第77話(前編):王都の凱旋パーティー――今夜、世界は私のもの
聖都の陥落、そして世界のシステム(理)の書き換え。
かつてない勝利の余韻に包まれたアステリア特別区の夜は、私が開発した『魔導街灯』と、商人王ハシム様が惜しげもなく放った祝祭の魔導花火によって、真昼のような黄金の輝きに満たされていた。
王城の主寝室。
今夜の祝勝会の主役として、私はハシム様から贈られた「海国の秘宝ドレス」を身に纏っていた。
深海のアクアブルーを基調とし、裾には砕かれた真珠の粉が天の川のように刺繍された、一国の国家予算に匹敵する贅を尽くした一着。鏡の中に映る私は、もはや「追放された悪役令嬢」の面影など微塵もなく、世界を掌で転がす傲慢な女王の如き威容を放っていた。
「……ふふ。……素晴らしいわ。……これこそが、私の手に入れた『平穏(勝利)』の象徴ですわね」
私が扇子を広げ、満足げに微笑んだその時。
背後で控えていたシオンが、音もなく膝を突き、私の足首をその細長い指先でそっと包み込んだ。
「……お嬢様。……このストッキング、海国の人魚の髪から紡がれた最高級品ですが……。……お嬢様の、この吸い付くような白い肌を覆い隠してしまうのが、私には耐えがたい屈辱です」
シオンは、絹のストッキングを私の爪先から膝上まで、一ミリの狂いもなく滑らせていく。
彼の指先が、わざとらしく私の肌をなぞるたび、執事としての「献身」を超えた、どろりとした独占欲が影のように室内に広がった。シオンの瞳は、お嬢様の足を装飾する宝石よりも、その下にある肉体に「自分の刻印」を刻み込みたいという、飢えた獣の光を宿している。
「……シオン、近いですわ。……それに、まだ仕度が終わっていないのよ?」
「……お嬢様を世界に披露する前に、私の『影』で全身を清めておかなければなりませんから。……他の男たちの不純な視線から、お嬢様の毛穴一つまで守り抜くのが、私の務めですので」
シオンが私の膝に深く口づけを落とし、その吐息で私の感覚を痺れさせようとした、まさにその時。
室内の温度が、一気に氷点下まで叩き落とされた。
「……その不潔な指を離せ、執事。……リリアーヌを飾るのは、私の『冬の星』だけで十分だ」
扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのは、帝国の軍服を完璧に着崩したゼノス公爵だった。
彼は、シオンの影を冷徹な氷の波動で押し退けると、私の背後に立ち、その逞しい腕で私の腰を強引に引き寄せた。
「……ゼノス閣下!? 殿方は外で待っていてと申し上げたはずですわ!」
「……待てるわけがないだろう。……君が、あのアリアのために身を削り、私以外の男の貢ぎ物を身に纏っているというのに。……リリアーヌ、これを受け取れ」
ゼノスが私の首元に差し出したのは、帝国の伝説的な家宝である『凍てつく星の首飾り(スター・フロスト)』。
大粒の氷結晶のようなダイヤモンドが、私の鎖骨の上で、刺さるような冷たい輝きを放った。それは美しい装飾品であると同時に、ゼノスの膨大な魔力が込められた、物理的な「繋ぎ飼いの鎖(楔)」に他ならなかった。
「……これで、君がどこへ行こうと、私の冷気が君の肌を守り続ける。……誰にも、触れさせはしない。……君の魂を書き換えたあの神子でさえもな」
ゼノスが私の項に、熱い誓いを刻むように鼻先を埋める。
左右から押し寄せる、執事と公爵の、息苦しいほどの重い愛。
(……ギャーー!! ……二人とも、決戦が終わってから独占欲の出力設定が完全にバグってるわ! ……重いわ! 宝石も、愛も、物理的な質量も!! ……でも、……悔しいけど、この『守られている感』、オタク女子としては最高の報酬ですわね!)
私は、赤くなった頬を扇子で隠し、鏡の中の自分に言い聞かせた。
世界は私のもの。
私の推しも、私の資産も、そして私を狂愛するこの男たちも。
すべてが、私の設計した通りの「ハッピーエンド」へと向かっている……はずだった。
「……さあ、皆様。……パーティーの始まりですわよ! ……私が築いた、この世界一幸せな夜を楽しんでくださるかしら?」
私は二人の腕を潜り抜け、高らかに勝利の笑みを浮かべて、光り輝く広間へと踏み出した。
だが、その一歩を踏み出した瞬間。
私の脳裏に、一瞬だけ、ノイズ混じりの「真っ黒な記憶」が閃いた。
――血の匂い。……崩れ落ちる王都。……そして、今、私を抱きしめている男たちの、見たこともないほど冷酷な『断罪の瞳』。
「…………え?」
私は立ち止まり、自分の心臓を押さえた。
だが、次の瞬間には、アリア様の清らかな歌声と、民衆の地鳴りのような歓声が、その不気味な予兆を跡形もなく掻き消してしまった。




