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86話:バッドエンド・コレクターⅠ

 シオンの影に「不浄なモノ」として弾き飛ばされ、冷たい石畳を転がった衝撃。その痛みが消える暇もなく、私の視界は再びデジタルなノイズと共に激しく反転した。


ーーー???


 平衡感覚を失い、嘔吐感に耐えながら目を開けると、そこはカビ臭い地下室ではなく、眩いばかりのシャンデリアが輝く、帝国ガルディナの祝宴会場だった。


(……え? ……ここ、……ゼノス閣下の……夜会……?)


 私は反射的に自分の手を見た。……やはり、リリアーヌの白磁の手ではない。毛玉のついたグレーのパーカーの袖から覗く、短く不格好な前世の私の指先。

 周囲の貴族たちは、華やかなドレスや軍服に身を包み、優雅に談笑している。その輪の中に、場違いな格好をした「結衣」が紛れ込んでいるというのに、誰も私を認識していないかのように、視線すら合わせない。


「……いた。……アリアちゃん! ゼノス様!!」


 会場の中央。そこには、私がこれまでに見たどのスチルよりも美しく、そして残酷な光景が広がっていた。

 白銀の礼装を纏ったゼノス様が、桃色の可憐なドレスを着たアリア様の腰を抱き寄せ、穏やかに微笑み合っている。……原作通りの『英雄と聖女』。そこには、私の知っている「リリアーヌに溺れる狂犬」の姿も、「自立したアイドル」のアリアちゃんの姿も、一欠片も存在しなかった。


「アリアちゃん! 私よ、リリアーヌよ! ……ううん、中身の結衣よ! お願い、こっちを見て!!」


 私は必死に叫び、二人の元へ駆け寄ろうとした。だが、その瞬間に私の身体を襲ったのは、懐かしいはずの、けれど今は死を予感させるほど冷徹な「氷の波動」だった。


「…………。……なんだ、その薄汚い女は」


 ゼノス様の視線が、私を捉えた。

 だが、その瞳に宿っているのは、かつて私に向けられた熱い独占欲ではなく、路傍の石ころを見るような、徹底した無関心と不快感。


「……ゼノス様、……おやめになって。……可哀想な、……迷い込んだ浮浪者ですわ」


 アリア様が、ゼノス様の腕の中で、慈悲深い……けれど一線を画した「高み」からの瞳で私を眺めた。その声に、私を「お姉様」と呼んだ親愛の響きは微塵もない。


「……衛兵。この不審者を、今すぐ会場からつまみ出せ。……私の婚約者アリアの視界を汚すな」


 ゼノス様の一言で、私は数人の兵士に乱暴に組み伏せられた。

 「離して! 私は、私は貴方たちを救ったのよ!!」と叫ぶ私の声は、華やかなワルツの旋律に無惨にもかき消され、私は雨の降りしきる屋外へと、文字通り「ゴミ」のように放り出された。


(……あ、……あ……。……嘘よ。……あんなに、……あんなに一緒に、……笑い合ったじゃない……!!)


 地面に這いつくばり、泥にまみれた私の脳内に、ヴォイドの悦びに満ちた嘲笑が直接響き渡る。


『……どうだい、結衣。……君が注いだ愛も、技術も、……君がいなくなった世界では、ただの「なかったこと」に書き換えられる。……君の居場所なんて、最初からこの物語には設定されていないんだよ』



 泥水に顔を伏せ、慟哭する私の意識を、またしても容赦ないノイズが引き裂いた。



ーーー???



 次に目を開けた時、そこは雨の夜会ではなく、波の音と贅沢な香油の匂いが漂う、ハシム様の豪華客船の私室だった。


(……ハシム、様……? 助けて、……私を認識して……!!)


