第77話(後編):王都の凱旋パーティー――今夜、世界は私のもの
城のバルコニーから見下ろす王都『セント・ルミナス』の広場は、今や一つの巨大な「光の宝石箱」と化していた。
私が設計し、アルベルトが泣きながら配線した巨大な魔導スクリーンには、アリア様の歌う姿が神々しく映し出され、その歌声は王都全域に設置された最新の魔導スピーカーを通じて、民衆の魂を震わせていた。
「……リリアーヌ様! 見てください、皆様があんなに笑っていますわ! 私の歌で、世界がこんなに明るくなるなんて……!」
特設ステージの中央、魔導スポットライトを一身に浴びて立つアリア様が、感極まったように声を弾ませた。
かつて聖域の冷たい床で「生贄」として泣いていた少女は、今や自らの意思で世界を照らす、真の『聖女』として君臨している。彼女の纏う『純白の福音ドレス』が、私の放つ光の粒子と共鳴し、彼女がステップを踏むたびに夜空へ眩い羽が舞い散る。
(……ああ。……これよ。……これこそが、私の課金とデバッグの果てに辿り着いた、究極の『推し活環境』! ……アリアちゃんの歌声が、私の作ったネットワークに乗って全土を浄化していく。……完璧な、非の打ち所がない全クリア(ハッピーエンド)だわ!)
私は、ゼノス閣下の逞しい腕に抱かれながら、シャンパングラスに映る自分の勝利の貌を見つめた。
広場からは「リリアーヌ様万歳!」という、アリア様への歓声を凌ぐほどの狂乱的な叫びが上がり、それは空を覆うハシム様の黄金艦隊から放たれた、数千発の祝砲によって最高潮に達した。
「……リリアーヌ。……君の言う通り、この光景は美しいな。……だが、私の目には、この眩しすぎる光の渦さえも、君という太陽の影に過ぎない」
ゼノス様が、私の耳朶を噛むような至近距離で囁く。
彼の低い声は、熱狂する民衆の騒音を物理的に遮断し、私の脳髄に直接「深い信頼と愛」を流し込んできた。
ゼノスの手が、私の腰を慈しむように引き寄せ、その冷徹なはずの瞳には、手に入れた至宝を二度と放さないという、穏やかでいて底なしの執着が渦巻いている。
「……この特別区も、アリアも、……すべては君が描いた絵画の額縁に過ぎない。……私が守り、愛で、そして共に歩みたいのは……この世界を塗り替えた、君一人だけだ」
「…………。……閣下、……お酒が過ぎていましてよ」
私は、彼の胸板を軽く押し返そうとしたが、指先が触れた軍服の奥にある、力強く、そして私への熱量に満ちた鼓動に、心地よい優越感を感じていた。
帝国最強の公爵が、私の存在そのものに、ここまで「依存」し、心を開いている。……その圧倒的な充足感が、私の理性を甘く麻痺させていく。
「……お嬢様。……公爵閣下の熱に浮かされてはいけません。……夜の主役は、お嬢様の傍らに跪く、この私だけであるはずです」
シオンが、私の影の中から音もなく這い出し、私の足元から這い上がるようにしてその細長い指先を私の手首に絡めた。
シオンの影は、バルコニーの石材を優雅に侵食し、誰にも――たとえゼノス閣下であっても――これ以上お嬢様に近づかせまいと、漆黒の結界を編み上げている。
「…………。……お嬢様が作り上げたこの幸福な箱庭。……その隅々まで、私の影を染み渡らせました。……お嬢様が瞬き一つするたび、私がその景色を、永遠の記憶として影の底に保存して差し上げましょう」
シオンの瞳は、お嬢様の作り上げた「平和」そのものよりも、それを操るお嬢様の「傲慢な指先」を、一本残らず自分の瞳に収めたいという、至上の献身を隠そうともしていなかった。
(……ああ。……二人とも、……どうしてそんなに、私のことを『たった一つの世界の宝』みたいに見るのかしら……。……でも、……悪くないわ。……いえ、最高に気分がいいですわ!)
アリア様のライブが最高潮のサビを迎え、王都中の魔導ペンライトが一点の濁りもない「聖なる白」に染まったその時、私の足元でずっと寄り添っていたシルが、甘えたように「キュアァッ!」と短く鳴いた。
「あら、シル。……貴方も、この景色が気に入りましたの?」
私が屈み込み、シルの白銀の鬣に指を差し入れると、彼は待っていましたと言わんばかりに、その大きな頭を私の膝に擦り付けてきた。
かつての戦場で見せた神々しい威圧感はどこへやら、今のシルは、ただ大好きな飼い主に褒められたくてたまらない、世界一愛らしい聖獣そのものだった。シルは私のドレスの裾を鼻先でツンツンと突き、自慢の肉球を差し出して「お菓子をちょうだい」と喉を鳴らしている。
(……はぁぁ……。……この『完全勝利後』の最高級もふもふ。……指に絡まる毛の一本一本までが、私の努力の結晶(戦果)だわ! ……不安も、汚れも、何もない。……ただ純粋な多幸感だけが、この広場を満たしている……。……ああ、最高!)
私がシルの喉元を全力で撫で回していると、背後からハシム様が、宝石を散りばめた豪華な外套を翻しながら歩み寄ってきた。
「……リリアーヌ。……君の隣に並ぶのは、毛深い獣と、氷の公爵だけでは不公平だろう? ……見てくれ、この『シル・フォン』に届く、数百万件の賛辞を。……今、この世界で君以上に愛されている女は、どこにもいないぞ」
ハシム様が差し出した端末の画面には、王都中、そして帝国の隅々から届く、民衆からの「感謝と愛」のメッセージが、滝のように流れ続けていた。
――『リリアーヌ様、美味しいアイスをありがとう!』
――『アリア様を救ってくれて感謝します!』
――『私たちの希望は、貴女と共にあります!』
ノイズも、不吉な警告も、一切ない。
画面を埋め尽くすのは、一点の曇りもない「肯定」の嵐。
私は、自分が書き換えた世界の『解』が、これ以上ないほどに正しかったことを、震えるほどの喜びと共に確信した。
「……ふふ。……当然ですわ。……私が、私のアリアちゃんのために、そして私のために、世界を再設計したのですもの!」
私は、ゼノス閣下の腕に抱かれ、シオンの影に守られ、ハシム様の富に囲まれながら、夜空に架かる黄金の虹を見上げた。
祝祭は夜更けまで続き、私はこの人生で最も贅沢で、最も「安全」な眠りへと誘われていった。
――深夜。
王城の離れ、シルクの寝具に包まれた私の寝室は、完璧な静寂に守られていた。
窓の外には、平和を取り戻した王都の穏やかな灯りが瞬き、枕元ではシルが「スピー、スピー」と平和な寝息を立てている。
「…………ん、……。……幸せ……ですわ……」
私は、意識が遠のく中で、微かに微笑んだ。
明日も、明後日も、一週間後も。
私の『シル・フォン』は、楽しいニュースと、美味しい新作スイーツのレシピで溢れるに違いない。
悪役令嬢としての断罪も、世界の崩壊も、……そんなものは、もう遠い昔に、私が自分の手で「削除」してしまったのだから。
私は、深い、深い、幸福な眠りへと落ちていった。
今夜、世界は私の掌の上で、最高に美しく輝いていた。




