが──直前。


 パキ、と。

 変な音がし、僕は本から目を上げた。


 影のハルバードが宙で止まっている。

 ――否。

 彼女が止めていた。刃を、素手で。

 掌から血が滴っているのに、握った指が緩まない。


「……勝てないのなら、型を捨てよう」


 掠れた声だった。


「綺麗な型なんていらない。太刀筋も、立ち回りも、全部、全部、滅茶苦茶でいい。い。意味わかんないくらい滅裂な動きで──倒して見せるッ!」


 ニヤリ。

 狂気的という言葉がこれ以上ないほどに似合う笑みを浮かべたアルテミアは掴んだハルバードの刃を握り砕き、次いで、これまでの型の原型など一切見られない──滅茶苦茶な動きで影を圧倒する。


 防御を捨て、回避を捨て、行動の全てを攻撃に全振りした動きだ。

 避けられる攻撃も敢えて避けず、何倍もの威力でお返しする。

 血が舞い散る。影が失せる。その繰り返しだ。

 

 そして──。


「これで──終わりッ!」


 裂帛の気迫と同時に繰り出した一撃は影を両断。

 黒い写身が真っ二つに裂けて――霧のように、散った。


「――――ほう」


 僕は、思わず本を閉じていた。

 これは流石に想定外。どうやらアルテミアはこの戦いの中で、己を越えたらしい。

 いや、そもそも【黒陰の乱舞】は、破られる想定で作られていない。なのに……凄いな。純粋に称賛する。こんな戦士は、初めて見た。


「──次」


 影の残滓を突っ切って、彼女が来る。

 刃に亀裂が入ったハルバード。それを両手で構え、渾身の――そう、正真正銘、命を懸けた一撃だ。


 速い。美しい。

 その穂先が、僕の眉間まで、あと三十センチ。


 ――ああ。惜しい。

 本当に、惜しかった。僕がここまで強くなければ、十分に届いただろうに。


「【停滞する冷気の星(ステラ・グラキエス)】」


 指を鳴らした瞬間――音が、消えた。

 空気が凍った。文字通りの意味でだ。


 冷気ではない。

 熱を奪うのですらない。

 その空間の、あらゆる運動を停止させる。分子も、原子も、時間の擦れる音さえも。


 大広間の全てが、一瞬で白く染まった。

 崩れかけた柱は氷柱と化し、宙を舞っていた石片は空中で凍りついたまま静止し、天井から床までが青白い結晶に覆われる。

 石造りの闘技場は、瞬きの間に――ひとつの氷の洞窟に、なった。


 その中央。

 僕の眉間まで三十センチのところで、ハルバードを構えたまま、深紅のアルテミアは――全身を、透きとおった氷に包まれて、止まっていた。

 凍りついてなお、その目は僕を睨んでいた。閉じてすらいない。


「…………」


 しん、と。

 二千年ぶりの静寂が、氷の洞窟に満ちる。

 僕は椅子から立ち上がり、自分の吐いた息が白く凍って落ちるのを眺めて――くつり、と笑った。


「……ふふ。いかんな。少し、火力が強すぎたかな」


 ◇


『…………』

『…………』

『は』

『え、待って、待って待って待って』

『部屋が』

『部屋が氷になったんだが???』

『第80階層が一瞬で氷の洞窟に更新されました』

『世界最強が何も出来ずに氷漬け』

『指パッチン一回だぞ』

『「火力が強すぎたかな」で済ませるな』

『笑ってるの怖っ』

『バーサーカーじゃん』

『……今のは、司書さんが本気を出したってことだよな?』

『たぶん、ほんの一瞬だけな』


 ◇


「――さて。長居は無用だ」


 僕はもう一度、指を鳴らした。


「【解け(ソルヴ)】」


 氷が光の粒になって崩れる。

 彼女を包んでいた結晶が真っ先に消え、その体が前のめりに傾ぐのを、僕は腕で受け止めた。


 嗚呼、やはりな。

 意識のないアルテミアを横抱きにかかえ、僕は称賛よりも先に呆れの溜め息を吐く。

 これは早く、治療してやらないと。

 武器も、彼女もね。


 腕の中で眠る本物の戦士。

 そのあどけない寝顔を見つめて微笑み、僕は図書館へ続く転移の輪を潜った。

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