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第78話:王都のスイーツ革命――魔導冷蔵庫と、凍りついた記憶

 聖域の決戦から数週間。アステリア特別区に、穏やかで輝かしい初夏の陽光が降り注いでいた。

 王都『セント・ルミナス』の街並みは、私が整備した魔導インフラによって、かつての荒廃が嘘のように清潔で活気に満ち、民衆の顔からは「明日への不安」が完全に消え去っていた。


「……暑いですわ。……あまりにも、不条理なほどに、私の大切なアリアちゃんの頬が、この日差しのせいで微かに紅潮(上気)してしまっていますわよ!」


 私は王城のテラスで、冷たいはずの果実水がぬるくなっているのを忌々しげに睨みつけ、愛用の扇子を激しく動かした。

 隣では、アリア様がシルのもふもふに顔を埋めながら、「リリアーヌ様、……少しだけ、冷たいものが食べたくなってしまいましたわ」と、潤んだ瞳で私を見上げていた。


(……ギャーー!! 推しの『暑がっている顔』も尊いけれど、それ以上に『冷たいものを欲しがる上目遣い』の破壊力がカンストしてるわ……! ……決まりましたわ。この世界に、物理的な『冷気』という名の救済をもたらして差し上げますわよ!)


 私はすぐさま、ようやく聖域戦の事務処理から解放されて一息ついていたアルベルトを、工房へと呼び出した。


「……師匠。……まさか、また『軍事転用』の設計図じゃないですよね? ……平和になったんですから、せめて三日は、枕を使って寝させてください……」


 アルベルトが、隈の取れた顔で、けれど魂が抜けかかったような声で懇願する。

 私はそんな彼の前に、昨晩のうちに描き上げた『次世代型・魔導冷菓庫マギ・フリーザー』の設計図を、勢いよく叩きつけた。


「……あら、アルベルト。……これは『軍事』ではなく、人類の『幸福度(QOL)』を劇的に向上させる、聖域級のインフラですわよ! ……見て。氷の魔石の配列を最適化し、内壁に魔導断熱材を敷き詰めることで、外部の気温に左右されずに『零下』を維持する。……これさえあれば、アリアちゃんにいつでもキンキンに冷えたベリーアイスを献上できるんですのよ!!」


「…………。……冷蔵庫、ですか。……食べ物を冷やすためだけに、帝国の特級魔導回路をこれだけ注ぎ込むんですか……。……師匠、貴女の『推し活』への執念は、もはや神のシステムさえも凌駕し始めていますね……」


 アルベルトは呆れ果てたように肩を落としたが、設計図に記された「魔力循環の効率化」という、技術者としての好奇心を刺激する美しい数式に、気づけばその瞳を輝かせていた。


(……ふふ。……いいわ。……これが平和な世界の『正しい技術の使い方』よ。……壊すためではなく、冷やすために知恵を絞る。……これこそが、私の求めていたデバッグ後の世界スローライフだわ!)


 私はアルベルトと共に、さっそく試作機の組み立てに取り掛かった。

 聖域から持ち帰った、高純度のクリスタル片を「記憶素子」ではなく「蓄冷素子」として贅沢に加工し、シオンが用意した最高級の銀材で冷却パイプを張り巡らせる。


「……ここを、もっと鋭く、……絶対零度に近い魔力で一気に『凍結』させたいですわね。……私の魔力では、少し『温かみ』が混ざってしまいますわ」


 私が冷却回路の微調整に頭を悩ませていた、その時。

 工房の入口から、室温を一気に氷点下まで下げるような、心地よくも冷徹な魔力が流れ込んできた。


「…………私の出番のようだな、リリアーヌ」


 そこに立っていたのは、軍務の合間を縫って駆けつけたゼノス公爵だった。

 彼は上着を脱ぎ、シャツの袖を捲り上げただけの、普段の威圧感を脱ぎ捨てたような姿で、真っ直ぐに私の元へと歩み寄ってきた。


「……閣下。……また、私の『隠れ家』へ勝手に侵入なさいましたわね」


 私は、冷却パイプの接続に集中していた手を止めず、背後から近づく冷徹な気配に向かって、少しだけ唇を尖らせた。

 ゼノス公爵は、私の小言など春風のように受け流し、迷いのない足取りで作業台のすぐ後ろに立った。彼の放つ絶対零度の魔力が、真夏の熱気に蒸され始めていた工房の空気を、一瞬にして秋の朝のような清涼感へと書き換えていく。