 私は縋るような思いで、ソファに座る黄金の刺繍を纏った男を見上げた。

 だが、ハシム様は私に一瞥もくれず、傍らに跪かせた一人の少女の顎を、品定めするように指先で掬い上げていた。


「……フン。これほど高純度の魔力を宿した個体は、世界を探しても君一人だ、リリアーヌ。……君という『最高級の商品』を手に入れるために、俺がどれだけの金(魔石)を積んだか分かっているか?」


 そこにいたのは、本物のリリアーヌだった。

 彼女は、ハシム様に黄金の鎖で手首を繋がれ、まるで意志を持たない美しい剥製のように、虚ろな瞳で震えていた。かつての傲慢な気高さは微塵もなく、ただの『価値あるコレクション』として扱われる恐怖に、魂が枯れ果てている。


「……ハシム、様……。……私を、……どうか、……売らないで……」


「……馬鹿を言うな。君を買い取ったのは俺だ。俺の許可なく、死ぬことさえ許さん。……この船が、君の新しい檻だ。……存分に、俺の富の象徴として輝いていろ」


 ハシム様の瞳に、かつて私に向けられた「対等なパートナー」としての敬意はどこにもない。そこにあるのは、珍しい宝物を手に入れた蒐集家コレクターの、冷酷で乾いた愉悦だけだった。


「……やめて! ハシム様!! リリアーヌ様は、……彼女は人間なのよ!!」


 私は叫び、ハシム様に掴みかかろうとした。

 だが、私の指先はハシム様の身体を透過し、触れることさえ叶わない。実体化しているはずの私の肉体は、ヴォイドの呪いによって「観測者」という名の幽霊へと固定されていた。


「……チッ、なんだ。……目障りなネズミ(幻覚)が迷い込んだか。……衛兵、この薄汚い影を海へ叩き込め。……俺の聖域を、不浄なノイズで汚すな」


 ハシム様が不快そうに手を振ると、私は実体のないままに、物理的な「拒絶の波動」で船の外へと弾き飛ばされた。



ーーー???


 

 激しい衝撃と共に、私は夜の海……ではなく、再びあの「静止した虚無の空間」へと戻されていた。

 膝をつき、嗚咽を漏らす私の前に、白銀の髪をなびかせた死神――ヴォイドが、静かに舞い降りる。


「……どうだい、結衣。……君が注いだ愛も、技術も、……君がいなくなった世界では、ただの『呪い』や『商品価値』に反転している。……君がここにいた証拠なんて、誰の記憶にも残っていない。……君は最初から、この物語に必要のない『バグ』だったんだよ」


 ヴォイドが私の頬を、冷たい指先でなぞる。

 

「……さあ、私を選べば、この絶望をすべて上書きしてあげよう。……君が愛した『推したち』に拒絶される痛みから、今すぐ解放してあげようか?」


「……う、……うぅ……っ。……あ……」


 心が、ミシミシと音を立てて軋む。

 信じていた絆が、一瞬で「なかったこと」にされる恐怖。

 私が救おうとした世界が、私を「汚物」として排除しようとする矛盾。

 

 だが、その絶望の淵で。

 ヴォイドが次のループへと私を引き摺り込もうとした、その刹那。

 

 牢獄へと運ばれていく『本物のリリアーヌ』の瞳が、一瞬だけ、こちらを捉えた気がした。

 



   …………え? …………貴女、……だれ……?

 



 彼女の唇が、音もなく動いた。

 ヴォイドによって記憶を消され、魂を分断されたはずのリリアーヌ。

 だが、彼女の魂の深層に眠る「結衣と一緒にいた時の、温かな残り香」が、一瞬だけ、絶望の波間から顔を出したのだ。


「……リリアーヌ、様……! 私よ! 私を、……思い出して……!!」


「…………目障りだね」


 ヴォイドが不快そうに眉を顰め、指を鳴らした。

 リリアーヌとの細い、細い繋がりは、暴力的なノイズによって無惨に断ち切られた。

 

 視界が、真っ黒に塗りつぶされる。


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