第9話 三日間座り続けた女性
大図書館の第十四区。
底が見えるほど透き通った水で満たされた泉と、その中央に生きる大きなブナの木。その太い枝の上。
「……だ、駄目だぁ」
膝に子羊の使い魔【モコ】を乗せたココナは指先に灯る小さな火を霧散させ、疲労した様子でガックリと肩を落とした。
今日の修行は灯した火の維持。
魔法を自在に扱いたければ、少なくとも三十分は維持できなくては話にならないのだけど……現時点での彼女の記録は、約三十秒。
現状では、まだまだ先に進めることはできない。
「また三十秒……駄目です。全然成長しない……」
「そう簡単に成長はしないさ。それでも、成長はしている。初日は八秒で消えていたじゃないか」
「でも、モコの魔力を借りればもっと──」
「借りるのは、器ができてからだ。細いマッチに薪の火力を流せば、燃やし尽くされる……焦るな。ゆっくりでいい」
「……はい。ゆっくり、ですね」
「そうだ。ところで、今日は配信はしないのか? いつもは修行の度につけているが」
「あー……それは、ですね」
バツが悪そうに頬を掻き、ココナは遠くを見た。
「……配信すると、大量にスパチャが贈られてくるので」
「あれだけ言ったのにまだ贈られてくるのか……」
人々はどうしてそこまで金を贈りたがるのか……自分で使えばいいのに。
「一応、設定でスパチャが贈れないようにもできるんですけど……それをやったら、視聴者から非難轟々でして」
「なるほど。だから配信をしないという選択を取るしかないと……ちなみに、これまでにどれくらいの金額が贈られたんだ?」
「……」
スマホを手に取り、画面を操作し、ココナはそれを此方に向ける。
そこに映し出されていた数字は……」
「円、というのが君たちの通貨なのか。で、数字は……50億?」
「スパチャだけじゃなくて、再生回数による収益も含まれていますけど……たった数日程度で、ここまで稼いでしまいまして」
「これは凄い金額なのか?」
「私の国は『日本』って言うんですけど、日本人の平均生涯収入が二億円です」
「……とんでもない金額だな」
「はい。とんでもない金額を稼いでしまいました」
そりゃあ、配信を控えたくもなる。
なるほど、と僕は納得し、手元のスマホ──ココナのサブ端末の画面に視線を落とした。
「……師匠? さっきから何を見ているんですか?」
「地上の様子だ」
「地上の?」
覗き込んだココナが、眉を寄せる。
「これって、以前まで迷宮の入口があったところですよね。その前に……女の人? 雨が降っているのに、傘も差さないで……あ。もしかしてこの映像、例の『座り込みの人』ですか? ニュースでやってた」
「ああ。今日で三日目らしい」
画面に映っているのは、スーツ姿の女だ。
大粒の雨が降る外で傘も差さずに座り込み、そのままジッと動かない。当然、全身はズブ濡れ。だが、肌を伝う雫を拭うこともしない。
「……三日も雨の中なんて、身体壊しちゃいますよ。なんで誰も止めないんでしょう」
「訪れた者が何名か声をかけたそうだが、『ここで待ちます』の一点張りだそうだ」
「待つって、何をですか? 道もないのに……」
「それは本人のみ知ることだ」
答えながら、僕は画面から目を離せずにいた。
……妙だ。
崇拝しに来た者なら、祈るだろう。
頼みに来た者なら、叫ぶだろう。
だがあの娘はどちらでもない。
あれは──行き場のなくなった者の座り方だ。
帰る場所より、閉ざされた扉の前の方がまだましだという顔をしている。
……いやもしくは、何かを成し遂げなければ帰れない、とも考えられる。
彼女の事情は何も知らない。
だが、彼女の顔を見ていると思いだす。
二千年前、大図書館と大勢の仲間が焼け落ちた時の僕は……あんな顔をしていた、と。
「……師匠? どうかしましたか?」
「……招くか」
「へ?」
首を傾げるココナにスマホを返した僕は立ち上がり、次いで、指で作った輪を口元に当てる。
そして──空間に響き渡る音を、笛を鳴らした。
「来てくれ──不死鳥」
書架の谷の奥、天井の暗がりで緋色の火が灯る。
火は羽ばたいた。炎の尾を引いて谷を滑空し、僕の頭上で大きく旋回する。緋と金の羽根、長く流れる尾──全長五メートルの、火の鳥。
「こ、これは……」
「僕が持つ使い魔の一体、不死鳥だ」
「こ、これが、師匠の使い魔……凄いです」
「凄いのはこの子だけじゃない。僕の使い魔は全員が全員、各々の方面で凄い……さて」
僕は頭上の火の鳥を見上げ、命じた。
「急に呼び出してすまない。客人を一人招いてほしい。丁重に、連れておいで。濡れているから翼で温めてやりなさい」
不死鳥は了解とばかりに一声高く鳴き、天井に産まれた輪を潜り、消えた。
そして──僅か数分後。
「さ、さっきの不死鳥がッ!?」
ココナが持つスマホの画面に──濡れたまま蹲る女性の傍に、不死鳥が現れた。
画面の中のそれは巨大な翼で彼女を覆い隠し、次の瞬間──ボッ、と火の粉を振りまき姿を消した。
後には何も残らない。
ただ、舞い散る火の粉が宙を漂うだけであり、それらもすぐに風に攫われ消えていく。