「……君が、アリアのために『冷たい救い』を用意していると聞いた。……ならば、この国の誰よりも鋭い氷を持つ私の魔力を使うのが、最短ルートだろう?」


 ゼノス様が、私の背後から回り込むようにして、私の手元へ大きな手を伸ばした。

 私の小さな手を包み込むようにして、彼の手が魔導回路の「基幹魔石」へと触れる。……至近距離。……彼の軍服越しに伝わってくる、鍛え抜かれた体躯の熱量と、指先から溢れ出す矛盾した冷気が、私の感覚を激しく翻弄した。


(……ギャーー!! ……近い! 近いですわよ、閣下! ……作業中なのに、私の心拍数が冷却効率を上回ってオーバーヒートしそうだわ……!)


「……リリアーヌ。……集中しろ。……ここを、君の設計した通りに、一気にマイナス三十度まで引き下げる。……君の導き(魔力)がなければ、私はただの破壊的な氷を撒き散らすだけだ」


 ゼノス様が、私のうなじに熱い吐息を吹きかけるようにして囁いた。

 彼の魔力が、私の体内を通り、回路へと流れ込んでいく。……かつてのゼノス様は、自分の力を「誰かを傷つけ、凍らせるための武器」としてしか見ていなかった。……あの、断罪の場で私を氷の檻に閉じ込めようとした、凍りついた記憶。……けれど、今の彼は、その強大すぎる力を、私の「わがまま」を叶えるために、この上なく繊細に制御しようとしている。


「……ふふ。……閣下も、随分と丸くなりましたわね。……あんなに尖っていた氷が、今や私の『アイスクリーム』のために、こんなに健気に働いているなんて」


「…………黙れ。……君が私を溶かしたのだから、責任を取れと言っている。……私の氷は、君が望む温度にしか、もうなれないのだからな」


 ゼノス様の指先が、私の指と絡まり、魔石が淡い青色の光を放ち始めた。

 完璧な冷却サイクルの完成。……それは、二人の魔力が一つに溶け合い、新しい「世界の形」を肯定した瞬間でもあった。


「……完成ですわ! ……これで、特別区の夏は、私の支配下キンキンですわよ!!」


 私が喜びの声を上げると、ゼノス様は満足げに、けれど名残惜しそうに私の手から指を離した。

 

「……お嬢様。……冷却の完了、確認いたしました。……これ以上、公爵閣下の冷気に当たり続けるのは、お嬢様の柔らかなお身体に毒です。……さあ、私が用意した『試食用・最高級ベリー果汁』を注ぎ込みましょう」


 シオンが影の中から、冷やされたばかりの銀のボウルを抱えて現れた。

 彼の瞳は、ゼノス様への激しい対抗心を隠そうともせず、けれどお嬢様に向ける眼差しだけは、とろけるような甘さを湛えている。


「……お嬢様の糖分摂取、および栄養バランスは、この私が影で厳重に管理しております。……一口食べれば、私が計算した通りの『至福』が、お嬢様の脳を満たすはずですよ」


 シオンが恭しくボウルを設置し、私たちはついに、世界初の「魔導アイスクリーム」の製造プロセスの最終段階へと突入した。


 魔導冷菓庫マギ・フリーザーのハッチを、私は期待に胸を膨らませて押し開けた。

 プシュゥ、とゼノス閣下の魔力による清涼な白煙が立ち上り、中から現れたのは、淡いピンク色に輝く『特製ベリーのアイスクリーム』。

 

「……ああ、……完璧ですわ。……この滑らかな質感。……私の設計した攪拌かくはん回路が、空気の混入率を極限まで計算した結果ですわよ!」


 私は銀のスプーンを手に取り、まずは隣で目を輝かせて待っていたアリア様の口元へと差し出した。


「……さあ、アリアちゃん。……召し上がれ」


「……は、はいっ! ……いただきますわ……。…………。…………!! リ、リリアーヌ様! これ、お口の中で魔法が解けるみたいですわ! ……冷たくて、甘くて、……なんだか心が、ふわりと浮き上がるようです!」


