第10話 お手伝いさんになるのなら、死ぬほどおギャラせてあげましょう
十数分後。
「先ほどは大変申し訳ございませんでした」
落ち着き、冷静になったらしい。
スーツの女性は石造りの床に額をつけ、見事な土下座を披露した。
「三日間、雨に打たれ続けて頭がどうかしていました。初対面の方にあんな醜態を晒して、ご迷惑をおかけして……もう私に現世を生きる資格はありません。脳天をぶち抜いて深くお詫び申し上げます」
「やらんでいい」
「すぐに死のうとするので拳銃は没収ですからね」
ココナは引き金を引けないようロックをかけ、それをモコの頭に乗せる。
可愛がっていた使い魔にそんな物騒なものを置くのはどうなんだと思ったけれど、よく考えれば、追いかけられた時にはモコのほうが足が速く、また空を駆けることもできる。
取り上げる、という点で考えれば、それが最善だった。
「はぁ……私、何やってんだろ……本当に、これが大人の姿? もうアラサーなのに、なんでこんなドン底人生歩んでるんだろう……」
「まぁ、まずは飲みなさい」
僕は淹れ直した紅茶を、彼女の前に置いた。
湯気がゆるく立ちのぼる。
「心が乱れている時は、茶でも飲んでゆっくりするのが一番だ」
「あ、ありがとう、ございます……」
彼女はおずおずと顔を上げ、カップを両手で受け取った。
ひとくち飲んで、目を見開く。
「……あった、かい……おいしい……」
二口目で、また目が潤み始めた。
「ど、どうしよう……優しくされるの、久しぶりすぎて……涙腺が、ばかになっちゃった」
「茶を出しただけでここまでとは……余程酷い人生を送っているようだな」
まだ若いのに、何と哀れな。
「君、名前は?」
「え? あ、えっと、黒沢ミルって言います」
「ミルか。歳は?」
「に、二十七歳、です」
「若いな。人生に絶望するには、あまりにも若すぎる」
人生はまだまだ始まったばかりと言っても過言ではない。
そんな歳でここまで絶望するなんて……どんな環境に身を置いているのか。
「あの、ミルさん。落ち着いたらでいいんですけど……教えてもらえますか? どうして三日も、雨の中外にいたんですか? 道もないのに、ずっと入口を見上げて……」
「……それ、は」
ココナの問い。
それを受けたミルはカップの水面に目を落とし、ぽつり、と話し始めた。
「わたし……迷宮の地図を作る会社に、勤めてるんです。『ラビリンス・マッピング社』っていう、ベンチャー企業で。攻略者さん向けに、ダンジョンの最新地図を売る仕事です」
「地図……? あっ」
ココナと僕は、顔を見合わせた。
地図。最近ココナが言っていた。僕が世界各地の迷宮の構造を変化させたせいで、株価というものが暴落したとか何とか……。
「も、もしかして、暴落した影響で?」
「……はい、先日の、全階層の大規模構造変更で……うちの商品、全部、一晩で白紙になっちゃって」
「そ、それは……その……なんというか……」
ココナが気まずそうに僕を見る。
やめなさい。分かっている。原因が僕にあるということは。
「それで、社長が、その……大激怒しまして。会議室で八時間、怒鳴られ続けて。全部お前らのせいだ、責任を取れって。それで、わたしが……その、一番、断れなさそうだったから……」
ミルは、震える息を吸って言った。
座り込んでいた理由を。自分の目的を。
「──『図書館に行って、魔法使いを殺して、書物を全部奪ってこい。それが済むまで帰ってくるな』と。命令、されました」
しん。
と、静寂が響いた。
「……強盗、ってことですか」
震える声でココナは言った。
その通りだ。武装し、僕を殺し、僕の財産である書物の強奪を目論む。
強盗以外の何者でもない。
「で、でも」
ミルは両手を振って弁明した。
「わ、私は司書さんを殺そうなんて微塵も思っていなくて! 銃を持っていたから、信じて貰えないかもしれないですけど……その、何もできずにノコノコ会社に戻ったら、また怒鳴られると思ったら、三日も過ぎていて」
「家に帰ろうとは思わなかったのか?」
「はい……家に帰っても、不安なだけですし……暗いところで一人でいると、フラッシュバックするので」
ミルは下唇を噛みしめる。
それだけで、彼女がどれだけの心痛を抱いているのかがわかった。
「えっと、し、師匠?」
ココナが、恐る恐る僕を見た。
どうやら僕は今、あまりいい顔をしていないらしい。
モコが「め……」と小さく鳴いて、ココナの後ろに隠れた。
「──ほほぉ?」
僕は思わず笑ってしまった。
「僕を殺して、書物を奪ってこい、と……ほほぉ? なるほど、なるほど。地図会社の、社長が」
「し、師匠。もしかしなくとも、凄い怒ってます?」
「フフ、何を言っているんだココナ。僕は至って冷静だよ」
「冷静に怒っているってことですね」
「そういうことさ」