「は、へ、え? い、今消え──」
「おかえり、不死鳥」
驚愕に目を見開くココナから視線を天井に向け、僕は舞い戻った不死鳥に告げる。
簡単なお使いを終えた不死鳥はずぶ濡れの女性を僕の腕へとそっと降ろし、役目は終えたと言わんばかりに、何処か遠くへ飛び去った。
またいつでも呼べ、という意思が伝わる。
「……ずいぶん、冷え切っているな」
抱きとめた体は、氷のようだった。
唇は色を失い、まつ毛の先から雫が落ちる。
急いで温めなければ──と、乾燥と加温の魔法を彼女に施した──その時。
「……っ」
小さな呻き声と共に、彼女の目がうっすらと開いた。
焦点の合わない瞳が、僕の顔を、ぼんやりと映す。
「……………………あ」
「気がついたか。今、温める。じっとして──」
「……あぁ……ゆめかぁ……」
「ん?」
何か様子がおかしい。
僕がそう思った直後……彼女は僕の胸に縋りついた。
「ゆめだぁ……だって、司書さまが、いるもん……あったかいし、いいにおいだし……ふふ、ゆめなら、しかたないなぁ……」
「だ、大丈夫か……?」
「あったか〜い……もうやだぁ……かえりたくない……ずっとここがいい〜……」
明らかに異様な彼女の行動。
もしかして、長時間雨に晒されたことで色々とおかしくなってしまったのではないか? だとしたら大変だ。可及的速やかに、身体を温めないと。
「し、師匠、その人様子が……」
「凍えて朦朧としているんだ……よしよし。もう雨はないよ。温かいから、そのまま休みなさい」
僕は片腕で彼女を支え直し、空いた手で濡れた頭を、ゆっくりと撫でた。
乾燥の魔法で髪から水気が抜け、加温の魔法が肩から爪先まで巡っていく。毛布も呼んで、肩に掛けてやる。
「ん〜……」
女は満足そうに目を細め、遠慮の欠片もなく体重を預けてきた。
身体の緊張が解れている。三日分の疲れた、糸のように解れていくのだろう。
「……ふふ……ゆめのなかの司書さま、あまやかしじょうず〜……」
「甘えん坊だね、君は」
「…………」
隣からものすごい視線を感じる。
視線を向けると、ココナがモコを抱きしめたまま、深海魚でも見るような目でこちらを凝視していた。
最近、スマホで学んだ。
あれは……ドン引きというやつだ。
「ど、どうしたんだ?」
「……そんなキャラでしたっけ」
「僕は元々面倒見が良いと定評がある男だ。君にだって、半日くらい膝枕で頭を撫でてあげたじゃないか」
「あ、あの恥ずかしい配信のことは思い出させないでくださいッ!」
「お望みなら、またしてあげようか?」
「………………考えておきます」
断らないところから判断するに、かなり良かったらしい。
修行を頑張ったご褒美に、今度沢山甘やかしてやろうか。
なんて、僕が考えていると──。
「…………ぁれ?」
温まるにつれ、瞳に光が戻った。
女性はジッと僕の顔を見る。
次いで、自分の状況を見る。肩に掛けられている毛布。完璧に乾いた艶やかな髪。その頭を優しく撫でる僕の手。
それらを一通り確認した後……彼女は、掠れた声を震わせた。
「…………これ、げんじつ……?」
「現実だが」
「──────」
彼女の顔が目に見えてわかるほど白く、血の気が引いた──次の瞬間。
彼女は目にも留まらぬ速さで腰元に手をやり、黒い得物を抜いて――その先端を、自分のこめかみに押し当てた。
「な、何たる醜態……さらば、ブラック企業ライフ」
「させないよ」
彼女が引き金を引くよりも早く、僕は魔法を発動した。
彼女の手中から黒い得物が掻き消える。空間転移魔法だ。消えたそれは湖の端に落ちる。
「な、何をしようとしているんですからあなたはッ!!」
恐らくは自決しようとしたのだろう。
そんな女性にココナが怒りの声を上げ、ガシッ、と彼女の両腕を強く掴む。と、拘束された彼女は赤い両目にジワリと涙を滲ませ──喚いた。まるで子供のように。
「は、放してくださいッ! こんな醜態、初対面の相手に赤子もドン引きするくらい甘えたアラサーなんてレッテルを貼られたまま生きたくないです! せめてこのまま逝かせてください! あともう仕事したくない! 会社に戻りたくない!」
「た、確かに恥ずかしいことですし、社会が辛くて大変なこともわかりますけど、死ぬほどのことじゃないですよ!」
「寧ろ死んだほうがマシです!」
「どんな会社で働いているんですかあなたは……」
と、暴れる女性にココナが呆れ果てた頃。
「落ち着きなさい」
僕は女性の頭を再びそっと撫でつけた。
「深い事情があるのだろう。あんなところに三日間も座り続けていたんだ。相応の理由が」
「え、なんで、知って──」
「辛い思いをしたのだろう。苦しい経験をしたのだろう。大丈夫。僕は君を突き放したりしない。満たされるまで、心が軽くなるまで、話を聞いてあげる。望むのなら、胸を貸そう。だから──今は落ち着いて」
僕が優しく言い聞かせると、女性は身体が力を抜いた。
そして、光の灯った瞳に僕の顔を移し──ポツリと、呟いた。
「……パパ」
誰がパパだ。