 アリア様が、花が綻ぶような満面の笑みを弾けさせた。

 その清らかな喜びの波動が、工房内の空気を一層明るく塗り替えていく。……かつて聖域で絶望の旋律を歌わされていた彼女は、今や、一口のアイスクリームで世界一の幸せを手に入れる、ただの愛らしい少女に戻っていた。


「キュ、キュアァァァァッ!!」


 アリア様の反応を見たシルが、我慢できなくなったのか、私のドレスの裾を鼻先でグイグイと突き始めた。

 シルは巨大な肉球を私の膝に乗せ、黄金の瞳をキラキラと輝かせながら、大きな舌をペロリとさせておねだりしてくる。


「……ふふ、シル。……貴方には、魔力を練り込んだ特製の大盛りを用意してありますわよ。……はい、あーん」


「……バクッ! ……モグモグ……、キュアァ~……」


 冷たいアイスを頬張ったシルが、あまりの美味しさにその場でゴロンと横たわり、幸せそうに喉を鳴らした。

 その真っ白な腹部を、アリア様が楽しそうに撫で回す。……そこには、血の匂いも、システムのバグも、不気味な囁きも、一切存在しない。

 ただ、甘いベリーの香りと、大切な家族たちの笑い声だけが満ち溢れていた。


「……お嬢様。……お楽しみのところ失礼いたしますが、アイスの糖分は脳の活性化に寄与する一方で、過剰な摂取は睡眠の質を下げます。……今夜の在庫管理は、この私が影の棚卸タナオロシで厳重に執行させていただきますので、ご安心を」


 シオンが、出来上がったばかりのアイスの容器を、まるで国宝を扱うような手つきで冷蔵庫の奥へと収めていく。

 彼の献身は、今や私の健康管理、栄養バランス、そして「明日何時に起きるべきか」という微細な予定にまで染み渡っていた。……少しばかり過保護が過ぎる気もするが、それが彼の「愛」の形なのだと、私は微笑ましく受け入れていた。


「……ふぅ。……さて、ゼノス閣下。……試作機の完成を祝して、貴方にも一口差し上げますわ。……貴方の魔力がなければ、この『至福』は完成しませんでしたもの」


 私がスプーンに山盛りのアイスを掬い、ゼノス様の口元へ運ぶ。

 公爵様は、一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、私の手首を掴んで引き寄せた。


「……ほう。……君からの『報酬』か。……甘すぎるのは苦手だが、君が食べさせてくれるというのなら、毒であっても飲み干そう」


 ゼノス様が、私の手首を離さないまま、スプーンのアイスを一口で咀嚼した。

 

「…………悪くない。……凍りついていた私の退屈な日々が、この一匙ひとさじで報われた気がする。……リリアーヌ。……次の新作も、私が一番に冷やしてやろう」


 ゼノス様が、満足げに私の指先を熱い唇でなぞる。

 

(……ああ、幸せ。……推しが笑い、男たちが競い合い、もふもふが満足している。……デバッグは完了し、世界は私の望んだ通りの『理想郷』として、完璧に動作しているわ……!)


 その夜。

 私は、窓の外で穏やかに瞬く王都の灯りを眺めながら、雲のように柔らかいシルクの寝具に身を沈めた。

 

 枕元には、平和な寝息を立てるシル。

 廊下には、物音一つ立てさせまいと警護するシオン。

 そして隣の客間には、私の明日を守るために滞在しているゼノス閣下。

 

 不穏なノイズも、ヴォイドの囁きも、データ破損の警告も、何一つ聞こえない。

 ただ、心臓の穏やかな鼓動と、今日食べたアイスの甘い余韻だけが、私を深い眠りへと誘っていった。


「……おやすみなさい。……明日も、ずっと……この幸せが、続くのね……」


 一点の曇りもない確信と共に、私は幸福な暗闇へと落ちていった。

 

 リリアーヌの、最高に贅沢で、最高に平和なスローライフ。

 その『安定した稼働』は、誰にも邪魔されることなく、甘美な月夜に祝福されていた。


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