私欲に塗れた強盗に怒るな、というほうが無理な話だろう。
原因が僕にある、というのは理解できる。
だが、大前提として……これだけは言っておかなくてはならない。
「この機会に教えておこうか。この星にあるダンジョンの内──およそ一割は僕が造った」
「「───は?」」
二人の声が、綺麗に重なった。
「この大図書館を隠すためだ。本物のダンジョン一つでは、いずれ掘り当てられる。だから囮を撒いた。世界中に、幾つも幾つも。どれが本命か分からないように」
「い、一割って……世界に迷宮、何千とあるんですよ!? その一割って、何百……」
「数えていない。本を狙う輩から隠すのに、必死だったからな」
僕はカップを、こと、と置いた。
「連中は、僕が本を守るために造った迷宮を勝手に探索し、勝手に地図にして、勝手に売り、勝手に儲けていた。そこまではいい。使われるのは造った甲斐があるというものだ──だが」
僕は自分の造作物を、自分の都合で、模様替えした。
それだけのことで──命を狙われる道理も、書物を奪われる筋合いもない。
「勝手に損をして、勝手に激怒して、挙句、断れない部下を一人選んで、僕を殺してこいと寄越した……雨の中に、三日もだ」
ギシッ。
椅子の背凭れに体重を預け、脚を組み、深い溜め息を吐く。
「──腹が立つな」
「す、すみません、わたしのせいで……」
「君のせいじゃない」
「え……」
「君が所属する会社の問題だ……さて、ミル」
僕は椅子から下り、床の上の彼女と目線を合わせるように膝を折った。
「──君はどうしたい?」
「わたし、は……」
「会社に戻りたいのなら、すぐに送り返してやろう。だが戻りたくないのなら……」
僕は書架の海を、ぐるりと示した。
「ここで働くという手もある。ちょうど人手が欲しかった。食事を作る者。第十三区画の薬草園と、桜の世話をする者……住み込みだ。給金も出すぞ──ココナが」
「私ですかッ!?」
「配信で山ほど稼いでいるのだろう? それくらい出してやれ」
「う、うぅ……完全に師匠のお陰で稼げているので、何も言えない……」
「ここで……わたしが……?」
ミルの目が揺れた。
「で、でも、わたし、魔法も使えませんし、取り柄もないですし、会社もまだ辞めてないですし、社会人として、そんな急にご迷惑では──」
「迷惑なんかじゃないさ。さぁ、どうする?」
「……」
ミルは沈黙し、俯く。
即決することができないらしい。会社に戻るか、ここで働くか。
無理もない。自分の人生を左右する大きな決断だ。即断することができないのは当然のこと。
ただ、個人的なことを言わせてもらうのなら、ここで働いたほうがいいと思う。
心身が摩耗するほど酷い目に遭っているのだ。戻ったとしたら、どんな目に遭うか。
……よし。
ならば少し、汚い手を使わせてもらおう。
僕は見るの耳元に口を寄せ──囁いた。
「──仕事が終わったら、毎日ヨシヨシしてあげるよ」
「末永くよろしくお願いします」
「はっや」
一撃落ちた。
どれだけ甘やかされたかったのだろう……。
ミルは僕の両手を取り、瞳をキラキラと輝かせた。
「し、仕事を頑張ったら、沢山褒めてくれるってことですよね?」
「あぁ、沢山褒めてやる」
「飽きるくらいにヨシヨシしてくれるってことですよね!」
「嫌になるくらいにヨシヨシしてやる」
「やります! やります! 私をここで働かせてください!」
「あの、ミルさん……二十七歳、なんですよね?」
ややドン引きした様子で言うココナ。
彼女にフッ、と笑い、ミルは光の消えた瞳を向けた。
「ココナちゃん。大人っていうのはね? もう誰からもヨシヨシしてもらえないものなんだよ? どれだけ頑張っても、努力しても、成果をあげても、誰も褒めてくれない……だから、仕事が終わったらヨシヨシしてもらえるのって、すっごく価値があることなの」
「そ、そうなんですね……」
「まぁ、七歳も十七歳も二十七歳も、僕からすれば全員赤子のようなものだ。遠慮はしなくていい。全力でオギャりなさい」
「師匠。最近コメントから変な言葉を学び過ぎです」
「学んでいるつもりはない。勝手に頭に入ってくるんだ」
不思議なことに、書物よりも格段に頭に定着する。
あれは一体、どういう原理なのか……。
「しかし……刺客を送ってくる者がいるとは想定外だったな。そこまでの阿呆がいるとは」
「ですね。まぁ、ここに辿り着ける人は早々いないと思いますけど」
「だとしても、対策はしておく必要があるな。ミルのような不幸な者を生むことになる……よし」
これまでは外の──地上に生きる現代人たちに呼びかける方法などなかったが、今は違う。
知らしめてやろう。
僕がどれだけ、敵に回すと厄介な存在なのかを。
ニヤリと笑い、僕はココナに配信の準備をするように頼んだ。




